れた世界の子守歌
 
 オレはごみごみした場所なんかだいっ嫌いだった。  ざわついた夜の繁華街なんて、ニガテもいいところだというのに、オレの住処はここにある。今は亡き母さんが連れて来たのがここだから、仕方ないんだけど。金もないし。  だから出来るだけ、家への足取りを速めていく。  いつもだったらそうしていた。  夜の繁華街。いつもだったら絶対に足なんて止めるわけない、オレのだいっ嫌いな雑然とした場所。  だけどその日は、何だか家に真っ直ぐ帰りたくねえ気分だった。別に帰ったからと言って、何が起こると思ったわけでもない。ただ本当に何となく、吸い寄せられるように、気が付いたらオレは路地裏に足を踏み入れていた。  そして。  死んだように眠っている、お前を見つけたんだ―――。


「っていうのが、オレとお前の出会いなわけよ。ここまではいいよな、辰砂(しんしゃ)」 「はい、昏空さん」  辰砂の柔和な顔立ちが、ふわりと微笑む。  うっかりすると、こいつの言っていることを全部鵜呑みにしてしまってもいいかも知んないとか思ってくるから怖いんだよな。落ち着けオレ。こいつは羊の皮を被ったオオカミだ。 「で。問題は、だけど。」  オレは単刀直入に切り出した。 「何でお前、あんなトコに居たんだ?」 「だから私は使者なんですよ、支部局の。昏空さんを探してたんだけど、ちょっと手間取っちゃって。いやあ、偶然拾ってくれたのが、昏空さんだったから良かった」  オレは机をひっくり返したいような衝動に駆られた。  冷静になれ、城 昏空(ぐすく くらたか)。たった11,2才そこらのガキに惑わされてどうする。こっちのがオトナなんだから、拾っちまった以上はどこか家なり警察なりに身柄を引き渡すとか、しなくちゃならねえよな。そのためにはやっぱ、ちゃんと冷静になって話を聞くしか――。 「昏空さん」 「何だよっ!」 「私まだ、10才ですけど」 「…辰砂」  オレは大きくため息をつく。 「はい」  辰砂はいかにも、素直で無垢な子供というように返事をする。それが計算づくだと、オレは既に気づいていた。 「あのな。エスパーじみた読心術があるってことだけは、認めてやってもいいから―」 「いちいち心を読んで、突っ込むのは止めてくれ?」 「分かってんなら読むんじゃねーっ!!!」  すると辰砂は、気に食わないような素振りをしてみせた。 …けど明らかに、楽しんでやがる、コイツ。 「そんなに嫌なら仕方ありませんねー。昏空さんは私の命の恩人、という事になっていますから。私は昏空さんの意見を最優先しなければなりませんし…」 ウソつけ。お前が一度だってオレの意見を最優先したことがあったか? 「あーあ、なんだってあんなところ行っちまったんだろ…。いつもだったらぜってーいかねーのに。」 思わずぽつりと呟いた言葉尻に、待ってましたとばかりに辰砂が飛びつく。 「だから私が危険信号を送っていたんですって。能力の高い人にしか分からない、特殊な電波を」 「は?」 確かにコイツからは、ある種の電波が出てると思う。けど、それはおかしくねーか? 「おい、辰砂。それがホントならお前、何で万人にキャッチできる電波飛ばさなかったんだ?」 「―――私の目的に起因してるんです」 珍しくシリアス顔になる辰砂に、オレも身構えてしまった。 「目的……ってなんだよ」 「えへ。」 辰砂ははぐらかすように、チロリと舌を出す。 「ちゃんと答えねえと、今晩の飯抜きな」 「ひっどいですー」  しかしそれが大嘘だと分かっている辰砂は、笑っている。  辰砂は金髪碧眼のスタンダードな美形だ。美形、という風に形容するのは、性別がどっちだか分かりにくいからであって、実際のところ辰砂の外見は、美少年やら美少女やらと表現したいような、いわゆる可愛い系だ。ただし、可愛いというと、どことなく愛嬌のある崩れ加減があるような気がするからちょっと適切じゃないかも知れないけど。こいつの顔は、そら恐ろしくなるくらいに整っている。 服装はなぜかセーラー服にショートパンツ、そして水平帽といういでたち。何故なのか聞いたら『支部局長の趣味』だそうだ。…意味がわからん。 でもまあ、中性的な感じのものが好まれて、オトコらしかったりオンナらしかったりと極端なものは好まれないのが、最近の世情というものだ。そっちのが妙な魅力があるかも知れないけど。だけど年齢上、ロリとかショタでもない限りは手出しする気にはならない。そしてオレは、その類の人間じゃない。  そういえば一度 「なー辰砂。お前ってオンナ?オトコ?」 と聞いた事があった。 すると辰砂の答えは 「別にどっちでもいいんですけど。そんなコトが関係するほどの仲になりたいなら別として、昏空さんはどっちでもいいんでしょ。あ、まさか手出ししたいとか」  冗談めかして辰砂は言った。 「だーれがっ。オレはもっとちゃんとしたオンナの方が好きなんだよ。ちっちぇーのって、何だかウザったいしヤダ」 「ダメですね、昏空さんは」  何で自分より年下のガキに、そんなことを言われなくちゃならねえんだ。 「人を好きになるとか嫌いになるとかの感情なんて、抑制が効かないのが常道なんですから。あなたが私を好きにならないなんて確証、どこにもありませんよ?」 「じゃあ、もし仮にオレがお前を好きになったとしたら、そういう風になっても仕方ないじゃねーか」 「だから好きになるのはいいんですよ。手出しはダメって事です」  その違いがよく分からない。想うだけで幸せなんて世界は、小学校低学年レベルの話だろうが。  だいたい、倒れているところを介抱して、相手も自分のことをそんなに嫌ってはいなさそうなんて、それでもし自分のタイプのコだったりしたら最高だ。相手にどう言われようとも焼け石に水、健全なる高校生男子が聞くわけない。自分でも、聞き分けのいいほうだとは思ってないし。 まあそんな幸運転がってるわけもないんだけど。 それに、逆に不細工だったら捨て置いたかも知れないし、そこまで行かなくても交番に届けるくらいに留めておくだろう。とすると、そっちのが気が楽だったかも知れないから、こいつの端正な顔立ちは、オレにとっては不幸でしかないのだ。 「外見がグラマーなねーちゃんだったら、言うことねーんだけど」 「何か言いましたか?」  過去に意識を飛ばしていたオレは、現実世界から辰砂に呼ばれて、正気に戻った。 「いや、独り言。それより学校行って来るから、おまえちゃんと留守番してろよ」 「え?私1人を残して行く気なんですか?」  辰砂は、恨みがましそうな口調で言う。 けど、これもお約束。初めてコイツを拾った時は、確かにこう言われて戸惑った。けど、それは一つの挨拶で、つまるところは『いってらっしゃい』と同じだと分かってから、オレは気兼ねなく学校に行く事が出来るようになった。実際コイツも、オレが学校に行っている間は自分の生活を結構楽しんでいるらしく、たまにオレが帰って来ても気付かずに、楽しげに、窓から穢れた町を見下ろしてるのも知っている。  だからオレは、わざと突き放すように 「ああ、そうだよ。学校行かなきゃ就職出来ねーもん」 と答えるのだ。 コイツにだって家族があるだろうし、オレはコイツをかくまえるほどの金銭的余裕がない。だから至極当たり前の事だけど、いつか出て行ってもらうための言葉だ。野生の動物保護したら、あんまり懐かないようにしなきゃいけねえってのと同じだな。 「大丈夫ですよー。昏空さんはガッコなんかに行かなくったって、こっちで雇ってあげますから」  うあ出たよ。何度聞いたかこのセリフ。 「『こっち』ってどっちだよ」 「だから、『ララバイ東京支部局』ですって」 「そんな得体の知れないもんに入れるか、バカ」 「得体が知れない!?」  辰砂のこめかみに怒りの四つ角がたつ。 「あーはいはい、おままごとするのは構わねえけど、オレは忙しいから帰ってきてからな」 「私は本気なんですからね」  辰砂の顔が、オレの目と鼻の先まで近寄ってきた。  うわあ、いつかこんな台詞で迫られてみたい、というような図だろうけど、相手が辰砂じゃどうにもならない。  肩に付かないくらいのところでくるくる巻かれた金髪。瞳は澄んだ青色。本当の名は『シンシア』というらしいのだが、ちょっと和式には合わないだろうとの配慮で、『辰砂』の字を当てているということだった。別に『シンシア』なんて格別読みにくい名前でもないとは思ったけど、授業でマニアックな教師に教わった、同じ名前のどす黒い赤色をした鉱物が思い浮かんで、なるほど、得体の知れない薄気味悪さがそっくりだと、そのままそう呼んでいる。 「オレも本気でガッコに行きたいの。」 「昏空さんっ」  びしい、と指を目の前まで突きつけて、辰砂は言った。 「あなたは『逸材』なんですから、逃げるようなことはしないで下さいよ」  辰砂の空色の瞳が、オレをじっと見つめた。もっとも、最近の濁った空よりもこっちのほうがよっぽど澄んでいるから、空色という形容はどこかおかしいかも知れない。 「…どこから逃げるんだよ」 「現実です」  ちょっと酔いがち、というのは思春期の女子、とくにこのくらいの歳には起こりやすい病気みたいなもんだよな、と納得させようとするが、そういえば辰砂の性別はどっちか分からないんだった、と気づく。 「オレは逃げてねえよ」 「でも私たちのことをまるで夢幻のように言うじゃないですか」  そっちがわけの分からないことを言うからだろう、と心の中でつぶやく。 「そんなこと言った覚えはありません」  すぐさまツッコミが返って来た。エスパーと会話するにはいろいろと注意が必要だ。 「あーもう、うるせーな。オレはとにかく行って来るから、待ってろよ」  でまだ何事かぶつぶつ言っている辰砂を置いて、隅に置いてあるカバンを引っつかむと、オレはわずか3畳のワンルームを後にした。  ばたん、と扉が閉まる。  この部屋の鍵というのは、何の飾り気もないようなつまらないもので(まあそんな状態にしてるのはオレだけど)、それを鍵穴に差してがちゃっと回すと、何だか辰砂を鳥かごか何かにでも閉じ込めたような気がした。いや、そんなメルヘンなのじゃなくて、独房とかのがいいか。布団を2枚敷くにもスペースが足りない、風呂なしの部屋を『鳥かご』などと形容するのは、奢りってものだろう。おまけに壁は今時はやらない、砂壁だし。  そんな事を考えながら学校への歩を進め、ふと、先ほど辰砂の言った『逸材』という言葉が再度浮かぶ。  確かに成績について誉められたりとか、そんなことは幾度もあった。だけど、だから何に向いてるとか、何になりなさいとか、具体的に言って来るヤツはいなかったな。まあ今の社会、そんなコト他人に決められちゃ、逆に迷惑かも知れないけど。  今日も朝日が昇る中、そんなつまらない考えを思い巡らせていた。  鳥もまだ目覚めないのか、鳴き声1つしない時間帯。オレの学校は、電車に乗って2時間のところにある。 「…メンドくせえ」  呟いてオレは、頭をぐしゃりと掻いた。