咲夜国という国は、宇宙に浮かぶ数多の星たちの1つ、『花星』と呼ばれる惑星にある、6つの国の中のひとつである。 統治者は世襲制。人口1億人弱で、名産物は茶葉。四季折々の花々が咲く、美しい国だ。  そして、この国の姫として在る人こそが、牡丹桜 金花その人である。 ***TINTER*** 「金花。4月から中学校に通いなさい。」 牡丹桜 金花は驚きの目で、母である女王をじっと見つめた。  今は10月の末。城を囲う桜の木も、少し色褪せてきたころだ。外の世界では紅葉や銀杏などが美しく、町中には紅と黄の色調も鮮やかなのだろうが、この咲夜城の中においては、植物といえば雑草以外には、桜の木ぐらいしか植わっていないのだ。金花はこれがかなり残念でならなかった。  なぜなら金花は、ここ数年というもの、城の外から出たことがないのだから。理由はいたって簡単で、体が弱いからである。  だからこそ今更、いきなり母親にそんな風に言われたことが、にわかには信じがたいのだ。まあ、来年からちょうど中学1年生になる年齢なので、ちょうどいいと言えばちょうどいいのだが。 「…また、気まぐれ?」  思わずそう聞き返してしまった。 「気まぐれじゃないのよ、金花」  金花は、座布団の上で姿勢を直した。季節が秋だということで、表には赤、裏にはそれよりも濃い赤を用いた、紅葉襲を着ていた。ただし両方とも、単色である。  手元に出された茶を一口すすった。庭から、ししおどしの音がひとつ、かぽんと響く。  一拍置いてから 「どーしたの母さん。私を玉座に呼ぶなんて珍しいと思ったら。」 「『かあさん』じゃなくて『お母様』でしょ?」 金花は再度、驚いた。いつもの咲夜国の女王陛下の態度じゃない。なにしろ普段は34歳にもなって 『蓮花(れんか)でぇ〜っす!蓮ちゃんって呼んでネ!』 なんて言ってるヤツである。 「やっぱ、この間の事が原因…」 「あたりまえでしょ!?何で人の趣味にケチつけるのよ、深遠(みおん)のヤツ!」  金花の言葉を遮るようにして、蓮花は一気にまくし立てる。 「大体あたしはちゃんと国の政治もやってるし!何にも咎めるトコなんかないじゃないのさ!子育てだって立派に…、したよね?」 そこで蓮花は金花のほうをチラッと見やった。 「なんで疑問文よ。」 問いはいつものごとく完璧に無視して、蓮花は金花をまじまじと眺めだす。 「サラサラの髪に大きな目。顔立ちはあたしに似て整った美人だし、とくにちびでもなし。まあ、欲を言うなら、もう少しこう、ぼんっ!きゅっ!ぼん!のがいーかな。ああでも、見れないほどじゃないわね」  実際のところ、確かに金花は美しかった。それでいて、年齢相応の可愛さというのも含まれている。長い睫毛に縁取られた、漆黒の瞳。金色の髪はあまり手入れをしていないせいなのか、少しだけ外ハネだった。今、着ているのは和服だが、これがドレスとなると、お人形さんのように可愛らしい、とも形容したくなるだろう。あくまで外観の話だが。  しかし金花にとっては、そんなのはどうでもいいことである。 「じゃ、どこに行けばいいっての?『オカアサマ』」  何の意味もない記号のように、そう付け加えた。  実は金花も、学校に通ってみたいと思っていたところだったのだ。こうやって家にばかり閉じこもっていても、彼女の『悲願』は達成できないのだから。  例え、蓮花がこの話を持ちかけた直接の理由が、今まで雇っていた家庭教師が蓮花の趣味にケチをつけ、キレた蓮花がその場の勢いでそれをクビにしてしまった。新しいのを雇うには金も要るし、面倒だから金花はいっそ学校に入れることにした、という不純な動機でも。  金。  そう、咲夜国には今、金がなかったのだ。金花の『悲願』というのも、それに大きく関連している。  まずこの国の歴史というのは、1000年ほど前、ほとんど未開だったこの地に織り物や和菓子などの『和』を持ち込もうとした人間がいたことから始まる。 その人間はこの地の者、いや、咲夜国のあるこの惑星『花星』の者ですらなかったから、始めは警戒されたけれども、もともと咲夜国のご先祖様は懐の広いお方である。文化の違いもすぐに慣れ、先祖と異邦人はあっという間に仲良くなった。 それからというもの咲夜国の生業は『和』のものを作ることとなったんのだ。といってもオリジナリティーを出すため、『西陣織』を『東陣織』として、デザインやつくり方を少しずつ代えるなどの努力はしたけど。その産業も数年前までは、順風満帆といかないまでも、けっこう上手くいってたのだ。 そう。数年前までは。 だが現に今、金花のいる『東暦2513年』の咲夜国には、金が全く、といっても差し支えのないほどない。 原因は咲夜国と巨大な河をはさんで隣接している、神保国だ。 神保の人々が、どこぞの星から『おふらんすで、とれんでぃなあいてむ』なんて物を持ち出したせいで、今までの『和』に飽きてきた人々が、これに飛びついた。そのせいで、和風小物及び食品などの収益は著しく低下してしまったのだ。現在咲夜国の収入を支えているといえるのは、茶葉くらいのものである。それだって、所詮は嗜好品。いつまで続くか分からないのだ。 そんなことで金花のように、いかにもそれらしい外見でお姫様に生まれたとしても、楽しい事ばかりというわけにはいかないのが現状だった。もちろん金さえあれば幸せになれる、というわけでもないのは当然だが、金がなければ不幸せに限りなく近づくことは否めない。 「いや、それがねーまだ決めてないのよ。アンタどこがいい?だいたいの場所は決まってるんだけどさ」 急に普通に近所にいるようなオバサン口調、つまりいつも通りの言葉遣いに戻って、蓮花は言った。 「なにそれー!か弱くて、世間知らずの私を一人で行かせるくせに、場所も決めてなかったのっ」 「か弱いかどうかは別として、世間知らずってとこは合ってるわね。」 「うっ…」  しまった、墓穴掘った。  そんな顔になって必死に弁解の言葉を考えている間に、蓮花はふと気が付いたように 「……『一人で通うのに』?」 と、言葉の一部を繰り返す。 「違うの?」 「そんなこと言ってないじゃない」 「だって金ないんだし、護衛なんて付けらんないでしょ」 げに悲しきは経済事情。それはもう覚悟の上だったし、今更確認するような事項でもない、と思っていたのだが。 しかし、金花のその問いに、蓮花はにやっとして答えた。 「ボディーガードとかは確かに付けてあげられないけど、その代わりもーっと役に立って、もーっと頼りがいのあるのを付けてあげるわよ?」 金花はぱっと顔を輝かせた。 「ホントっ。やったー!」 「いやーコノちゃんが喜んでくれて蓮ちゃんもうれっピーよ? 実はね、もうここに呼んであるのよ? 」 「うっそー、誰ダレだれーっ!私の知ってる人ー?」  よほど嬉しかったのだろうか、思わず金花はおかしなノリになっている。 「すっごく知り合いだよー。しかも毎日顔合わせてる!」 しばらく考えあぐね、金花は手を挙げた。 「あ、わかったー!」 「ハーイどぞっ!」 「女兵士のつばめちゃーん!!」 「ブブ〜ッ!!!」  蓮花は両手でズバっと大きな『×』を表した。 『…違うんだ。つばめちゃんが一番頼りがいがあると思ったのに…残念。』 金花はがっくりうなだれる。しかし、気を取り直してすぐに答え直し始めた。 「図書館管理人の鷲ちゃん!」 「ブブーっ!!!あの人頼れないっ」 「新米コックの雲雀ちゃん!」 「ブブーっ!!!連れてったら昼飯タイヘンっ」 「近所のつぐみちゃん…?」 「ブブーっ!!!それは毎日じゃないでしょ。つーか多分、幼なじみだけど最近会ってないっ。」 「えっと…まいにち城の前を通る、長距離走者(マラソンランナー)志望の鶴(かく)ちゃん?」 「ブブーっ!!!縁者でもないのに頼めないわよっ」 段々と金花の口調には、ハリがなくなってきた。 「え、他?っていうか何か…、おかしくないかこれ。長距離走者とかいう独り言ってありえない気がするんだけど。何だか都合よく人物紹介させられてる気が…」 「何ゴチャゴチャいってんのよ、金花!アンタそれでもあたしの娘!?」 「似てるし、多分」  ぱっしいいいん。  扇子の放った打撃が軽い音を立てながら室内に響く。 「いったああっ!だって聞いたじゃん!」  金花は叩かれた頭をさすりながら抗議した。 「ま、いーわ別にそれは。」  そりゃあアンタは叩かれたほうじゃないからな。金花はそう言いかけて止めた。これ以上脱線してもあまり意味がない。 蓮花はそのまま扇子をびしいっ!と金花の鼻先へ突きつけた。 「んなことよりも、一人いるでしょ、忘れてる大切な人が!」 「忘れてるのに大切って言うの?」 「じゃあ金花は、あの子が大切じゃないって言うのっ。酷いわっ。かーさん見損なったっ!」 「あのねー」  言いながら金花は、ため息をついた。  最初から答えは分かっていた。母さんが金花の大切な、とか頼りがいのある、とか口にするときは、決まってある一定のひとを指しているのだから。ただ、どうしても認めたくなかった。その名を口にすれば、自分がそう思っていることのように聞こえそうだったから。 「…柚ちゃん?」  蓮花は、にんまりと笑みを顔一面に浮かべた。 「ぴんぽんぴんぽーんっ、だあいせええかあああい」  その言葉と同時に、襖が開いた。そして、1人の人物が部屋に飛び込んでくる。  紫色の濃い髪と、澄んだ薄翠色をした大きな瞳。美しさという言葉よりも愛くるしさのほうが先に立ちそうな顔立ちをしているその子供は、金花よりも少し年下の少女のような外見をしていた。  この子も満面の笑みを浮かべつつ 「コノぉぉぉうれしいよ〜っ、ぼくのこと忘れたわけじゃなかったんだね〜っ!!」 と、金花にがばっと抱きつこうとする――が。 「うっとぉーしぃぃぃ!!」 ばきぃっ! 鈍い音と共に、その体はあえなく宙へと舞った。 「こら金花!ダメでしょ、柚ちゃんにそんなことしちゃ!」 気楽なはずの母親はいつになくあわてて被害者・『柚ちゃん』こと涼瀬(すずせ) 柚莉(ゆうり)のもとへと駆け寄る。  しかし金花はそ知らぬ顔をして 「いいの。柚ちゃん、この位じゃ死なないし」 と言い切る。 「やだあコノー痛いよー」 金花の言った通り、当の柚莉は恐るべき飛行体験をした後なのに、蚊に刺されたか砂場で転んだくらいにしか思っていない。どうやら受身が完璧だったようだ。おそらく、金花の家=城の同居人であると共に幼馴染みの彼にとって、こんな事は日常茶飯事なのだろう。 それでも柚莉に手を差し伸べ、立たせながら蓮花は金花を睨む。 「もー金花っ、どーしてアンタはそうかなあ。この世でたった一人かも知んないよ?アンタと結婚してくれそうな男の子なんて」  そう。とても見えないのだが、柚莉は実はれっきとした(?)オトコである。  身長132cmの超小柄で、くりくりした目が可愛らしい、同年代の女子よりずっと可愛いといわれるような格好だったとしても、戸籍上はオトコである。 「やだーれんちゃん。コノはこんなに美人さんなんだから、性別年齢種族に関わらず、色んな人たちを虜にしちゃうに決まってるよー。だからぼく、もう心配なんだよ。コノがぼくとガッコに行くことになったら―ぼくはどれだけの血を流さないといけないんだろうね?」  最後のほうは、柚莉もあながち冗談とも言えないような顔つきで付け加えた。しかし 「…断る」 と、金花はきっぱり一言だけ返した。  柚莉がぺらぺらと喋っていたせいで、どこの部分を断ったのか、すでに分からない。 「え?血を流すの?」 「違う、いや違わないけどさ。とにかく私、アンタと一緒に学校なんて行きたくないからね?」  柚莉はぱちぱちぱち、と三度目を瞬かせた。その様子は、さながらリスなどの小動物のよう。  そしてその後 「えええええ何でぇーっ!?」 と盛大に叫んだ。 「何でもよ。とにかく!私は柚ちゃんと一緒だったら学校通うのやめる。今までにも、柚ちゃんと一緒にいて問題に巻き込まれたことがたくさんあるんだから!」  大体自分よりも、柚莉のほうが保護される役が似合う。だからつい、一緒にいると金花が庇ってやらなくてはならないような場面に遭遇することが多いのだ。金花も面倒見がいいほうではないのだが、それでも柚莉が事件に巻き込まれたりすれば、絶対見過ごすことなどしないだろう、というのは自分でも分かっている。しかしそんなのは、自分的に許せないものがあるのだ。 「いいの?そんなコト言って。」 ニヤニヤした余裕の表情を全く変えず、蓮花は言った。 「和風グッズを使ったまま、国を元のように戻すのがあなたの望み。でしょ?」 「…それとこれは全然関係ないじゃん」  開き直った金花の発言にも、しかし、逆にしてやったりという顔で蓮花は応じた。 「いやーそれがねぇ、アンタに行かせようとしてた第一志望の学校に、国唯一の『和紋部』があるのよ。」 「『和紋部』!?」 「って、何それー。」 柚莉は、目をぱちくりさせながら聞いた。 「知らないの?」  今度は金花が呆気に取られたような顔になる。 「うん」 「アンタ、すっごい知識人なのに、なんでこんなの知らないのよ!」 「だ…だってぼくの情報収集源って、主に本とネットだもん!風俗的で習慣的な記されないものに関しては、ちょっと弱いんだよー」  責められて少しふてくされたように、柚莉は言い返す。 「だいたい、文化系ならコノのがよく知ってるでしょー?専門的にいろいろ学んだりもしてるはずだしー」 「あーもうっ!御託はいいから、それで結局アンタは和紋部のこと知りたいの?知りたくないの?」 「知りたいよっ!」 「じゃあ黙って聞いてなっ!」  柚莉はそれで、ぴたっと大人しくなった。別に金花を怒らせたくないから、というわけではない。純粋に知識がほしいと思っていたのだ。金花を本気で怒らせてしまったらば、その機会を失ってしまうかも知れない。  それで、金花は一拍おいてため息をつく。 「簡単に言えば『和を堪能する部活』よ。『神保国を見習って和を捨てましょう!新しい時代を切り開け!』って言う、あのバカな御触れが出て以来、全部無くなったって聞いてたのに…」 と、最後のほうは独り言じみた口調になりつつ言った。 「『和』?」 「つまり茶道部とか書道部とか全部ひっくるめて、『和の文化』を学ぶのを目標に掲げてんの。それを世間に公表したりとかもね。ま、自国文化だから、全盛期には結構すごかったらしいよ?」 「ふーん」  気のないような返事だが、しかしこれで、柚莉の頭の中には、確かに情報が読み込まれたのだ。満足げに頷いている柚莉のことはさて置いて、蓮花は 「で、どうするの?金花」 と聞く。 「どうって?」 「入学するのかしないのか」  金花は目を見開いた。何を言っている、といわんばかりの口調で 「どうするって、行くに決まってるでしょ」 ときっぱり言い放つ。 「だから、その前段階で、ゆーちゃん連れて行きたくないとかゴネてたじゃない」 「あ」  しまった、すっかり忘れてた。 「あーれんちゃんっ。言わなきゃ絶対思い出さなかったのにー」  柚莉は悔しそうに地団駄を踏んだ。 「はっ、それもそうだった!」  今頃気が付いたようで、蓮花も惜しいことをした、という顔をしている。 子が子なら親も親だ。 「………」  ぶつぶつと、しばらくなにやら口の中で呟いたあと、何やら閃いたかのように一瞬、眉を吊り上げる。しかしそれも本当に刹那のことであり、柚莉にも蓮花にも、その様子が気づかれることはなかった。 「わかった。」  その一言に柚莉はぱっと顔を輝かせた。 「じゃあ、一緒に行けるのっ」 「背に腹は変えられないし」 「うわああい、やったー」 何気なくとても失礼な事を言ってるが、これも日常茶飯事なのだろう。柚莉は嬉しさのあまりに小躍りしている。 「じゃあ第一志望は、和紋部のある学校でいいのね?」  シボウ?  金花の頭の中には、『脂肪』『死亡』の2つの文字がぐるぐると回り出した。第一脂肪と第一死亡。後者のがしっくり来るような気もするけれど、なぜ学校に行くのに死亡が必要なのだろうか。なにごとにも犠牲はつきもの、ということだろうか?  頭の中を巡ったそんな考えを取り合えず切り捨て 「もちろん」 と頷く。 「じゃ、母さん。さっそく入学手続きしといてね」 「あ。ごめんそれ無理」 にっこりと微笑みながら、蓮花は言った。 「…はああ!?」 金花は思わず、座布団から立ち上がった。先ほどまで、散々学校に行けだの柚莉を連れて行けだの五月蝿くしていたくせに、最後の最後になって、そんなことを言うのか。 などと怒りのあまり青ざめてきた顔で啖呵を切りそうになる寸前の金花を前にしても、蓮花はけろっとした顔のままであった。 しかもそんな顔色ひとつ変えぬまま、蓮花はさらりととんでもないことを口にする。 「だからー。あんたの行く『咲夜国立桜花大学付属中学校』…通称・桜花中は、受験しないと入れないのよ。」 「え?」 「ま、今までのあんたの勉強量から考えると、合格率90%はカタイわね。もともとあんた、あたしに似て頭もいいし―って金花?」 蓮花がふと気がつくと、金花はショックのあまりか床に突っ伏していた。