「よっしゃ合格っ!」  桜花中学の掲示板の前に、金花の声が響き渡った。  周囲では、合格の決まったほかの人たちが胴上げをしていたり、不運にも受からなかった人々が肩を落としながら、すごすごと帰って行く姿が見受けられた。受かったということで記念になのか、桜の木から芽を摘み取って警備員に叱られている人までいる。四月から通うというのに、そんな事をしてどうする。  中には、友達と一緒に見に来て片方が受かったが片方はダメだったために、気まずい顔をしている2人もいた。 「金花さまっ、さすがですっ!」  燕薇は泣かんばかりに喜び、金花以上の興奮を見せていた。 「つばめちゃんの教え方が良かったからでしょ」 「それだけじゃ、アレは取れませんよ」  言いながら燕薇は掲示板の上部を指した。  見ると、金花の名前が『合格者一覧』とでかでかと書かれた下に書いてある。それはわかっていたことだったのだが、よく見れば横に点数が併記してあった。合格かどうか、しか金花は気にしていなかったが、そこには 『受験番号01876 牡丹桜金花 総合得点367点(首席)』 と書かれていたのだ。 「すごいじゃないですかっ!首席ですよ首席!私、金花さまが世界史など全く出来ないと聞いていましたから、心配で心配で…。でも結局取り越し苦労だったみたいですね」 「…くびせき、って何?」  ある種の用語に疎いのは、変わってないみたいだった。 「最高得点ってことですっ!」 「へえ!」  そこでようやく、わあすごいと他人事のように思った。  いや、もう受験をした頃の金花とは、他人なのかも知れない。  金花は短期間だけならば、恐ろしいほどにたくさんの知識を詰め込むことができた。しかし、3日ほど過ぎるといきなりそれは空っぽになってしまうのだ。興味のないことだと。テストの点がいくら上がったところで、これでは意味がないことは分かっていた。  だから首席を取ったのは別の『牡丹桜金花さん』だと思っていた。  傍らで延々と賛辞の言葉を述べている燕薇をよそに、金花はある名前を探していた。 『柚ちゃんは…』 と気になったからだ。  しかし見つけられなかった。というか、何を探すのかが、咄嗟に出てこない。忘れてしまったのだ、柚莉の名字を。  そういえば上の名前なんて滅多に使わない。不要なことは忘れる主義の金花にとって、無くなっても別に問題は起こらなかったのだ。それどころか『柚』の字しか思い出せなくなりかけていた。 「つばめちゃん、柚ちゃんの氏ってなんだっけ」 「え?涼瀬ですけど」  金花はひたすら掲示板を目で追った。  『スズセユウリ』、『スズセユウリ』と頭の中で繰り返す。そうしていないと忘れてしまう気がしたから。 金花の目は、あるところで止まった。 合格者は50音順になっている。だから『涼瀬』はこの、『鈴代』と『瀬納』の間にあっていいはずなのだ。 だけど何度目をこすってみても、柚莉の名前は、そこにはなかった。 「金花さま、どうでした―」  燕薇は言いかけてやめた。  掲示板の結果はまだ見ていない。しかし金花の後姿を見ただけでも、十分どんな結果だったかは分かったのだ。  案の定、数秒後に 「…なんだ。柚ちゃん、いないでやんの。あれだけ一緒に行くとか偉そうなこと言ってたくせにさ」 とぽつりと言った。 「金花さま…」 「ああでも、これで清々した。柚ちゃんが居ないなら、学校でゆっくり文化を学べる。あの子がいると、私が何かする度に危ないとかなんとか五月蝿そうだし。」  だけどそう言った金花の顔は、全然、安心しているようには見えなかった。  何と言ったらいいのか、無表情に近かったかも知れない。 「結局口先だけだってことだよね?必死にやって受からないなんてこと、柚ちゃんだったらありえないもんね」  金花は半ば独り言のように呟く。  確かに柚莉の頭脳は、あの、おちゃらけた面からは考えられないかも知れないが、とても鋭い。それは天性のものかも知れないが、しかし努力も怠らない風な賢さだ。普通の勉強よりも研究に時間を費やしていたとはいえ、その労力の一角だけでも取ってくれば、すんなり合格して然るべきだろう。 「柚莉くんは――」  燕薇が何か、金花に言葉をかけようとして、途中で口をつぐんだ。何と言葉をかけるべきなのだろう。  違いますよと言っても、逆に柚莉を侮辱したと取られるかも知れない。だからといって肯定はありえない。  だから黙ってしまった。 「燕薇」 「はいっ!?」  急に、本名で、しかも『ちゃん』を付けずに呼ばれて、思わずうろたえた。何を言われるのだろうと一瞬身構えるが 「手続き済ましたら、さっさと帰ろ」 とあまりに普通な言葉が来たので、余計に不安になった。  せめて自分に何か言葉をぶつけてくれれば、と思ってしまう。そういえば蓮花も、肝心なことは自分に相談してくれないことが多い。結局他人なのかと哀しくなるけれど、そういうものじゃないのかも知れない。金花の態度を見て、そう思った。  久しぶりに出て行った世界は、美しくもなんともなかった。雪の舞う感動もなにもかも、純白の彼方に消し去られてしまったような消失感しか金花には感じ取れなかった。なぜだかは知らないが。  柚莉はその日、結局会場に現れなかった。