TINTER  act,1
  



 図書館は、静かで広かった。  秋というのは不思議なもので、食欲だの読書だのいろいろな欲求が沸きあがってくる季節とされているくせに、窓から臨む景色は、まるで生命が死に絶えたような印象を受けるのだ。  桜の枯葉はしかも、銀杏や楓のような黄、紅の鮮やかな色合いをかもし出すこともなく、ただ朽ちてそこに舞うだけの、いかにも『枯れた葉』というものだ。庭を飾る、とはお世辞にも言い難い。  相変わらずもの寂しいな、と思いながら金花は、鷲士を探して図書館の中を彷徨っていた。  ここは一般にも開放されているのだが、平日の昼時前ということで、館内はがらんとしていた。ここは、少し前に増築された場所ということで、少し趣が違い椅子と机がしっかり用意されていた。座布団に慣れた金花にとっては、逆に少しばかり居心地の悪い場所ではあるが。  蔵書整理をしていた鷲士の姿はすぐに見つけることができた。一心不乱といった様子で、傍に寄っただけでは気づかないか、と思われたが、それでも金花が 「鷲ちゃん」 と呼びかけると、鷲士はすぐさま気がつき、振り向く。  そして満面の笑みを浮かべた。 「金花様、こんにちは。今日は柚莉君はご一緒されてないのですか?」 「あー。ちょっと事情があって」  言葉を濁すような口調で、鷲士は、2人の間にトラブルがあったものと解釈したらしい。実際は、『一緒に勉強したくないから』などと言っては何だか単なる我儘のようにしか聞こえないことに気づいたからなのだが。 いなすように 「喧嘩などはなさらないようにしてくださいよ。なんと言ってもお2人は、この国一番の仲良しで有名なのですから」 と言った。  金花はあまりのことに、数秒、息をするのを忘れた。 「誰よそんなこと言ったのっ!?」 「女王陛下ですが」 「…母さんか…」  金花は呆れ果てると共に、なんだか妙に納得してしまった。なるほどあの人なら、何を言っても不思議はないだろう。それ以上何かを追求することは諦め、椅子に腰かけた。 「けどさ。大変だよね、こんな広いトコ1人で預かるなんて」  本の数がゆうに100万冊を超えるここは、それでも城の一部なので、名義上は一応『図書室』ということになっている。しかし、その広さと種類の豊富さから、どうしても『室』という雰囲気ではないので、みんな『図書館』と呼ぶことが多いのだ。それを、経費のなさと人材があまり良質なのがいないということで、鷲士はたった1人で管理しているのだ。並大抵の苦労ではないだろう。  しかし鷲士は相変わらずの笑顔で 「ご心労おかけ頂き、ありがとうございます。しかし私は、本たちのことが好きですから」 「ふーん」  特に関心もなさそうに、金花は相槌を打った。 「金花様だってそうでしょう?でなければ、わざわざ柚莉君と一緒に毎日ここに足を運んだりしませんよね」 「や、私は別に?」 「またまたそんなことおっしゃらないで。照れることはないのですよ」 金花はその時ふと気がついた。鷲士の目線は自分から逸れて、どこか彼方を彷徨っているのだ。まるで、宙にふわふわと飛び交っている本の妖精たちを捕らえんとするばかりに。 「いやだから…、私はそんなじゃなくて。いっつも柚ちゃんの趣味でつき合わされてるだけだって」 「好き、ですよね?」  鷲士はずずい、と金花に顔を突き出した。目の色がさっきまでの、温厚な顔だちにはめ込まれていた時とは完璧に様変わりしている。 「えーっと」 「好きですよねーっ?」 と言いつつ詰め寄ってくる鷲士は、もはや完全に我を見失っていた。 『うっわあどうしよう、忘れてた。こいつ、極度の本オタクなんだよなー。普段はそこそこいいヤツなのに。別に好きじゃないって言ったら暴走しかねないよねー…。いや、これはもう暴走の内に入るか?でもかといって、こんなことで嘘つくのもバカらしいし』 と、金花が悩んでいると ごっすうううううっ! 轟音をあげながら、鷲士の頭に分厚い本が直撃した。 「はうあっ」  よく分からない悲鳴のようなものを上げながら鷲士はのけぞり、そしてそのまま仰向けの状態で床に突っ伏した。 金花が本の飛んで来たほうを見やると、そこにはロングスカートの軍服に身を包んだ、22~24歳位の女性が立っていた。かっこいいお姉様タイプといった風貌であり、まったく化粧っけのないその顔立ちは、金花のよく知った人である。 「あ、つばめちゃん」  金花に名を呼ばれると、『つばめ』こと英田(あいだ) 燕薇(えんび)は、金花の傍へ素早く寄り、跪いた。  ばっと頭を下げると 「申し訳ありません金花さまっ!わたくしめが鷲士のバカたれを見張っておかなかったばっかりにこのような事態にっ!お怪我はありませんかあああっ」 「つばめちゃん、そんな作法とか気にしないでいいのに。やだなあ、もー。その体勢つらいでしょ?ほら」 と言いながら金花は手を差し伸べた。  すると、燕薇はしばらくその手と金花の顔を見比べて、急に真っ青になる。 「こ…金花さまに、ご心労をおかけしてしまった…金花さまに不快な思いをさせてしまった…」 「え?いやつばめちゃん、そーゆーことじゃなくて」 「もう終わりだ…」  よろよろと立ち上がると、燕薇は、窓際へ寄って行った。そして、ガラッと窓を開ける。 「つばめちゃん、聞いてます?」 「さようなら金花さま!」 すると燕薇は、窓枠に手をかけ、身を乗り出した。 「うっわあああ待てっ。つばめちゃん、落ち着けっ。だいたいここ、1階だから落ちても死なないよ!」 「ハッ!?そういえばっ。それではこの荒縄で!」 今度はおもむろに、縄を取り出した。 「なんで図書館にそんな物騒なものがっ!あ、別に縄自体は物騒じゃないか…じゃないっ。つばめちゃん、つーかそんなことよりなんでここにいるのっ。教えてっ!」  これには効果があったようだ。  金花直々の命令ということで、燕薇は今まで自分が何をしていたか、次の瞬間にはころっと忘れていた。 「はい、金花さま!知ってのとおり、我が国は資産が不足していますね」 「うん。そりゃ、空しいくらいに」  こうやって口に出してみると、余計に哀しい気がしてきた。 「けれどそれでも、もう一つ我が国にはないものがあるでしょう」 「まともな指導者?」 「恵まれてるじゃないですか」 「そっかなー」  金花は首を捻った。  いや確かに蓮花は指導者としては、結構まともかも知れない。母親として少々アレなのは、まあその反動ということで、見逃せる程度ではあるし。 「戦争ですよ」 「あーなるほど」  確かに、燕薇の喋り出しがどちらかというと嬉しそうだったというのに、『指導者』に恵まれない話だったら矛盾してしまう。 「お金がないのは哀しいことだと思いますよね、金花さま。今のところは咲夜国で起こってないけれど、飢饉などは嫌なこと。それは当然です。だけど、お金がたくさんあったせいで争いもたくさん起きてしまうくらいなら、いっそ何にもないほうが幸せなんです。兵士の私が言うのも何ですが、やはり平和が一番、ですよね」  燕薇は口調を乱すことなくそういった。  しかし金花は、その瞳に映る一片の哀しみを汲んで 「うん」 と短く答えた。  燕薇が両親を戦争で失い、自分も殺されそうな目にあったというのは聞いている。そこを、当時『世直し』をするため諸国を漫遊していた蓮花に助けられたのだ。蓮花はまだ王位を継いでないときで、ときどき城を抜け出すことができたから。  それで燕薇は『恩返しと仇討ちを兼ねて』特訓を積み重ね、この国イチの凄腕剣士となるに至ったのだ。―最も今は、何より窮地を助けてくれた蓮花と、その一族を守り続けることしか考えていないようだが。 「それで、どうしたの?」  少し話を急くように金花は言った。人は過去と向き合うことが大事だ。けれど、後ろばかり向いていたらいつまでも前に進めない。燕薇の口調から見てとるに、今回の主題はおそらく暗い話ではないはず。それなら、わざわざ彼女にとって辛いはずの過去を無意味に思い出させるのは嫌だった。 そんな金花の胸中を察してか、燕薇は一瞬、微笑を浮かべた。 「今、幸せな暮らしができているのは蓮花さまのお陰です。あの方がいろいろな地方を旅し、問題を片付け、国民と親身になって向き合っていったからこその生活なのです。というわけで、平和な世の中になってしまったために、逆に言えば兵士にとっては住みにくい世ですよね。そこで、兵士は城の近くの人手が足りない施設などに派遣されることになったのです。何人か、地方に送られた者もいるようですね」 「あー、だから最近、極端に人が少ないんだ」 「ええ。―まあ経費の削減にはなっていないけれど、お金がない所為で人を雇うことができなかったところに国が無償で人員を派遣するのですから、国民の生活も少しは楽になったでしょう。兵士も、職を失くすことはなかったのですし。蓮花さまの頭脳は本当に素晴らしいですね。王族がみな能無しで、お傍に抱えているものに全て仕事をやらせている国もあると聞きますのに。それに比べて咲夜国では、皆様代々頭のいい方ばかりで。知識も豊富ですし―」  燕薇の言葉はまだ続いていた。  と言ってもそれ以降は、牡丹桜家に関する賞嘆と賛美の数々ととうとうと並べ上げたものなので、金花はすでに聞いていなかったが。燕薇の凄さは、これらの事項をただ世辞で挙げているわけではなく、心から牡丹桜家に心酔して語れるところにあるだろう、とは思ったが、それはともかくとして。  やっぱり、このままじゃいけない。  金花はそう考えたのだ。  自分が怠惰なままではどうしても、国はいい方向へ向かわないだろう。蓮花はあれでいて、きちんと国政を知っており、そこは評価できるのだ。まあ多少性格がアレでも、別に問題ない。国民に迷惑はかかっていないし。実の娘は、ときどき少し、あのいい加減さが癇に障ることもあるのだけど。 「つばめちゃん。もういいよ」  言ったら燕薇はぴたりと話をやめた。  そして照れたように顔を赤らめて 「すいません、私ったら無駄に話が長くって」 「いや、私が頼んだんだし。それに知りたいことは分かったから」  たまに話が長いくせに、下手なやつというのもいる。  それを考えれば、わりと分かりやすい燕薇の説明が多少長くとも、別にさほど苦痛にはならないのだ。話も聞くのも女王の技量のうち―かも知れないし。 「おかげで、何のためにここに来たのか思い出した」 「そういえば何でですか」 「鷲ちゃんに勉強、教えてもらおうと思ったの」  すると燕薇はあからさまに顔をしかめた。 「…金花さま。僭越ながら、異議を唱えさせていただきます」 「え?どして」  すると燕薇は、辺りをきょろきょろ見回し、他の人間が入って来ていないかを確認する。そうしなくとも、ここには他に誰もいないことなど分かっているのだけれど、そこはまあ、習慣みたいなものだ。  そして金花の耳元に口を寄せると、ようやく聞き取れるような小声で囁いた。 「…ここだけの話、鷲士のやつ、勉強が大の苦手なんです」 「うっそーっ!?鷲ちゃんってバカだったんだっ」  思わず金花は声を大にした。  慌てて燕薇が、自分の唇に人差し指をあて、『しーっ』とジェスチャーで表す。が、鷲士は先ほどから、金花に両肩を掴まれた状態のままである。彼がまだ寝ているのなら問題はないが、でなければ当然聞こえているだろう。  図書館に3人以外誰もいないのが、不幸中の幸いである。 「…だってさ。図書館の史書せんせーだよ?知の番人ってカンジじゃない」  金花は声のトーンを落としながら言った。 「だから内緒にしなくちゃいけないんですって」 「夏休みとか、子供が宿題持ち込んでくることあったじゃない。アレはどーしてたの?」 「ああ。そういうときは私がやってたんです」 「え、ホント?じゃあつばめちゃん私の先生になってよ」 「ちょーっと待ったあっ!」  いきなり、会話を遮る大声があがった。もちろん声の主は、先ほどまで倒れていた鷲士である。 「鷲ちゃん起きたの?」  別に寝ててもよかったのに、という言葉を含まれたような気がして、鷲士はうっと言葉に詰まる。 「…金花様。燕薇の言う事だけ聞いて即断なさるのは、少々早すぎるのではありませんか。第一そこまで言われて黙っていては、図書館管理人の名が廃ります。是非このわたくしめに、教育係の任務を…」 「鷲士っ!金花さまは、あたしに任務を仰せつかったのよっ。大体あんたが金花さまに教えられることなんてあるわけっ?」 「なに言ってるんだ!そもそも金花様は俺を頼ってきたんだろ!」 「あーはいはい、分かった分かった。2人とも落ち着いて」  しかし2人はこればかりは譲れない、というように互いに一歩も退かない。  金花は半ば呆れて 「私、別に教えてくれんなら誰でもいいのになあ」 とため息まじりに呟く。するとその時、名案が浮かんだ。  そして金花は両手をぽん、と打ち鳴らし、2人の注意を向けさせた。 「じゃあ、2人の適性を試すために、ちょっとした試験とかやっていい?」 「「試験?」」  金花は頷いた。  頼みに来たという立場の割りに、言っていることが結構偉そうだ。まあ、これで許されるのもある種の人徳ってやつなのかも知れない。それに実際問題として、そうでもしないと2人が納得した上で、しっかりと決めることは出来そうになかった。 「普通の問題を2人に解いてもらって、点数の高いほうに教わることにする」  なるほど、確かに公平な案である。 「それでいい?」 「まあ…」 「金花さまが仰るなら」  2人はそれぞれ渋々、と言った様子で引き下がった。 「ただ、問題がないんだよね」 「それなら確か、こっちのほうに入試の過去問が」  言いながら鷲士は、近くの棚から一つの小冊子を持ってきた。上質紙でコピーされているにも関わらず、紙が黄ばんでいないことから、最近印刷されたばかりのものだということが分かる。 「この間、大学生達がやってきて勉強したときに置いてったみたいで」 「そんなとこから取ってきて、ズルとかしないでしょうね」  燕薇が茶化すように言うと鷲士は顔をしかめて 「失礼な。自慢じゃないけれども、1回本を読んだくらいで内容なんて理解できないぞ。勉強の類だったらよけいにね」  本当に自慢にならない。  ともかくそれを鷲士から受け取った金花は、適当にぺらっと紙を捲り、偶然出てきたところを解いてもらうことにした。そっちのほうが手っ取り早く、不正が行われることもない。 「あーこれにしよう。2510年の百合ヶ原中学入試問題、数学。」 と言ってもその小冊子の中には、百合ヶ原中学のものしか載せられていなかったのだが。 「全部解くんですか?」 「そうなるかなあ」  鷲士はおずおずと 「数学だけじゃなく色々な教科があったほうが…」 と意見した。 「ダメ。どの教科も均等に理解できてこそ真の指導者です」  そんなことを言いながら、自分は結構大雑把な勉強法である。そもそも、だからこそここに教えを乞いに来ているのだし。  鷲士と燕薇を図書館の一角にある椅子に間をとって座らせると、その中間あたりに位置するように金花も着席した。 「制限時間は30分ね。はい、始め」  金花の声と共に、その場はしんと静まりかえった。しばらく、ただひたすら鉛筆の音が響く。時々、遠くで鳥の鳴く声などがしたが、それもそんなに長い間というわけではなく。  ただし10分ほど後、その静寂は破られることとなった。 「コノっ!やっと到着したーっ!!!」  しかしぎろりと金花の目に睨まれて、あわてて口をつぐむ。  足音を立てぬよう、そろりそろりと金花の元まで近寄ってきてから 「何これ」 と聞いた。 「適性試験。」 「コノの勉強は?」 「それの教師の試験だってば」  そんなこと言われても、一部始終を知らない柚莉には、何が何だかさっぱり理解できないのだ。不思議そうな顔をした柚莉が金花に何度もどういう状況なのか小声で訊き、それに金花が答えるということをしている間に、あっという間に30分が過ぎた。 「はい、やめー。後ろから前に集めてー」 「2人しかいないから無理だよー」  柚莉の細かい指摘にむっとする。 「うるっさいな柚ちゃん。大体なんでアンタこんなトコにいんのよ」 「『コノあるところにゆーちゃん在り』…って有名な格言じゃん」 「ぜんっぜん有名じゃないっつの。来るなって言ったでしょーが?」 「えー。コノってば釣れなーい」 「当たり前よ。魚じゃあるまいし」  柚莉は一瞬なにを言われているのか分からず、きょとんとした顔になる。しかしすぐに察知して、ため息をついた。 「コノ…。ぶりっ子はダメだよ。コノはとってもスーパースペシャル可愛いと思うけど、そういうキャラじゃないんだからね」 「だから私は魚じゃないって」  やっぱり何か間違っている。 「ぶりっ子って、どういう意味だと思ってる?」 「ワラサとかイナダとか」 柚莉の頭の中にはその時、『歴代咲夜姫の中で、最も天然と言われた女』というフレーズが頭の中をぐるぐる回った。 「何よ柚ちゃん、黙り込んで」 「えっ!?い、いやコノって可愛いなーとか思って。えへっ」 「は?何でそーゆー話になるのよ。」 「だってコノって可愛いしー美人だしー金剛力士ばりに怪力で頭も良くってもうサイコーみたいなー」  金剛力士は果たして誉め言葉だろうか。 「別に可愛くなくていーんだけどな。実用的じゃないし」 「えーっ、そんなコトないもんそんなコトないもんー」 「あーはいはい、分かったから、ちよちよ」 「ちよ…何それっ!?」 「『ひよこの美称』だよ。」 「美称っていうのそれっ!?ていうか、なんでぼくがヒヨコなのさっ」  金花は、柚莉の面前にびしいっと人差し指をつきつけた。 「ひよこっつったら、可愛くってちまちましてて足取りおぼつかないカンジ。まさに柚ちゃんじゃない」 「ぼくはちゃんと歩けるよーっ。それにちまちまって、人が気にしてることを言うなああっ」 「気にしてたの?」  普通の物心ついた男子ならば、気にして当然である。 「だいたいコノ、さっき自分で可愛いのは何の役にも立たないみたいなこと言ってたじゃんっ」 「あれは、私の場合だよ。柚ちゃんくらいになればもう、可愛さも武器だから。つうか柚ちゃんの場合、可愛さ『が』武器だから」 「ぼくは薬も作れるもんっ!」 「薬使うっていうなら、もっと素早く投げるとか出来ないと意味ないよ。」 「自分が銃の腕に恵まれてるからってひどーい」 「別にそーゆーわけじゃないよーだ」 「あの、金花様」  金花が振り向くと、そこには待ちくたびれた燕薇と鷲士の姿。 「…採点、お願いしたいんですけど。」 「あ、ごめん」 あわてて謝る金花。 「あああこのかさまっ!!れんかさまのあととりさまにあたまなぞさげさせてしまったなどということがわかったらわたしはれんかさまにかおむけができませんいそいでかおをおあげになってくださいませわたしのようなしょうこくみんのためにそのようなことはあああああ」 「つばめちゃんつばめちゃんっ!謝ってるのは私なんだからひとまず落ち着けっ!」 金花が再び投身自殺を図ろうとしている燕薇をなだめている間に、柚莉はちらりと答案用紙を盗み見た。 「うっわあ。しゅーじさんってばほとんど空欄ー」 「柚莉君っ!なんで勝手に覗いてるんですかっ。プライバシーの侵害ですよっ!?」  しかしそんな言葉でハイそうですかと大人しく引き下がる柚莉ではない。  今度は答案用紙を燕薇のものに据えかえた。 「えーっと、こっちはえんびさん…。わあすっごーい、全部埋まってるー」 「えええええっ!」  鷲士はがばっとそれを覗き込んだ。  なるほど確かに、それには一片の空きもなく答えが記入されていた。しかも、理想の解答欄に出てくるような、読みやすい丁寧な字で書き込まれているのだ。 「ほ…ホントだ」 「当然ですよっ。なんてったって、金花さまと同じくらいの子供たちを一番見てるんですから」  先ほどまでの暴走っぷりはどこへやら、途端に自信満々な顔になる燕薇。 「でもコレ半分くらいしか合ってないよ」  金花が、解答と見比べながら言った。 「ええっ!そんな…」 「でもまあ、鷲ちゃんは半分も書けてないから、絶対つばめちゃんの勝ちだよね。それにこの年の平均は26点だったって書いてあるし、半分できただけでもスゴいよ」 「こ…金花さま」  燕薇は感動のあまり、目の端に涙さえ浮かべている。 「そんなお言葉もったいないですっ。私などに労いの言葉をかけてくださるなんてっ」 「まあ、労うだけじゃなくてきっちり仕事もこなして頂くけどね」 「はい?」  何のことだろうというような燕薇の顔を見て、金花は首を傾げる。 「教師役だよ。そもそも、そのために戦ってたんでしょ?」 「あっ…そういえば」  燕薇はとたんに青ざめた。勝ってそれからのことはほとんど考えず、その場のノリだけでやったような争いだったものだったので、結果については一片も思案していなかったのだ。 「金花様、私の体面は…」  鷲士はまだしつこく言っている。  図書館というのは知的なイメージで、そこを管理するからにはやはり、卓見に富んだ聡明な人物という印象を保つ必要がある。図書館に姫が直々に来たのに、勉強を見たのは兵士だったというのは、やはりマズイかも知れない。 「あーじゃあ、柚ちゃんの面倒でも見たら?」 「コノっ!?」 「だってアンタも受験するって言ったじゃない。今のままだとヤバいんでしょ」  金花にしてみれば、一緒に勉強しないと言っても明らかに邪魔をしそうな柚莉と、傍でぶつぶつ体面がどうだ威厳がどうだと愚痴る鷲士を一挙に追い払うための、単なる口実にすぎない。しかし柚莉はそんな金花の内心など露知らず、感極まったような顔で 「コノーっ!嬉しいよっ。やっぱコノってぼくのことちゃんと考えてくれてるんだねっ!」  柚莉はぎゅっと金花にしがみ付いた。 「だから、抱きつくなっつってんだろーがよっ!」  金花と柚莉がてんやわんやの大騒ぎをしていると、燕薇が遠慮がちに手を挙げた。 「すいません、金花さま。やっぱり私はやめたほうがいいかと…」 「へ、何で?」 「さっきはついカッとなって、自分が金花さまから役目を仰せつかったのにと思って鷲士とそれを争奪するなどという大人気ない行動に出てしまいましたが、私は特別、学もあるわけではありませんし。ここはやはり、深遠に見てもらったほうが…」 「深遠ちゃんなら、クビになったよ?」  わたわたとしがみ付いてくる柚莉を振りほどき、金花は言った。 「いつっ!?」 「あ。つばめちゃんも知らなかったんだ」  金花は驚いていった。  燕薇は、名義上は一女戦士でしかない。しかし、金花が生まれる前あたりからこの国にいる人物であり、同時に、これほどまでに信頼の置ける者はいないだろうということで、実質は蓮花の秘書のような役割も果たしている。争いがないから兵士としての活動も滅多にないことであるし、それでも困ることはなかったのだ。  なのにその燕薇にすら、相談がなかったという。 「母さんったら勝手すぎよね。誰の相談もなしにそんなこと決めちゃってさ。私も、知ったのはつい先日なんだよ?」 「いやでも…咲夜国の政治は蓮花さまのワンマンですから、別にいいんですけど」 「あいつは、前々から小言の多いやつでしたからね」  鷲士が思い出したように切り出した。 「ひょっとして何処かのスパイだったのですか」  『何処か』といっても、そんなことをする国家は、この星の中で一つしかないのだけど。国単位じゃないと、そんなことはしないだろうし。 「違うよ。そんなややこしいコトじゃなくって、母さんの『あの趣味』にケチつけたの」 「ああ…」 「あの趣味ですか」  その言葉で2人共、納得した。  蓮花の趣味は確かにちょっと風変わり。普段からいろいろと世話を焼いてくるお節介ならば、口にしてしまっても仕方ないことだ。それがまさか蓮花の逆鱗だとは思うわけもないし。 「とにかくそーゆーコトだから、私にはつばめちゃんしか居ないわけよ」  金花はそこで燕薇の目をじっと覗き込んだ。 「やってくれる?」  燕薇にとっては何より嬉しい言葉である。 「はいっ、喜んで!」  考える前に言葉が先走って行った。  金花はその答えに満足したように頷くと、今度は鷲士のほうを振り返った。 「じゃ、鷲ちゃんは柚ちゃんを頼むわよ」 「はい」  確かに金花ほどではないが、柚莉も結構注目の人物扱いである。風貌というわけではなく、薬品製造の腕は確かなものであるからだ。天才と囁かれること早10年近くである。 「コノーコノー、一緒にお勉強ー」  まあ金花の前では、単なる『ちよちよ』だったとしても。 「ダメって言ってるでしょ。アンタ絶対、私の足引っ張るんだから」 「えーん、そんなことないもん」  今の段階で既に金花を困らせているとか、そういう意識は彼には全くない。 「とにかく、柚ちゃんはそっちに居るの。分かったね?」 「やだーやだー」  とにかくそんな事で、2人は受験に立ち向かうこととなったのだ。