1.1. Three Years Ago,…and Now.〜part1

 
  
    
     彼女を初めて見たとき、本当にその時のドロドロした状態から救い出してくれる天使に見えた。 だけどその考えはものすごく恥ずかしくて、自分の中で言葉にならないうちに打ち消してしまった。だってあの12歳の春、おれは本当にどうしようもない状態で、毎日毎日を生きるのに必死だった。周りが敵ばかりに見えて、誰かが手を差し伸べてくれる事なんて期待もしていなかった。自分がものすごく嫌な人間に見えていたし、何にも自信が持てなかった。そんなおれにあんな真っ白そうな女の子が手を出してくれたって、それを掴んでいいのかなんて全然判断できやしない。掴んだら彼女も汚れてしまいそうで、怖くて目をそらすしかなかった。

   彼を初めて見たとき、全身が一瞬鳥肌が立ったのを覚えている。それがなんなのかは、よくわからなかった。 今になってみれば、あれは殺気みたいなものだったのかなと思う。自分に向けられたわけじゃなかったけれど。そのころ私は10歳になったばっかりで、怖いものなんて雷くらいのものだった。外の世界のことはほとんど知らなかったし、そんなに興味もなかった。自分の置かれている環境で満足していたし、将来のことも考えていなかった。 彼は何かから逃げようとしているように見えた。外の世界はそんなに辛いのかなと思ったのを覚えている。そして彼の手を掴んで私は彼を塀のこっち側に引き入れた。

「ほんとにさ、時々思うよね。この塀やりすぎ」 10`のランニングを終え一息つきながら、曽根歴史(すぎふみ)は塀を見上げた。 目の前には広いグラウンドが広がっている。グラウンドの向こう側には校舎(かな?)兼寄宿舎が建ち、周りをぐるっと3メートルくらいの高さの塀が囲っている。外部から通う者、外部の学校に通う者、内部でほとんど過ごす者、形態は様々だが塀の中の生活がメインである事に変わりはない。入り口は一箇所で守衛が門を守っている。もちろん身分証明書を提示しないと出入りはできない。 「時々さあ自分が犯罪者に思えてきちゃうよね。」 「まあ勝手に乗り越えて脱獄する奴もいるけどさ」 汗を拭きながら峰岡純が言った。長距離はそれほど得意じゃない。ひさしぶりの長距離なのにいきなり10`はきつい。 「それっておれの事?」 勝手に12`走り終えた水木淳が歴史と並んで塀を見上げた。汗一つかいていない。 「なーんか、走りたんねーな。やっぱ20`は走んないと意味ねーよな」 涼しげな淳の横顔を見て、純は呆れて 「フルマラソン走った後、夜遊びに行くような奴が満足する距離走れるかよ」 と言った。 「誰のこと?」 「おまえ以外誰だよ」 「誘ってもミネ付き合ってくんねーじゃん、夜遊び」 「そーゆー事言ってんじゃないだろっ!」 「まームキになんないでさあ」 「あーっもうこいつは」 「ミネ、必死になるよねーおミズのことになるとさー」 歴史が笑いながら言った。 「好きなの?」 「ちっがーうっ!!」 「え?違うの?おれはこんなにミネの事愛してんのにな」 「おまえがそういう事ばっか言うから変な噂が立つんだろうが」 「え?噂あるの?♪」 「嬉しそうに言うなっ!」 「でもミネにはさ、愛ちゃんがいるじゃん?て事は二股?うっわー。おまけに両刀」 親津(ちかつ)愛ちゃんは純の大事な彼女。ここでは珍しくとっても女の子らしくて優しい。 お母さんがフランス人で、お父さんが日本人とイギリス人のハーフだって言ってた。って事は四分の一しか日本人じゃないって事だね。 「だ・か・ら!そうやって人事みたいに面白がってるから…」 「ねーねーお取り込み中だけどさ」 歴史が割って入った。何かとっても訊きたそうだ。 「前っから訊こうと思ってたんだけどさあ……夜遊びって何してんの?」 「へっ?」 「一回遊びに行くと3時間くらいは帰ってこないでしょ。何してんの?」 「えーっと……それはさー」 思わずしどろもどろになる淳。まあ、あーんな事とか、こーんな事もときにはしてるかもしれないけど、ちょっと歴史には説明しにくい。なにしろ歴史、どの程度知識があるのかよくわからない。こういう事に限らずだけど。 「お前ちゃんと説明しろよ」 「えーっと、トランプとかー、福笑いとかー」 ごまかそうとするが、さすがに 「そんなわけないでしょ」 とつっこまれる。よりによって福笑いって… 「すっごいこども扱いしてるでしょ。1学年しか違わないのに」 「こどもでいられる内は、こどもでいた方がいいじゃん。早くおとなになっちまうと、つまんねー」 開き直った。 「なーんか、説得力ない…」 「好きな彼女とドキドキして手をつなぐとかさ、初めてキスするとかさ、そういうトキメキがあったほうが幸せだって。青春だよなー。いいなーチルくん。うらやましいよ、おれはさー」  歴史はチルチルとかチルとか呼ばれている。初めてここに来た時理由を聞かれて、『青い鳥』を探しにとか言ってしまったためだ。そんな呼び名を付けられてしまったので、他の人にも自分で勝手に呼び名を付けまくり、いつのまにか流通している。 「だから、そういう事きいてんじゃ…」 「さーて、もうちっと走ってこようっと。んじゃねっ」 言うが早いかあっと言う間に逃げていってしまった。真剣に走る淳に追いつくのは、はっきりいって至難の業だ。 言い返す間もなく、気がついた時はもうはるかかなたを走っている。 「なーに言ってんだか」 純が後姿を見ながらつぶやいた。 「どうでもいいおねえさんとは、確かに遊んでるけど、本当に好きな娘には手を出すどころか、好きとかも言えないくせに。」 「十分ドキドキだよね」 歴史がしたり顔で相槌をうった。 「…わかってんだチル」 「あたりまえでしょ」

 気がつくと、彼女に手を引っ張られて長い廊下を歩いていた。なんだかあちこちから視線を感じたけれど、つないでいる手が気になってそれどころじゃなかった。ふりほどこうかどうか迷っているうちに、大きな扉のついた部屋の前についた。 「失礼しまっす」  彼女は元気に言うと、その重そうな扉をけっこう簡単そうに開けた。  中は天井までの本棚がぐるっと壁に作り付けになっていて、本やらファイルやらがきちんと整理されて並んでいた。一角には見こともないような大きさのモニターが壁に埋め込まれてあり、当時珍しかったビデオデッキが接続してあった。と言ってもその時はなんだか良くわからなかったけれど。そのモニターに向かうように可動式のいすとテーブルが20人分くらい並んでいて、反対側には座りごこちのよさそうなソファと丸いテーブルが置いてあった。 そして、その中に25歳位くらいの男がひとり立っていた。 「由利香ちゃん。それが彼?」  へえ『ゆりか』っていうんだ。でも、それがって?そういえば門を入る時守衛がどこかに連絡していた気もする。 「はい。まあくんが飛び出したところを助けてくれたの。」 「前の道交通量多いからな。門開いてたのか?ああ、ちょうど外部生がくる時間帯だな」 「まあくん、お母さん追いかけて行っちゃいそうになって。今日は帰るって。」 「で?」 「あのー、けっこういいかなーって思って」  話が見えない。全然わけがわからない。第一ここって何だ一体。 確かにさっき4,5歳のガキがいきなり車の前に飛び出してきたから、とっさに体が反応したけど、なんかまずかったのかな。ま、文句言われたら、ぶん殴って逃げるか、なんて考えていると、いきなり 「君は、運動神経良い方?…だとは思うけど、何かやってる?」 と訊かれた。 「たとえば、部活とか」  学校いってなかったのに、部活なんてやってるわけないよな。 「別に」 「え?何もしてないの?もったいないね。動けそうなのに。家どこ?学校この辺じゃないよね。見た事ないし」  「カンケーねーだろ。」  おれはだんだん不機嫌になっていった。あまりに整頓されすぎ、明るすぎの部屋はいごこちが悪かったし、さっきからそいつがじろじろ見るのも気に入らなかった。なんだか品定めされているみたいだったし、モノ扱いされている気がした。まあ、モノみたいに扱われるのには、慣れていたっていえば、慣れていたんだけど。 「カンケーないか。そりゃそうだな。」 男は笑った。そして、彼女がまだおれの手をつかんでいるのを見ると、 「由利香ちゃん、手、放してあげて。彼が居心地わるそうだよ。」 と言った。 「でも…」 彼女はおれの方をちらっと見ていった。 「手放すと、どこか行っちゃいそう…。」 ギクッとした。ぶん殴って逃げるとか考えてるのが読まれた気がした。 「だ、そうだよ。」 男はおれを見てまた笑った。 「大丈夫。彼は逃げないから。」 「ほんと?」  彼女はおれを見上げた。 「…多分…」  と、おれが言うと彼女はホッとしたように手を放した。手が急に軽くなって、変な感じがした。 「まあ、座ろうか。説明するよ。由利香ちゃんお茶持ってきて」  彼女が部屋を出て行くと、男はソファに座るようおれに促し、反対側に腰をおろした。  おれも座ったけど、そんなもんに座るのは久しぶりなので落ち着かない。 「まず自己紹介しよう。私は汀(みぎわ)翔一。ここで運動生理学と健康管理を担当している。」 「ここって、何?」  まずそれが全然わからない。学校かとも思った。広いグラウンドやコートがあったし、ここに来るまでに中学生から高校生くらいまでの年齢のやつらをたくさん見た。でも学校にしては人数が少ない。それにさっきの4,5歳くらいの子供とか。  男は声を潜めて言った。 「私達はΦ(ファイ)と呼んでいるが…。実はね、煤iシグマ)って悪の組織と戦っているんだ。君も参加しない?」 「はあああ?」  思わず間の抜けた声を出しちまった。なんだそれ。悪の組織って、おっさんテレビの見過ぎかよ。世界征服を阻止するってか? そんなの仮面○イダーとかにまかせておけよ。なんだか調子が狂う。 「あほらし。帰るわ、おれ」  立ち上がったおれの腕を、男が掴んで止めた。以外に力が強かった。 「いいのか?さっき由利香ちゃんと約束したんじゃないのか?」  にやにやしている。ムカついて、思いっきり腕をふりほどいた。 「してねーよ」 「彼女は約束したと思ってるよ、きっと」 「カンケーねーだろ」 「またそのセリフ。さっきも言ったよね関係ないって。そうやって君はいろんな人との関係を全部断ち切って生きてくつもり?」  すっげー図星。そうできればいいと思ってたから。だけど実際はそうも行かず、どこかでまた自分から誰かと関わりを持ってしまう。それがまた自分で自分をイラつかせていたんだと思う。 「君、多分家出してるよね。いくつ?14?15?」  また図星。約一年前、6年になる前の春休み、おれは家出していた。家には夏くらいに一度だけ電話した。生きてるからとだけ言って、すぐに切った。だれが受けたのかもわからない。もしかしたらまだ幼かった妹が受けて、家族には伝わっていないかもしれないけど、まあいいやと思っていた。家出の理由は…まあいろいろ嫌なことが重なって、家に居たくなくなっちまったって所かな。 「12だよ」 「12!?。ちょっと人生あきらめるの早くない?」 「あきらめてなんかねーよ。なんでそう決めつけんだよ。」  やつはまたにやにやした。 「またカンケーないって言われるかと思った。」  ほんっとに調子が狂う。

    

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