1.1. Three Years Ago,…and Now.part2
「ねえユカ、おミズまた爆走してるよ。」
最上階の図書室からグラウンドを見ていた紫樫(しがし)温(あつし)が、本を探している山崎由利香に言った。
「好きよねー走るの」
「好きって言うか、癖だよね、どっちかって言うと。」
「癖?」
「時々自分ではっと気がつくとグラウンド回ってるって言ってたよ。」
「まっさかー。あーでもありうるか」
温はグラウンドにまた目を向けた。
「でもきれいなフォームよね。人目引くよね。有矢さんも、長距離のフォームだけは彼的には直すところないって誉めてたし。」
「それ、誉めてんの?もうこれ以上よくならないって事じゃない。」
「きっつーい。ユカなんでおミズにそうキツイかなあ?カッコいいって認めなよ。ほらほら」
温は強引に由利香を窓辺に引っ張ってきて、頭をつかんでグラウンドに目を向けさせた。少し遅れて走り始めたほかの連中をさくさく抜きながら淳が走っている。もう15`以上走っているのに少しも疲れていないように見える。日本人に多い、小さい歩幅で小刻みに走るいわゆるピッチ走法ではなく、長いストライドを活かしてぐんぐんスピードを上げていく。抜かれたほうはギョッとして、一瞬スピードをあげるものの付いてはいけず、すぐあきらめてしまうようだ。
「走ってる時カッコいいってのは認めるけど、そんなの別に役に立たないし」
「またそうやって身もフタもない言い方するー。ラヴちゃん、どうにかならないこの子」
温は近くにいた愛に救いを求めた。
愛は微笑みながら
「確かに走ってる時に容姿は関係ないわよね。」
と言った。
「もおラヴちゃんまで。」
「何遊んでるんだ。資料集まったか?」
三人に有矢氏が声をかけた。三人に作業を頼んだのは彼だ。
彼はここでトレーニング時のプログラム造りと生活全般のサポートをしている。
「何見てるんだ?」
と、由利香と温が見ているグラウンドに目を向け、淳が走っているのに気がついて呆れた。
「あのバカいつまで走ってんだ。いっつも、好きなことばっか熱心で。もうちょっと真面目にやればなんだってうまくなるのに、まったく…。」
「そう言えば、筋トレとかやってんの見たことないわね。」
「変な筋肉つくから嫌だって言ってた。」
「あああまったく。ロクな事言わんなあいつは。山崎からも言ってやれよ。マッチョなあなたが好きだから筋肉つけて…とか。乗るぞきっと」
「乗りませんって、別に彼女でもないのに。第一、マッチョな淳って…私も嫌かも。」
「ユカ、カッコなんて何の役にも立たないとか言って結構気にしてるじゃない」
「し…してないってばっ」
「役には立たなくても、できれば見かけも良い方がいいって事よねえ、ね、ユカ。」
「え?ええと…?」
「それで中身がよければもっといいわよねえ。」
「え?な…なんの話だっけ。」
「人を好きになるのって、色々複雑よねえ」
「そーゆー話だっけ。」
「違った?」
愛はにっこり笑った。けっこう策士だ。
「もうっ。私ここにない資料、資料室で探してきます!じゃ!」
由利香はチラッとグラウンドを見てから、あーあといいながら部屋を出て行った。
有矢氏は小声で愛に訊いた
「本当に『彼女でもない』のか?」
「ユカ、『おこちゃま』だからねー。」
温が答えた。
「おミズも本音がイマイチわかんないし。」
「じゃなんであいつらしょっちゅう一緒にいるんだ?」
「そんな事訊かれても。」
温と愛は顔を見合わせた。確かに淳と由利香はよく一緒にいてけんかしたりしてるけど、なんか生活の風景としてなじんでしまって、あまり疑問にも思わない。もともと、誰と誰がいっしょにいてもそんなに不自然じゃないようなもんだし。ランチの組み合わせもその時の都合で結構ランダムに変わる。
「ああいうのは、彼女って言うんじゃないのか?」
「うーん、そう言われても。本人達にその気がなかったらやっぱり違うんじゃないですか?」
「わからんなあ。」
「有矢さんも彼女つくればわかりますよきっと。」
「お前ら見てると、女の子に夢がもてなくなるよ。」
「ひっどーい!私とかユカはともかく、ラヴちゃんはちゃんと女の子してるじゃないですか」
「だからちゃんと彼氏ができるんだろう、親津は。」
「…なるほど。有矢さんするどい」
有矢氏はグラウンドに向かって大声をだした。
「水木!!いつまで走ってんだ!いい加減にしろー!」
「あとちょっと!」
淳が走るペースを変えないままどなり返してきた。
「ちょっとって、どのくらいだー!」
「5`!」
「それはちょっとじゃないぞ、バカかお前はー!」
「バカでいいでーす!」
有矢氏はため息をついた。
「だめだありゃ。腕づくで止めてくる。資料おれの机に置いておいてくれ。
まったく、昔も今も手がかかるよなあいつは…」
ぶつぶついいながら図書室を出る。
私がお茶を運んでいくと二人がテーブルをはさんでにらみ合っていた。って言うかすごい目つきでにらんでいたのは彼のほうで、汀さんはいつもの(!)にやにや笑いをしていた。
「由利香ちゃん、彼12だってさ。君と2才しか違わない。思ったより若かったねえ。」
「え?」
「うそっ!?」
私と彼は同時に叫んでいた。彼が私を横目で見て言った。
「8才くらいかと…」
「あーひっどーい!」
そりゃ私は10才になったばかりで、つい一昨日まで9才だったからそう言われても仕方なかったかも知れないけれど、そうじゃなくても年上が多い環境で育っていた私は、自分が常に周りよりも幼い事にコンプレックスがあった。無理して大人のふりをしてみようとした事もあったけれど、それはいつも「大人ぶってかっわいー」のひと言で片付けられてしまっていた。彼は一応
「あ、ゴメン」
とは言った。でもそっぽを向いたままで、私は余計腹が立ってきた。
今思うとよくもできたと思うのだけど、私は彼の正面に回りこんで、両手で顔をはさみこむと顔を近づけて、両目を覗き込んで
「ちょっと!謝る時は相手の目を見るって教わらなかったの!」
と怒鳴りつけてしまった。彼はびっくりした顔になり、私の顔をじっと見た。多分何が起きたのかわからなかったんだと思う。でも一瞬の後に彼の目から、汀さんをにらみつけていた時の険しい色が消えたのがわかった。まっすぐに私の目を見返した。
「ごめん、悪ぃ。そんなに気にすると思わねーから。」
そしていたずらっぽい目をして、彼の顔をはさんでいる私の両手首を握って
「これ、放して」
と言った。まっすぐに見返してくる視線に無意識のうちに胸がドキドキするのがわかった。
私はあわてて手を放してから急に恥ずかしくなって、うつむいたまま
「ごめんなさい」
と謝ってしまった。
「あれ?謝る時は相手の目を見んじゃねーの?」
「あ…」
頬が赤くなるのがわかった。上目づかいに彼の目を見て
「ごめんなさい」
と言うと、彼はいきなり噴出して大笑いを始めた。
「アンタ、おっもしれー!」
しばらく大笑いした後、彼は言った。
「いいよ、おっさんはなんか気にいらねーけど、コイツ面白いから、話聞いてやるよ。ホントは帰っちまおーと思ってたけど。」
「だ、そうだ。助かったよ。ありがとう、由利香ちゃん」
何だかよくわからないまま、汀さんにお礼を言われてしまった。
「それから、おっさんじゃなくて、汀だ。ちなみにまだ26才。」
「おれの倍は生きてんじゃん。十分おっさん。」
「勝手にしろ、じゃあ本題にはいるぞ」
彼はまだ笑いが収まらないようだった。時々思い出したように肩を震わせて思い出し笑いをしていた。何がそんなにおかしかったのか私にはさっぱり判らなかった。相変わらず胸はドキドキするし部屋から出たい気持ちもあったけれど、どうなるのか気になった。今ここで涙を流しながら大笑いしていた彼が、外の世界に戻ったらまたさっきみたいに険しい目をしていなければならない様な気がして、心配だったのかもしれない。それよりもただ彼自身に興味があったのかも知れない。
「まあ、表向きはだな、健全なスポーツ総合クラブだな。」
「へーえ。」
「一応世界に支部がある。本部はニューヨークだ。年一回大会もある。
各自担当の種目を決めてだな、4、5種目出場することになるかな。賞金も出るぞ。」
「金でるの」
身を乗り出した。
「個人にじゃない、あくまでも形は支部に…だ。」
彼は露骨にがっかりした顔をした。
「能力別にクラスに分かれているが、A、B、Cクラスには給料が出るぞ。希望なら宿舎も提供する。」
「え?住むとこあるの?給料ってどのくらい?」
とたんにまた乗り気になる。
「能力別だが…普通に生活できると思うが。食堂あるから安く食えるし。」
「入るっ!」
「え?」
今度は汀さんが面食らって、しげしげと彼の顔をみる番だった。
「誰か相談する人とかいないのか?ご両親とか…勝手に決めていいのか?」
「寝るところがあって、何か食えれば、何でもする。悪の組織だろうとなんだろうとガンガン戦ったる」
「君は……一体、今どんな生活をしてるんだ。」
それには答えず彼は
「能力別って事はテストあるんだよね。何すんの。」
「君の得意種目は?」
「別に。ふつーに体育しかやってねー」
「得意だったか、体育?」
「まあ。」
汀さんはスケジュール帳をぱらぱらめくった。
「本来ならば自分の得意な分野で挑戦してもらうのだが、君の場合…そうだな適応力を見るか。やった事のないものに挑戦してもらう。やるか?」
「やる」
「じゃあ、これだな…今4時だが、5時からテニスのトレーニングがある。手配しておくから、今から一時間基礎習って、どこまで食いつけるか試してみろ。テニス、やった事ないな?」
「あるわけねーじゃん」
「じゃ、ラケットの握り方から教わって来い。まあ要はラケットでボールを打ち返せばいいだけだから」
汀さんはそう言って、どこかに電話をかけた。
数分して高等部の杉浦さんがやってきた。彼は当時5人いたAクラスのうちのひとりで、総合力ではオールラウンド型のトップの実力と言われていた。おまけに面倒見もよく私達中等部以下の女の子の間ではけっこう人気があった。
「あれ、由利香ちゃんなんでこんなところにいるの?女の子達アップしてたよ」
「あ、いけない…」
私はチラッと汀さんを見た。
「いいよ今日は。杉浦、有矢サンに言っておいて、彼女今日僕の助手だから」
「はあ?」
杉浦さんはわかったようなわからないような顔をしていた。
「で?」
「ああ、彼にテニスの基本教えてやって。」
「基本て…」
「ラケットの握り方から、最低限度のルール。」
そう言って汀さんはにっこりした。
「テスト希望者なんだ。」
「いいですよ。何日くらいで。」
「一時間。」
「はあっ!?」
「一時間たったら練習に参加させるから。」
「そ…そんなムリですよ。初心者でしょ。軟式くらいやった事は?」
「ねーよ」
「むりですって」
「っせーな。ムリかどうかやってみねーとわかんないっしょ。」
「わかるよ」
「わかんねーよ!いいの、おれはやってみるって決めたんだから。」
「汀さん、何こいつ無茶苦茶だよ。」
「ははは。何か急にがんばる気になっちゃってねえ」
汀さんはいつものように笑っていた。
彼は立ち上がると
「ほら行こうってば」
と杉浦さんを促した。
「責任持てませんよ」
杉浦さんはぶつぶついいながらも仕方なく部屋を出て行った。
汀さんは楽しそうにしている。
「いやあ、彼が第一印象のままだったらどうしようかと思ったけど、結構燃えるタイプみたいだ。」
「お金目当てかなあ…」
「がっかりしてる?ははは。彼はそんなに単純じゃないよ。それより見張ってないとけんかして危なそうだから、見ててあげてよ。多分ケンカになるよ。彼も知らない人ばかりじゃ心細いだろ。」
「そういうキャラじゃないと思うけど」
と言いながらも、私は練習場に向かうことにしたのだった。
夜8時。練習終えての楽しいお食事タイム。今夜のメニューは焼き魚定食と、グラタンセット。あとは定番のラーメンとかうどんとか、丼モノとかカレーとか。サンプルの前でと歴史と天池(あまいけ)健範(たけのり)がしゃがみこんでいる。この二人、こうやってしょっちゅう食堂で悩んでいる。
「また悩んでるのかお前ら。」
麻月(あさづき)由宇也(ゆうや)が追い越し様に声をかけて行った。
「毎日よく悩めるよな」
「毎日よく悩まないで飯食えるよな。」
健範が言い返した。由宇也は首をすくめただけで行ってしまった。
「由宇也ってさあ、」
歴史はサンプルから目を離さずに言った。
「ユカのお兄さんなのにキャラ違うよね」
「それ言ったら、おミズと尚(しょう)のほうがめっちゃちがうだろが。あいつら双子だぞ」
「うーん、そっかあ」
確かに淳と尚は一卵性の双生児で、黙って立っているとそっくりだ。尚が一年前にここに来た時は騒然となった。淳は双子の弟がいるなんてひと言も言ったことがなかった(それ以前に家の事自体を話したことがなかったが)。第一尚の出現で一番慌てたのは当の淳だったし。皆、見分けがつくか心配したが、すぐに不安は吹き飛んだ。何ていうか…雰囲気が全然違う。例えれば光と影、動と静、炎と氷。
「まあ、あんなん二人いたらたまんねーけど。どっちも」
「それもそうか」
「よしっ!決めた!焼き魚!」
と健範が立ち上がった。
「じゃグラタン!」
どっちかが決まると必ずもうひとりは違う方に決まるこの二人。息が合ってるんだか合ってないんだか。
二人でお盆を持って席を探していると由利香が由宇也と向かい合って夕食をとっていた。
「あれ、ユカ珍しい。おミズは?」
そう言った健範を由宇也がジロっとにらむ。こ…こわい。
「なんでいっつも淳とご飯食べてなきゃいけないのよ」
由利香は文句を言いながら魚の切り身をつつく。
「い…いや別にいいけど」
ちょっとビビりつつ健範は由宇也の隣にお盆を置いた。
歴史は由利香の隣でグラタンを食べながら言った。タバスコをガンガンかけて、真っ赤になっている。
「そう言えばさっき、有矢さんに、素振り1000回―、とかレシーブ1000本―とか言われてた。」
「ああ、走ってばっかりいて怒ってたもんね有矢さん。」
「自業自得だな」
平然と由宇也が言う。はっきり言って淳とは相性が悪い。話し合いをしていてもすぐに意見が衝突するし、試合中でも言い争いになったりする。でも、多分淳の方はあまり気にしていない。それがまた気に障って由宇也はイライラするわけだ。自分の可愛い妹の由利香と一緒にいるのも気に食わない。いっしょにいるならいるで、ちゃんとステディな関係を約束していればそれもまた別なのだろうが、淳は『夜遊び』しに行ったりしてるし、それを由利香があまり気にしていないらしいのも気に食わないらしい。
「だいたいあいつはいい加減すぎる。」
「だあれが?」
食事のお盆も持たずに淳がフラフラ現れて、由宇也に後ろから抱きついた。
「げっっ!何だよオマエはっっっっ!!!」
由宇也は慌てて淳の腕を振りほどいた。真剣に顔色が青ざめている。そんなに嫌か?淳はふらふらと由宇也の隣の席に倒れこむように座り込んで、頬杖をついた
「ゆーやもミネも冷て−の」
そのままテーブルの上に崩れるように突っ伏した。
「つっかれたー」
「ご飯は?」
「腹減りすぎて、気持ち悪くて食えねー」
「なんでそう体力の限界まで動くかなあ」
健範はちょっと呆れて言った。
「だからよくぶっ倒れるんだお前。むちゃくちゃ体力あるくせに、いったい何したらそうなるんだよ。」
「なんかさあ、時々限界ってやつに挑戦したくなるんだよね。」
「ばっかか。」
由宇也は心底呆れて、はき捨てるように言った。
「あーそうかも。」
顔を上げて、また頬杖を片手でつき直し、髪をかきあげながら目だけ由宇也の方に向けて淳はにやっと笑った。由宇也はギョッとした顔で目をそらす。
「おミズ、フェロモン出しすぎ」
歴史がチェックを入れる。
「出してねーって。そんな気力ねーよ」
気力があったらするの?という突っ込みは飲み込んで歴史は
「だって由宇也顔赤いよ」
と言った。
「何言ってんだチル!まったくもう、おまえらは」
由宇也は食事もそこそこに乱暴に席を立っていってしまった。淳はあいかわらず横目で見送りながら。
「変なやつー」
「おミズさ…自分の事絶対わかってないよね」
「なにが?」
「もう少し自覚しなね、自主規制しな。」
「だーかーらー何が…ってもういいや」
と、また淳は崩れおちて突っ伏した。そして
「すっげー眠いからとりあえず寝る。誰でもいいから10分たったら起こして」
といい終わるが早いかもう寝息を立て始めた。
その騒ぎの間由利香は平然と焼き魚定食をたべていた。まあいつもの事だし。