1.1. Three Years Ago,…and Now.part4
私は信じられない気持ちでコートの中の彼を見ていた。 「うそでしょう…」 誰といるわけでもないのに、思わず独り言が口からでた。1時間前にはラケットも握ったことなかったなんて。 たしかにフォームはひどかった(考えてみたらフォーム自体は今もあまり良くはないけど)。体は斜めだし、打つのは力まかせで勢いあまってころんだりしてるし、前に出すぎてネットに突っ込んだりしていた。だけど、すぐに体制を立て直しボールに食らいついていく姿は、ネコ科の肉食獣を思わせた 「豹とかチータとかそんなんだよね」 私はかなり感動していたかもしれない。 やたら転んだりぶつかったりしていたので、彼はドロだらけで、膝と肘には血も滲んでいた。さすがに全部の球を返しはできない。けれども彼はどんなところに打たれた球にでも確実に追いついてラケットに当てていた。おまけに、明らかに受けるだけでは飽き足らず、相手に攻撃をしかけようとしていた。 「あれ、誰?」 いつの間にか川上武が私の隣に立ってコートを見ていた。彼は私より三つ年上だったが、落ち着いていて年よりずっと大人びていた。小さい時からずっと一緒で、当時私は彼と行動することが多かった。 「テスト生。」 「なんかすさまじいね」 なるほど、すさまじいという言葉は彼にぴったりだった。その、相手の一挙一動を見逃さないようにらみつける鋭い目つき、全身がバネでできているのかと思わせる素早い動き、そしてなによりその闘志。さっきまでの汀さんの話を受け流して斜に構えていた彼とは別人のようだった。 「多分こっちが本当なんだ…」 また出てしまった独り言を武が聞きとがめた。 「何が?彼?」 「さっきすごく反抗的だった。」 「今もだよ。これ、試合じゃないんでしょ。普通にラリーだよね。」 そう言えばそうだった。試合じゃないはずだ。隣のコートでは相手のペースに合わせ、多少苦手なコースなど織り交ぜながら穏やかにボールのやりとりが行われている。こっちは多分彼が相手を挑発するので、ハードなやりとりになってしまったのだろう。 「ちゃんともとのところに返せよ。」 彼の相手が文句を言った。息があがっていた。 「なんで?」 彼がにやっと笑って答えた。 「そんなん、つまんねー。」 「ほらね?」 武が言った。 「彼のほうはあまり疲れていないみたいに見えるけど。相手がかなり振り回されてるよね。でも、普通に打ち合うだけって思ってコートに入ってこれじゃ無理ないよね。」 武は相手に同情する口ぶりになっていた 「でも、彼、テニス初めてだよ。」 「えええ?だって打ててるじゃない」 いつも落ち着いている武もさすがに驚いたようだった。そしてしみじみした口調で 「へえ……。できるもんなんだね。才能ってこわいね。きっと彼は他のこともすぐに吸収できるんだろうな。ちょっとうらやましいよね。」 と言った。私はびっくりして武の顔を見た。努力家で愚痴なんてこぼしたことのなかった武がこんな事いうなんて。 確かに私は彼を見た時、きっと何かの才能がありそうと思って汀さんに会わせてみようと思ったのだけど。汀さんも彼の中に何かを見たに違いない。だからこんな無茶なテストの方法を取ったのだろう。幸いその方法は彼に合っていたということだ。 「私は武も十分すごいと思うよ。高等部の人たちといつもいっしょにトレーニングとかしてるじゃない。」 私は何て言っていいかわからず武を見た。 武は笑って私に言った。 「ありがとう。でも彼はきっとあと一ヶ月もしたら、この中で一番テニスはうまくなるよ。あとのものはしらないけどね。」 「うそっ!」 「彼に合っているんだよ、きっと。多分彼は今のままじゃチームプレーは苦手みたいだし。だったら自分をそのまま出せるテニスとかが向いているんじゃないかな。あと陸上とか水泳とか、ひとりでできる競技だよね。でもここに入るんなら、チームプレーも学んでもらわなきゃね。」 「うんっ!」 「嬉しそうだね。」 と武はまた私に笑顔を向けた。 「だって、年近い人少ないもん。武と同い年だよ。あれ?一コ下かな?」 「ふーん。それだけ?」 「?」 一瞬意味がわからなかった。 「だってすごく嬉しそうにさっきから彼の事話してるから。」 「え?そ…そんなんじゃないよ。今日あったばかりだし。」 「そういうのって時間は関係ないんじゃない?」 「ちがうってば。」 武の言葉を否定しながら、さっき彼と目が合ってドキドキしたことを思い出した。思わずまた頬が赤くなった 「ほらね」 …と彼がこっちを見ているのに気がついた。一瞬目があったかなと思う間もなく、彼はまた捕球の体勢に入ってしまった。 なんとなくどぎまぎしてしまう自分に気がついた。あれは…何だったんだろう。 レシーブの構えなんて教わっていないはずなのに相手から学んだらしく、それなりの低い構えをちゃんととっている。一分一秒毎にかれは進歩していた。さっき失敗したコースを今度は外さない。約一時間後、彼のテニスはそれなりの形になっていた。 「すごいね。」 汀さんが拍手をしながらコートの中に入っていった。 「モニターで最初から見ていたよ。文句なく合格だね。多分実力的にはAクラスだが、まあとりあえずBクラスから始めようか。」 「どうも…」 彼はラケットを振りながら言った 「ところでさ、これ右手で持たなきゃいけないの?おれさ、左利きだからすっげーやりにくかったんだけど。」 一瞬、え?という表情をした後、汀さんはめずらしく大笑いをした。彼はきょとんとして汀さんをみていた。
『ナオ』のマスター西奈緒さんは年のころなら30歳前後。5年くらい前に前のマスターからこの店を引き継ぎ、それと同時に店の名前も『ナオ』となった。丁度練習の終わる夜7時くらいにオープンして、明け方5時くらいまでやっている。ゆえに昼間は鍵がかかっていて入れないという事になってはいるのだが、頼むと開けたままにしておいてくれる。そのため昼間も入り込んでお茶している奴もいるし、冷蔵庫に勝手に自分の飲み物入れてる奴とか、こっそりボトルキープしてる奴とかそりゃもうやりたい放題。たまに昼真っから酔いつぶれている輩もいたりする。(←未成年) 奥には一部屋だけ個室があって、よくここで密談が行なわれる。密談っていっても、悩みの相談程度だけど。ちゃんと防音してあるわけじゃないので多分奈緒さんには聞こえているが、そこのところはさすがに口が堅い。多分彼が、誰が誰を好きとかいう話は一番詳しいに違いない。 「奈緒さん。なんかある?」 入り口のカウベルのついたドアを開けて、淳が入ってきたのは午後11時半すぎ。 「何かって、食事ですか?食事だったら、もうあまり…」 言いかけて、マスターは淳の姿を見てギョッとした。 「…今日はまた…派手ですね。」 血まみれのぼろきれを腕に巻きつけて、裾の破れたTシャツで夜中に歩き回っていたら誰だって驚く。淳が怪我しているのは毎度の事とは言え、ちょっと派手かもしれない。カウンターに腰かけながら 「ちょっとね。ね、食いもんある?」 「ピザとかスパゲッティーとかだったら。」 「ピザあ?えええ?」 「あ、私チョコパフェ」 由利香が淳の隣に座りながら言った。 「って!人のこと夜食うと太るとか入って自分はチョコパかよ!」 「私は太ったっていいんだもーんだ。淳はだめ。」 「なんだよそれ。」 「私はルックスでうってないもん」 「なんかムカつく言われ様。誰が見た目ばっかだよ。」 「そうは言ってないじゃない。」 「言った!」 「言ってないよ!」 「まあまあ。水木さんもお腹空いてるせいですよ、いらいらしてるの」 マスターが割って入った。何もわざわざ夜中に来てまでけんかしなくても、と二人をなだめ、淳に 「おにぎりだったらできますよ」 と言った。 「あーそれそれ。作って。5個くらい。」 ととたんにキゲンの治る淳。 「そんなに食べるんですか?」 呆れながら由利香の方に向かって 「先におにぎり作っていいですか?」 と聞く。 「別にいいけど」 マスターはふふふと笑って、ジャーを開けおにぎりをにぎり始めた。 「たらこ入れてね♪」 「あ、そうだ。」 由利香は何かを思い出したように、淳の方に向き直るといきなり真面目な顔で 「フェロモンって何?」 と聞いた 淳は一瞬あっけにとられた顔をし、それから頭を抱えて 「どうしていっつもそう唐突なんだよ。」 とつぶやいた。由利香はそんな反応には不満そうだ。 「さっき言ってたじゃない、チルチルが。」 「…ああ、あれか。理科でやるだろフェロモン」 「昆虫とかのあれ?淳って虫なんだ?」 「どこに足が6本!?虫だけじゃねぇよ、第一」 「そーなんだ」 「ったく」 マスターはおにぎりをにぎりながらくっくっと笑っている。 「あれはね、要は同じ種が間違えずにちゃんと子孫残すための御挨拶みたいなもんだから。」 「えー」 由利香はまだ納得がいかない様子だ 「でもさっきはさー…。同性にも有効なのそういうの。子孫残んないよ」 「しらね−よ。あのさ、わざとわかんないフリしてない?」 「してないよ。なんで淳相手にぶりっ子しなきゃなんないわけ?」 「それもそーか」 「第一、私のそういう知識ってみんな淳から教わったんだよ」 「そーゆー?」 「だからー、子供の作り方とか、ホモがどーのこーのとか、そーゆーの。」 「…今度はホモ扱いかよ…。泣くぞいいかげん。奈緒さん聞いてよ、こういう事言うんだよ、この子はさ」 マスターは爆笑をこらえながらおにぎりの乗ったお皿を出した。 「水木さん本人はストレートですよね。はいこれ、たらことシャケと、かつおぶしと梅と昆布」 「うんおれは、バリバリストレート……本人はって何っ!?」 「まわりはねえ、どう見てるかですねえ」 「だから、どーしてそう意味ありげな事いうかなあ。ほらユカが興味津々の顔して…って何食ってんだよっ!?」 「おにぎり。」 「たらこじゃん!」 「あ、ごめん」 由利香は半分になったたらこのおにぎりを差し出した 「いる?」 淳は一瞬言葉につまり、また頭をかかえた。 「あーもうこの子はぁ。」 「楽しそうですねえ」 とマスターは今度はチョコパフェにとりかかりながら相変わらず笑っている。 「なんかさっきから、すっげー疲れる。」 「いらないの?食べちゃうよ」 「食うよ!」 淳はヤケになって片手で頭を抱えたまま、片手で由利香から半分のおにぎりをうばって食べた 「おいしいよねー奈緒さんのおにぎり」 「それはどうも」 「あーあ、たらこが半分。」 ぐちりながら2個目にはいる 「あ、いいな、かつおぶし。」 「夕飯食ったやつはいいの、食わねーで!」 そのままの体制でまったくもうと、ぶつぶつ言いながら淳がおにぎりを全部食べ終えた頃、チョコパフェができあがって来た。 深夜にパフェってなんか構図的にすさまじい。でかいし。一番下にコーンフレークのチョコがけの生クリームあえがあって、その上にチョコレートアイス、チョコレートムースがぎっちりつまり、生クリームとバナナの間にチョコの固まりが見えかくれしている。由利香は嬉々として食べ始めた。 「淳も食べる?」 「いらねーよ」 「えーおいしいのになあ。でフェロモンってさ。」 「まだその話かよっ!」 「さっき出してたの?」 「だから、しらねーって!」 「だって、由宇也とかチルチルには見えたんでしょ。私には見えなかったなーと思って。」 「はあ?」 「だから男の子向けなのかなーと思って。だから、子孫を残すためじゃないよね。じゃ何なんだろ、うーん」 「水木さん疲れてる時色っぽいですよね。今も結構。」 「え?そうなの」 由利香は頭を抱えたままの淳をじーっと見た。 「うーん。」 さらに顔をのぞき込む 「うーん。やっぱわかんないや。」 「はぁぁー。なんかすっげー空しい、おれ。」 「だってさ私はやっぱり淳は元気にしてる方が好きだよ。疲れてても怒ってても泣いてても嫌いじゃないけどさ。」 「あ、そ」 「多分嫌いにはなれないんだなって思うよ。」 「ふーん」 「離れててもしばらくたって会ったら、多分きっとまだ好きだよ」 それって家族じゃんと言いかけて淳は言葉を飲み込んだ。由利香は本当に小さい時にここにやってきて、家族というものをあまり知らない。年上のお姉さんたちに可愛がられてはいたものの、人の入れ替わりは結構頻繁でずっといっしょにいてくれた人はいない。 淳は2年前に、その頃の自称保護者のお姉さんたちがやめていくときに、これからはあなたが由利香の保護者だからねと有無を言わさず任命(?)され、慌てた。自分自身がやっと生活に慣れたところで、それどころじゃなかったのに。それを思い出しながら、思わず小声で 「保護者っつーのも微妙すぎだよなー」 とつぶやいた。 「はい、あーん」 由利香の声におもわず口を開けると、バナナが口に入ってきた 「最後の一切れねー。おいしかったー。じゃおやすみー。」 みごとにからっぽになった、チョコパフェの容器を残して由利香は突然さっさと出て行ってしまった。 口の中のバナナを噛みながら淳はそれを見送っていた。 「なにやってんだ、お前。」 頭の上で声がした。見上げると純だった。ふりむくと愛もにこにここっちを見ている。 「何置いてかれてんの。」 「置いてかれた…よな」 「それにさ、真夜中にどういう会話してんだよ。血まみれで。」 そう言えば忘れてた。 「どっから聞いてた?」 「『食いもんある?』から、『保護者微妙すぎ』まで」 それって全部だ。 「趣味わりー。盗み聞きかよ」 「声でかすぎ。二人とも」 「良かったわね。好きって言われて。」 愛はうふふと笑いながら言った。 「あの好きは、そういう好きとは違うっしょ。」 「あら、そういうって?」 相変わらずにこにこしている。 「…愛ちゃん、可愛い顔して、結構いぢわるだよね。」 「照れない照れない。」 純は淳の頭をぐりぐりなでた。淳はうっとおしそうにその手を払いのける。 「第一なんでおれがあいつに好きって言われて喜ぶわけ?」 「まーだ言ってんのそんな事。みんな知ってるよ。素直じゃねえな、相変わらず」 「ほっとけっ!」 淳はまたため息をつく 「なんかさーおれ達って、出会ったときが一番お互いのことわかってた気がすんだよね。だんだんわからなくなる」 「なーんだよそれ」 「いいよ聞き流して」 そんなこんなで夜はふけていく ところで、この段階で淳は一つ忘れ物をしているのだが…全然気がついていない。あしたきっと大目玉だな。仕方ないけれど。
合格と言われてから、またさっきの部屋に戻された。おれは土まみれになった服と、傷だらけな自分の手足がさすがに気になった。あの部屋はあまりに明るすぎる。 「あのさ、おれすごくきったねーんだけど…いいわけ?」 ソファに座るように言われておれはためらった。 「あ?そうだね。傷痛む?」 おれは首を振った。擦り傷ばっかりだったし、怪我はべつにどうって事はなかった。さっき外の水のみ場で洗い流したから消毒も必要じゃないと思うし。ただ、この真っ黒な服はいいんだろうか 「じゃいいよ、すわって」 肩を押されるようにしてソファに座らされた。向かいに汀が座る 「で…悪の組織だけど」 「いいってそんなの」 「そうも行かないだろう。」 汀は呆れているようだった。そりゃおれだってここが何なのかは気になったが、そんな事よりとりあえず住む所ができた、という気持ちでホッとしていたのが本音だった。それに加えて言えば妙な話を聞いてしまって、自分の気持ちがなえるのもイやだった。とりあえずこの環境に慣れてしまえばあとは何があってもどうにかなる、みたいな気持ちになっていた 「聞きたくないなら、まあいいか。じゃあここでの生活について説明するよ。さっきも言ったとおり表向きは健全なスポーツクラブだからね、朝晩のトレーニングは欠かせないよ。君も真面目に出るように。見たところあまりきちんと規則を守るタイプではなさそうなので、ちょっと心配だけど、まあお目付け役もいるようだし。」 と、入り口の方を見る。由利香がそーっとドアを開けて入ってくるところだった。 「入っていいよ由利香ちゃん。武もいるんだろう、多分杉浦もいるな。みんな入ってきなさい。」 武というのはさっき由利香といっしょにいたやつだとすぐ分かった。第一印象、真面目そう。でも別に嫌な感じはしなかった。そっちからも特に敵意は感じられなかった。杉浦はさっきより幾分打ち解けた感じで話しかけて来た。 「すごいよね、君。びっくりしたよ。」 「やっぱ、簡単だったじゃん」 おれが言うと不快そうな顔になった 「君にたまたま合っていただけだと思うよ。」 「まあ杉浦もムキになるなよ、子供相手に。」 子供と言われてちょっとむっとしたが、かまわず汀はここでの生活を説明した。 朝練習があった後は、学校に行きたい者は通っても良い。地元の公立校でもいいし提携しているちょっと離れたところにある中高の一貫校もある。将来大学とかに行きたい気持ちがあるならばその方がかえって楽かもしれない。ただし通わなくてもよい。その時はここでのカリキュラムにそって自学する事になる。一応各科目の教師はそろっているが、全員が毎日いるわけではない。毎学期カリキュラムがこなせたかテストを行いクリアすると次へ進む形になっている。教師には教師がいるときは質問ができるし、授業もあることはある。ただ学年が一様ではないので自分で興味のある物を選択していく。 ほぼ6時間ぶんくらいの勉強時間をこなしたら放課後の練習にはいる。AーCクラスまではいっしょで、あと、外部から通ってくるCクラス候補生のためのDクラス、運動が好きな児童、生徒のためのEクラス、運動が苦手な子達のためのFクラス、幼児科のひよこ組がある。Eクラス以降は毎日来るわけではなく曜日ごとに年齢や種目でさらに細かく分かれている。 原則として日曜日は休みで、土曜日は練習はあるが実質的に自由参加。ただし外出するには外出許可書を前日までに申請しなければならない。 部屋は個室で、シャワーとトイレ付き。週に一度ハウスクリーニングが入る。シャワーはあるが地下には大きな風呂もある。時間制で男女の使用時間を交代する。使用料はただ。 「それともう一つ仕事が合ってねえ。」 汀はちょっと言いにくそうな顔で説明を始めた。 「Dクラス以下は有料なんでそれでここを運営しているわけなんだけど、経営難でねえ、そこでちょっと君たちにもたまにお仕事してもらうことがあるんだ。」 やっぱりな、とその時おれは思った。ちょっと話がうますぎると思った。 仕事ってなんだ?道路工事か?死体洗いか?まさかおれがやってたような事じゃないよな。 「あのねえ、学校の中にはどうしても大会で優勝したいって所があってねえ、たまに。そこに人を貸し出したりしてねえ…」 しれっとした顔で、汀が言った。 「それってサギじゃん。ばれねーの?」 「いや、ほら転校手続とるから、サギじゃないよ。ちゃんと生徒になるしねえ」 「ひっでー」 「君なんてテニス得意そうだから、個人プレーでよかったよ。いやほら、団体競技はやっぱりチームワークとかね。」 「それいくらになんの?」 「そうだなあ…競技にもよるけど、優勝したら1千万とかね。」 やっぱ世の中って、けっこう汚い。スポーツの世界でこれだもんな。まあ、他の学校からスカウトしてきたりとか、野球の得意な奴は特待生になったりする学校もあるから同じといえば同じなのか。 ってゆーか、テニス得意そうって何だよ。ラケット握ったばっかりだぞ。やっぱなんか信用できね―なコイツ。 「あとはねえ、ああそうだ君何か武器使える?」 「武器?」 一瞬耳を疑った。今までの自分の生活だったら違和感はなかったかもしれない。でも、この明るいきちんとした部屋のふかふかのソファの上で聞くとその言葉は異常な感じがした。それを汀は、まるでランチは何にする?といった日常会話と同じようにサラっと口にしている。 「ほら、悪の組織と戦うからね。」 「ナイフだったら。」 「どのくらい使えるの?」 おれは黙ってジーンズの裾を捲り上げ、そこに固定してあったナイフを一本取り出して、5メートルくらい離れた壁のカレンダーに向かって投げつけた。4月の4の三角形の真ん中にナイフが刺さった。 「このくらいだけど」 汀はぱちぱちと拍手をした。 「素晴らしいね。しかし君は一体どんな生活を…。」 「こっちも条件があるんだけど」 「なんだい?」 「一切今までのことについて聞かれたくないんだけど。」 汀が息を飲むのがわかった。そして、うなづくと、一枚の書類を出した。 「わかったよ。じゃここに生年月日と血液型と名前と年齢書いて。」 おれは書類の内容を確認することもしないで、渡されたペンで名前を書いた。 ペンがひっかかってひどく書きにくかったのを覚えている。 『5月6日生まれ、O型、水木 淳 12才』