1.2. Two Years Ago. 〜part1
淳がここに来て約一年後の4月終わりごろのある朝6時、ミーティング前の資料室に由利香が駆け込んできた 資料室は、淳が初めてここの来た時に通された部屋だ。朝と夕方のミーティング時にはここに集まる。資料が揃っているし、大きなモニターもあるので、反省やこれからの予定の確認にはとても便利だ。 「ねーねー淳おはよっ。ねー聞いた?」 前日夜更かしをしていて3時間しか寝ていない淳は、一番後ろの窓際で半分寝ていたが、声をかけられてぼーっとした表情で由利香を見た。 「何を?」 「あのさー、杉浦さんたちやめちゃうんだって」 「ふぅん。で?」 由利香はじれったそうにバンバン机を叩いた。 「で?じゃないじゃない!ABクラス7人になっちゃうんだよ!」 「いーじゃん別に」 「ああっもうっ話になんない!」 また机を叩く。淳はうるさそうに顔をしかめる。由利香は気にせず 「7人になったら淋しいよ!夜あのフロアにたった7人なんだよ」 と言った。Cクラスもいるけどフロアが異なる。30部屋近く並んだ部屋のうち7部屋しか人がいないのは確かに淋しい 「べっつにー」 淳はあくびをした。外はもう明るくなっている。朝練サボれるかなとか考えていると、由利香はいきなり 「淳はまだ来て一年だからわかんないかも知れないけど、いっつもいっつもこの繰り返しなんだよ!みんな20才くらいでいなくなっちゃう!せっかくお友達になっても、もうみんな絶対遊びにとかきてくれないんだよ!今まで朝から夜まで顔合わせてた人たちがいきなりごっそりいなくなっちゃうんだよ!淋しくないの!」 とまくし立てた。 「え…と…」 「もう、いいっ!」 淳が返事を返しあぐねていると、由利香はぷいっとそっぽを向いていってしまった。部屋の反対側の一番前に勢い良くドンっと座った。かなり怒っている様子だ。 『…お友達…ねえ…』 「水木また怒らせてんの?」 あいつらは友達なんだろうかと考えていると純が声をかけてきた。淳の前の席に腰かけ後ろを向く。 彼は2年くらい前にここに来た。何か事情がありそうだが、彼も昔の事は言わない。 「しらねーよ。勝手に怒ってんだから」 「おまえさーもっと愛想良くなれば?せっかく女の子が話しかけてきてくれるのに、ちゃんと返事しなきゃまずいよ」 その頃、淳はまだ今一つ生活に馴染めない気がしていた。何となく今の自分はみんなとは違う気がする。一年前、ここに来る前の生活をまだどこかに引きずっているのかもしれないと思っていた。みんなに話したら楽になるのだろうか。それを話して自分はまだ受け入れてもらえるのだろうか。だからと言って、ずっと話さないでもいられるものかも判らなかった。彼は自分で自分をもてあましていた。 淳自身がそんなふうになので、回りもなんとなく垣根を作る。そんな中でも、由利香はまとわりついてくる。ここに来た最初の日からそうだった。彼をいろんな人に紹介し、教室に案内し、食堂の場所と使い方を教えてくれた。彼女は面倒をみる人間がいるのが嬉しかったのかもしれない。いつも子供扱いされていたから。 「女の子って、誰?」 「また、そんな事言う」 と純は呆れ顔になる。 「前から思ってたんだけどさ、水木ってさ前のこと隠し過ぎ。そのせいでそーゆー態度とるわけ?何隠してんの?言ってみれば」 思わず言いそうになって、言葉をぐっと押しとどめた 「峰岡だって隠してるだろ」 「でもおれはおまえみたいに、それをひきずってないよ。ちゃんと立派に更生してるしさ。問題ないって。おまえ辛そうだから」 「つらいかどうかなんて、本人にしかわかるわけねーだろ」 辛いのかどうかなんて自分にも判らない。あの日ここに来ると決めたことが正しかったのかも判らない。 ただ、とにかく今の方がずっとマシなのだと自分に言い聞かせてどうにか一年やってきた。少なくとも体を動かしている時は、面倒なことは忘れられたし、寝るところと食べるのには困らないわけだし。 「時々ユカには素直な顔してるだろ。ああいう顔してれば、いつも」 「すな……っ!?誰がっ!?」 「ほら、そういう顔」 純はにやっとした。 「そうやって、ちゃんと怒ったり、笑ったりすればいいのに。泣いたりとかさ」 「泣く?おれがかよ」 そう言えばずーっと泣いていないような気がする。前に泣いたのはいつだっけ?小学校4年?5年?あの春休みだっけ。なんだかもう、遠い遠い昔のような気がした。2,3年前なのに。 「ばっからしい。峰岡うぜー」 淳は立ち上がって大またで重いドアの方に歩いて行った。乱暴な足音にみんながふりかえる 「ちょ…どこ行くんだよ」 「どっか」 言い残して淳は出て行ってしまった。大きな音でドアが閉まる 「何言ったのー」 歴史が大声で聞いてきた 「何も言ってないって。まったくもう、わっかんねーよなあいつ」 それとほぼ同時に有矢氏が、出席簿とスケジュール帳を持って入って来た。ここだけ見ると普通の学校の朝のホームルームの風景のようだ。あたりを見回して 「また、水木がいないな」 と、ため息をついた。しょっちゅういなくなるので、最初に確認する癖がついているのだ。 「どこ行ったんだ。朝はいたか?」 と純に聞く。 なんでおれに聞くんだと思いながらも純はうなづいた。 「まったく、今日は大事な話があるっていうのに」 文句を言いながら出席をとる。淳以外は全員揃っている。 出席簿を閉じると今度はスケジュール帳を開く。 「えーと、聞いているものもいると思うが、6月いっぱいで杉浦達、高等部以上の15名が抜けることになった。」 ざわざわと声があがる。話し合って決めたわけではないので、やめて行く者同士でもお互い知らなかった場合もあるようだ。偶然重なったにしてはちょっと不自然かもしれない。何しろ22名中の15名だ。今回の割合はとても大きいし、上がごっそり抜けるのは痛い。何度も繰り返してきたこととはいえ、この時期はしばらくまとまりがなくなってしまう。 「残るのは、川上、峰岡、曽根、山崎、紫樫、親津、…と、水木だよな。みんな15歳以下だな。こんなに一度に 抜けるのもめずらしいなあ。何かあったのか?」 「いえ、別にそういうわけではないのですが…」 杉浦が答える。 「まあ次世代に託すのもいいかなと」 「ふ〜ん、まあそれぞれ事情があるからしかたないだろうが、こういうのもなあ…」 みんな、なんとなくしーんとしてしまう。 「ま…落ち込んでいても仕方ない。そこで5月中に新しいメンバーを獲得する方法を検討しようと思う。やめていくのにと思う者もいるだろうが、後輩のためだ、いい知恵を授けてくれ。とりあえず今週末の土曜日の朝のミーティングの時に話し合いをするからそれまでに各自何か考えてくる様に、以上だ。 さて、朝はメニューに従って各自トレーニングすること。いなくなるやつらも手はぬくなよ」 有矢氏は部屋を出て行った。 すかさず由利香が、ずっとまるでお姉さんのように慕っていた、亜佐美にかけよって 「なんでやめちゃうの、あっちゃん」 ときいた。 「ごめんね、由利香」 「あっちゃんいなかったら、どうしたらいいかわかんないよ。もっといて、いろんな事教えてよ」 「ここに、ずっといるわけにも行かないでしょ。普通に大学とか行きたいし」 「やだ。だってここやめると、みんなここの事忘れちゃう。淋しいよ」 確かに、ごく何人か職員としてずっと在籍している者もいるが、それは稀だ。やめていった者はここの事を忘れてしまう。そして何事もなかったように家庭に戻り、または自活して暮らしていくのだ。たまに街で見かけても、声を掛けてくることもないし、こっちから声をかけても、あやふやな返事が返ってくるだけだ。 「淋しくないよ、大丈夫、すぐに慣れるよ」 亜佐美は自分にも言い聞かせるように言った。 「やめていった方はそうかも知れないけど、残った方はずっと覚えてるんだよ、あっちゃん。わたし、みんな覚えてるもん。6年前にやめていった人たちだってみんな覚えてるよ。私、困ったことがあったら誰に相談すればいいの、これから?」 「大丈夫。7人も仲間がいるじゃない」 「だって…だって…雷とか鳴ったら、私一人でいられないし…夜とかすごく…」 由利香は、小さい時の事故が原因で、雷にひどいトラウマがある。一人でいられないのだ。 彼女が5歳の時のある夕暮れ、その時仲の良かった子と裏庭で遊んでいたら突然の豪雨で雷が鳴り出した。急に真っ暗になった空の下、ふたりで木の下で雨宿りしていたら突然雷が落ちて、その友達を直撃した。即死だった。あまりの急な出来事に、由利香は雨の中によろけてすわりこんだまま、動くこともできず、その場に凍り付いていた。雨が上がって捜しに来た上級生に発見された時も、びしょぬれのままただ呆然としていた。涙も声も出なかった。やっと涙と声がでたのは三日後のお葬式の時。ごめんねといいながら友達の名前を大声で呼んで泣きじゃくる由利香を誰もなぐさめることもできなかった。 「大丈夫、水木くんいるじゃない。彼ならいっしょにいてくれるって」 「水木い?唐突だな。それ、まずくないか?」 杉浦が口をはさむ 「全然あてにならない感じだけどな。ケッとか言って置いて行きそうだぞ」 「平気平気、彼はこのコには優しいから」 「そっかあ」 杉浦は疑わしげだ。 「あの子いい子だよ」 「亜佐美さん、顔で判断してない?」 「何言ってるの。わかんない人にはわかんないのよ。彼は自分を信用してくれる人にはちゃんと応えるから大丈夫」 「ふ〜ん。あいつが誰かに親切にしてるところなんて見たことないけど」 「え?淳やさしいよ」 由利香の言葉に杉浦はぎょっとして彼女を見た。 「由利香ちゃん正気?さっきけんかしてたじゃない」 「あれは私が悪かったかも。考えてみれば淳と私じゃここにいる年数全然ちがうんだから、気持ちがわからないのなんて当たり前だよね。ちょっとしつこかったかも知れない」 杉浦はしげしげと由利香の顔を見た。 「由利香ちゃん…大人になったねえ」 「ほら、大丈夫だよ、ね、由利香」 亜佐美は由利香の頭をぐりぐりなでてにっこり笑った。 「ちゃんとやっていけるから。心配しないで」 「う…ん。私、淳探して、雷の時いっしょにいてくれるか聞いてくる」 「うん、いってらっしゃい」 由利香は部屋を飛び出していった。 「なんだかなあ…あいつら、いつの間に」 「え?気がついてなかったの?仲良しなの。嫉妬してる?だめよお、あんな子供に」 「そんなんじゃないけど」 「仲良しって言ったって由利香は、なついてるだけだから。心配しなくたって大丈夫よ。彼のほうは知らないけど」 「なつくって…なんでなつくかなあ。あいついっつもイラついてるように見えるけど」 「彼女にはそう見えないんでしょ。それだけよ」 「それだけって…わからないなあ」 「だから言ってるでしょ。わかんない人にはわかんないって」 「じゃ、なんで亜佐美さんわかるわけ?」 「ちょっとね。でも秘密」 亜佐美はにっこりした。****************
「あーいたいた」 淳は屋上にいた。 屋上と言っても、特になにもあるわけではない。ただのだだっ広いコンクリートの床が広がっているだけだ。周りに高いフェンスはなく、20cmくらいのコンクリートのブロックが並んでいるだけ。建物は4階建てくらいなのでかなり危ない。あと、申し訳程度の非常階段がついているが、一気に下まで降りる、幅50センチほどの螺旋階段で、雨ざらしなのでさび付いていて、どの程度安全かは保証の限りではない。 4階からの階段を上がるとかなり広い倉庫になっている。屋上のほぼ半分くらいにあたるだろうか。日頃あまり使わないものをおいてあるので、人はあまり来ない。ちょっと一目を避けたい時には格好の隠れ家となっている。そのごちゃごちゃを抜けると屋上に出られる。正面はグラウンド側から丸見えだが、回りこんで陰に入ると裏庭からしか見えない。難点は、さっきも言ったがフェンスらしいフェンスがないたった幅1メートル足らずのスペースなので、高所恐怖症の人にはちょっと向かないって事だ。あと、北側なので、少し寒い。夏は涼しいけれど。それから夜はかなり危険だ。 「ごめんね、さっき」 由利香は淳のとなりに座りながら言った。淳は壁によりかかって座り、裏庭のずっと向こうの遠くを見ている。 「ごめんって…、怒ったのおまえだろ」 「あれ、そうだっけ?」 「勝手になんかしゃべりまくって、勝手に怒ってたよな。で、なんか知んねーけど、峰岡に怒られた。ごちゃごちゃうぜーから、バックれた」 「怒ってないんだ」 「なんでおれが怒るんだよ」 「なーんだ。ねっ、何見てんの?」 「別に」 裏庭の向こう側は森になっていて、人や建物は見えない。多分ここは昔あの森の一部を切り開いて作ったのだろう。由利香が昔雨宿りした木もかつては森の一部だったに違いない。塀にかこまれてはいるが裏庭の一番はじっこは、なんとなしに森と馴染んだかんじだ。けっこう深い森でたまに人が迷い込んで出られなくなったりすることもある。妖精が住んでいるという噂もあるし、妖怪がすんでいるという噂もある。 「あの森動くの見たって人がいるんだよ」 「んなわけ、ねーだろ」 「だよねー。でも動いたら面白いよね」 「まーね」 「あはは」 「なんだよ」 「くだらねーって言うかと思った」 「そうなんでもかんでも否定してるわけじゃねぇよ、おれだって」 淳は伸ばしていた足の片膝だけを抱えてすわりなおし、そこに頬杖をついた。目線はまだ森の奥だ。 「で?」 「え?あそうだ。あのね、今度雷鳴ったら淳の所行っていい?」 「はぁ?」 と由利香の方を向く。 「また、唐突に」 「え?だって…」 「雷、苦手なんだっけ」 「あのね、一人でいると体が自分の意志じゃ動かなくなって震えが止まらなくなって冷や汗がでるの」 「なんだそれ」 「時々意識もなくなるの」 「…むちゃくちゃあぶねーじゃん、それって」 「意識がなくなっちゃえば本人は楽だけどねー」 「誰かいれば大丈夫なのかよ」 「わりと。小さい頃はあっちゃんに来てもらっていっしょに寝てもらったりしたけど、今はほとんど大丈夫」 呆れた。ほとんどって何だよほとんどって。言ってる事わかってんのかこいつ。 「おれはいっしょに寝らんねーぞ」 「あ…そっか」 由利香はポンと手を叩いた。 「淳、男の子だもんねー。まずいんだったよねー」 「お…おまえなー」 淳は頭を抱えた。どこまで分かって言ってんだか。 「わーったよ、いいよ、雷鳴ったら来ても。部屋、隣だし」 「え?ホント?ホント?よかったあ」 由利香はさらに手をぱちぱち叩いた。 「でもさおまえ動けなくなるんじゃねーの?来らんね―じゃん」 「…あ…」 手が止まった。 「あーほんとだ…どうしよう」 淳は天を仰いだ。 「あーもう、分かったよ行ってやるから、雷鳴りそうな時は部屋の鍵あけておきな」 「鍵いつも開いてるよ」 「げっ!」 由利香をまじまじと見て、諭すように一言一言区切って言う。 「あのさ、おまえさ、それは、危ない」 「えーなにが?」 「いいから、とにかく鍵は閉めて寝なさい」 「だからなんで?」 「いいからっ!いろんなやつがいんだよっ」 「ええ?」 どう言えばいいかを考える。どう言ったら理解するんだこいつ。 ええと、どこまでわかってるんだっけ。 「あ、そうか」 由利香はまたポンと手を打った。 「なんか盗まれたらまずいもんね」 「え?あ…うんそうだよな、そう、そう。だからとにかく鍵はかけておいた方がいいから」 「うん、わかった。わーなんか鍵かけるの初めて。楽しみー、あ、じゃあ言ってこなくちゃ」 由利香は勢い良く立ち上がった。スカートのお尻をパンパンはたく。 「言うって?」 「あっちゃんに、雷の時は淳が来てくれるから大丈夫って言ってくる」 「うわ、バカ言うなよそんな事」 「なんで?」 由利香は不思議そうな顔で淳を見た。 「だってあっちゃんが言ったんだよ、淳に頼みなって」 「!なんだあそれ」 走っていく由利香を見ながら、淳は一体自分は陰でどういう扱いを受けているのだろうと考えていた。