1.3. The Last Year. 〜part1

 
 
  
        
「ぎぃぃぃえぇぇぇっ!!うそだろぉぉぉっっっ!」  世間ではそろそろ夏休みに入る、7月下旬のある昼下がり、淳の叫び声が、Φの資料室に響きわたった。  資料室の中にはいつものように汀氏と有矢氏。で、今呼ばれてきた淳と… 「しっつれいしまっす」  そこに、お茶を頼まれた由利香が、いつものように元気に入って来た。  中の顔ぶれを見て一瞬立ちすくむ 「う…うっそお」 「ユカお茶こぼすよ」  汀氏が思わずお盆を落としそうになった由利香を注意する。そして、ため息まじりに 「まあ、ムリはないけどな」  とつぶやいた。 「な…なんでっ!なんでてめーこんなとこに、居んだよっ!尚っ!!」  淳がまた叫ぶ。『尚』と呼んだ自分と同じくらいの背格好の…というか体つきがほとんど同じの、そして顔がそっくりの彼の両肩をつかんでゆさぶる。 「帰れよっ!今すぐ家に帰れっ!」 『尚』のほうは平然と 「なんでさ?」  と無表情に聞き返す。 「あ…ありやさんあれ、誰?」  由利香は『尚』の方を横目で見ながら、有矢氏の元につつと近づいて、小声で聞いた。 「なんか、コワイ絵なんだけど」 「水木尚、…水木の双子の弟だそうだ」 「ふっ!ふたごだったの、淳って!?あ…あーゆーのがもう一人いるのっ!?」  淳はジロっと由利香をにらんだ。 「あーゆーのって、どーゆーのだよ」 「あ…あはは〜」  由利香は思わず有矢氏の陰に隠れた。機嫌の悪い時の淳は、ハンパじゃなくコワイ。下手すると、部屋の一つや二つは壊滅状態にし兼ねない。  尚は揺さぶられても、全く表情を変えず 「左手離してくれない。すごく痛いんだけど」  などと、言っている。 「な…なんか、弟の方が落ち着いてる…」 「ユカっ!!」  また淳ににらまれる。 「ごめんなさいっ!」 「…ったく」  やっと淳は手を放した。さっき有矢氏に、資料室に来るよう呼ばれた。テストを受けたい者がいるから協力するように、とだけしか聞いていなかったのに、いきなりこの状況だ。  尚とは家出をして以来会っていない。三年以上になる。あの頃も、同じような背格好にそっくりの顔立ちだった。三年離れていた今も髪型と服装が同じなら、多分よっぽど親しい人じゃないと区別がつかない位二人は似ていた。 「あああーっ!もうっ!すげーやだ、すっげーやだ、ものすっげーやだっっっ」  とうとう淳は頭を抱えて、しゃがみこんでしまった。 「水木、そんなに嫌がらなくてもいいんじゃないか?」  有矢氏が声をかけるが、淳はしゃがみこんだままで 「有矢さん、双子じゃねーから、わかんねーんだよっ!」  とふてくされている。  有矢氏と汀氏は、やれやれというように、顔を見合わせた。

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 淳も別に尚を嫌っているわけではない。小さい時は、むしろ仲は普通以上に良かった。親には言えないような悪さをした時も、淳は尚に話していたし、尚がたまに先生から怒られたりした時も淳は知っていた。   今思えばズレが生じてきたのは、3年生の終わりくらいだった。先に違和感のようなものを持ったのは尚だった。なんだか、どうしても、ちょっとだけ先を行かれてしまう。追いつくとまた少しだけ先んじている。けんかをすれば、僅差で淳が尚を組み伏せる。そんな事の繰り返しで、やがてだんだん尚は自分を見失って行き、コンプレックスばかりがどんどん大きくなっていった。淳もそれに気づいてしまった。  今までいっしょに行動することが多かった二人が、クラブ活動を決める時、バラバラになったのを、母親はいぶかしがっていた。当然二人とも運動系のクラブに入ると思っていたのに、淳は突然、軽音に入ると言い出した。楽譜がどうしても理解できなくて、音楽の成績がさんざんだったのにだ。そして淳はクラブ活動にのめりこみ、バラバラに過ごす時間が増えていった。この時、淳はある意味で尚に追いかけられる事から、逃げようとしていた。  それでも同じ学校、同じ家にいて、逃げ切れるものではない。高学年になって、成績もテストの点で評価されたり、例えばバスケットのチームのメンバーに選ばれても、淳が4番で、尚が5番といった微妙な差は続き、尚はますますやっきになって淳を追いかけようとし、淳はそれを努めて無視しようとした。 「はぐらかすなよ」 「何の事だよ」  と言う言い争いから始まるケンカを何度したことか。先に淳の方が音を上げてしまった。そして、他のいやな事件も重なって、6年になる前の春休み、尚に 「もう、おまえと競争するの、嫌だから。ごめんな」  と言い残して家を出た。……はずなのに、なんで、また争うためにやってくるんだ、コイツは。  淳は悶々と昔の事を思い出していた。尚は淳よりも努力家で、まじめに勉強もしてたし、バスケのチームでも練習量は多かった。勝てないのは、要は相性の問題で、淳に苦手意識を持っているせいだと淳の方では思っていた。だから、違う土俵にいた方がお互いの実力を発揮できるはず、と思っていたのだが。 「尚、何考えてんだよ」 「気がついたんだ。でも後で話す」 「あのさ、おれが家出た原因の一つなの、わかってるよな」 「それは、淳の勝手な思い込みだろ。おれは別にたのんじゃいなかった」 「かっ…かわいくねーっ!!」 「お互い様」  にらみつける淳に、尚は冷たい視線を返す。 「有矢さぁん、あの人達、怖いんだけど…」 「まあ…性格は違いそうだな…。これで区別はつくか」 「そ―ゆー問題じゃなくて〜」  由利香は混乱しながら二人を見比べている。確かに見分けは…つく。多分同じ服でも、つく。でもどこが違うのか、由利香には言葉では説明できなかった。すごく似ているのに、すごく違う気がする。 「まあとにかく、テスト受けてみるか。もしかしたら入れない事だってないとはいえないしな」 「いや…」  淳は首を横に振った。 「こいつ絶対Aクラスになるよ。受けたら当然合格だって」 「へえ、水木評価はしているわけか、彼のこと」 「当然。こいつがどのくらいのもんかは、多分おれが一番知ってる。それから、おれのことも多分こいつが一番わかってる」  そこで言葉を切って、大きくため息をつく 「だから、やなんだよ」 「なんだ、そんな事か」  有矢氏は呑気に言った。 「そんな事ってなんだよ!」 「まあまあ水木、とにかくテストをしよう。彼はここに入りたくて、やって来たんだからそれを拒否する権利は君にはないよ」 「わーってるよ、んな事」 「そうだな、君部活は?」 「去年までテニス部でした」 「ああ!」  汀氏はポンと手を打った。 「もしかして、横浜の方で、有名な水木君って君のことか。全戦全勝だよね確か。2年なのに市内では圧倒的に強かったよねえ。あれ、そう言えば何故県大会出なかったの?」 「試合の初日が姉の結婚式と重なって」 「普通は大会優先しないかな?」 「そうですか?家族も大事なので」  多分それで部活をやめるハメになったのだろう。 「その大事な家族の結婚式に、こっちは大した用もないのに出てないってわけか」  汀氏は淳の方を見た。一応知らせは来ていたが、なんだかんだ理屈をつけて淳は行かなかった。 「っせーな。だいっきれーなんだよ、ああいうの。やたら親戚とか集まってうぜーったらねえよな」、 「姉不幸だねえ、水木は」 「昔の事でとやかく言うなよな」 「ま、ともかく、じゃあテストはおまえとテニスの試合って事で」 「げ。なんで。おれの時はやった事ねえって事でテニスだったけど。こいつは得意なんだぞ。不公平だ」 「昔の事でとやかく言うな」  自分が今言ったばかりのせりふで返される。 「なんなら水泳にしてもいいぞ」 「げげっ!」  淳が一番苦手なのが水泳だ、ここに来た最初の夏に、実は泳げない事が判明した。有矢氏のも汀氏にも、Aクラスで泳げないやつは初めてだと呆れられて、さすがに悔しくて、一週間でバタフライまでできるようになったのはさすがと言えばさすがだが、一応泳げるようになった時点で淳の中では、イベントクリアだったらしく、タイムを伸ばそうという努力はまったくしない。よってABクラスの中では当然一番遅く、Cクラスを混ぜても下の方だ。ただ持久力だけはあるので、長距離になればまあまあいける。 「テニスにする理由はただ一つ、面白そうだからだ」 「あ…あのなー」 「由利香、峰岡と川上に言って、ABクラス召集かけろ。多分面白い見ものだぞ」 「は〜い!」  実は一刻も早くこの場を離れたくて、口実を探していた由利香は嬉々として部屋を飛び出していった。早く誰かにこの事を話したくてたまらなかった。

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 ΦのABクラスは昨年のメンバー獲得活動後、別ルートで鳥海(とりうみ)花蘭(からん)と、甲子(きのえね)馨が入り、男子8人女子6人の計14人となった。まだ人数は少ないのだが、幸いCクラスが通常よりも人数が多く、どうにかまかなっている状態だ。ちなみに花蘭はお母さんが中国人であっちでの生活が長かった。その影響で時々日本語が微妙に変だけど、まあそれはご愛嬌。 「あーミネちゃん、ミネちゃんっ!」  由利香は最初に、体育館に向かおうとしていた純を見つけた。息せき切って走り寄って腕をつかまえる。 「ニュース、ニュースっ!」 「何?また、あいつ何かやった?」  あいつってのは、もちろん淳の事だ。 「う…びみょーに合ってて、びみょーに違う」 「どうしたの?」 「淳の弟来てる。テスト受けるんだって」 「弟ぉ?あいつ、あれでも兄ちゃんかよ。絶対末っ子だと思ってた」 「それも双子だよっ!」 「ふた…双子ぉぉ!?」  純は絶句して由利香を見た。数秒の沈黙の後、やっとの事で 「似てんの?」  と声を出す。思考が停止して、なんだかよく分からない。 「そっくり」 「うげ」  純の頭の中に、二人の淳が走り回っている姿が浮かんだ。二人でガンガンそのへんのものをぶち壊している。純の淳に対するイメージって一体…。 「ごめん、聞かなかった事にしていい?」 「私なんかいきなり見ちゃったんだよ!」 「ご愁傷様」  純は本当に、そのまま行ってしまおうとする 「ミネちゃん!」  由利香はあわてて呼び止めた。背中を向けたまま純が立ち止まる。背中が、それ以上聞くことを拒否しているように見える。 「性格はかなり違いそうだから、大丈夫(?)だよ」 「ほんとうに『かなり』ちがう?」  後ろ向きで純は念を押す。 「うん」  といいながら、由利香は純の正面に回りこむ。 「静か」 「静かなおミズねえ…」  純は想像しようとするが、うまく思考が働かない。 「淳、来た頃は、割と静かだったよ」 「いや…今となってはもう思い出せない…」  一年前の、あの中学校への登校以来何かがふっきれたらしく、本来のテンションの高さを取り戻した淳には最近振り回されっ放しだ。杉浦が居なくなった今、純はいつのまにか淳のお守役になってしまった。夜中に塀を乗り越えて街に出て朝まで帰ってこなかったりしたのがバレて、見張らされたりもした。そんな事おかまいなしに淳はまた脱走し、何度も捜しに行くハメになった。あげくの果てにケンカに巻き込まれたり、どこかのおねーさんだかおにーさんだかに誘惑されそうになったり。淳は笑って『いい体験したじゃん』とか言うが、昼間一日中汗を流していて、夜がこれじゃあまりにハード過ぎる。唐突にいなくなった事もあった。みんなでかなり心配したが、3日目の昼頃何事もなかったかの様にグラウンドを走っていた。『ちょっと、海見たくて』なんだそうだ。喜怒哀楽が分かり易くなったのはいいけれど、時々こいつ落ち込んでた方がましだったと思う事すらある。 つまりはそんなのがもう一人増えたら身が持たないってことだ。 「ミネちゃん、苦労してるよねえ」  由利香はしみじみ言った。 「でも、淳、ミネちゃんの言う事一番まともにきくからさあ」 「嬉しくねえな、それ」  まともに話はきくのだが、それでそのまま言う事をきくわけではない。そのへんが問題なのだ。淳は由利香の保護者だとか言っていたが、最近は純の方が淳の保護者の気分だ。淳に言ったら、別に保護してくれなくていいって言うだろうが。 「で?そのお知らせだけのためにユカは走り回ってんの?」 「ううん。今から二人でテニスするから面白いから見るように召集かけてって。上手いらしいよテニス」 「おミズくらい強いって事?」 「それはわかんない」  テストの時にはじめてラケットを握って以来、淳は確かにめきめき上達した。上達はしたのだが、『きれいな』テニスではない。フォームも直らない。軽いフットワークを活かして、スピードを上げていき、相手のペースを崩して勝つのがいつものパターンだ。パワー自体はあまりないので、強烈なスマッシュや、必殺のショットなどは持っていないのだが、強いことは強い。とにかくどんな状況でも球をひろいまくり、すぐに次の捕球に向けて体勢を立て直せるのが彼の強みだ。言わば、上手くはないけど強い。  もっともこの勝ち方はテニスだけではなく、バスケでもサッカーでもバレーボールでも同じ事。ひたすら球に喰らい付き、とにかく走り回る。だから自由に動く事のできない、野球などはあまり得意じゃない。それに、どれも多分細かいルールなども覚えていない。その競技本来の意味を考えれば、細かいルールなんて知らなくても、大きなルール違反は起き得ないというのが彼のモットーだが、多分覚えるのが面倒なだけなんだろう。 「まあ、じゃとにかく集めてみるよ。何人集まるかわかんないけどな」 「えーみんな来るんじゃない?」 「おれは見るのがなんか怖いけどな」 「うん、さっきにらみ合ってた時も怖かったよ」 「え?仲悪いの?」 「う〜ん。淳が一方的に嫌がってる感じだったよ」 「へーえ」  純はちょっと考えた。弟と会いたくなかったんだ…って事は家を出た原因はそこにあるのかも知れない。でも弟の方は追いかけてきたって事は淳の思い込みだったのか?まあ二人の間になにか葛藤があったことは容易に察しがつく。ただの兄弟だって、おにいちゃんは、とか弟はとか言われて育てばプレッシャーになる。双子なんて四六時中比較されているようなものだ。なにかの弾みでバランスが崩れて、どちらかがドロップアウトすることはありうる。彼らの場合、淳がドロップアウトしたが、尚にはそれが不満だったという事か。
  
 

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