1.3. The Last Year. 〜part2
テニスコートの周りは黒山の人だかりだった。夏休みに入り、いつもは学校に行っている外部生も来ていた事もあるのだが。ちょっとした大会の決勝戦なみの盛り上がりだ。 尚は着換えの他は何も持ってきていなかった。荷物は自宅の自分の部屋にまとめてある。合格したら、一度家に戻って、荷物を自分で出してくる予定だ。実は、母親には言っていない。反対されるのは目に見えていた。電話番号から住所をしらべ、自分で問い合わせて、夏休みになるのを待って勝手に来てしまった。中学に入って、特に部活をやめてから、尚は休みの日など、行き先を告げずふらっとどこかに行ってしまう事がよくあった。最初の頃は注意していた母親も、父親の男の子はそういうもんだよの一言に、やがて諦めてしまった。多分今もいつもの小旅行だと思っているだろう。あるいは、掃除をしようと部屋をあけて、荷物が整理されているのをみて、慌てているところかもしれない。まあ、そんな事はたいした事じゃあない。 「ラケット貸そうか、尚」 淳が自分のラケットを差し出すと、尚は2,3回軽く素振りをしてみて 「軽すぎる」 と言った。 「悪かったな、筋力ねーんだよ」 「これじゃ打てない」 「わがままだなーおまえ。誰かラケット貸せよ」 淳はたくさん集まったギャラリーに声をかけた。3,4本のラケットが差し出され、尚はそこから一本を選んだ。 「尚、サービスしていいよ」 とは言ったものの、尚のサービス受けて驚いた。滅茶苦茶球が重い。ギャラリーが喜ぶ。 「おー、おミズ押されてる」 「がんばれ弟―!」 「て…てめーら、どっちの味方だっ!」 「おまえじゃない方!」 尚はまるで、淳の動きを読むように攻めて来る。淳の方がスピードがあるので、追いつけないほどではないが、それでもパワーーのある重い打球にともすると、ラケットを弾かれそうになる。 『なんでだよ、信じらんねー。こいつとやるの初めてだぞ。双子だからとか言うなよ、気味悪ぃ』 実際かなり不気味な感じだ。尚はちゃんと基礎から入っているので、フォームはきれいだし、球筋もしっかりしているが、なぜか自分とやっているような気がしてくる。 おまけに、淳がポイント取られると、わっと湧き上がる拍手。本当に頭に来る。睨みつけても喜んでるだけだし。 尚の方は、声援に応えるでもなく、淡々とゲームをこなして行く。 「なんか、似てるね」 見ている由利香が、隣の歴史に言う。 「だよね。何が似てんのかな?おミズやり難そうだね。勝つとは思うけど」 「動き方かなあ…」 「う〜ん」 試合が進むにつれ、淳は尚に観察されているような気になってきた。淳の球の打ち方、足の運び方、構え方、微妙に尚の動きに影響しているような気がしてならない。だんだん混乱してくる頭に、必死に雑念を振り払い、ボールを追いかける。どうしても、負けるわけには行かない。 結局数点の僅差で淳が勝つと、ギャラリーはあーあと不服そうに少しづつ散らばって行った。尚は小さく、ちっと舌打ちをし、一瞬だけ口惜しそうな表情を見せた。 試合後、淳は無茶苦茶機嫌が悪かった。勝ったけど、こんなの勝ちじゃない。単に負けなかったというだけだ。 そこへ追い討ちをかけるように有矢氏が、 「水木、これでダブルスの相手が決まったな」 なんて言ったものだから、ますます機嫌は悪くなる。確かにほぼ守備範囲がコート全般にわたる淳は、ダブルスが組めなかった。どうしてもパートナーの球まで追いかけてしまう。パートナーもなかなか淳の動きが読みきれず、あげく、空いたところに打ち込まれ、ダブルスのコートの微妙な広さが命取りになっていた。が、尚は淳の動きが本能的に予測できるようだ。敵に回せばやりにくいが、パートナーと考えると頼れる。 「けっ、ダブルス!?んなもん、おれにやらせてどうしようってんだよ」 と毒づく。 「大体あんなもん、お互いをサポートしあう気持ちがなきゃできねーだろが。おれにはねーぞ」 「おれはいいよ、別に」 「尚、ばかか。おれとおまえで気が合うはずねーだろ」 「合わせてやるよ」 相変わらず無表情に尚は言う。彼がここに来て表情を変えたのは、さっき淳に負けが決まった一瞬だけだ。 「ざけんじゃねーよ」 「じゃちょっとやってみるか。麻月と川上、コート入れ」 呼ばれた、由宇也と武はすぐにコートに入って来た。ちなみに由宇也が前衛。 「ちょ…ちょっとじょーだん、今やんのかよ」 「当然おまえ前衛な、水木淳。取り合えず、好きに動いていいから、尚、こいつの動きサポートしてやってくれ」 尚は小さくうなづき、すぐに構えた。 「あーっもうっ」 淳が文句をいいながらも、ネット際に近づくと 「水木、やるな、おまえの弟」 とにやにやしながら由宇也が言った。淳がもう少しで負けるところだったのが嬉しいらしい。顔にざまあみろとでも言いたげな表情が浮かんでいる。 「てめーに関係ねえ」 「まぁな」 由宇也はあいかわらずにやにやしている。ほんっとに面白くない。 しかし、有矢氏の言う事が正しいのはすぐ分かった。尚は淳の取りこぼしそうなところに確実に回り込む。取れそうだと瞬時に判断したら、反対側に走る。とても今日初めてペアを組んだとは思えないほど、完璧だ。 5分くらいラリーを続けたあとで、突然淳はコートを出てしまった。 「どこ行くんだよ、途中だぞ」 由宇也が声をかけ、呼び戻そうとするが、淳は顔だけ振り向いて 「もういいよ、わかったから」 と言う。そして、ラケットをふりあげて、さようならとでも言うように左右に振って 「これ以上やっても、意味ねえ。いいよ、認めるから」 そのままスタスタ歩いていってしまう。ギャラリーは呆気にとられて、それを見送った。 「有矢さん、いいんですか、あれ」 由宇也は不満そうに、淳を指差す。 「悔しいんだろ、言ったとおりだったから。よし、じゃ、テストは終わりだ。各自自分の場所に戻って練習再開するように」 皆はバラバラと散らばって行った。 由宇也は尚に声をかけた。 「すごいね、君。ぼくは麻月由宇也。よろしく」 言うのと同時に右手を出す。尚はちらっと一瞥し、 「どうも」 とだけ言った。由宇也の右手は行き場を失ってしまった。仕方なくそのまま引っ込める。 気まずい。 「もう少し続ける?続けるんだったら、相手するけど」 武が近寄ってきて、尚に声をかけた 尚は首を横に振る 「あんたとやっても意味ないから」 「!?おまえっ!」 「いいよ由宇也、確かに、水木と互角にやりあうやつと、僕じゃ話にならないし」 武はあくまで冷静だ。 「これ返しといて、持ち主わからないから」 尚は武にラケットを渡し、有矢氏に 「合格だったら、荷物送りたいんで、一度家に帰ってきます」 と言った。 「そうか?じゃあ手続してから一度帰れ。家の人には言ったのか?」 「…関係ないです」 有矢氏は、やれやれという顔をした。淳と言い、尚と言い…。 「良くても悪くても、もう決めたんで」 と尚は言うが、親の元から来た場合は親に納得してもらうのが原則だ。例えば毎週必ず連絡するとか、いつでも来たい時に見学できるとかの条件をつける事が多い。中高生が中心だし、まだまだ親も心配だ。****************
「ねー淳、尚が来て嬉しい?」 由利香が淳をおいかけていって聞いた。なんだか楽しそうだ。瞳がキラキラしている。淳と同じ顔がもう一つあるという状況に慣れ、楽しみ始めたようだ。 「んなわけねーだろ。すっげーめーわく」 「なんで?」 「なんでって、そりゃ…」 尚に毎日顔合わせていたくなくて、家出たんだし、と言いかけて、やめた。家族を持っていない由利香にそうんな事言ったらまずいかという考えが、チラと頭をよぎったのだ。さすがに、その程度は淳でも考える。 「ま、いろいろあるって事」 とごまかした。由利香は、尚が現れたという事件に目を奪われているようで、細かく追求はしてこなかった。 ほっとしながらも少し物足りない。その代わり由利香は尚のことを矢つぎばやに聞いてくる。 「ねーねー尚ってさ、好きな食べ物とかも淳といっしょなの?」 「忘れた」 「好きな色とかは?」 「忘れた」 「誕生日…は、いっしょか」 「多分な」 「血液型…もいっしょだね」 「多分」 「…なんか、淳、機嫌悪い?」 「べつに。気になるんだったら、本人に聞きゃあいいじゃん」 「え?いいの?」 「なんでおれに許可とるんだよ」 「なんか、やっぱり機嫌悪い」 「悪くねえよっ!」 「ほら怒ってる!」 廊下で立ち止まって言い争っているところへ、歴史と健範が通りかかった。 「痴話げんか?」 健範が言うと、由利香は不思議そうな顔をした。 「それ、なに?」 淳はなにも答えずに、健範の頭を拳で殴りつけ、さっさと行ってしまう。ただし右手だったから本気じゃない。 「ねーノリ、なによそれ」 「いってえな。…えーとね、痴話げんかってのはー」 健範が説明に困っていると、 「日頃仲がイイ人同士がケンカすることだよ、ユカ」 と歴史が口をはさむ。由利香は納得出来かねるといった表情をしている。微妙にニュアンスが違う事を感じ取ったらしい。 しばらく考えていたが、すぐに、まあいいやという顔になった。 「なんでケンカしてたの?」 「なーんか淳機嫌悪くて」 「尚の事?」 「私が尚の事いろいろ聞いてたら、だんだん不機嫌度が上がってっちゃったみたいなんだ」 健範と歴史は顔を見合わせた。 「やっぱ痴話げんかじゃねーか」 健範が小声で歴史に言う。 「なんでかなー」 由利香は首を傾げながら、体育館の方に歩いて行った。今日はすっかり練習を始めるのが遅くなってしまった。 色々考えるのはアップしながらでもいいや。 二人はそれを見送る。 「ユカわかってないねー」 「だよな」 みんな、他人のことはちゃんと見えているのだ。****************
珍しく真面目にバスケットのシュート練習なんかしていた淳だが、また有矢氏に呼び出された。 部屋に行くと、有矢氏と汀氏がいて、また尚がいる。 いや〜な予感がする 「まだいたのかよ。一度帰るんじゃなかったのか?」 尚はそれには答えず、代わりに有矢氏が答える。 「それなんだが…」 座るように促すが、淳はそれには応じず、すぐにでも部屋を出られるように半身に構えている。 有矢氏はそんな淳の態度は無視して、 「おまえ引越し手伝って来い。明日まで休みやるから」 「やだ。何でおれだよ」 淳は即答する。 「何でって、それ以外誰が適任だって言う気だ?ま、断るだろうとは思ったがな」 「じゃ言うなよな」 「まあ、そう言わずに、一度家に帰って、親御さん安心させて来いよ」 「今さら」 「親はいくつになっても子供が心配なんだぞ。第一おまえまだ15だろう。一番心配な年頃だぞ」 「親に心配かけるような事、もう全部やっちまってんのに、意味ねーじゃん。今さら心配されてもな」 「おまえなあ…。そういうことじゃないだろ」 有矢氏は呆れ顔で淳を見る。まあ素直に、はいそうですか、と手伝いに行くとは思わなかったが。 有矢氏はずっと、なにかのきっかけで一度淳を家に帰らせようと思っていた。基本的にはちゃんと家がある場合は、休みの日など行き来は自由だ。ただしΦでの事はあまり家では話さないように言われている。 一度、姉がやってきた事があったが、どこかへ逃げてしまって淳は会わなかった。そこまでしてなぜ会う事を拒否するのか、有矢氏には理解できない。もっとも、姉の晶(あきら)はその時、 「本当は母が来れば良いのですが、母も意地になっていて、あんな子会いたくもない、なんて言っているんです」 と、困ったように言っていたから、案外淳も意地を張っているだけなのかも知れない。 もちろん母親なのだから、子供に会いたくないわけはないだろう。しかし男の子がいちばん変わる12〜15才という時期を見逃してしまい、それも何をどうやっていたのか12,3才の子が1年間一人で暮らしていたという事を考えると、自分の子ながら会うのがそら恐ろしい気もあるかもしれない。外見は多分尚とあまり変わらないだろうけど、内面にどんなものをかかえてしまっているか、不安になるのが普通だ。しかし、それを見ずに一生いることもできないだろうし、多分心の中で葛藤があるはずだ。 有矢氏もその辺を考えて、淳に自分から会いに行かせたいのだが、なかなか本人がその気にならない。 ため息をつく有矢氏だが、その時今まで黙っていた汀氏が口を出して来た。 おだやかな口調で 「まあ、水木に会うと、お母さんはよけい心配という事もあるな…」 「どーゆー意味だよ」 「相変わらず態度悪いし。ああそうか、お母さんに心配かけないように会わないって事か。うんうん」 「て…てめえ、何言い出すんだよ」 「優しいなあ水木は」 汀氏は一人でうなづいている。 優しいといわれて、思わず頬が赤くなるのが自分でわかった。尚はにやにやして聞いている。 「ハメやがったな…」 「なんのことかな?確かに会わない方が親孝行って事もあるね。わかってるんだなあ水木」 「くっそーっ!」 淳は頬を赤くしたままで、思いっきりテーブルを両手でバンっとたたく。 ものすごくムカつく。だからコイツは苦手なんだ。 「行きゃあいいんだろ!行きゃあっっ!!」 「そうそう、最初からそう言えばいいんだよ」 汀氏はいつもの笑顔で言う。 「…ったく、行くぞ尚」 「着替えてけよ」 と釘を刺される。そう言えば今運動してたんだっけ。 「あと、泊りの用意してけよ」 「なんでだよ」 「今から行って荷物出せるか?」 もう3時を回っている。今からだと夕方になり今日はもう何も出来そうにない。 「めんどい。明日にする。尚いいよな」 「べつにどっちでも」 尚の顔からはにやにや笑いが消えて、また無表情にもどっている。 「今日中に帰らなくていいのか」 有矢氏が訊ねる。尚は何も言わないで家を出てきたはずだ。 「べつに」 「しょっちゅう夜帰らなかったりしてるのか?」 「してないけど、心配なんてしないと思うから」 まったくこの兄弟は。 「さっきも言ったけど……子供の事心配しない親なんて…」 「いるよ」 尚が有矢氏の言葉をさえぎった。 「すくなくとも、あの人、兄貴のことほど、おれのことは心配していない」 尚は立ち上がる 「いつだって、ずっとそうだったから。…電話借りていいですか?入り口にありましたよね」 「あ…ああ」 有矢氏は尚の雰囲気に気圧されて、それ以上言う事は出来なくなってしまった。 「電話、一応してきます」 部屋から尚が出て行たのを確認して、有矢氏は 「水木、そうなのか?」 と淳に振ってくる 「なにが?」 「お母さんがおまえの事しか心配しないって」 「んなわけねーだろ。あいつは、おふくろが心配するよーな事しなかっただけだよ」 「だよな」 「でもあいつ、腹立ててる」 「そうか?」 「あいつがおれのこと、兄貴っていう時はすげー怒ってんだ」 淳は真顔で言った。 「へえ」 「でも、なんに怒ってんだか、わかんねーや。ま、いっか」