1.4. So……,Where Is the Ghost? 〜part1

 
 
  
        
「お知らせします。」  朝食時の食堂に突然館内放送が響きわたった。いつも放送をしている、国語担当の菅原先生の声ではなく、保健の明子先生の声だ。怒りを含んだ口調で更に続ける 「ゆうべ、医務室から、注射器持ち出して、食堂に放置した、不届きものは、直ちに医務室に出頭しなさい。繰り返します。こんな事しそうなヤツはだいたい分かってんだからね。おとなしく白状するように。」 繰り返してないって。しかも、放送口調じゃないし。 ブチっという音を立てて、放送が切れる。 「誰だよ、そんなもん持ち出したの。」  純は呆れた顔で隣の淳に話し掛けた 「第一何に使うんだよ…なあ…って、おミズ?顔色悪い」 「マズイ…かも」 そう言えばゆうべ、由利香が持ち出した栄養剤打って、放置したままだった、と今になって思い出した。明子先生は怒ると怖い。何しろ、自分の健康を人質にとられているようなものだから、めったな事じゃ逆らえない。やっぱ一言自宅にでも連絡入れるべきだったと思ったが、あの時は頭もボーっとして、完全に判断力がなくなっていた。持ち出したのは、由利香だけど、やっぱり悪いのは自分だよな、と観念する。その上、疑われてるような予感がする。 「もしかして…おまえか?」 「んなとこ」 「それか?」  純は、淳の腕のバンソウコウを見る。 「ヤクでも打ったか?」 「ちげーよ。」  淳は立ち上がって、お盆を取り上げた。まだ半分以上残っている。 「残すんだ?珍しい」 「ソッコー行かねーと、向こうから来そう。」  重い足取りで片付けに行くと、洗い場のおばちゃんたちに珍しがられる。お代わりはしても、残す事なんてめったにないのに。 「もしかして、あれ、やったの、水木くん?」  一人のおばちゃんが、小声で聞いてくる。彼女が最初に来て、発見した。血がついた注射器と空っぽのアンプル、それに何箇所か床に血の跡もあって、何事かとすごくびっくりしたらしい。そりゃそうか 「ゴメン。」 「一体、何したの?」  説明していると長くなるし、由利香の名前出さなきゃいけなくなる。適当に 「ちょっと、怪我して」 と答えると、おばちゃんは信用して 「そう?気をつけてね。怪我多いんだから。」 と言ってくれた。  確かに淳は怪我が多い。と言うか多分、怪我をしないようにする注意を怠っている。怪我ってものをしちゃいけないものだと思ってないのかもしれない。ほとんどいつも、どこかを怪我して包帯巻いたり、バンソウコウ貼ったりしている。そのくせ、手足を折ったりとかはあまりしない。動けなくならないように、本能が働くのかも知れない。  嫌だな、とか思いながら医務室の前まで来ると、由利香が今まさに部屋に入ろうとするところだった 「ちょっと待てって、ユカ」 ドアを開けようとしている手を押しとどめる。由利香は不思議そうに淳を見る 「なんで淳がいるの?」 「なんでって…おれのせいだろが。」 「え?だって、持ち出したの私だよ。」  そりゃそうだけど。 「ユカはいいよ。」 「どーして?」 「おれが頼んだみたいなもんだし」  二人で押し問答していると、ドアが勢い良く開いた。明子先生が怖い顔で仁王立ちしている。どちらかと言えば小柄な彼女は、日頃は病人にも、けが人にもとても優しい。いろんな悩みの相談にも乗ってくれる。親元を離れている思春期の彼らにとって優しいお姉さんのような存在だ。しかし怒ると… 「やっぱり、あんたね!水木淳」 「やっぱりって…ひでーな、めーこさん。」 「先生、持ち出したの、私!」 由利香が割って入る。明子は由利香の頭を撫でて 「いい子ねー、こんなの庇わなくていいのよー。」 と、言った。 「こんなのって…」 「本当なんだけど。」  由利香は信じてもらえなくて不満そうだ。罪を押し付けるみたいで気分が悪い。由利香にしてみれば、自分が持ち出したからああいう事になったわけで、淳がちょっと集中力なくなってたのはわかってたんだから、自分が片付けなきゃいけなかったと反省しているわけだ。  そんな由利香の気持ちも知らずに、明子先生は、 「ユカちゃんはいいから、行きなさい。私は今から、こいつと話さなきゃならないから。」 「え、でもホントに私なんだけど。」  いいからいいからと由利香は部屋から押し出され、淳は由利香にちょっと手を振って、医務室に消えていった。  後に残された由利香は、釈然としない面持ちで閉まったドアを見つめる。こんなに信用されてていいんだろうか。 「私…そんなにいいコじゃないのにな…」

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「で?」  ベッドに座らされた淳の前に立ち、腕組みをした明子先生は上から見下ろすようににらみつける。大きなため息をついてから 「なんだって、注射器なんて持ち出した?危ないでしょ」 「おれ、昨日すっげー疲れてさ、点滴打ってもらおうかと思って、医務室来たら、誰もいねーじゃん。しょーがねーから自分でうとうかなーって。」  と、スラスラ答える。基本的には間違っていない。  明子先生の目が、キラっと光った。  「…ウソついてるよね」 「え?」  ギク。ええと?何かへんなところあったっけ? 「なんでここで打たなかったの、じゃあ」 「…あ。」  それもそうだ。 「ええと、それは…、ほら、医務室って一人でいると、なんか嫌じゃん。」 「私はいつもひとりでいるんだけどな。」 「めーこさんは、神経図太いから…いてっ!」  明子先生の怒りのゲンコツが淳の頭に落ちる。 「ひっでー暴力保健教師。」  淳の抗議は無視して、彼女はさらに 「じゃ、きくけど、なんで自分の部屋でやらなかったの?そのほうが自然じゃないかな?」 と、言葉を続ける。 「いや、4階まで登る気力なくて。」 「ふ〜ん。途中にロビーとかもあるし。」 「おれ、食堂好きで、あそこが一番落ち着くんだよねー。」  口からでまかせの淳の言葉に、明子先生は呆れたように 「じゃ、それは良いとして、なんで血なんて垂れてたの?」 「針抜く時、ちょっと失敗しちまってさー。」 「ほんと?」  明子先生は、淳の目をのぞき込むようにしてきいた。 「ほんと。」  淳も負けずに目を見返す。  数秒間そのままで見つめあい、明子先生はまたため息をついた。そして肩をすくめ 「ま、いいか。誰かばってるか、想像つくし。」 と言った。 「その気持ちに免じて、騙されてあげるよ。ただし」 と、身を乗り出す。 「ちゃんと罰は受けてもらうからね。昼休みと夕練(夕方の練習ね)の前のそれぞれ一時間、ここで手伝いしなさい。一週間」 「げーっ!」   昼休みと、学習時間から練習が始まるまでの貴重な休み時間がなくなるのは、キツイ。夜の睡眠時間が短い彼は、だいたいそこで仮眠したりするのに。 「嫌なんだ?へえ〜?」  腕を組みなおして、淳をまたにらむ 「嫌なら、彼女にやらせてもいいんだけどなー」 「彼女…って?」 「言って欲しい?」 「…いい…。わーったよ、やりゃあいーんだろ、やりゃあ。」 「それから…」  と、今度は、腕組みを外して、真剣な顔になって、また淳の顔をのぞき込む 「もう、ぜーったいやらないこと。あそこ、麻酔薬もあったんだよ。」 「うそっ!?あいつ、自信満々で、生理食塩水と栄養剤だけって…。」 「あいつ?」  明子先生は、にやっとした。 「あいつって?」 「え?あ…あいつ…あいついで、いろいろ危ない事になっちゃうなあ…って。」 「はいはい、もういいから。」 と、ぽんぽんと軽く頭を叩かれる。 「君はねえ、ウソはつけるけど、気を許した相手だと、時々ぽろっと本音がでちゃうから、気をつけなね。ま、そこがカワイイとこだけどさ。それがなかったら、ほんと小憎らしいガキでしかないからね。はい、行ってヨシ!忘れるな、昼休み。」

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 しかし、淳は忘れた。 食事後、食堂でそのままうつらうつらしていると、とたんに放送が入る 「注射器事件の容疑者は、すぐ医務室に出頭しなさい。しない場合は真犯人究明して、公表する。以上」  純が声をかけようとしたその瞬間、淳は弾かれたように飛び起きた。そして 「やっべー!」 と、叫ぶと医務室まで猛ダッシュして行った。 「いっそがしいヤツだな。」 「多分5秒くらいで着くわね。」  いっしょにいた愛が、くすっと笑う。  由利香は複雑だった。直接やったのは自分なのに。淳は 「ユカが注射器持ち出したなんて噂になったら、なんかマズイじゃん。おれだったら、なにやってんだあいつ、ですむけど。」 なんて言っていたけど、本当にいいのかな、と思う。少なくても半分は自分の責任なのに。借りを作ったみたいで気になる。多分淳の方はそんな事思っちゃいないだろうけど。 「ユカ、どうしたの?おミズ行っちゃってつまんない?」 「そんなんじゃないよ。淳がさ。」   言ってしまおうかと思ったけど、淳がせっかくああ言ってるのに、それを無にするのもなんだし。さっき、いっしょに謝っちゃえば良かったなと思う。でも謝らせてもらえなかったし。  「ねーラヴちゃん、私って、いいコ?」 「え?」  愛は純と顔を見合わせた。由利香が唐突に妙な事言い出すことはよくあるけど、今度は一体なんなんだろう。ゆうべナオでは別にそんな話はしていなかった。 「私、別にいいコじゃないのにさ、結局みんな子供扱いしてるって事だよね。」 「ど…どうしたの?何かあったの?」 「別にー。あーグレちゃおうかなー。」  愛と純はもう一度顔を見合わせた。

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 淳が医務室に7秒で到着した時、まだ医務室には誰もいなかった。そしらぬ顔でそのへんを片付けるふりをしていると、明子先生が戻ってきた。淳を見ると、あら、といった顔になる 「来てたの?」 「あったりまえじゃん。おれが忘れるわけ…」 「どうせ放送聞いて飛んできたんでしょ。額に汗かいてるよ。」  思わず額に手を当てると 「うそ。」 と、言われる。考えてみたら7秒走ったくらいで、汗なんてかくはずがなかった。だまされた。  明子先生は白衣を脱いで、ハンガーにかけながら 「お昼食べてくるから、留守番してて。」 と、言った。白衣の下は鮮やかなブルーのワンピースだ。こうしてると結構女らしいのに 「誰か来たらどーすんの」 「簡単な怪我の治療くらいできんでしょ。自分でしょっちゅう怪我してんだから。大変そうだったら食堂に呼びに来なね。ほーんと助かるなー、君が手伝ってくれて。」  そんな事を言って鼻歌を歌いながら行ってしまった。  昼休みはいろんな相談に来る人もいたりして、いつもは結構忙しい。終わってからやっと一人で食堂で食事ができる状態だ。メニューが片方売り切れてたりする事もよくあって、悲しい。今日はちゃんと2種類から選べる事だろう。 「いーのかよ、おれの治療で、責任もてねーぞ」  ぶつぶつ言いながら、医務室の中を見回す。よく来てはいるけれど、こんな風にゆっくりと見るのは初めてだ。壁の棚には、マル秘と書かれたファイルがぎっしりつまっている。何気なく出してみたら、個人の名前が書いてある。個人のデータファイルらしい。年に一度身体測定と体力測定があるので、多分それを記録したものだろう。ABクラスだからと言って、必ずしも、全ての測定値が高いとは言えないのが面白いところだ。ただし、特徴的にずば抜けて高い項目が、必ず2,3個ある。要はそれを活かして、自分の得意分野の能力を高めて行っているわけだ。本当はAクラスには苦手を克服すべく努力して、オールマイティのプレイヤーになる事が期待されているのだが、実際にはなかなか難しい。 ファイルを戻し、外の明るいグラウンドを見ていると、誰かが入って来た。淳を見ると 「な…なんで、水木くんがいるの…」 と、驚いた。たしかCクラスの 「ええと…田宮さん…だっけ?」 「田口。田口美奈子。」 「あ、ごめん」  でも、まあ淳にしたら、覚えてた方か。ABクラスとCクラスはお互い顔ぐらいは知っている。女子同士、男子同士は一緒にプレイするので何となく名前くらい覚える。多分Cクラスの方ではABクラスの名前と顔は一致しているのかもしれないが、あまり関心がないと、いつまでたっても顔と名前があやふやなままだ。正式なユニフォームを着ていれば、名前も入っているけれど。 「じゃ、座って、これ書いて。クラスと名前と年齢」 と、来室者名簿を渡す。美奈子は促されるままイスに座って名前を書く。 「田口美奈子…18才…と。だから、なんで水木くんがいるの?」 思い出してもう一度きく。 「留守番。保健委員の真似事してんだ。どーしたの?」 向かいのイスに座りながら淳がきくと、美奈子は左手を出した。薬指の第2関節がはれている。 「突き指だと思うんだけど」  淳は手を取って、腫れているあたりをさわってみる。 「んー、多分単なる突き指だよな。骨とかは折れてねーと思うけど…。動くっしょ?…って、何見てんの?」 「いや…キレイな二重の目だなあと思って。」 「二重ぇ?ばっかじゃねーの。あんたおれの顔なんて見慣れてんでしょ」 身もフタもない。目なんて一重でも二重でも見えりゃあいいとでも言いたげな口ぶりだ。いや、多分本気でそう思ってるけど。 「こんなそばでは見たことないもの。」 「そんな面白いもんでもねーと思うけど。あ、指、ひっぱったりした?」 「ひっぱっちゃった。」 「よく、突き指した時、引っ張るけど、止めたほうがいいよ。突き指したら、とりあえず、固定しながら」 と言いながら、テープで関節を固定する。片手を伸ばして冷蔵庫から、氷をビニール詰めした物を出して渡す。 「とにかく冷やして。明日になっても腫れ引かなかったらまた見てもらって。」 「ありがとう。」  美奈子は立ち上がって、軽く会釈をして部屋を出た。  医務室のドアの外で、思わずフフっと笑いが込みあげてくる。スキップしながらグラウンドに向かう。友達に、淳に治療してもらった事を自慢しに。
  
 

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