1.5. Don't Ask Him the Past. 〜part1

 
 
  
        
いつものように、いつもの朝の打ち合わせ。有矢氏が前で話している。いつもは一人だが今日は汀氏もいっしょだ。 もうすぐ8月の朝8時の空は、朝から真っ青に晴れ渡っている。エアコンは居住区以外は9時まで入らないので、かなり暑い。朝練こなしてきた、疲れた体にはかなり、キツイ。ここでも、あそこでもうとうと居眠りしているやつらが目立つ。 「おまえら、ちゃんと聞け!大事な話するぞ!」 と言う大声に、目をこすりながら顔をあげた歴史は有矢氏と目が合った。 「起きたか、曽根。ついでに後ろのやつも起こせ。」  後ろでは淳が机に突っ伏している。朝から30`走った上に朝食も力いっぱい食べて、すっかり熟睡モードだ。 「ここまで堂々と寝られると、怒る気にもなれん…」 「おミズ、起きなよ!」  声をかけるがその位で起きれば苦労しない。歴史がどうしようと悩んでいると、その後ろに座っている尚が、黙って思いっきり淳の座っているイスを蹴飛ばした。 「てっめー!何すんだよっ!」 「ほら、起きた」  尚は平然と言い放つ。 「乱暴な起こし方だな。ま、いいか。」 「よくねえっ!」 「寝てるのが悪いんだろ。プリント配るから、みんな目を通せ。」  プリントが前から回される。見ると、今度ある大会の要綱だ。年によっていろいろな季節に開かれるが、今年は10月らしい。思えば昨年は真夏の、アメリカの砂漠のど真ん中で(そこに本部があるからね。)、それだけで体力消耗して大変だった。尚なんか入ったばかりで、半月にわたるハードな大会にさすがに面食らっていた。  プリントに目を通した者がザワザワと騒ぎ出す 「なんだよ…これ」 「これじゃ、まるで…」 「そうだ、日本支部潰しだ」  有矢氏は言い切った。  去年は総合優勝した。結構資産が潤って、あちこち改築できたりして助かったものだ。しかし今年の種目からは、去年ここが優勝したり、いい成績を残したものがことごとく削られている。  先日の監視カメラの事と言い、今回と言い、なんか恨まれてでもいるような気がする。 「おまえ出るもんないぞ。」  純が隣でまだ眠そうにしている淳にプリントを示す。去年出た種目が一つも残っていない 「じゃ今回おれ、パス」 と、また眠りに入ろうとすると 「あほかーっ!」 と一斉に突っ込みが入る。  一つも種目が残っていないって事は、逆に言うとみんなそこそこ良い成績残したって事だ。それで『パス』っていうのは、許されるわけがない。 「あーホントだ男子テニスないや、つまんなーい」  由利香が声を上げる 「淳と尚のペア面白かったのに」  面白かったのは、日本支部の人間だけで、多分ほかは面白くなかったはずだ。汀氏の予想通り、確かに圧倒的に強かったから。逆上型の淳を、尚が上手く押さえて、珍しく審判とも相手ともケンカにもならなかったし。シングルスの時はケンカしてたけど。でもまあ、どこで覚えたのかカリフォルニア訛のある英語で下品な俗語を駆使して早口でまくしたてる淳というのも、大会の一つの見ものなので、それはそれでオッケーだ。 一応『プロ』のスポーツ選手で、観客もいたりするので、要は試合が面白ければ良いわけだ。ただ見に来るのは地元のアメリカ人なわけだから、アメリカが強いほうが多分ウケは良い。 「アメリカンフットボールなんてできるわけねえよな、不合理だ」 「ノリ、それ言うなら不条理」  歴史が訂正する。 「んなもん入ってんのかよ。あいつら去年バスケ負けたのがよっぽど口惜しかったんじゃねーの」 「おまえが調子に乗って、得点王とか取るからだろ。」  由宇也の言葉に 「あの日、すっげー調子よかったんだよな。」 と、淳。確かに何かに乗り移られたように絶好調だった。 「ミネも調子良かったよね。」  純は、自分が調子が良かったというより、その日は淳の動きがいくつか先までなぜか見えて、コンビネーションが上手くいっただけの事だ。とかく一人で突っ走る淳は、サポートの良し悪しで結果がコロっと変わってしまう。  まあいろいろな条件が重なっての好成績だったのだが、それが本部は気に入らなかったのだろう。 「あとは、トランポリンとか、飛び込みとか、ラクロスとか目新しい競技が多いな。本部ではこのへんも日頃から扱っているという事か」  有矢氏はため息交じりで競技種目をチェックする。 「あと、トライアスロン…か。と言うか、アイアンマンレースだな」 と言いながら淳をチラと見る。 「な…なんで、おれ見んの」  トライアスロンは、水泳、自転車、ランを組み合わせた競技だ。もともとは3競技を3日に分けてやっていたらしいが、どこかで間違って1日でやる事になってしまったらしい。競技時間が長時間にわたるため、大変な精神力と持久力が必要となる。中でもアイアンマンレースは水泳3.8キロ、自転車180キロ、その後にフルマラソンという過酷さだ。はっきり言って完走だけで至難の技。 「水木しかないな」  汀氏はもうメンバー表に淳の名前を書き込んでいる。 「なんでっ!おれ、すっげー泳ぐのおっせーのにっ!」 「長距離ならそこそこイケるだろう。最後のマラソンで巻き返せ」 「んな無茶な」  パチパチと拍手が起きる。みんなこれだけはやりたくないと言う顔をしている。 「あ、ほら、おれマラソン出るし。両方はむりっしょ。」 「今年はマラソンはない」 「うっそー。激ダサ」  競技の花形マラソンがないなんて。汀氏が口を出す。 「これは多分、水木が出られないと踏んで種目になってるんだぞ。バカにされてるが、口惜しくないのか?」 いつもの心理作戦に出た模様。 「口惜しくなんかねーよ。水泳ビリなの分かってんのに、誰が出るっつーの」 「ビリから巻き返すのカッコいいぞ」 「いいっつーの。それに致命的な理由がある」 「なんだ、致命的って」 「おれ、自転車って乗れねー」  一瞬沈黙があった。  その後一斉に 「うっそだーっ!」 の声。 「16にもなって、なんで!?」  「な…なんで、運動神経めっちゃくちゃいいおまえが自転車乗れねえんだよ」 「いや…なんか機会逃したっつーか」 「あ…そう言えば」  尚が思い出した 「練習がやだったんだよな、おまえ」  確か幼稚園くらいの時、いきなり補助輪無しで乗ろうとして、当たり前だけどコケた。母親に、練習しないと無理よ、と言われ、その『練習』という言葉に拒否反応を起こしたんだ、たしか。ちゃんと練習した尚が自転車乗り回すのを尻目に、自転車と同じようなスピードで走って付いて行っていたから走るのは早くなったんだろうけど。 「練習が嫌って…、ば…ばかか、おまえは!!」  有矢氏が大声を出した。 「自転車くらい乗れるようになっとけ!とにかく、おまえ今回これくらいしか戦力になりそうにないんだから!絶対勝て!」  これくらいしか戦力になりそうにないってのもずいぶんな言われようだが。 「勝てったって…なー」  汀氏はいつの間にか淳のとなりに立って、にっこり笑う。 「じゃ、水木は最後のマラソンで誰かが自分の前にゴールしても平気なわけか?」 「すげーやだ」 「そうだよな。じゃあ練習しないとなあ。がんばれよ」 と、ポンポンと頭をたたく。有矢氏が檄を飛ばす。 「とりあえず明日までにロードレース用の自転車乗れるようになれ!わかったか?」 「明日ぁ!?」 「あともう一人…と。」  有矢氏はみんなを見回す。皆目が合わないように思わず目を伏せる 「尚だな」 と汀氏。 「なっ…なんでっ!?」 「水木、尚には負けたくないだろ?頑張らなくちゃなあ」 「おれは当て馬かよ」  尚の呟きを汀氏が聞きとがめる。 「もちろん尚も負けられないよな。まあ、お互い高めあって頑張れ」 「くっそぉぉぉぉ」 「という事で、水木兄弟は今年は、ラクロスとトライアスロン二本立てということで。」 「ラク…ルールも知らねーのに」  とりあえず名前と、どんな競技かくらいは知っている。ネットのついたスティックでボールをパスしながらゴールを目指せばよい。ゴールの前には、ゴーリーと呼ばれるキーパーがいる。 「ラクロスのユニフォーム可愛いよねー」  女の子達ははしゃいでいる。  確かに女の子はポロシャツにミニスカート、スパッツの可愛いユニフォームで、防具もなく運動量は多いがわりと軽めだが、男子の場合はホッケーなみの防具が必要になる。ということはかなりハードなぶつかり合いなどもあると言う事だ。 「今回、団体の球技はこれ以外はアメリカンフットボールだけだから、外すわけにいかないだろう。他の国だってラクロスなんてやってないはずだから、たとえ本部が手がけていても2位になれる可能性はある」 「それで怪我したら、後できねーじゃん」 「という事でラクロスは最終日だ。思い残すことなく暴れられるぞ。人数多いからABクラス全員出ても足りないからな。Cから何名か選んで、あとは補欠だな。女子も補欠含めて数人選ぶのでそのつもりで」

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「だからおれはあいつがでぇーっきれーなんだ」  更衣室で運動着に着替えながら、淳が純に汀氏の事をボヤく。 「思えば最初っから、あーゆーやなヤツだった。」 「ンな事言ったって、実際問題として、おミズが出るしかないだろうが。」 「泳ぐの激遅くて、自転車乗れねーおれが、かよ」 「自転車なんて乗れるようになるだろ、すぐ。っつうか、ホントに乗れねえのかよ。そっちがびっくりだって。」 「ヘンじゃん、自転車。」 「何が」 「なんであんな細いタイヤで倒れねーんだよ。ぜってーみんなダマされてやがる。」 「走ってるから倒れないんだろ」 「なんで走ってると倒れねーんだよ!?」 「それは…う~ん」  考えてみると、そういえば不思議な気がする。頭の中をモーメントだの慣性の法則だの、摩擦だのといった力学的な言葉が浮かんでは消えてはいくが、淳の 「走ってたって、タイヤの幅は変わんねーんだぞ。上に人が乗ったら重心だって上がるし、すげー不安定じゃん」 という言葉の方が感覚的に正しい気もする。 「そう言われてみると…」 「なっ!」 と正面から純の両肩をつかんで、自信満々に言われると、純はだんだん自転車は倒れる方が自然な気がしてきた。 「ミネ!だまされちゃダメだよ!」  歴史の言葉にはっと我に返る 「おミズ、ミネの事引き入れて、トライアスロンに出なくする味方してもらおうとしてるだけだよ!」 「人聞き悪ィなぁ」 「お〜ミ〜ズぅぅぅ」 「諦めろよ、淳」  着替え終えた尚が、淳の肩を叩く。 「おまえ確かに今年はこれで頑張るしかないって。」 「てめーはどーなんだよ。」 「おれは諦めた。格闘技とかやらされるよりマシだ」  そう言えばレスリングとかもあった。 「おミズも向かないよな、格闘技系。相手殺し兼ねないもんな。」 「向かねー。前やったときさあ、相手にヘンなトコ触られて、すっげームカついた」 「おミズ…それは、ムカツクとかの問題じゃないんじゃないのか?」 「それって触った方わざと?」  歴史が恐る恐る聞く。 「知るかよ。半殺しにしてやった。失格したけど、相手ももう試合続行不可能だった」 「淳が相手をそういう気にさせるから悪いんだろ。」  尚がしれっとした顔で言う。 「てめーは、またそーやって人を万人向け万年発情発生装置みたいに扱う。」 「あ、それナイス。」 と純。 「ユカには効かないけどね」 と歴史。…なかなか鋭いところを突いてきている。 「否定しろよなっ!てめーら!」 じゃあ自分で言うなって。 「はは…。まあ頑張って、自転車の練習しろよ。乗れるようになると世界が広がるって。」 「ミネ、練習付き合えよ」 「尚とすりゃいいじゃん。おれはおれの練習あるし」 「ミネ最近つめてーの」  トライアスロン用の自転車は、いわゆるマウンテンバイク仕様の物で、普通の自転車とは当然異なる。競輪などに使う車体がやたら軽いものともまた異なる。途中どんなアクシデントがあるかも分からないので、整備の仕方も覚える必要がある。 「おれが付き合ってやるって。」 「ったく、このトシになって自転車練習するハメになるとはよ」 「おれだって自転車の練習につきあうハメになるとは思ってもみねえよ」 「だいたいあんのかよ、ここに」  有矢氏は体育館の倉庫にあるはずだと言っていた。二人で倉庫に行って見ると確かに自転車は何十台もならんでいる。小さい子供用から、通学用に使うような、前籠のついた普通の自転車(通称ママチャリ)、そして競技用の物が何種類か。今まで自分と関係ないと思っていたので全然目に入らなかった。 「で?どれだ?」 「多分、こんなの」  尚は中から一台抜き出した。少しタイヤは太めで何段階かギヤも切り替えられるようになっている。 「押さえてるから、座ってみ」  尚に言われるまま腰をおろしてみる。当然ドロップハンドなので、かなり前傾の姿勢になる 「この体勢でペダルこげっつうの?ぜーってー腰に来る」 「だから、腹筋と背筋鍛えないと、持たないな」 「おれに筋トレしろと」 「あと、ももの筋肉使うから、スクワットとかな。」 「泣きてー」  自転車を降りてもう一度 「なんでおれだよ」 と愚痴る 「今回諦めわりーな」 「午前中いっぱい位、嘆かせろ。」  大きくため息をつくと、自転車を押す尚にいやいやついて外に出た。 「どこでやる?」 「脇のほう。」  目立つところはさすがに気が引ける。後悔はしないといつも言っている淳だけど、今日ばかりは小さい頃に自転車くらいのれるようにしておくべきだったとちょっとだけ思った。一瞬だけど  サドルにまたがり、尚が後ろを押さえる。荷台とかがついているわけではないので、掴みにくい。そろそろとペダルに足を乗せて、漕ぎ始めようとした瞬間……そのまま右に倒れた。 「いってー。」  さっそく膝と肘に擦り傷ができた。 「尚、てめーわざと放したろ」 「おまえがバランス悪いんだろ。その、右が下がる癖、直せよ」  淳は体が微妙に右に傾く癖がある。ちょっと見ただけでは分からないが、普通に立っている時でも実は右が下がっている。直せといわれてもなかなか直らない。ただし走っている時だけは真っ直ぐになっているから不思議だ 「そーゆー尚は、左が下がるじゃねーか」  「余計な事言ってないで、はいもう一回」  また、思わずため息が出てしまう。右に傾かないようにバランスをとっていると 「ペダル踏めってば」  踏むと、また傾きかける。尚が押さえてどうにか倒れずにはすんだ。バランス取ると、今度はペダルが踏めない 「ちょ…ちょっと一休み」  淳は足を地面につけて、頭をハンドルに乗せる。ほとんど進んでないのに、汗びっしょりだ。 「1mも進んでないぞ」 と言いながら、尚も額の汗をぬぐいながら、地面に座る。 「尚思い出せよ、練習した時の事。」 「知るかよそんなの。」  もう十年以上前の事だ。補助輪つきの自転車に乗っていた覚えはないから、多分いきなり普通の自転車で練習したのだろう。坂でブレーキ利かなくて道の脇の雑木林に突っ込んだり、砂利道で転んで膝に小石がめり込んだりという事は覚えがあるが、どんな順序を踏んで乗れるようになったかは記憶にない。父親が後ろを押さえていてくれたのだけは覚えている。それにあの時は子供の体重だったから父親も支えられただろうけど、いくら淳が軽めでも尚一人でおさえるのはかなりキツイ。  もう一度バランスとって、ペダルを踏む。フラフラっと車体がゆれて、片足をついてしまう。はあ〜っとため息。  しばらくそんな具合にノロノロとバランスとりながら転ばないようにペダルを踏んでいるうちにだんだんイライラして来た 「くっそー、このやろー、人間様をなめんじゃねえ!」 「キレるなよ。」 「もう、あったま来た。尚、もう押さえなくていいっ!」 「へ?」 「体で覚えるっ!」  そう宣言すると、淳は呆気に取られている尚を尻目に、支えもなしにいきなり、ペダルをすごい勢いで漕ぎ出した。  当然2,3回でバランス崩して倒れる。また右だ。今度は手で体を支えたため、手のひらを擦ったようだ。 「いっでぇぇ。」 「言わんこっちゃねえ。大丈夫かよ」  淳は返事もせずに、もう一度それを繰り返す。今度は顔から落ちた。 「あってーっ!」 右目の脇あたりにぶつけたあとができている。 「あーもう、大丈夫かよ」 「っせー!」  再度ペダルを漕ぐ。繰り返しているうちに、それでも少しづつペダルを漕げる回数が増えていく。その分ケガも2倍3倍と増えて行く。 やがて、10回くらい漕げた、と思ったら、石につまづいてつんのめるように自転車が前に向かって倒れ、体が前にほおり出される。とっさに頭だけ守って受身の体勢をとって転がったが、自転車は反動で逆の方向に滑って行った。 「やばっ」  尚は自分に向かって滑ってくる自転車をよけるのに精一杯。止めることもできず、自転車はそのまま壁に激突した。ハンドルがぐにゃりとまがり、再起不能だ。 「あっちゃー、やっべー」  それを横目でみながら、淳は仰向けに大の字になって空を見上げる。 「でも今、結構乗れたよな」 「まあな。でもすごい顔だぞ淳。」 「そっか?見えねーから気になんねー、何時だ今」  尚は時計を見上げる 「そろそろ昼だよな。」  そんなに時間がたっているなんて全然気が付かなかった。 「飯食いにいこーぜ」 「その前にシャワー浴びて着替えろ。マジすげえから」  全身の擦り傷、切り傷、打ち身は多分30箇所を下らない。当然服もあちこち破れているし、ドロだらけだし、食堂にふさわしい格好ではない。 「ふ〜ん。尚が言うなら、従ってやるよ。」 と勢いをつけて立ち上がる。 「自転車片付けといてやるから、行ってこいよ。」 「尚!」 「なんだよ」 「いいやつだなーおまえ」 「抱きつくなっつうの!おれまでドロだらけになるだろうが」
  
 

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