1.5. Don't Ask Him the Past. 〜part2
部屋に戻って、洗面所の鏡に写った自分の姿は確かにちょっと見ものだった。今まで気がつかなかったが、口の中も血の味がするところを見ると、切ったのかもしれない。大きなケガはないが特に右腕が、擦り傷と打ち身で赤と青のだんだら模様のようになっている。顔にも擦り傷と打ち身がひとつづつできている。 「う〜ん。たしかにすげーや。」 と自分でも感心する。 それでも何も考えずにシャワーを勢いよくひねってしまった 「………っつうぅぅぅっ」 思わず息が詰まった。擦り傷にシャワーはキツイ。お湯が触れるだけでもしみるのに、勢いのあるシャワーが当るのは、傷口を力いっぱいこするのと大して変わらない。 「バカかおれは…」 しばらくすると、感覚が麻痺してくる。傷を洗っていいものか悪いものかしばらく考えた後、結局考えるのがいつものように面倒になって、ええいとばかりこすってしまって、また息がつまる。 本当に擦り傷というのは厄介だ。傷自体は大した事はないのだが、日常生活には結構支障をきたす。また右手使えなくなってるし。またカレーかと思って、口の中に傷がありそうな事を思い出す。……大丈夫だろうか。カレーって沁みそう。 シャワーを浴びる前より明らかに悪化したような気がする傷を見ながら、体を拭いて(また、これが痛い)服を着る。 部屋を出ると尚が待っていた 「なんか、さっきよりやつれてるぞ、淳」 「うん…。疲れた。」 とだけ答えて、食堂に向かう。 食堂ではみんなまだ昼食の真っ最中。大会という共通の話題があり、今回特にみんないいたいことがたくさんあるので、珍しくほとんどのABクラスがあつまっていっしょに食べている。二人が入っていくと、ザワザワと声が上がった 「ど…どうしたのっ!おミズ!顔!」 温が立ち上がって叫んだ。 「顔より腕のがいてーんだけど。」 淳はランチのメニューを検討しながら振り向きもせずに答える。 今日のランチはけんちん汁つきの三色丼とクリームシチューつきのサンドイッチ。三色丼には鶏のから揚げとキャベツの千切り、白菜の浅漬けがついていて、サンドイッチにはコロッケとレタス、ゼリーがついている。実はここの食事は昼が一番ボリュームがある。 「で…でもっ、顔がっ!きれーな顔に傷がっ!」 大騒ぎをする温に 「うっせーよ、温ちゃん。顔なんてついてりゃいいんだよ」 と不機嫌そうに返す。結局カレーを選び、空いていた由利香の隣に腰を下ろす 「だいじょーぶ?」 「なにが?」 「ケガ。」 「いつもの事だろーが……って、ユカ!!」 何気なく由利香を見て、思わずスプーンを落とす。 「何よ」 「おっ…おまえ髪切ったろ!?」 場がざわつく。そうか?とか、かわんないよね、とか 「うん」 へーそうなんだ、ざわざわ、気がつかなかったね、ざわざわ 「ばっかやろー、なんでおれの許可無しに、んな事すんだよ!」 「はあ?」 まわりが呆気に取られて、淳を見る。 「なんで淳の許可がいるのよ!淳こそばっかじゃないの!」 由利香の抗議に、淳は 「なんでって、…いるんだよ!あーもう、こんな切っちまって…」 とわけの分からない主張をする。 「おミズ髪フェチだっけ?」 千広が隣の武に小声で聞く。武はおかしそうに 「ユカのだけね」 と、答える。 「なるほど」 「おミズ、おミズ。わたしには、ユカの髪切ったようにみえないよ。」 花蘭が由利香をみて、不思議そうに言う。みんな、うんうんとうなづいている。 「切ったよな」 「うん。」 「3cmくらいか?」 「うん。そのくらい」 「3センチィ!?」 一斉に声が上がる。由利香の髪は腰くらいまである。それを3センチ切ったって、普通は気づかない。 「よく気がつくよね、おミズ」 さすがに歴史の声も、呆れたという色が濃い。 「別に、いいじゃねえか、3センチくらい」 と健範 「おミズの顔の傷のが、よっぽど問題だぞ。」 「よくねえっ!」 スプーンをつかんで、柄でテーブルをダンっとたたく。 「手触り変わるだろうが!」 「てざわり…って、何だよ?」 「だから、こーやって」 スプーンを置いて、左手を伸ばし、由利香の髪を触る。上から下に撫でるようにしながら 「触ると、髪切ったとこで、ブチっと切れるだろうが。それがやーなんだよ、おれは。」 と言い、またスプーンを持って、カレーを食べ始める。 みんな何がおきたのか理解しようと、淳と由利香を見比べているが、二人とも何事もなかったかのように口ゲンカを続けている。 「そんなに長い髪がいいんなら、自分で伸ばせば!」 「アホかっ!自分で自分の髪触って何がおもしれーんだよ。変態か、おれは!」 「ねーミネ」 歴史が頬を赤らめて純に聞く 「あーゆー事って、人前でやっていいの?」 「おれに聞くな」 「人前だから、まあいいかって部分もあるけどね。」 と、武。 「お願いだから、ややこしい発言しないで欲しいんだけど」 ガタン!イスが倒れる音がした。 みんな二人から目を離し、音のした方を見る。由宇也が立ち上がり、怒りで顔を真っ赤にして、淳をにらみつけていた。 「み〜ず〜きぃぃぃ、てめえ。このやろうぅぅぅ」 「あ〜あ、スイッチ入っちゃったよ。」 誰かが小声で言った。 「てっめえ、いっつもそんな事してんのかぁ!」 「そんな事?って、これ?」 もう一度、由利香の髪を撫でる。 「あー、バカ」 純が頭を抱える。 「こんのぉやぁろぉぉ」 「やめろっ!」 「落ち着け由宇也!」 テーブルの上に飛び乗って、淳に跳びかかろうとした由宇也を、純と武と千広が三人がかりで押さえ込む。テーブルの上の食器が床に落ちて散らばり、半分くらいが割れる。 「放せっ!こいつ一発殴らねえと、気がすまねえっ!」 「おミズのばかは、今に始まった事じゃないだろっ!」 由宇也は三人の腕を、必死にすり抜けようとするが、押さえる方も必死だ。 「おミズ!逃げるとかしろよ」 「な〜んで。なんも悪ィ事してねーじゃん」 淳は平然とカレーを食べている。時々口の中の傷に染みるのか『イテ』っとか言いながら。 「ねえ、由宇也」 それを見ていた由利香が不思議そうに聞く 「なんかマズイの?」 「え?」 由宇也はしばらく、まじまじと由利香の顔を見、それから淳の顔を見る。 「ユカ、あのさー」 歴史が口を出す。まだ頬は赤い。 「あんまり、髪の毛とか人前で触らせない方がいいと思うよ。」 うんうんとみんなうなづく。 「なんで?」 「なんでって…う〜ん。見てるの、恥ずかしいから」 またみんなうなづく 「恥ずかしいの?…そーなんだ。」 「入れ知恵すんなよな。」 淳が睨む。 「ちゃんとユカに教えてあげないいと、ユカ誰にでも触らせちゃうよ。いいんだ、おミズそれでも。」 「う…」 返す言葉に詰まる。 「わーったよ、人前ではしねーよ」 「人前ではって、このやろう!何考えてんだぁぁ」 「だから、落ち着け由宇也!」 「いつもの、おミズの挑発だってば!」 「分かってるけど、殴らせろ!一遍泣かせてやる!」 由宇也が三人の腕を振り解こうとしていると、突然由利香が立ち上がった。 「えーと、ごめんなさい」 とみんなに向かって頭を下げる 「なんでユカが謝るの?」 「いや…なんか、大騒ぎで。由宇也そんなに怒るんだから、まずい事したのかなあって。」 「やったのは、こいつだろ」 由宇也が淳を力いっぱい指差す 「淳も謝りなよ」 と、由利香は淳を立たせて、後ろから頭をグイと押す 淳は面食らったまま、 「あ、あ…と、悪ィ……かな?」 と言った。 「誰に謝ってんだ、ところで」 「みんなにだってば。まったく、ランチの時間台無しじゃない」 「おまえが、勝手に髪切るからだろーが」 「だから!悪かったってば!」 「言ってねえ!そんな事!」 「今言った!」 「おっまえはぁ、口へらねーな」 「その代わり、淳も言いなよ」 「何を?」 「髪切る時!」 「はぁぁ!?」 由利香の言葉に 「何言ってんの?おれの髪の毛なんてどーでもいいっしょ」 と返すと、 「良くないの!ふこーへー」 「あのさー、ユカ…」 淳は毒気を抜かれたような顔になった。 由宇也は淳と由利香をまた見比べた。そしていきなり笑い出した。 由宇也を押さえていた三人はギクっとして、思わず手を放す。 「大丈夫か、由宇也?」 純が顔をのぞき込む。 「大丈夫だよ。なんだ、気にし過ぎって事か」 「そりゃま、」 「ユカはわかってないよな」 三人はコソコソと言葉を交わす。 由宇也はテーブルから降りて、淳に 「おまえの一人相撲じゃないか」 と言った 「一人相撲つーか、なんつーか、べつにおれもなんか意味あるわけじゃねーし。」 「あるよな?」 「うん、ありあり」 こっちでは健範と歴史がコソコソしている。 「そこっ!うるせー」 「でさー淳、どうしたのその顔の怪我」 由利香は歴史と健範の言った事が、聞こえたのか聞こえなかったのか、その前の淳と由宇也の会話も全く無視して、最初の話題に戻る。そう言えばもともとそんな話してたんだよね。 「チャリでコケた。」 淳もまた座って、カレーの続きを食べる。 「顔からぁ?信じらんない!」 「自分でも信じらんねぇくらい、満身創痍なんだけど、ほら。」 と右腕を出す。由利香の顔色が変わる 「え?やだ!」 今まで顔の傷に気をとられて、みんなも腕の方まで気が付かなかった。 「げげっ、すげー」 「擦り傷って数日立つとぐっちゃぐっちゃになる事あるよな。」 無責任にあおりたてる奴ら。 「言うなぁっ!」 「大丈夫?大丈夫?大丈夫?痛い?医務室行った?」 「行ってねー。」 「消毒しないと、だめだよ!」 「いや、多分午後からまた増えるから、最後に…って。」 「そんな事言ってると、そこからばい菌が入って、腕がとれちゃうんだよ!」 「それはねえな。」 「消毒だけでもしたほうがいいって、ねー行こう」 「!……いっ……」 由利香がつかんだ腕は、傷だらけの右腕だった。 「あ…」 「……殺す気かよ」 「おまえ、おれの妹の好意をそーゆーふーに言うわけか?」 「また…。もーいいよおまえは」 「よくねぇぇ!」 由宇也のスイッチが再度オンになりかけた時、となりに座っている優子が、にっこりしながら 「由宇也、これ、片付けなくちゃね」 と由宇也が落として割った食器を指差した。 「え?あ?そうか」 「ほうき取りに行きましょ」 そのまま二人で、厨房に掃除用具を借りに行く。 後姿をみんなで見送る。 「すげー、ゆーこ」 「結局尻に敷かれてるだけじゃねーか。」 「そのくらいの方が平和なんだよ。」 優子がほうきを借りに行って、おばさんたちに 「ごめんなさい、食器割っちゃって」 と言うと。 「ああ、大きな音したねえ。誰?また水木くん?」 と言われた。 「すみません、今日はおれ。」 「あらあ、めずらしい、さっきの大声、麻月くんだったんだ。どうしたの?」 「いや、ちょっと…」 「誰もケガしなかった?」 と、おばさんはあくまで優しい。 3交代くらいで通いでやって来る食堂のおばちゃんたちはみんな、優しい。特に親元はなれてめったに帰らない(帰れないって人もいるけど)ABクラスにはとっても親切だ。もうそこそこ子育てを終えてしまった年頃の彼女達には、彼らが自分の子供たちの中高生時代とダブって見えるのだろう。 「ところで、水木くん、あの顔どうしたの?」 と小声で優子に聞く。答えたのは由宇也。淳が聞いたら怒るくらい、馬鹿にした口調で 「あいつ、自転車のれなくて、練習してるんですよ」 「あらー、練習してるの?けなげね」 「け…けなげ?あいつが?」 すごく淳に似合わない言葉を聞かされて、由宇也の頭はちょっと混乱した。どこをどうすると、淳がけなげに見えるんだろう。このくらいの年になると、人の見方って変わってくるんだろうか。 「あら、けなげよ、あの子」 「あいつのどこが、けなげなんですか?」 「由利香ちゃんを見守ってたりして、けなげじゃない。」 「見守っ……」 由宇也から見るとそうは見えない。淳は気紛れで気が向いたときだけ、由利香を構っているように見える 「う〜ん」 ほうきを受け取って席に戻りながら、まだ由宇也は悩んでいる。 「由宇也、ユカの事になると、冷静じゃなくなっちゃうからね。」 「違う。みんながあいつに騙されてるんだ。」 「ふふ。」 「ふふって、なんだよ?」 「ユカの事で悩んでる由宇也ってかわいい。」 「なっ…なんだよ急に」 「私は、そういう由宇也もスキよ。」 そして、またふふっと笑うと、軽い足取りでみんなの所に戻って行く。 『な…なんか、おれって、完全に優子に負けてる気が…かわいいって何だよかわいいって』 子供の頃はともかく、かわいいなんてここ10年くら言われたことはない。淳はからかうと過剰に反応するので、ほとんど上級生のペット扱いで可愛がられておもちゃにされていたが、由宇也の場合ここに来た時はもう優子という決まった彼女がいて、そこそこ落ち着いた雰囲気だったので、そういうこともなかった。まさか、優子に可愛いと言われるとは思わなかった。悪意がないのは判っている。それだけに、逆にシビアだ。とりあえず由宇也は深く落ち込んだ。