1.6. And She Loves Him. 〜part6
午後からは淳のメニューはランニングのみ。4時間走りまくって幸せな気分に浸って資料室で夕方のミーティングの始まるのを待っていると、また温がやってきた。淳の前の席にすわって、後ろを振り向きながら
「もうひっどい、なんで二人で先に行っちゃうの」
「いや二人っきりの方がいいかと思って」
「恥ずかしかったじゃないっ!もう信じらんない。私ほとんど個人的に話したこともないんだからっ!でも嬉しいっ!」
どっちなんだ。
「もうがんばっちゃう。明日も行くからよろしくねっ」
「げー、明日もかよ。行くのはいいけどおれ達を練習台にするのはやめてくんない?」
「えーもったいないじゃないのっ!ねー夏帆さん退院までどのくらいかかるのかしら」
「出産って普通一週間ぐれーじゃねーの」
って、なんで知ってるんだそういうことを。淳の知識はよくわからない
「一週間かぁ」
温は遠くを見る眼になった
「一週間ご飯作りつづけたら、気が付いてくれるかなあ。で、最後の日に、『ありがとう、今まで。できればこれからも、ご飯を作ってくれないか?今すぐにというわけには行かないだろうが』『それってもしかして…』『そう、プロポーズだ』なんてえええっ!きゃあああっ!」
「一週間でプロポーズはねーだろ。いいのかよそんな簡単で」
「だから女の子はっ!」
「夢見たいのね、はいはい」
ほとんど諦めた口調で淳は返す。だんだんこの調子にもなれてきた
「そして、帰りの車で、『このままどこかに行こうか?』『ええ。あなたの行きたいところなら、どこへでも』そして二人は海を見に行くのよ。」
「乗に行かれちまうと、困るんだけどおれ達」
「知らないわよ、そんなの。恋する二人には、二人しか見えないの!で、海辺でそっと肩を寄せ合って『帰りたくないわ』『おれも帰したくない』」
「ストーップ。内容がR指定っぽくなりそう」
「なんでー自分は平気で話すくせに。」
「何を?」
「4丁目のおねーさんがどうのこうのとかさ。」
「それとこれとは話違うっしょ。」
「違わないわよ」
温の目が真剣に淳をにらんでいる。
「わかった、わかった。ごめんって。」
とりあえず、謝る。なんだか、今の温には何を言っても無駄って感じだ。諦めてとことん聞いてやるか
と思ったのと同時に乗がミーティングのために入って来た。温の目はもうそっちに釘付けで、淳に話をするどころではなくなる。
ラッキー。
「ねーねー淳」
後ろの席から、由利香がつつく。淳が振り向くと小声で
「明日も行くの?」
「温ちゃんはそう言ってる。」
「淳も行くよね。」
「乗起こさねーとならねえしな」
「私もまた行くね。今日の天丼美味しかった。あしたは親子丼食べようねっ。」
途中に安くて美味しい丼ものやがあるのを発見し、お昼はそこで食べてきた。会社のお昼休みに重なると多分混んでいるのだろうが、1時を過ぎていたので適度に空いていた。へんな時間に丼物食べている、高校生くらいの男の子と中学生くらいの女の子というのもかなり人目をひくとは思うのだが、幸い夏休み中という事もあり、お店のおばちゃんも、両親が旅行に行ってしまったきょうだいとでも思ったのか何も言わなかったし、気のせいか海老天が一個多かったような気もする。さすが年上殺し、水木淳。
「ばっかか、また多分今夜から明日にかけて卵漬けだぞ。んなもん食えっかよ」
二つ目のレシピはオムレツのきのこクリームソースがけだった。
「そっかあ、食べたいなあ親子丼」
「食えるんなら食えよ」
「おーし、食ってやるっ!」
「なんで挑戦的だよ」
ミーティングが始まった。いつものように乗が順番に今日の反省と明日の課題を一人づつ言うように促し、由宇也が立ち上がっている。彼は飛び込みに出ることになっていて、今それで四苦八苦している。飛び込みは高飛び込みと、板飛込みがあり、高飛び込みはまた高さによっていくつかに分かれている。体操の技ともまた異なり、特に高飛び込みの場合はまず高さの恐怖を克服する事が第一歩だ。高さを克服するだけならば、最初からそんな恐怖はほとんど持ち合わせていない淳なんか適任なんだろうけど、彼はあいにく、演技を『見せる』競技にはむいていない。とんでもない技とか編み出して大受けしたりはするのだが、キレイにまとめようとかいう意識はものすごく低い。第一本人がやる気がない。
歴史と兼治は慣れないトランポリンに戸惑っている。トランポリンはスケート競技などの練習のために使う事はあっても、それだけを競技にするのはまだ日が浅い。まだノウハウがしっかりしていないので、手探りの状態だ。もともと二人とも体操競技が得意という事で出場することになったのだが、かなり勝手が違うようだ。
その他みんななにか課題を抱えている。一番の難題はやはりラクロスで、道具からして手に入れるのに手間取った。これこそ指導方法も練習方法もわからない。とりあえずホッケーを基本にしようとはしているものの、ホッケー自体にあまり経験がない。
これからユニフォームも作らなくちゃならないし問題は山積みだ。みんなストレスたまりそう
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それはともあれ、温は問題があることさえも楽しそうに毎日を過ごしている。練習なんかで悩んだら、迷わず乗にきけるしね。何しろ乗が責任者だから。
そして、次の日もまた乗を起こしに出かけ、食事を作る。また同じように淳と由利香は先に帰り、温は車で一緒に乗と来る。なんか不自然なこの状態に気が付いたのは、やっぱりというかさすがと言うか、歴史だった。
3日目に淳がもどってくるのを玄関で待ち構えていて、詰め寄る。
「なんかやってるよね」
「え?何のこと?」
淳はとぼけようとするが
「大体なんで温ちゃん?お料理上手なんだったら、優子かタケちゃんでしょ」
そう、実は武は料理が得意だ。男としてはなかなか…と言うレベルではなく、普通に主婦としてやっていけるくらいの感じだ
「いっやー温ちゃんもなかなかだよ」
「うそだ!ついこの間目玉焼きも黄身まで焦がしてた!」
「よくおぼえてんな、チル」
「ね、温ちゃん、乗の事好きなんじゃないの?」
「へ?」
あまりのストレートな指摘に返す言葉を無くす。なんで分かるんだ?と言う気持ちと同じくらい、やっぱわかるよなと思う。多分一ヶ月以内にはみんなの知るところとなるだろうけど。でも、ま、とりあえず
「なんで?」
「だって温ちゃん、いっつも乗見てるし、なんかすっごい楽しそうだもん。で、ご飯作りに行ってるしさ。」
「よく見てるよな、チルは、人を。」
「おミズが気がつかなすぎ、いろんな事。わざと気づかないようにしてる事があるのも、ぼくは知ってるけど。で?どうなのさ」
「…ま、そんなとこ。」
「やっぱ?あ〜あ」
歴史はあからさまに大きなため息をつく
「なんだよ、あ〜あって」
「だって、なんかムリ目だもん。乗ってそーゆー事興味なさげだし、」
「決め付けんなよ、チルらしくねーな、そういう言い方。」
「そ?でも好きになっちゃったらしょうがないよね。」
「そーゆー事。」
「誰にも言わないけど」
「うん。チルもさ、温ちゃんの話聞いてやってくれよ。おれ、もう時々気が狂いそう、妄想が暴走してて」
「へええ。そういうの話すんだおミズに。普通女の子って男の子には言わないよね」
「温ちゃんが変わってんのか、おれがヘンなのか知らねえけど、もう、言いまくり。いー加減にしろよって感じ。」
「そーいうの、ぼくもあんまり聞きたくないけど」
「ユカは面白がってるけど、おれはそろそろ限界。」
「ちょっとだけなら聞いて見たい」
「おれだって、ちょっとだけならいいけどさ…」
と言っているところに温が昼食を終えて、食堂から出てきた。
「温ちゃん、チルにバレた」
と言うと、大して驚きもせず
「やああん、やっぱり恋する乙女の心って外に出ちゃうのねっ。忍ぶれど、色にでにけり…ってやつよねっ。仕方ないのよみんなにわかっても。あああっ!でも、もし彼に分かっていたらどうしようっ!恥ずかしくて顔合わせられないっ!!」
歴史はしみじみと
「あーこういう感じね」
と言った
「やっぱあんまり、聞かなくていいや」
「だろ?」
げんなりした顔で淳は答えた。
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そうして、一週間が過ぎ、夏帆が退院してきた。女の子は夏波(かな)ちゃんと名づけられた。よく泣き、よく眠り、よくミルクを飲む元気な子だ。夏帆も順調に回復し、ゆっくりだったら家事もどうやらこなせそうだ。
温の朝食作りと、淳の半ば迷惑な乗起こしも終わりになった。由利香は外で昼ご飯を食べるのが気に入り、ちょっと残念そうだ。淳は面倒が一つ減ってほっとしている
温は、食事を作って乗が食べてくれるのは嬉しいものの、基本的には夏帆の教えてくれたレシピに沿って作るしかないので、そろそろパターンも尽きてきた。一週間でちょっとは料理の腕も上達したものの、このへんが潮時かなと思っていた。
そして、乗。夏帆が退院してきた晩、ナオへ行こうと今度は乗が淳を誘った
「でさ、淳、紫樫なんだろ」
乾杯もしないうちに、唐突に切り出す乗に、思わず
「え?何が?」
と返してしまったがいいたい事は分かっている
「とぼけんなよ。」
「ああ、まあ、そうだよ、分かった?」
「ばかか、オマエは。馬や鹿でもわかるわ、あれじゃ。ふつう飯とか作りに毎日通うかよ、料理好きでもないやつが。オマエ等勝手に先に帰るし、車で送れば頬染めてるし。どうしようかとおもったぜ、ほんと」
確かにいくらなんでもこれで気が付かなかったら、人間やめたほうがいいかもしれない。
「で、ご感想は?」
「感想ねえ。別に」
「別にって。温ちゃんの事どう思う?」
「いや、なんつうかな。好きになってくれるのは嬉しいけど、いま一つピンとこねえんだ。なんでオレなんだ?」
「それは、おれもマジでわかんねー」
うーんと二人で考え込む。もっとも考えたってわかるはずはない。
「ま、好きじゃなかったら断る、好きだったら付き合うってそれだけじゃねーの」
淳の場合その辺はいつも単純明快。そして、結果いつも断っている…と言うわけだ。
「オマエの論理はそうだよな。とりあえず今のところ好きとか言う感情はないから、オマエに言わせりゃぁ断って当然か。ただ断るのと受け入れるとの間にもう一つあるんじゃないかと思うわけだ。保留ってやつが。わからないだろ、これから好きになるか駄目か。で、しばらく保留期間をおくと。執行猶予みたいなもんか。」
「それって…卑怯じゃねーの?そういうのは一度、ちゃんと今は付き合う気はないって振るべきだろ」
「卑怯って言えば卑怯だな。でも、今この大会直前の大事な時に信頼関係を壊すような真似もしたくないと言うのも事実だ。それに、たとえば、淳もし今ユカに、好きだからちゃんと付き合ってとか言われたらどうする?」
「へっ?ありえねーっ」
「ありえねえじゃなくて。オレだってまさか誰かオレの事好きになるなんて思ってもみなかったよ。付き合うって宣言するか?」
「いやっ、それはちょっと…」
「振るか?」
「それも、なんか…」
「ほらみろ。結局オマエだって、今付き合う気がないのに振れないじゃないか。結局オマエがバンバン振れる女の子達ってのはどうでもいい子達だって事だ。ユカじゃなくたってABクラスの誰かがオマエに好きだって言ったら、簡単には断れないくせに」
なんだか言いくるめられた気がする。乗の論理展開は苦手だ。いつも逃げ場を無くされてから、攻め込まれる。日頃はろくに人の話聞かないくせに、こういう時だけいやに用意周到になる。こんなところが兄の汀翔一と似ている。だいたい淳はスポーツでも日頃の会話でもケンカでも、自分が攻撃する側に回っている時は強いが、守りに入ると弱いところがあるし。
そのくせ淳が
「じゃあまあ言っとくよ、乗がそう言ってたって」
と言うと
「本人が言い出すまで待った方がいい、もしかしたらそれまでに好きになってるかも知れないし」
なんて言う。ほとんど人事だ。淳の恋愛観と言うのも変わっているが、乗もかなり変かもしれない。多分お互いにこいつはヘンだと思っているに違いない。一番まともなのは純あたりか。
「知ってんのに黙ってんの?」
「だって、紫樫は多分自分で言いたいんだろう。じゃなかったら、とっくに淳とかユカに頼んでるだろう。この一週間の間に。」
乗は平然とそんな事を言う。
確かに女の子にとって好きな人に告白するのは一大イベントだから、その楽しみを奪っちゃうのは可哀相だけど、その辺を乗はわかっているのか無意識なのか。もっとも温だって、乗が全く気が付いていないとは考えにくいだろうけどね。これで何にも気がつかないくらい鈍感だったら、最初から好きになんてならないほうがいいかも知れない。
****************
「でねっでねっ、また夢見ちゃったのっ!」
今朝も由利香をつかまえて、温はゆうべ見た夢の話をしている。
「え?どんなの、どんなの?」
由利香はノリがいい。『恋する友達の相談に乗る女の子』の役割を十分楽しんでいるようだ。おかげで温も由利香がいる時はノリの悪い淳よりも、由利香に話をするようになった。淳もたいてい傍にいるが、相槌を求められなくなったので気が楽だ。…が
「あのね、冬山で二人で遭難しちゃうの」
「やっだー、お約束のシチュエーション」
「冬の山小屋でたった二人きり。周りは吹雪で一歩も外に出られないの。もう助かる道は冷え切った体を二人で温めるしか…」
「温ちゃん、ユカに妙な事教えね―で欲しいんだけど」
ついつい口を出して墓穴を掘るのは相変わらず
「もうっ!おミズの過保護!」
「淳、私知ってるよ、寝ちゃ駄目だっ!今寝ると死ぬぞっ!ばしっばしっってヤツでしょ」
淳と温はしげしげと由利香を見、どちらともなく顔を見合わせる
「あーまー…そういうお約束もあるわねー」
温が力の抜けた声を出す…がすぐに立ち直り
「そして、まあいろいろあって、ふたりは愛を確かめ合うのよっ!」
「ふうん」
と由利香は相槌をうち、淳に小声で
「ねーなんで、叩き合って愛が深まるの?」
「そういう愛の形もあるっしょ」
淳の適当な答えに、由利香は腑に落ちないといった表情になる。
「そしてそして、翌朝、吹雪がやんで山小屋を出た二人は、美しい虹を目にするのっ!それはまるで二人の未来を象徴するように」
「吹雪のあと、虹出るか?」
「町に戻った二人はね…」
温の夢の話(多分に妄想が入ってる)は延々と続く。時々茶々を入れながら、由利香といっしょにそれを聞きながら、淳は、ま、こういうのも結構面白いかなんて思っていた。