1.9.She Starts Her Junior High Life. 〜part5

 
 
  
        
 朝ごはんの間中、由利香は上機嫌だった。 「んっふっふ〜サンドイッチ〜♪」  なんて、怪しいサンドイッチの歌を歌っている。 「あのさー、あんま期待しねえでくれる?」  それに反して淳は疲労困憊といった様子。やっぱ慣れない事はするんじゃないとしみじみ思う。 「っつーかそんなに嬉しい?」 「うんっ、嬉しい。だって誰かにお弁当作ってもらった事なんてないもん」  ああそうか、と思う。まともに家庭生活を送ってこなかった由利香は、家の人にお弁当作ってもらうという経験がない。  初めてのお弁当が淳のサンドイッチっていうのも、幸せなんだか不幸なんだか。  でもとりあえず由利香はとっても幸せそう。 「憧れだったんだ、お弁当と、あと鍋」 「鍋?」 「うん、食堂じゃ出ないし」  確かに、冬になればたまに一人用の鍋仕立てが定食になることはあるが、みんなで鍋をつつきあうという経験はない。  普通に暮らしていれば普通に経験している事が、由利香にとっては夢なわけだ。 「する?今度」 「え、ホント?ホント?うれしー。え?淳と二人で?」  二人で鍋って…。ほんと考えていないよ由利香ちゃん。 「…え?あ…いや、みんなで」 「うんするするっ!うれしー、楽しみー。鍋、鍋〜♪」  今度は鍋の歌を歌いだした。  由利香を見ていた淳の顔に、思わず笑みがこぼれる。 「これだからなあ…ユカは…」 「え?何、何?」 「何でもねえよ。遅れるぞ学校」 「あ、ホントだ」  時計を一瞥し、残りをあわててかっ込む。  急いでカバンにサンドイッチを入れ、 「ありがとねー。あ、片付け…」 「それ、やってって事だろ、やっとくから早く行け」 「えへへー、いってきまーす」  かばんをつかんで、ひらひらと淳に片手を振り走って行く。  それを手を振って見送って、後ろからの視線にギクッとして振り向く。  純がにやにやして立っている 「朝から仲いいじゃん。顔にやけてんぞ」 「うっせーっつの」 「照れてる照れてる。かっわいいなあおミズ。」 純は笑いながら淳の頭を撫で回す。…が急に真顔になって 「そうだ、おれ、おミズからかいに来たんじゃなかった。有矢さんが学習強化期間だから、積んでる科目はどうにかしろって。特に音楽の追試、受けろとさ。おミズだけだって落としてんの」 「音楽嫌いだ。っていうか、頭から手どけろ」  淳は憮然として答える。 芸術科の授業は、どれも息抜きみたいな感じで、みんなで楽しんでいる感じだが、淳は、いやいやとった音楽にもめったに出ない。曰く『クラシックとは相性が悪い、オーケストラはうっせー、合唱はタルイ』。しょうもない…。じゃあなんで選択したんだというと、絵はもっと描けないから。ついでになんか作るのも無理だから。習字なんて考えただけでも眩暈が… 「一曲歌えば良いって言ってくれてるぜ」 「歌ぁ」  淳は露骨に嫌そうな顔になる。  人前で歌うのは、小さい頃から好きじゃなかった。楽譜どおりに歌う事が苦手だし、それ以前に嫌いな歌は歌いたくない。でもって、音楽の教科書には嫌いな歌ばかりが並んでいる。秋の夕日に紅葉が照ってたからって、なんだっつーんだよ暑苦しい、鯉のぼり面白そーになんて泳いでねーじゃん、口開けてくるしそーじゃん、娘さん森に誘って何する気だよおっさん、うっわーやらしー、だいたいホホーッホて何だよ、みたいなつっこみばかり入れていたので、やれ不真面目だの、情緒が欠落しているだの言われ続けてきた。そんなだから、とても歌う気になんてなるはずもない。 「とにかくさあ、一度行って来いよ。おれたちなんて単位取るのに、ピアノ練習したり、ペーパーテストで点取るために勉強したりかなり真面目にやったんだぜ。それ考えたらすっごい温情だぞ。」  「どんなんでもいーわけ?」 「たぶんな。おまえは授業出ないから知らないだろうけど、教科書以外の歌とかも取り上げてくれてるよ。」  まあ、教科書なんてもともとあったってなくったって同じような物だけど。 「ふうん」  淳の嫌そうな表情がちょっとだけ緩んだ。 「気が向いたら行く。その代わりさ、今度付き合って、鍋」 「鍋?」  純は怪訝そうな顔になる。何言ってんだこいつ、といった顔で淳を見る。 「ユカがさあ、したことねえっつうから、しよっかなって」 「へええ」 「なんだよっ、そのにやにやはっ!」 「なーんか、ほんと今日カワイイなあ、おミズ。目覚めたか、ユカへの愛に?」  今度は両手で頭をぐしゃぐしゃ 「あああああっ!もうっ!うっとーしーっ!」  体をよけて、手を払いのけ、頭をぶんぶん左右に振ってから、純をにらみつける 「ミネ、おれはしばらく一人でいたほうがいいとか、この間言ってたじゃねえか。ナニ喜んでんだよっ!」 「それはそれ、これはこれ」 「う〜。…だから鍋っ!」 「おまえ、自分で用意しろよ」 「えええぇぇぇぇっ、今度鍋かよお」  やっとサンドイッチをクリアしたところなのに、今度は鍋?ますますどうしたらいいかわからない  とりあえず中に何が入っていたか考えてみる。しかし淳だって鍋食べたのは家にいたときで、かれこれ5年前。おまけにまだ当時は小学生で、材料なんて気にしてみたこともなかった。出ているものを食べていただけだし。 食事にやたらうるさい小学生男子なんていやだ。 「…肉とか入ってるよな…魚とか…野菜…野菜…ナニが……キャベツ…びっ微妙に違う感じ」  おそらく白菜と間違っている。冷静に考えればそのくらい知ってるはずだけど。  焦り始めた淳を、純はまだにやにやしながら見ている。ほーんとこいつは、ユカが絡むと面白い反応するよなあと思う。その他のことではひたすら強気のくせに。 「ちくわとか入ってたっけ?」 「それ、おでんだろ」 「え…ええと…あと…ナニっ!?なに入ってんのミネ」  パニックに陥った淳に、純は今度は吹き出す 「おミズ、おまえマジで可愛すぎ」 「だめだ…ぜんっぜん、わっかんねえっ!」  可愛いと言われても、いつものように怒るのも忘れている。多分、よっぽどサンドイッチ作りで苦労したのが、身に染みているんだろうけど。 「そうだ」  淳はそこで何かを思いついてポンと手を打つ。 「闇鍋しよう」  ま、たしかにそれなら何でもありだけど。 生まれて初めてのお弁当が淳のサンドイッチで、生まれて初めての鍋が闇鍋って、あまりにも不幸な食生活。ある意味素直な由利香は、それが正しい鍋だと信じてしまう可能性が高いんだけど、いいのか?  純はにやにやしたまま 「おれ、ピーマン入れるぞ」 と宣言する。 「げ。そっ…それは…」 「だろ?だからやめとけ。」 「ううう…」

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「あ、ユカ今日お弁当?」 「うん」 「かわいい、ランチクロスですよね、それ。どこで買ったんですか?」  早苗が、子猫ちゃんのクロスをほめてくれた。 「ほんとだよね。どこで買ったんだろ…」  由利香も同意する。本当に、どうやって手に入れたんだ…。ファンシーショップに一人で買い物に行く淳の姿を想像する。…そんなに違和感ないか…?  喜々としてサンドイッチを広げる由利香の手元を見て、真知子が絶句する 「な…なんか凄いねそれ」 「そお?」  たしかに、耳は切ってないし、ところどころ具ははみ出してるし、切り口は汚いし。そりゃあね 「自分で作ったんですか?」 「う〜ん。へへ」  適当にごまかしてサンドイッチを口に運ぶ。あ、卵の殻入ってる。でも、ま、いいやカルシウムだし。パンの耳も結構好きだ。 「ユカ、今ガリっていったよ。」 「そう?」  淳が必死にサンドイッチと格闘している姿を想像すると、思わず笑いがこみ上げてくる。さっき淳は隠してたけど、由利香の目にはちゃんと、大量のサンドイッチの残骸が目に入っていた。大変だったんだろうなあ。 「なんかユカうれしそうだね」  きゅうりとハムのサンドイッチは、標準からするときゅうりがかなり厚めだ。そういえば、淳の指、両手とも絆創膏だらけだったなと思い出す。でも別に味は悪くない。まあ、きゅうりとハムはさんだだけだからね。 「山崎さん」  両手に3個目のサンドイッチ、ちなみにチーズとレタス、を持ったまま顔を上げると、香野が立っていた。食事の前に訊くべき事を訊いてしまおうと思ったらしい。 「考えてくれた?映画」 「あ…」  実は忘れていた。夕べはそれなりに悩んでいたはずなんだけど。朝サンドイッチを受け取った時点で、完全に頭から消え去った状態になっていた。  黙って香野の顔とサンドイッチを見比べながら、しばらく考えてみる。デートって、確かに魅力的な響きだけど、本当にこの人としちゃっていいのかな。香野くんにも悪い気がする。別に嫌いじゃないけど(第一よく知らないし)多分そんなに好きにはなれないし。ペコと頭をさげ(でもサンドイッチは持ったまま。おい) 「あの…せっかく誘ってくれたのに、ごめんなさい。ちょっと…私…」 「そう…。そうだよね、山崎さん転校してきたばっかりなのに、ちょっと強引だったよね。ごめん」 香野も頭を下げる。真知子と早苗が抗議の声を上げる。 「えええっ!断っちゃうのっ!ユカ!」 「どうしてですか!」 「え?だって…う〜ん」 「もしかして、例のあのしょうもないオトコの事っ!?」 「淳はしょうもなくはないけど」 「えっ!?名前呼びっ?そんなに親しいの?」 「えっとお…」  困った顔になって、思わずサンドイッチを一口パクリ。 「食べてる場合じゃないよっ」 「いいよ、大田さん。ごめんね山崎さん、悩ませて。また今度誘うから。」  香野は席に戻って行った。さすがにちょっとだけ元気がない。まわりの男子たちが肩を叩きながら、何か声をかけているが。心なしかお弁当を食べるペースも遅い気がする。  ちょっとだけ、悪かったかなという気もするけれど、好きでもないのにデートとかするほうが、やっぱり良くない気がするし。 「もーユカったらあ」  真知子が思いっきり大きなため息をつく。由利香はそれに気がつかない振りをしてサンドイッチを口に運ぶ。チーズとレタスのバランスが絶妙…ってチーズすごく分厚いけれど、その分レタスもやたらと入ってるからいいか。もしかして、大きい葉っぱが数枚そのままムリヤリ折って押し込められてないか、それ? 「そうよねえ」  早苗も同じくため息をつく。二人声を合わせて 「もったいなああい!」 「そうかなあ」 「そうだよ、香野くんイイ線行ってるのに」  あれ?昨日はまあまあって言ってなかったっけ?まあまあっていうのと、イイ線行ってるのは同じなのか? 「う〜ん、でもお…」  と言いながら、2個目の卵サンドに入る。今度は殻は入っていない。 「ねえ、それ美味しいんですか?」  早苗が不思議そうに由利香を見る。多分普通の人には美味しそうに見えないのかもしれない 「うん、すっごく」  由利香はにこにこして答える。二人は首を傾げ、またため息をついた

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 そのころ淳は、食堂の片隅のテーブルで、朝出たサンドイッチの残骸を大皿に積み上げ、脇にコーヒーと牛乳を置いて、てっぺんから食い尽くしにかかっていた。はっきり言って、食事というより、見た目が『エサ』。食べ方も両手に持ってどんどん口に押し込んではコーヒーか牛乳で流しこむといった状態で、上品とはほど遠い。もっとも上品じゃないのはいつもの事だけど。 「おミズ…それ、ナニ?」  珍しく一人で食堂に現れた歴史が尋ねる。健範は午前中の実験がうまくいかなくて、まだ一人で残っている。仕方なく一人で来たものの、なんとなく調子が出ない。 「ナニって、サンドイッチ」 「え!?」  歴史は絶句し、目を丸くした。その言葉の意味をよく考えてから 「まさか…ユカそのままお弁当に持って行ってないよね」 とおそるおそる尋ねた 「なわけねーじゃん」 「よかったー」  歴史はほっと胸をなでおろす。そんなお弁当持っていったら、下手したらいじめられる。  それにしても、この残骸の量はものすごい 「それ…全部一人で食べる気?」 「しょーがねーじゃん。誰かに食えとも言えねーし」 「あのさー、良かったらぼく手伝おっか?」  ちょっと言いにくそうに歴史が言う。 「ほんとかよっ!すっげ−助かる。食って食って!」  淳は勢いよく立ち上がり、歴史の肩を掴んで隣に座らせる。実はなかなか減らない山に、少々不安を感じ始めていたところだ。何しろパンだけでも4斤以上だし、一人で食べるのはいくらなんでも自信がない。いや逆に、仮にそれを全部食べ切ってしまったら、さすがに人としてどうなんだと自分に問いかけたくなる量だ。 「味はさー別にひどくねーから、目ぇつぶりゃあいっしょだって。飲むもんくらいおごるから。ナニがいい?」 「あ…え…っとお、牛乳」 「おっけー」  軽い足取りで、隅の自動販売機に向かう。この自動販売機も身分証明書を入れれば飲み物が買えるようになっている。  急いで牛乳を2本買い、小走りに戻って来て歴史の目の前に置く。すでに食べ始めていた歴史は口をもぐもぐさせながら 「おミズ結構おいしいこれ」 「だっろー」  得意満面だったりする。自慢はせめて失敗の部分が、成功する部分より少なくなってからしてほしい。今の状態だと8割以上失敗だ。そういうのって、料理って言えるのだろうか 「これも。おミズの手料理って言うのかなあ」  歴史は感慨深に呟く。正確に言うと『手料理の残骸』だけどね。サンドイッチの残骸は1.7倍くらいのペースで減り始めた。

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「さなちゃん、ユカの事どう思う?」  由利香がさっさとお弁当食べ終わって、売店にノートを買いに行ってしまったあと、真知子と早苗はこそこそと相談している。  香野はまだ立ち直れないらしく、友達がみんなグラウンドや体育館に遊びに行ったあとも、自分の席でボーっとしている  真知子はそんな香野を横目で見ながら 「あのサンドイッチなんか怪しくない?まさか、そいつが作ったとか?」  いつの間にか、『そいつ』呼ばわりされている。  早苗はおおげさに驚く。 「えええっ?まさかお弁当でユカの事、つろうとしてるってことですか?」 「ユカ嬉しそうだったよねえ」  真知子はさっき由利香がサンドイッチを食べる姿を思い出して 「好きなんでしょうか」 「好きなんじゃない?」  はああっと二人でまたまたため息をつく 「あんなに可愛いのに、そんな変な男に捕まっちゃって」 「可哀そうですよねえ」 「世間知らずなんだよお、きっと。私たちで守ってあげよう」 「ええ、まっち、がんばりましょうね」  二人はがっちりと手に手を取り合った。

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 そのころΦでは、淳がくしゃみをしていた。 「なんか…寒気がする…」 「誰か悪口言ってんじゃない?」  もぐもぐとサンドイッチを食べながら、勘の鋭い歴史が返す。そろそろ顎が疲れてきた。 「悪口言われるような事してねーぞ」  「いつどこで誰に言われても仕方ないと思うよ、おミズのいつもの生活態度は」 「ヴ…」  日ごろの自分を省みて、とっさに返答できない淳だった。  皿の上の残骸の残骸は残り少なくなってきた。ゴールは近い。…ってゆーか二人でも食べすぎだよね…
  
 

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