2.1. Snow,Snow,Snow 〜part1

 
  
    
    「あっちゃあ、全然トラック見えねえや」  元日の朝、淳は薄暗いグラウンドに立って呆然としていた。 昨夜半から降り続いた雪が積もり、一面の銀世界になっている。…のは確かにきれいだけど、どこがトラックか全く見えない。  どうしようかな、と考えてとりあえず壁の時計を見る。6時ちょっと前だ。一つ深呼吸して、大体この辺がトラックだと思われるあたりを走り出すと、ぴんと張り詰めた冷たい空気が肌に心地よい。  一周走り終えて時計を見る。トラックなんて目つぶってても走れると思ってたのに、いつもよりちょっと時間が短い。自分の走った足跡を眺めると、一箇所少しへこんでいる。その分少し距離が短かったらしい。慎重にその部分を膨らませ、もう一周。走り終わって時計を見ると 「長いし…」  今度は時間が微妙にかかり過ぎた。  そんなことを繰り返し、やっと5週目でいつものタイムに戻った。 そのまま上機嫌で、いつものように一時間ばかりランニングを済ませ、戻ってくると、ホールで由利香が待ち構えていた。 「ナニしてんの?」  汗を拭きながら、由利香の頭のてっぺんから足のつま先まで見回す。セーターに手袋、毛糸の帽子という完全防備で、おまけにマフラーをきっちり巻いてほとんど目だけしか出ていない。今走ってきた身には、見てるだけで暑苦しい。 「雪だるま、作ろう」 「はあ?」  確かにこれは雪だるま対応の格好だ。これで長靴かブーツ履いてたら完璧…と思いながら足元を見ると、あ、履いてる。 「ええとぉ…。雪だるま?」 「うんっ!」  元気な返事に、約束してたっけという気になったが、それは多分していない。昨夜はこんなに積もるなんて思わなかったし。  雪だるまなんて作るのは何年ぶりだろう。小学生の頃以来だ。その上住んでいたのは街中で積雪量も少なく、まともな雪だるまなんて作った事はない気がする。ちょっと楽しいかも知れない。  由利香は、手袋のまま淳の腕にちょっと触れる。手袋を通しても体温が上がっているのが分かる。 「淳、すっごーい、体から湯気たってるよ」  それだけ寒いって事だ。各部屋はエアコンで気温が調整できるが、ロビーは緩めにしか入っていない。こんなところで立ち話してたら汗はあっという間に冷えそうだ。 「とにかく、汗流してくるから、待てよ。寒いから、部屋で待ってな」 「淳の部屋、行っていい?」 「シャワー浴びるって言ってんだろ。少しは遠慮しろよな」 「一人で待ってんのつまんない。ずっと待ってたのに」 「じゃ、誰か誘ってろよ」 「そっか」  由利香はちょっと考える。こういう時すぐに付き合ってくれそうなのって…?さっそく歴史の部屋をノックする。 「チルチル!雪だるま作ろうっ!」  歴史が眠たそうに目をこすりながら出てくる。 「元気だねえ、ユカ。雪だるまぁ?そんな積もってんの?」 「すっごいよ、見てみなよ」  歴史は部屋の中に戻って、カーテンを開けた。朝日が雪に反射して、いつもよりずっと明るい光が差し込んで来る。眩しそうに目を細めて外を眺めていると、由利香が隣に立って 「ねー?」 と同意を求める。 「うん。確かにすごいや。雪だるま日和だねえ。」 「でしょでしょ。」    由利香ははしゃいでぴょんぴょん跳ね、歴史の腕をつかむ。 「だから、作ろうよ雪だるま」 「おミズも、行く?もしかして」 「なんか、ちょっと困ってたけど」 「ユカのお願いだったら、おミズは聞いちゃうよね。」  歴史は笑ってカーテンを閉める。 「じゃ、着替えて行くから待ってて」 「うん。チルチルは絶対いっしょに雪だるま作ってくれると思ったんだよね」  由利香の言葉に、歴史の顔に笑みが浮かぶ。 「ぼく、ノリ誘うから、ユカもあと何人か誘ったら?」 「じゃ、ラヴちゃん誘って来る」  由利香は部屋を駆け出して行った。  走っていく由利香の後姿を見ながら、『もしかしておミズ、ユカと二人で作りたかったんじゃないかな』とも思ったけど、なんかそれも変かなと思い返す。  服を着替えて隣の健範の部屋をノックすると、健範は大きなあくびをしながら顔を出した。 「なーんだよ、練習休みだろ」  ものすごく不満そうな不機嫌な声。 「ユカが雪だるま作ろうって。ノリも行こう」 「かったりぃ。おれはいいよ、お休み」  健範は再度あくびをしながらドアを閉じようとする。 「うわーん、ノリ、行ってよ。元日からおミズとユカとミネとラヴちゃんと5人で雪だるま作るのきっついよ〜。」 「おれはおまえのコイビトじゃねえぞ」 「そんなの分かってるよ。いつもごめんってば。」 「しょうがねえなあ、もう。ミネ達はともかく、おミズとユカは平気だろうが」 「あの2人、たまに唐突に世界は2人だけモードに入っちゃうじゃない!」  歴史の言葉を聞いて、健範は噴出す。大笑いしながら 「『世界は2人だけモード』っ!それ、さいこーっ。あー一気に目覚めた。」  歴史の頭をぐりぐり撫でて、ドアを大きく開けなおして、歴史を招き入れる。 「いっしょに行ってやるよ。待ってな。」  健範の部屋は、大方の予想通り散らかっている。ベッドはぐちゃぐちゃだし、本やノートは床に落ちたままだし、服は脱ぎ捨ててあるし、飲みかけのコーヒーは置きっぱなしだし。だけど、ぐちゃぐちゃのベッドに腰掛けながら、この部屋にいるとなんとなく落ち着くのがいつも歴史は不思議だった。多分それは、健範のおおらかな(悪く言えば大雑把な)人柄みたいなものが表れていると感じるせいなんだろうけど。  そうも言いながら、やっぱり散らかっているのは気になって、なんとなく本やノートを拾ったり、服を畳んだりしてしまう。 「チルが来ると部屋片付くよな」 「そう言われると、片付けなきゃいけないような気になっちゃう」  そんな事を言いながら、今度はベッドメーキングを始めた。  シーツを引っ張って丁寧にしわを伸ばす。毛布もきちんと平らに伸ばし、掛け布団もポンポンと軽くホコリをはたいて毛布と重ね、何度か振ってしっかり端と端を合わせる。枕もまっすぐにする。  健範は着替えながら横目でそれを見る。 「なんか寝るのもったいねえな」 「何言ってんの」  カーテンを開けて、大きく伸びをする。朝日が気持ちいい。考えてみれば初日の出だ。 「あっれー、おミズとユカもうグラウンド出てる」  眼下に広がるグラウンドでは、淳と由利香がそれぞれ大きな雪球を転がしている。由利香はさっきはあんなに厚着だったのに、マフラーも帽子も取ってしまっている。  健範も歴史の隣に並んでいっしょにグラウンドを見下ろす。  真っ白に積もった雪の上に、淳が走ったらしい足跡が付いている。何箇所か乱れているが、あとはきっちり同じところを通っていて、そこだけ雪が踏み固められている。 「今朝も走ったんだね、おミズ。元日なのに」 「あいつから走るの取ったら、ただの軽い遊び人じゃねえか」 「ひっどいなー、ノリ」 「悪ぃ悪ぃ。チルの前でおミズの悪口厳禁か」 「そんなことナイよ、ぼくだって言うし。でもそれは言い過ぎ。おミズはちゃんと地道に努力もしてるし、友達思いだし、色々考えて行動してるし、苦労してるし、頭もいいし…」 「わかったわかったって。それ、本人の前で言ってみ。馬鹿かって言われるぞ」 「そこがまた、いいとこじゃない。」 「いいとこねえ」  健範はしみじみと歴史を見る。  歴史と初めて会ったのは、健範がまだ普通の中学に通っていて、そこに歴史が一時的に転入してきた時だ。第一印象は 「ホントに、オトコかこいつ?」  だったとは口が裂けても言えない。今から2年以上前のその頃、今よりずっと小柄で、繊細な感じだった歴史は確かに見た目は頼りなく、ヘタな女の子より女の子っぽく見えた。ところが、部活動や帰り道いっしょに過ごす時間が増えていくに従って、考え方が意外なほどしっかりしていて、はっきり物を言うタイプなのが分かってきた。そうなると、口調や見かけはそれを隠すための隠れ蓑にさえ見えて来る。  今もその印象は変わらない。けれど、また最近は逆に、やっぱりこいつは繊細だし、本当は誰かに頼りたいのかもしれないと思うようになって来た。多分無意識に、本当の自分を巧妙にアレンジしながら歴史はみんなと接している。健範といっしょにいて安心しているのは、健範が相手が隠そうとするところまで踏み込もうとせず、素直に今見えている相手と対峙する性格だからだろう。そういう意味では、歴史が由利香とも接しやすいのも頷ける。  だから、そんな風に自分の本音をあまり言わない歴史が、約一年前『ぼく、おミズに憧れてるんだよね』と、なんの気なしに言い出した時は本当にびっくりした。薄々気が付いてはいたけれど。 「憧れてるって?」  思わず聞き返すと、歴史は考えながら、言葉を選んで 「う〜ん。ああなれるといいなあと思ってる」 と言った。本当は、絶対やめとけと言いたかったのだが、 「おれは、ああなって欲しくはねえけどな」  自分としては控えめな表現で言ったつもりなんだけど、歴史は珍しくムキになって 「どうしてっ!?ノリもみんなもおミズの事誤解してるよ」 と言い、さっきの言葉のように、友達思いでとか、努力しててとか並べ出したのだけど、その時の健範には、『誤解してんのはどっちだよ』程度にしか思えなかった。その後歴史に言われて淳に気をつけて見てみると、確かにそうそう間違ってもないかと思うようにはなったのだが。 「…それにしても、あの軽さだけはどうしようもねえよなあ…」  思わず口に出して言ってしまうと、歴史が聞きとがめる。 「おミズはさぁ、ほんとは軽くないよ。軽いフリしてるだけ」 「…それはさすがに賛成できねえ。」  歴史の観察眼も淳相手の場合だけ、時々曇ると指摘してやりたいのは山々だけど…。まあ言ってもどうなるものでもなし。 何より淳の事を話す歴史はとても幸せそうで、何も言えなくなってしまう。 「なんだかんだ言って、おれもチルに弱ぇってことか」 「えーなになに?」 「なんでもないって。外行くか。あいつらすげー勢いで作ってるから雪なくなるぞ。」
  
 

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