2.1. Snow,Snow,Snow 〜part2

 
  
     
    「ナッツ、あれ、どこ行ったか知らない?」 「あれ、ですか?」  茉利衣の部屋で書類の整理をしていた木実は、茉利衣の言った『あれ』という言葉に首を傾げる。  お気に入りのひらひらのドレスだろうか?薔薇の模様のついたティーカップだろうか。それとも自分のイニシャルが入った特別製のレターペーパーだろうか。 「あれよ、あれ」  茉利衣はイライラしたように、『あれ』を繰り返す。年でもの忘れがひどくなったのだろうか。それとも… 「私に言わせないで。言いたくないのよ、名前」 「ああ。」  木実は、納得してにっこり笑った。 「小雪、だったらそこにいますよ」  茉利衣の後ろを指差す。茉利衣はぎょっとしたように振り向く。  木実と同じくらいの年齢の若い男が、窓を背にして立っていた。気配は全くない。後ろでひとつにまとめた、人目を引く銀色の長い髪。それに増して特徴的なのは、逆光でも冷たく沈んだ鋭い光を放つ真っ赤な瞳。 「いつの間に。いるならいるって言いなさいよ」  小雪と呼ばれた彼は、ゆっくりと茉利衣に近づくと黙って足元に膝まづいた。  茉利衣のいらいらは更につのる。 「そういう態度、やめなさい。私の事別に尊敬なんてしていないくせに」  小雪は動かない。茉利衣は木実のほうに向き直った。 「ナッツ、どうにかしてこの男」  木実は小雪に声をかける。微笑みながら 「ゆきちゃん立ちなよ。茉利衣さまが困ってるから」  小雪をこんな呼び方をするのは、木実くらいだ。  小雪は、木実を見上げる。一瞬、目の光が和らぎ、すぐにまた鋭い色を取り戻す。ゆらっと立ち上がり、そこで初めて 「なんでしょうか」 と声を出す。低く響く、抑揚の無い声。感情を持たない自動人形の声のよう聞こえる。   茉利衣は腕を組み、精一杯の威厳を保とうとしながら、小雪の目を睨もうとして…諦める。ため息をついて、少し目をそらし、 「あなた、この間総会欠席したでしょ。総リーダーから文句が来たわよ」 「申し訳ありません」  一見素直に頭を下げるが、無表情は変わらない。 「どうして行かなかったの?交通費計上したのに浮いちゃったじゃない」 「お使い下さい」  頭を下げたまま答える。 「そういう問題じゃ…ま、いいわ、じゃあの服と、あのバッグと…。あ、あれ由利香ちゃんに買ってあげようかしら」  機嫌がちょっと治る。下を向いたまま、小雪は薄く笑った。 「あーまあ、気をつけてよね。反省文書くように言われてるから、提出してね。出さないと『鉄の部屋』にやられるわよ。行きたくないでしょう?」 「かしこまりました」  言いながら顔を上げる。目を細めて茉利衣の顔をじっと見つめ 「あとは」 と聞く。 「別にないわ。とにかく反省文出してね。この前みたいに批判文にならないように気をつけて」 「はい」  それだけ答えて小雪は部屋を出て行った。  茉利衣は大きくため息をついて、彼女専用の豪奢な肘掛椅子に倒れこむように座った。 「緊張するわね、あれと話すと」 「そうですか?」  変わらない笑みをたたえながら、木実は答える。 「そうよ。あなたはずっといっしょだから平気だろうけど。人の気配はないし、なんだか殺気が体中から発散してるし、全然油断させない感じだし。気持ち悪いわよ」 「彼はそれが仕事ですからね」  小雪はいわゆる『アサッシン』すなわち暗殺者だ。  万国共通の容姿を持つ木実が相手を安心させつつ交渉を進め、邪魔者は小雪が抹殺する。各国でだいたいこういうコンビで仕事が進められているのだが、この2人はとにかく実力は折り紙付だ。木実は確かに戦闘能力は小雪に比べ低いかもしれないが、2人の組み合わせという観点から見るとそれは問題にはならない。今までに何人もの各国の有力者を手中にしてきた。  木実と小雪はここで子供の頃からいっしょに育った。今でも木実だけは、気配を消した小雪の存在を感じ取ることができる。処世術に長けた木実は、なにかとトラブルを起こし易い小雪の緩衝材の役目を果たしているとも言える。  だからと言って小雪が木実に心を許しているかと言うと、そんな事もないように見える。喜怒哀楽を表すこともめったにないし、たまに浮かんだ感情らしきものも本音かどうかはわからない。それが茉利衣に気持ち悪いと言われる所以なのだろうけど。

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 歴史と健範が来る前に、淳と由利香は雪だるまを一つ作り終えた。淳が雪だるまの体の部分に『一号』と指で書く。高さは約2メートル。ちょっと形が歪んでいるが立派な堂々とした姿だ。淳はちょっと一休みといった感じで『一号』の傍に腰をおろしているが、由利香は次の雪玉を作り始めている。 「おミズ、手袋も無しで雪だるま作ったの?」  歴史が素手をこすり合わせている淳を見て、びっくりしたように言う。 「きらいなんだよな、そういうの」 「冷たくないわけ?」 「だからこすってんじゃん」  屁理屈で返して、手に息を吹きかける。息が真っ白だ。そこへ由利香が雪だるまを転がしながら戻ってきた。 「おっはよー、ノリ。見て、雪だるま。大きいでしょ」 「すっげえよな、この雪。こんなの久しぶりだよなあ」 「私、初めての気がする。嬉しいな、お正月からこんなの。なんかいいことありそうだよね」 「だといいけどさ」  淳が、ちらちらと再度雪が降り始めた空を見上げながら言う。  さっき青かった空は、いつの間にかまた灰色になっている。 「まだ降りそうだね」 「だよなー。あーまた明日の朝トラック探しに苦労すんのかよ」  ぼやいていると、後ろから雪玉が飛んできた。頭の後ろあたりに気配を感じて軽くよけると、雪玉は淳をかすめて前に立っていた健範の腹辺りを直撃する。健範はいきなりの衝撃におもわずむせ返る。 「あ、ごめん、ノリに当たった」  笑いながら純がやって来た。 「だからおミズに当てるの無理って言ったのに」  後ろから愛も笑いながら顔を覗かせる。 「ミぃネぇ…」  「前から飛んで来たんだから、よけろよ」  いきなり雪玉投げて来た純にも腹が立つが、平然とそう言い放つ淳にも頭にくる。もしかしてこいつらグルかとまで思う。  砕けた雪玉の雪を払う振りをしてしゃがみこんで、こっそり素早く雪玉を作り、近寄って来た純の顔をめがけて投げる。  不意をくらった純の顔に、モロに命中する。 「うわ。てっめえノリっ!」 「自分がやったんだろ!」  逃げながら、もう一つの雪玉を今度は淳に投げる。淳はそれを両手で受けとめて、走って行く健範めがけて投げつける。 「いってえ。マジで投げんなよっ」  振り向いた健範は今度は雪玉の中に石を仕込んで投げる。  雪だるま『一号』の陰に隠れた淳の代わりに、『一号』が被害を受けた。頭に当たって、頭が崩れる。 「うあ。こんなもん当たったら死ぬぞ、マジ」 「おまえなんか、このくらいじゃ死なねえよ」 「あーノリが一号壊した。ひっどーい!」  由利香が駆け寄ってきて、一号の頭を撫でる。 「痛かったねーよしよし」 「ユカ、あんまり情入れんなよ。溶けると悲しいぞ」 「言わないでー。今から悲しー」 「わわっ、泣くなーっ!」  由利香に気を取られている淳に、健範の雪玉の攻撃が集中する。幸い、石は仕込むヒマが無かったようだ。 「ざまみろ」 と言っている健範に、今度は純の雪玉が命中する。 「顔狙うな!」 「お互い様だろ!」  そうこうしている間に、純の流れ弾が歴史に当たる。 「ミネ、なんでっ!」 「あ、ごめん」 「見てただけなのにっ!」  歴史も雪玉を作り始める。矢継ぎ早に飛んでくる雪玉に、思わず淳は、目の前にあった『一号』の頭をつかんで、助走をつけて力いっぱい健範に投げつけてしまった。頭は健範に命中し、粉々に砕け散った。 「淳っ!」 「…あ゛…」  由利香の叫び声に、一瞬その場に立ち竦む。もしかしてものすごくヤバイ事をしでかしたような…。 「ばかっ!もうっ!敵だからねっ!」 「え゛?」 「一号の仇っ!」 由利香は叫ぶと、健範の側に走り寄り、メチャクチャに淳に向かって雪をつかんで投げ始めた。 「ユカ、こえー…」  隣で健範が由利香の勢いを見てビビる。 「なに言ってんの!ノリもさっさと投げなよっ!チルチルもっ」 「はいっ!」  2人で声を揃えて返事をする。 「ミネ〜。ユカに敵って言われた。」 「自分が悪ぃんだろ」  淳に構っていると、自分が危ない。すでにみんな全身雪だらけだし。 愛は雪だるまの陰でひたすら雪玉を作り続ける。雪合戦の時は、雪玉を作る人と、攻撃する人が分かれるのは鉄則だ。 「ユカも雪玉作ってよ」  歴史が一応言ってみるが、 「やだ!淳にぶつけないと気がすまないっ!」 と言う予想通りの返事。 「じゃ、ぼく作る?」 「いい!自分で作って自分でぶつけないと、いやっ!」  頑固に言い張って、雪玉を作っては投げる。  歴史は諦めて、とりあえず雪玉作りに専念することにした。  ちらちらと降る雪の中、いつの間にか淳がそっと健範の後ろに回りこんでいた。気が付いた歴史が健範に声をかけようとしたが、一瞬早く、淳が健範の服の首を後ろから掴むと、背中に雪玉を放り込んで逃げた。 「うわギャああああっ!おミズぅぅぅっっ!!!」  健範、戦闘不能。  急いで着替えに走って行ってしまう。 「淳、きたないよっ!」 「るせー!戦いに汚ねえもなにもあるかっ!」 「あるよっ!」  由利香はつかつか『一号』に歩み寄ると、胴体を両手で持ち上げて、淳に投げつけた。 「うそっ!」  とりあえず受け止めようとするが、至近距離のため、受け止めきれず、そのまま仰向けに倒れこんだところに、『一号』の胴体がどすんと乗っかる。 「ぐえ」  倒れたまま目を閉じる。ちょっとこのまま倒れていようかなと思っていると、由利香が近寄ってくる気配がする。 「淳…大丈夫?」  体の上の砕けかけた雪玉を取り除いている様子。  心配してるじゃんと心の中でほくそ笑む。やっぱ、もうちょっとこのまま倒れていようっと。 そっと頬に触れる由利香の手のひらの感触。あ、手袋取ったんだ。 「淳ってば…」  やば、泣き声になりかかってる。ゆっくりと目を開けると、由利香のほっとしたような顔が目の前にあった。  上体を起こして雪を払う。 「脅かさないでよ!」 「あはは、ごめん」 「ユカ、そのくらいで、おミズどうにかなるわけないじゃない」  愛が微笑んでいる。 「ユカは心配なんだよねー、おミズの事」  「別に心配じゃないけど、寝覚め悪いし…」 「またまたぁ」  淳の背中の雪を払う手伝いをしながら歴史は思う。やっぱり、なんだか邪魔できないよね、この2人って。

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「なにしてんだ、あいつら」  何気なく窓から外を見た由宇也は、元気に雪合戦をしている淳たちを見て呆れた声をあげた。 「楽しそう」  優子が隣に立って、いっしょにグラウンドを見下ろす。   「ガキかあいつら。16,7にもなって」   「まだ、子供じゃない私たち、みんな。」  優子と由宇也の部屋は隣同士で、勝手に改造して行き来できるようになっている部屋のうちの一つだ。間にドアがあって、両方から鍵がかけられるようになっている。今朝もそのドアから優子が由宇也の部屋にやって来て、朝のお茶を入れている。ちなみにお正月なのでめでたい桜茶。  しばらく雪合戦を眺めた後、ちょうどいい具合に冷めたお湯を二つの湯のみに注ぐ。桜の花が2輪ずつきれいに開いて入っていて、ほのかに桜の香りがする。 「由宇也は自分を大人って思い過ぎてる。まだ17だよ。」  言いながら、一つを由宇也に渡す。 「仕方ないだろ。必要以上に早く大人になれって、ずっと言われてたんだから。なんかもう50年くらい生きてる気がするよ。」 「オーバー。私はせいぜい20年くらい」  優子はふわっと笑う。つられて由宇也も笑いながら 「優子のほうが強いな」 と言う。そして、遠くを見る目になる。 「木実と小雪は、よくもつよなあ。おれは、とてももたなかった。木実はまだ茉利衣についてあちこち出掛けたりしてるけど、小雪はずっと訓練で、あとは仕事で人、殺しに行くだけだろ。よく変にならないと思う。おれにはあいつの後なんか継げない」  由宇也は小雪の後を継ぐべく育てられていた。それに耐えられなくなり、出てきてしまったのだけど、後ろめたさが残る。優子は由宇也とペアとして、つまり木実の後を継ぐよう育てられた。そのために誰にでも警戒されない微笑と、柔らかい口調を身につけている。優子は小さな声で独り言のように言う。 「小雪を見てると、辛かった。今でも時々夢に出てくる」 「え?優子、あいつの事なんて、夢に見てるの」  由宇也は意外そうな顔になる。 「いつも悲しそうな顔してる。でも、何もしてあげられないし。ごめんねって謝って目がさめるのよね」 「へえ…。」  複雑な表情になる由宇也に、優子はまた柔らかい微笑みを向ける。 「やだ、由宇也。嫉妬してくれるんだ」 「ばか、何言ってんだよ。」  優子はそっと由宇也の手を取って、目を覗き込む。 「ね、私はペア組んだのが由宇也で良かったと思ってるよ。もし、由宇也以外だったら、いっしょに逃げる勇気が出なかったと思う。私の事、連れて逃げてくれてありがとう。この後何があるかわからないけど、私はずっと由宇也の事好きだからね」  何かってなんだと聞こうとして止めた。聞いてはいけない事のような気がした。  優子は由宇也の手を取った時の様にまたそっと離し、窓辺に寄った。外を眺めて、 「あ、おミズ倒れてる」 と呟く。 「え?」  由宇也も再度グラウンドを見下ろす。 「あのバカなんで雪玉の下敷きになってんだ。」 「ユカちゃん心配そうな顔してる。可愛いな。あの2人、なんで一歩踏み出さないのかな。」 「おミズのバカが、なんかにこだわってるんだよな。おれには何だかわからない。」 「反対するのやめたの?」  優子はおかしそうに言う。 「反対に決まってんだろ。ただ、ユカがあんななついてるのに、それをムリヤリ引き裂くわけにも行かないし。」 「嘘ばっかり。上手くいくといいって思ってるくせに」 「優子っ!」
  
 

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