2.1. Snow,Snow,Snow 〜part4
「ナッツ、あれ、どこかしら?」
茉利衣の部屋にもどって一人で書類の整理をしていると、茉利衣が入ってくるなり木実にきいた。
またか、と心の中だけでため息をつき、顔では微笑みながら聞き返す。
「小雪ですか?」
「そう、それよ」
「さっきは、部屋にいましたけれど」
「また、ジグソーパズル?変わってるわよね、何が楽しいのかしら。ま、一人でいるのが好きな、あれには合ってるのかしらね?」
「お言葉ですけど、茉利衣様」
木実は珍しく、微笑を顔から消し、真剣な表情になる。
「彼は一人でいるのが好きなわけじゃありません。彼の仕事上、他の人間と関係を絶ったほうが仕事がし易いから一人でいるだけです。ご存知でしょう?」
「まあね、実際いっしょにいても相手が肩こっちゃうから、いいんだけどね。」
気楽な調子で茉利衣は続ける。
「仕事なのよ。今日中に片付けて欲しいんだけど。」
「今日…ですか?」
木実は眉をひそめる。今日は元日だというのに。
「今日くらい、休ませてやれないんですか?」
「今日だからこそ、油断してるでしょ。ある意味チャンスなのよね。いつもはボディーガードが大勢付いている人も、家族だけしか周りにいなかったりするし」
「家族…の中で暗殺するのですか」
相手がどんな人間かは多分木実が知る事はないのだけれど、家族の目の前でというのはあまりにむごい気がする。
「あら、愛する家族に見守られて死んでいくのって、ある意味幸せじゃないの?慈悲よ」
茉利衣はあっけらかんと言い放つ。
「とにかく、ここに書いてあるから、渡して来て。今日中よ」
メモを渡されて、気が乗らないまま小雪の部屋に向かう。
ノックをして部屋に入ると、小雪はさっきと同じ姿勢でパズルに向かい合っていた。
「ゆきちゃん」
と話しかけると、片手で制される。ピースを探し出し、正しい位置にはめ込んでから木実に目を移す。
「仕事だってさ。お正月なのにね」
メモを渡すと、小雪はざっと目を通しただけで、すぐに細かい破片に千切り、天井に向かって両手で投げ上げた。一度ふわっと舞い上がった紙片はすぐに雪のようにひらひらと舞い降りてきて、小雪の周りに散らばった。
すっと立ち上がり、部屋の隅のたんすの引き出しから、細身の短剣を取り出す。少し考えてべつの引き出しから似たような短剣をもう一本取り出す。同じように見えるが2本目には、銃が仕込んである。一瞬の後に2本の武器はまるでマジックのように、小雪の体のどこかに隠された。いつもながらほれぼれするような手際だ。
髪をまとめて帽子に押し込み、カラーコンタクトを入れる。
「ゆきちゃん、気を付けて。帰ってきたら、夕飯いっしょに食べよう」
木実の言葉にちょっとだけ小雪が笑ったように見えた。
音もなく、部屋を抜け出し、小雪は自分の『仕事』に向かった。
****************
「今頃、どうしてんだろあいつ」
外にちらちら降る雪をながめながら、淳が何気なくつぶやく。
目の前には豪華なお節と、武と由利香が作った雑煮。ただし由利香は鶏肉を切っただけ。
「あいつって誰?」
由利香が隣でお雑煮のおもちと格闘しながら聞き返す。
どうも機械でなく、ちゃんと臼と杵でついたものらしく、めちゃくちゃ粘りが強く、コシがある。
「小雪」
「ああ。『ゆきちゃん』」
由利香は、木実の言い方を真似してみる。どうもイメージ合わないけど、と思いながら。
淳は小雪と数回顔を合わせている。
つまりそれは数回殺されかけた、とも言える。
「お前、殺されかけてるんだぞ、わかってんのかよ。何懐かしそうに話してんだ」
純の口調には怒りの色が含まれている。
「あいつ、おれ殺す気なかったと思うよ。絶対手加減したって」
呑気な口調で淳が返す。
「そういうことすると、『鉄の部屋』送りだけどな」
由宇也が口を挟む。
「だって、マジだったら殺されてるって。あいつハンパじゃねえもん。ナイフがこの辺」
と耳の下辺りを指で指す。
「通ってったんだよね。ちょっと血が滲んだ程度でさ。2回目は」
今度はわき腹あたりを指す。
「ここあたり」
「それ傷跡残ってるよね。」
由利香はやっとの事でおもちを飲み込んで言う。はっきり言って、淳の体は良く見ると傷跡だらけだ。
「うん。3回目はもう切りつけても来なかった。なーんかさー、あいつ同じ匂いがするんだよね、自分と」
「同じってっ!あいつ、暗殺者だぞ。おまえ、自分にそういう血が流れてるって思ってんのか!」
「だって、あいつだって、生まれつきアサッシンなわけじゃねえじゃん。おれだって一歩間違ったらどうなってたかわかんねえもんな。」
「またそういう事を…。冗談にならないような事言うなよ」
「ほら、ミネだって冗談にならねえって思ってるくせに。」
「私もそれは感じてたわ」
優子が同意する。
「偶然、さっき私たちも小雪のこと思い出していたの。小雪、おミズに似たところがあると思う。おミズ育ち方が違ってたらああなっていたかもね。おミズは仲間に恵まれたから自分を保っていられるのよ」
「だってさー。ミネいつもありがとー」
「だから、いちいち抱きつくなって言ってんだろうがっ!おれ、今そういうのナーバスになってんだから」
「ああ、さっきので?かっわいー」
「さっき?なに?」
「ミネったらさあ、4丁目のおねーちゃんに…」
「わ!バカ!言うな!」
純は淳を羽交い絞めにして口を押さえる。
「ロクなことしねーな、ったく。」
ぶつくさ言ってると、淳に手を噛まれる。
「おまえは野良犬か」
「だって、口押さえられてたら、食えねーじゃん。抱きしめてくれるのは嬉しいけど」
「誰が…っ!」
「ミネの負けだな」
由宇也が淡々と純の敗北を宣言する。
確かにそれっぽい。
純は天を仰いで嘆息する。
「あ〜あ、今年もおれはおミズにいいように遊ばれるんだ」
「いーじゃん。楽しいだろ?」
淳は自分自身が楽しそうに、重箱をつつく。目の前のお節は中華風。点心を中心に、エビのチリソースやチンジャオロースーが彩りよく詰め込まれている。
「私、お節も初めて」
由利香は幸せそうにシュウマイを食べながら言う。
それは…お節と言えるのか?
「そっか、良かったな、ユカ。なんか正しいお節とは違う気もするけどな」
『正しい』和風の伝統的お節はごく一部で、ほとんどは洋風だったり、中華だったり、あげくの果てはタイ風だったり、アメリカン(どんなだ!?)だったり。おいしいからいいけれど、由利香の伝統的な食事に対する感覚は、ゆうべのお鍋と言い、今日のお節と言い、かなり妙なものになってしまっているかもしれない。
『姐御と使いっ走り』が買って来た食材は、今夜以降に持ち越した。ちなみに夜はカレーの予定。
最後の晩は、残り物を全部入れて闇鍋状態になりそうな予感が…。
「午後、羽根つきしよ、羽根つき」
淳が言い出だす。日本の行事を大事にとか言っていたのは本音なのか?
「羽子板なんてあるのか?」
あるはずない。
「じゃ、勝ち抜け式でバドミントン」
「勝ち抜け?」
「買ったヤツは抜けて、負けたやつがトーナメントで残っていって、最後に残ったやつがカレー作るんだ」
「なるほど」
「乗った」
基本的に体を動かすのはみんな好きだ。
賭けが加わるとなおさらだ。
そして、午後から、カレー作りを避けるため、熾烈な戦いが繰り広げられる…ことになるだろう、たぶん。
しかし、コートは雪の中なんだけど…どうするつもりだろう。
****************
深夜過ぎ、小雪は戻ってきた。
さっき茉利衣の部屋に寄ったら、もう次の日になってると文句を言われた。木実が、始末したのは多分元日のうちだからと口添えしてくれたが、小雪にとってはどうでもいいことだ。
言われた場所にいる、言われた相手をなるべく素早く始末して帰ることだけに集中すれば良い。結果的に日程がオーバーしたからと言って、最善を尽くしたのなら、仕方のないこと。それで文句を言われたり、罰を受けることになっても、他に誰かができたかと言えば、できることではないのだから。
部屋の電気をつけ、やりかけのパズルにチラっと目を向ける。ここから、小雪の『儀式』が始まる。
髪を下ろして、コンタクトを外し、ゴミ箱に捨てる。次回は多分違う色の目で仕事をすることになるから。一度使ったコンタクトは、始末した相手の最後の顔が焼きついているようだ。それが気持ちが悪いとか、何かが乗り移っているというのではなく、その顔が一瞬の判断力を鈍らせるような気がしてならない。
短剣を真水で丁寧に洗い、乾いた布で拭いて、元の場所にしまう。仕込み銃は今回は使わなかったが、分解してやはり乾いた布で拭く。布はやはりゴミ箱に捨てる。
その後に、服の袖を肘まで捲り上げ、石鹸をつけて手を洗う。何度も何度も。
今日の一日を、自分が今までしてきた事を、洗い流すように。
きれいな新しい真っ白なタオルを引き出しから出し、手を拭いて、やはり捨てる。
電灯に両手をかざして、目を細め、すっかりもとの状態になっている事を確認すると、やっとパズルの前に腰をおろした。
同時に、木実が入ってくる。おそらく外で、小雪のいつもの『儀式』が終わるのを待っていたのだろう。
「いっしょに、夕飯にしようって、約束したよね」
銀のトレイに載ったサンドイッチとやはり銀のポットに入ったコーヒー。
いっしょに床に腰を下ろし、これも銀のカップに熱いコーヒーを注ぐ。
「ゆきちゃん、砂糖もミルクもいらないよね」
自分のぶんだけ、ミルクを注ぐ。
「仕事、どうだった?上手く行った?…なんて聞く事ないか。ゆきちゃん失敗しないもんねえ」
「した。前に。」
「水木淳?あれは失敗じゃないでしょう。わざとだと思ってるよ。なぜだか知らないけど」
小雪はそれには答えずに、コーヒーを一口飲む。
今日、いや正確に言えば昨日から、つまり今年初めて口にする食物かもしれない。
「乾杯しようと思ったのに。今日…ってもう昨日だけど、新年だよ」
木実は小雪のカップに、こつんと自分のカップを合わせる。
カップに入ったコーヒーが揺れる。小雪はそれをじっと見ながら
「新年か。」
と呟くように言った。
「そう、新年だよ。まあ、ここにいる以上、新年もクリスマスも誕生日も関係ないけれどね。」
そう言えば、2人とも自分の誕生日も知らない。
「ま、今年もよろしく、ゆきちゃん」
もう一度カップを合わせる。
木実がサンドイッチに手を伸ばしたその瞬間、小雪の唇が『よろしく』という形に動いた。声は出さない。
気配を感じて、木実が笑う。小雪は目をそらし、手だけをサンドイッチに伸ばした。
外ではまた雪が激しさを増したようだ。