2.3. Two of Us 〜part1
バレンタイデーから一週間、淳は純と新潟に出かけた。 試合自体はすんなりと終わった。淳も珍しく節度をわきまえ、特に反感を持たれることもなく、きちんと約束どおり優勝した。 「今回は楽だったよな。いつもこうだといいのに」 思わず純が口にすると、 「それじゃつまんねえだろ」 と返事が返ってくる。つまらないとか、面白いで試合運びを量るのが間違っている気もする。見るほうじゃなくて、やるほうなんだから。そんな事淳に言ったって無駄だけど。 さすが真冬で、新潟は雪が深く降り積もっていた。 「すっげー、こんなん初めて」 「来てるんだろ、何度も」 「冬は来ねーよ、こんなとこ」 こんなとこ、という淳の言葉に行きかう人が振り向く。軽く睨みつける人もいた。 そりゃそうだよね。みんなはここに住んでるんだから。 純は代わりに、軽く会釈しておく。なんで自分が謝らなくちゃ…とも思うけれど、世間とのトラブルを避けるためには仕方ない。淳と街を歩くのは、こうやって緊張感が伴うわけだ。 「で、その管理人の家ってどこなんだ」 純が預かっていたメモを見ながら、管理人の家を探す。 「多分この辺。」 あたりを見回していると、一軒の門の前に初老の男が立っているのを見つけた。 淳を見ると、にっこりして手を振る。 「淳ちゃんだね。すぐわかったよ。いやあ、変わってないね」 「おれって…変わってねえんだ…」 少なからずショックを受けたらしい淳の口調に、純は苦笑いしながら、 「まあまあ」 と肩を叩く。小さいときしか知らないはずの人に、瞬時で判断されるというのもあまり楽しくない。 おまけに『淳ちゃん』だし。 「久しぶり、おじさん。でもできれば、淳ちゃんはやめてくんない?おれもう16だよ」 「だって、淳ちゃんは、淳ちゃんだろう?」 おじさんは人の良さそうな笑顔をにこにこと淳に向ける。何故か昔からこの笑顔には逆らえない。 淳は仕方がないといった表情になり、純に意見されて買ってきたお土産の『江戸前おかき』を渡しながら 「あ、これ、友達。峰岡っていうの。今回いっしょに、家使わせてもらう」 と純を紹介する。 「初めまして」 「お友達といっしょだったんだね。尚ちゃんが来るのかと思っていたよ」 「尚は別のとこで、別の用事してる。おれは今回こいつといっしょなの。」 「へえ。こんなとこじゃなんだから、中でお茶でも…」 「いや、おれ達急ぐし」 「おミズ」 純が小声で、おじさんに聞こえないように淳に言う。 「お茶くらい、飲んでけよ。懐かしいんだよ、きっと」 「昔のこと話されんのやだ」 「昔の話は、長く人生歩いて来た人の、大きな楽しみなのに。おまえみたいなカモで遊べなかったら、一週間は後悔し続けるぞ」 「なんでおれがカモなんだよ」 「子供のころ、さんざん色々してるだろ。明らかに」 「すっげーいい子だったけど」 「うそつけ。それが何でこうなるんだよ」 「おばさんも、会いたがってるのになあ」 おじさんはいかにも残念そうな顔になったが 「あ、是非、頂きたいです。ほら、こいつの子供の頃の話も聞きたいし」 という、純の言葉に相好を崩す。 「そうかあ、そりゃあ良かった。じゃ、今お茶淹れさせるよ」 奥に向かって声をかける。 「おーい、淳ちゃん寄ってくってさ」 「おまえさ…、ホンキだろ。おれの昔の話聞きたいのって」 「さあてね。」 純はにやにやする。 弱みを握る機会は、せいぜい利用しないとね。****************
「そうそう、大変だったわよねあの時は」 おじさんと同じような人のいい微笑を顔に浮かべたおばさんは、昔を懐かしむ口調で言った。 目の前にはお茶と、おせんべいと、越後名物『笹だんご』。そう言えば、由利香がお土産に欲しいと言っていたと思い出した。 「山の方に尚ちゃんと2人で行ったっきり、夜になっても帰ってこないで、みんなで心配してこの辺の人みんなで探したんだけど、見つからなくて。奥さんは、どうせ帰ってくるわよなんておっしゃってたけど、晶ちゃんがそれは心配して、半狂乱状態で一晩中お父さんが付き合って歩き回っていたんですよ。」 「そうだっけ?よく覚えてねえ」 「次の日の朝になって、2人で窪地で眠ってるのが見つかったんだけど、ちゃんと焚き火を焚いた跡と、魚かなんかを捕まえて食べたあとがあったって言うから、みんなびっくりして。」 「あー思い出した。尚が火があった方が安全だっつうから、火おこしたんだよな。すっげー大変だった。で、せっかく火があるから、なんか焼くかと思って、おれが川に入って魚捕まえたんだ。あの時は。で、せっかく気持ちよく寝てたらねーちゃんにたたき起こされて、2人とも、ものすごくひっぱたかれた。3日間顔が腫れた。」 「あの時は…?」 純が聞きとがめる。 「何回かそんな事してるから。ただあの時は土地勘なかったから、やばめだったかも」 「何歳だよ」 「7,8歳かなあ?」 「川遊びしていて、増水して中州に取り残された事もあったわよね」 「ああ…。」 「あの時は、消防署のレスキュー隊が出て、ヘリコプターで吊り下げられて救出されたのよね」 「そっかその時の記憶だ。なんか高いところでぐらぐらしながら山の景色を見た覚えが…」 「それは、何歳?」 「4、5歳くらいだったかしらねえ」 「あの時は奥さんがさすがに、私が目を離したせいだっておっしゃってたわねえ」 「でも、わたしらから見ると、あの時奥さんはたしか妊娠中で、淳ちゃん達を追い掛け回せる状態じゃなかったと思うけどねえ。2人でどこまででも、行っちゃってたし、一瞬目を離した隙に、ここの屋根に上ってたこともあったし」 「やっぱ、ロクなことしてねえな」 「オトコの子だったら、ふつーじゃん。」 「そうそう、それから、地元の中学生と大乱闘になった事もあったわねえ。あれも警察沙汰になったわね。あれは…4年生くらい?」 「勝ったよな」 でもその時の傷が今でも残っている。 「おまえなあ、そういう問題じゃないだろ」 「いや、ケンカは勝たねえと」 「とにかく、年に一度くらい春か夏に来てたけど、来るたびに何かやってたわよねえ。今となっては懐かしいけど、あの時は大丈夫かしらって随分心配したわ。でも、こんなに立派になって。お土産まで買ってきてくれて、もう家宝にするから」 本当に立派になっているかどうかはかなり疑問が残るが、とりあえずおばさんは涙ぐんでいる。 「オーバーだって」 「なんか、気持ちがちょっと分かるような…」 いつかは純も今の状態を振り返って『あの頃は大変だったけど、こんなに落ち着いて』とか考えられる時がくるのだろうか。****************
「ナッツ、あれ、どこ?」 茉利衣がいつものように小雪を呼ぶのを、木実はちょっと苦々しげに聞く。顔では微笑みながら 「茉利衣様、名前でよんでやってくれませんか?」 と丁寧に言ってみる。 「いやなのよね、名前口にすると、一瞬で現れそうで」 「そんなに嫌わなくても」 「嫌ってはいないわよ。あんなに腕が立つアサッシンはいないし、日本支部はあの子で持っているようなものだから。私もそれに関しては鼻が高いしね。でも、それとこれとは別。不気味なのに変わりはないわ。で、仕事よ、これ渡して来て」 メモを木実に渡し、 「あなたも仕事があるんだけど…今日は駄目ね。明日でいいわ」 「申し訳ありません」 深く礼を返し、茉利衣の部屋を出る。 木実はメモを見ることはない。見ると、いてもたってもいられない気分になる。その場に駆けつけたくなるだろうし、邪魔になるのはわかっている。それは緊張の緩みにつながり、取り返しのつかない結果を生みかねない。 「ゆきちゃん」 と声をかけて、ドアを開ける。 いつもの場所に小雪がいない…。 「あれ、ゆきちゃんどこ?」 「来ると思ってた」 小雪は引き出しを開け、ナイフを選んでいるところだった。 「脅かさないでよ。また、どこかに行っちゃったのかと思った」 「しないよ、もう」 目を伏せながら、片手を差し出す。その手に木実が 「はい、これ、仕事」 とメモを載せる。 手のひらにメモを載せたままゆっくり目の前に手を動かし、目を落とす。一瞬表情が曇ったように見えたが、すぐにいつもの無表情に戻る。ぴくりとも動かずに、文字を目に焼き付けるようにしばらく見つめ、いつものように細かく紙を千切り、ぱらぱらとその場に落とす。軽く首を傾げ、一本のナイフを選び出す。少し考えて、もう一本。 それをじっと見つめていた木実は、小雪が武器を服の中に滑り込ませるのを確認してから 「寒いから、気をつけて」 と言った。小雪は小さく頷いて、カラーコンタクトをはめ、コートのフードを目深に被って、振り返りもせずに部屋を出て行く。まるで、振り返ると出かけられなくでもなるかの様に。 木実はそれを見送り、ドアが閉まるとその場に腰をおろした。ちょうどいつも小雪が座っている場所。 作りかけのジグソーパズルを見ながら、祈り続ける。 「ゆきちゃん、ちゃんと戻っておいで…」 これがいつもの彼の『儀式』。小雪の戻ってくる気配がするまで、彼はこの場を動かない。 神なんて信じない。でも、もしも途中で何かがあって、小雪が戻って来なかったりしたら、きっと自分は神を呪うだろうと思う。