2.3. Two of Us 〜part2
淳と純は、おばさんに夕飯をお弁当にしてもらって、家に向かった。
街中をはずれ、人通りがなくなった道を雪を掻き分けながら少し歩くと、うっそうとした森に囲まれた大きなレンガ造りの洋館が現れた。
あまりの立派な外観に、思わず純は息を飲む。
「おっ…おまえボロいってっ!」
「だってすっげー古いんだぜ。所々壁剥げ落ちてるし」
淳は言いながら、重そうな旧式のドアにこれまた旧式の大きな鍵を差し込む。
借りてきた懐中電灯をつけて、ドアを押すと、ドアはギギーっと軋んだ音をたてて開いた。入ってすぐのところは吹き抜けのホールらしく暗くてはっきりとは分からないが、がらんとした感じがする。
「1階はあと、食堂とか、風呂とか、応接間とか、居間とか。2階が客間。トイレだけは一応水洗。屋上に雨水タンクに溜めてんだ。」
「…なんちゅうか…。おまえんちって…ナニ?」
「さあ。ガキの頃はどこんちもこんなもんだろうと思ってた。なんか、曾じいさんが貿易商かなんかで、すげえ儲けたらしい。で、じいさんが先物取引で儲けて。でもおやじは普通のサラリーマン。で、おれがこんな。三代で身上潰すってホントだな」
「サラリーマン?」
「銀行だけど。今取締り役。なんか異例の出世とか言われてる」
「それ、ちっとも普通じゃねえ。サラリーマンって言わねえし」
「そうなんだ。ま、いいや、おれ、かんけーねーし。部屋、どこ使う?下にする?でも下にベッドねえか。」
「なんか、こんな家で寝られそうもねえ」
「あ、じゃ徹夜しよ、徹夜。そうすりゃ一晩中火焚いておけるし。居間行こう、暖炉あるから。」
何故か嬉しそうに淳は居間に向かう。
居間の暖炉の傍には薪が積み重ねてあり、そばには斧も置いてある。淳は斧をとりあげて床の上で細かく割り始めた。
「おい、いいのかよ、そんなとこで」
「いいのいいの。どうせ古い家なんかだら」
良く見ると床のあちこちに傷が付いている。
「ミネ、そこの新聞紙に火つけて、暖炉に入れて」
「暖炉なんて初めてだよ、おれ」
純は傍にあった新聞紙を数枚丸めて暖炉に放り込み、マッチで火をつけた。
「じゃ、これに火つけて」
細く割った薪を渡し、自分はさらに薪割りを続ける。
「なんか、おミズって妙な生活力あるよな」
「そ?」
新聞紙から薪に火が移ると炎は明るさを増し、部屋の中が照らされた。調度品が炎の光で浮かび上がる。
「すっげえ」
純はその豪華さに息を飲む。大理石に瑪瑙が埋め込まれているらしいテーブルには細かく細工が施され、猫足のソファは古いので布地の部分は色褪せているが、手の込んだ刺繍はどう見ても手縫いだ。絨毯もかなり目の詰まった複雑な模様が織り込まれていて、値打ち物に見える。高い天井にはぼんやりとシャンデリアの影も見えている。暖炉の上の燭台も長い間放置されているから曇ってはいるが、銀製のようだ。
思わず見とれていると
「ミネ、ろうそく付けて。そこの引き出しに入ってる」
淳の言葉に我に返る。淳はもっと太い薪に火をつけるべく奮闘していた。
「あ?ああ…」
暖炉の上に乗っている、その小引き出しも、マホガニー製だ。
お金ってあるところにはあるんだな、としみじみ思う。ずっとこんな環境で育っていた淳には実感がわかないんだろうけど。
ろうそくに火をつけて燭台に立て、テーブルに置く。
「あー、いいよなあ。おれさあ、暖炉って好きなんだ。」
淳は暖炉の前に座り込み、薪をくべながら目を細めて、炎を見る。
「へえ?」
「落ち着くよな。火焚いてると」
「じゃ、おまえ、暖炉しょって歩け」
「ははは」
純の言葉にも腹も立てる様子もなく、穏やかな表情で笑っている。
「おミズ?」
「え?」
「キャラ変わってる」
「火を見ると、落ち着くヤツと、興奮するヤツがいるだろ。おれは前者なんだ。最近こういう機会ってねえよな。今度キャンプファイアーでもしようかな」
「フォークダンスでもするのか?」
「それは嫌だ。」
「だよな、おれも嫌だ」
「ミネとだったら踊っていいよ」
「やだよ」
「あははー」
淳はやっと立ち上がって、消していた懐中電灯を点けた。
「風呂沸かしてくる。風呂場遠いんだよな。途中が寒くて」
「基本的に家が広すぎんだよ」
「風呂場がこれまた広いんだけどさ、一人火の番しなきゃなんねえから、一緒に入れねえ」
「いいよ…入んなくて」
「えーせっかくなのに」
「ったく…」
せっかく大人しいかと思えば結局はこの調子だ。まあ、Φは大浴場があるから、お風呂なんてみんなで入ってるんだけどね。
水を汲むのは手間取ったが、沸かすのはさすがにガスなので、それほど手間はかからない。2人で順番に入っておばさんの持たせてくれたお弁当を広げる。
「なんかさーキャンプみてえ」
「おミズキャンプなんてした事あるのか?」
「ない。でも、キャンプには酒が付き物だよな」
荷物からウイスキーの壜を取り出す。
「ロクに荷物ないくせにそういうのはちゃんと持ってくるんだな」
「うん。生命の糧だから」
居間のキャビネットを開けて、グラスを取り出す。細微なカットの入ったクリスタルのオールドグラス。
受け取りかけた手が思わず震えそうだ。
「もっと普通のないのかよ」
「これが一番安そうだった。後は、手彫りの江戸切り子とか、純銀のワイングラスとか…」
「…これでいい」
乾いた布で磨くと、暖炉の光を浴びてきらきらと輝く。
「なんかさー、電気の光で光るのと、炎で光るのと違うよね。あったかさが違うっていうかさ」
淳は酒瓶の封を開け、二つのグラスに注ぎながらそんなことを言う。あとの二つは水を入れてチェイサ―にする。
「おミズもそんな事感じるんだ」
「ひでーなあ。」
お弁当は、野菜の煮つけや、焼き魚、漬物といったいわゆる『田舎料理』が中心。作ってくれた人の人柄が出ている優しい味付けだ。『若い人にあわせて』わざわざ豚カツをあげてくれて、それが全体のバランスを崩しているのが微笑ましい感じだ。高菜で巻いたおにぎりと、ひじきの入ったおいなりさんもかなり大きめだ。
「いい人だよな、おばさん」
「うん。一度さあ、おふくろにすっげー怒られたとき、家出して新潟まで来たことある。でも場所知らなくてさ、どうしようって思ったら駅に迎えに来てくれてた。あとで考えたらおふくろが連絡してたんだろうけど、その時は『あら偶然ね』とか言って、一週間くらい置いてくれた。」
「それは何歳?」
「6、7歳かなあ」
「ほんっとロクな事しねえな。大変だなおまえの親やるのも」
「もう、ちっとやそっとじゃ驚かねえもんな。おふくろもさ、さっき言ってたケンカの時なんて、おれは絶対悪くないって主張して譲らねえから、こっちが恥ずかしくなった。」
「どっちが悪かったんだよ」
「いや、よくあるじゃん、ただ歩いてたのに、ガン付けられて、どこ見てんだよ、殴られたくなかったら金出しなみてえな」
『よくある』ことかどうかは疑問。淳の場合に限り、確かに『よくある』んだけれど。
「おまえ目立つからな」
「でさ、ざけんじゃねーよみたいに返したら、なにをーとかなって3人くらいに囲まれた。後になって相手が、ただ歩いてたらおれが急に後ろから殴りかかって来たとか主張しやがった。信じらんねえよな。年上なのに負けて、バツ悪かったんだろうな。でも、口も手も先に出したのはあっち。」
「尚は?」
「その頃はもうあんまり一緒に行動してなかった。おれは切り傷だけだったけど、相手の方が脳震盪起こしたりしてダメージ大きかったから、なんかおれが特殊な技でも使ったみてえに言われて。」
「特殊な技?」
「空手とか少林寺とか。おれがそんな毎日修行しなきゃならねえような事、できるわけねえのになあ」
「自慢するなそんな事。」
「おれの傷は明らかにナイフかなんかで切った傷だったから、おふくろが卑怯なのはそっちじゃないとか主張して。そんなもの使って、もし刺さりどころが悪かったらどうしてくれるのとかすっげー剣幕で、おれは少なからずビビッたね。でも、相手の中に市会議員の子供がいて、結局もみ消された。その時おふくろが言ったんだよな。自分が間違ってないって思ったら絶対謝っちゃ駄目だって。なんて親だと思った」
「おやじさんは?」
「ケンカしてもいいけど、命は大事にしろって言われた。死ぬのは最大の親不孝だって。まあ腕の一本や二本折るのは経験だけどとかさ。でもあんまり大きく残る傷付けると、自分で後悔するハメになるから気をつけろって」
「おまえ、あるじゃん、背中にすさまじい傷」
「あれは、ケンカじゃねえんだけどさあ。ああ、おれ、傷モノなんだよね。もうマトモにお嫁にいけねえんだ。ミネ、貰ってくれる?」
「ばか」
「あははー。ミネなんてケンカとかしたことなんかねえだろ、ガキん時」
「あるよ」
「え?マジ?」
淳は意外そうな顔になる。
純は人から言いがかりをつけられるようなタイプじゃないし、自分からケンカを売るような事はますますない。
「弟がいじめられて。あいつ融通きかねえやつだったから」
「あ、それか。」
「絵が上手くてさ。学校の代表になった時に、6年のやつらに3年のくせに生意気だとか言われて。代表降りるって言えって脅されて。同級のやつに弟がリンチされてるって聞いて、急いで走ってったら、ぼこぼこにされててさ。思わずカッとして飛び掛って行ったのまでは覚えてるけど、あとは覚えてない。気がついたら全員で保健室に引っ張って行かれてた。」
「ほえ〜。こえー」
「おまえが言うなよ。結構弟がらみではケンカしてんだよな、幼稚園くらいから」
「ふ〜ん。ミネおれのためにはケンカしてくれねえじゃん」
「おまえが先にケンカしてるだろが。負けねえし。」
確かに。淳のほうが純の5倍くらいケンカっぱやい。でもって、確かに相手が音を上げるまで諦めない。
まあ、だいたいは瞬時に決着付いてるんだけど。
「あ、これ、すっげー美味い!」
淳が煮物を口にして感嘆の声を上げる。
「どれ?」
「これ、芋」
淳に言われて、純も箸を伸ばす。里芋に真ん中まで味が染みとおってる。
「ほんとだ。これさ、絶対何日も前から仕込んでるって」
「そうなんだ」
電話をしたのが一週間前。多分じっくり煮込んで味をしみこませたものだろう。
「酒に合う」
「何でも合うんだろ、どうせ」
「うん、あ、この卵焼きも美味いー」
卵焼きは三種で、鮭のそぼろ、ほうれん草、鶏のひき肉がそれぞれ巻き込んである。
「こんな料理の上手い嫁さんで、おじさん幸せもんっ!」
「おまえって、美味そうに食うよな…」
幸せそうに卵焼きを口に運ぶ淳を見て、純が感心する。
「不味いもんは、不味そうに食うよ」
「そうかあ?結構なんでも美味そうに食ってるぞ」
「人を味オンチみてえに」
口では文句を言いながらも、嬉しそうにおにぎりを頬張る。
「美味い〜」
「面白いよなあ、おミズは。結婚なんかしないとか言ってる割に、そういうのに弱いよな」
「えええっ、そう?」
淳はおにぎりを頬張ったまま、意外そうな表情。
「ユカに鍋やってやったりさ、そういう普通の生活みたいなの、わりと意識してるだろ」
「そうなのかなあ。よくわかんねえや。自分ではそういう生活にもう戻れねえって思ってるし」
「おミズ、家に戻れるだろ」
「戻れねえって」
「どうすんだよ、おまえの家。こんな財産あって。尚も家出てるし」
「誰か継ぐよ。ねーちゃんとか、渚とか」
気楽そうにそんな事言っていて、良いんだろうか。一応、本当に一応長男なんだけど。
「財産分与とか大変そうだな。」
「おれも尚もなんもいらねえし。あとは尚が性悪女に捕まって、財産かっぱらおうとしなきゃ。あーでも、なんか危なそう、あいつ。見張っとこ」
「おまえこそ気をつけろよ」
「おれは、へーき。深入りしねえから。その時だけだもん。」
「相手がどうだかな。おれはさあ、何年か後に妙齢のご婦人が、子供の手を引いて、おまえのとこに『あなたの子よ』とか現れるんじゃないか、心配してんだよ」
純はいやにしみじみした口調になる。
淳は顔を覗き込み、
「…ミネ、酔ってる?」
「かなあ。」
返事はあいまいだ。でも、
「そんなドジ踏まねえよ」
適当に答えると
「根拠は?」
と突っ込まれる。やっぱり、酔ってるという程ではないみたいだ。ただ、ちょっといつもより口が軽くなっているかもしれない。お酒のせいなのか、淳しかいないから気が緩んでいるせいなのかはわからない。
「長年の勘」
「長年って…おまえまだ16だろ。」
「へへへー。」
「こえーなあ。親泣くぞ」
「だから帰れねーんじゃん。」
言いながら、お代わりを自分と純のグラスに注ぐ。
「ユカはどうすんだよ。」
「だから言えねーんじゃん。なんか、おれなんかとくっついたらカワイソ、ユカが。」
「…それが本音か…。」
「ユカはさー、ちゃんと何処に出しても恥ずかしくねえ過去のオトコといっしょになって欲しいよな。で、ちゃんとした家庭作ってさ、それこそ子供5人くらい産んでさ、普通に幸せになって欲しい」
「いーのかよ、おミズはそれで」
「いいも悪いも…。おれは、結婚なんてしねえもん」
「そういう問題じゃなくて」
純は、淳がまた何かをはぐらかそうとしているのかと思い、言葉を遮ると、淳は声のトーンを落とし、意外なほど真剣な顔つきになって続ける。
「…って言ったらさあ」
「え?」
「おれは結婚なんてしねえって言ったら、ユカが…。じゃ、自分も結婚しなくていいから、ずっとこのままいっしょにいるとか言いやがんの」
「なんだそれ」
「あいつ最近妙な事ばっか言うんだよな。おれがミネにだけ心許して甘えてるみたいで寂しいとかさ。なーんだかな」
純は呆れて淳を見る。そんなのどう考えたって…
「おまえさあ…それ、告白られてるって」
「やっぱ?どうしよう」
「どうしよう、じゃねえよ。情けねえの、ホンっト自分のことになるとグズグズだな、おミズ。人の事は分かるくせに。時々感心するほど、女の子の感じ方とかまで分かってんのに」
「女の子の感じ方…うあ、なんかやらしー」
「あほか。それに、妙な事ばっか言うのは、おまえもいっしょだろ。このとこヤケに素直だよな、ユカの事」
「ミネにだけだけど、言ってんの。おれ、きっと甘えてんだ、ミネに。ユカ正しいかも」
「そっかそっか。カワイイ奴」
「てきとーに、流したろ…。おれってさあ、ガキの頃から可愛げなくて、なんであんたはそうなのかしらってよく言われてた。体調悪くても言わなかったり、買って欲しいものがあってもねだったりしねえし、辛くても泣かねえし。それがミネに甘えてんだとしたら、すげーんだぜ、分かってる?」
「おれだけじゃなくて、たまには他のヤツにも弱音こぼせ。そのために仲間がいるんだろ」
「うわ、くっせー」
「殴るぞ。とにかくな、おまえは、どれだけ他のやつがおまえの事を気にしてるか無頓着すぎ。一人で解決しようとしすぎるし、誰も自分の事気にしていないってわざと思い込もうとしてる。傍から見てて、ハラハラする。知ってんだろ、露骨に口に出してるヒロはともかく、由宇也だって乗だって尚だってみんなおまえの事心配してるの。おれもだけどさ。あとチルとか」
「ああ…チルね…」
「気付いてるよな」