2.3. Two of Us 〜part4

 
  
    
     木実は、小雪の気配が建物の入り口から入ってくるのを感じて、立ち上がった。  ほっとした笑みを浮かべ、ドアをあけ、自分の部屋に戻る。小雪の部屋で待っていることはない。  やがて、ほとんど足音もなく小雪の気配が近づき、自分の部屋の前でぴたりと止まった。ためらいがちのノックの音。 「どうしたの?ゆきちゃん」  小雪が木実の部屋に来るのは珍しい。 「いい?」 「うん、別にいいけど。」  木実がドアを大きく開けて小雪を招き入れると、すべるように洗面台に近づき、コンタクトを外した。しばらくそれを見つめたあと、何かを振り払うようにぎゅっと目を閉じ、指先でコンタクトを粉々に砕く。 「ゆきちゃん!そんな事したら怪我するよ」 「いい」  もう片方のコンタクトも同じように砕き、洗面台に水を流す。砕けたコンタクトの破片はあっという間に排水口に吸い込まれて見えなくなった。 「ナッツ」  いつもよりトーンの下がった声で木実を呼ぶ。 「何?」  小雪の声の響きにいつもと違うものを感じ取った木実は、逆に平静を装って答える。  小雪は服の中から血まみれのナイフを取り出した。 「これ、捨てて」 「え?でも」  とまどって受け取りながら、小雪の顔を見る。当たり前だけど、小雪は武器をとても大事にする。選りすぐった数本のナイフと、数本の仕込み銃。これが武器の全てだ。それらは細かく相手の状況によって選ばれ、それを失ってもバランスが崩れるはずだ。 「捨てて」  小雪はもう一度繰り返した。 「…わかったよ。どこかゆきちゃんの目に届かない所に、捨ててくればいいんだね」  木実の言葉に小雪はほっとしたように、頷いた。 「安心して。何でもするよ、ゆきちゃんのためなら」  言いながら、改めて小雪の姿に目をやった木実はぎょっとする。前をしっかり合わせたコートの隙間から、中が血まみれなのが見える。 「ゆきちゃん!怪我してるの?」  小雪は、更にしっかりとコートを押さえ、首をゆっくりと振る。 「返り血」 「だって、いつもそんなのないでしょう。血なんてあんまり出ないじゃない」 「急所外した」 「え?」 「失敗した。一瞬」 「え?え?うそ…でしょ、そんなの。どうしたのゆきちゃん、具合でも悪いの?」  木実の言葉に小雪は答えずに、出口に向かう。 「本当に大丈夫?具合悪かったら言ってよ。あ、あとでコーヒー持って行ってあげようか」  もう一度、首を振り 「もう寝る」 とだけ告げて、背中を向ける。木実に見えないところで、唇が『ありがとう』と動いた。

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「おミズ、起きろよ、朝だぞ」  いつの間にかソファにもたれかかったまま眠ってしまった淳を、純が揺り起こす。 「え?…ん、あ…、ごめん寝てた?おれ」 「しっかりな」  純は新しい薪を暖炉にくべながら欠伸をする。淳が眠ってしまったので、ずっと一人で火の番をしていた。 「起こしてくれりゃ良かったのに」 「あんな幸せそうに寝てんのに起こせるかよ。おれはそんな極悪非道じゃねえ」 「いやあ、かわいーと得だな」  大きく伸びをして立ち上がる。 「走って来ようかな」  窓を開けて外を見る。雪は身長以上に積もっている。ゆうべまた降ったようだ。 「無理だって。やめとけ」 「っぽいな。」  もう一度伸びをして、部屋の中を見回す。天井を指差して 「悪趣味だよなーあれ」 と笑う。純もつられて天井を見上げる。昨夜は暗くて見えなかったが、大天使ミカエルだかなんだかを中心に、天使が飛びまわり、天上の風景が描かれている。 「すげえな」 「おれ、ガキの頃あれ嫌でさ。うなされたりした」 「神さまにうなされんのかよ」 「だって、いいヒトかわるいヒトかわかんねーじゃん、見ただけじゃ」  確かになんの知識も無ければ、ただの羽根の生えたへんな輪っかを頭に載せた、おまけに男か女かわからない、でかい人間だ。実際にいたら、かなりコワイ。 「さてとー、朝飯食うか。台所行って漁って来る」 「パン買って来ただろ。昨夜のもちょっと残ってるし」 「パンだけじゃ物足りねえ。なんか肉っぽいもん探す。」  出て行ったかと思うと、すぐ戻ってきて、純にやかんを渡す。中に水が入っている。 「そこに火掻き棒があるから、横に渡して、弦通して火にかけて。コーヒーくらいあると思うから」  しばらくまたガタガタ音がしていたかと思うと、お盆に皿とカップとインスタントコーヒーとコンビーフの缶詰、おまけにインスタントラーメンを持って戻ってきた。 「湯沸いた?」 「そんなすぐ沸くかよ」 「じゃ、これ食って待ってよっと」  どう見てもウェジウッド製の、万単位はしそうな皿の上に乱暴にコンビーフを空ける。 「ナイフは?」 「丸のまま食う」 「おまえってホントに見た目とやる事違うよな…まあ今更だけど」  ため息をつきながら、仕方ないので自分も丸のままコンビーフをかじる。  そのうちお湯も沸いたので、コーヒーを淹れ、これもまたウェジウッド製の凝ったもち手のついたカップで飲む。 「で、ラーメン、何処で作るんだ」 「ここ」  止める間もなく、やかんの中に麺を2袋分、割って入れてしまう。 「やかんラーメンかよ」 「スープ飲み易いじゃん。口んとこから飲むと」 「おまえなあ…。」 「だってあったけえもん、食いたいじゃん」  平気な顔でパンをかじりながら、麺をほぐし、スープを入れる。  それも、一つは醤油味で一つは味噌味。いいかげんな事この上ない。  多分あとで、やかんが化学調味料の匂いがすると、実家から文句を言われる事になるに違いない。  でも、実際寒い朝に暖かいラーメンはありがたい物だった。その点はたしかに淳は正しい。体も温まり、活動開始。暖炉の火は片付けて始末し、2階の昨夜散らかしたところを確認する。  思ったよりひどくは無く、クロゼットの2、3箇所がぐちゃぐちゃになった程度だった。 「この部屋、おまえの部屋か?」 「うん、尚と使ってた。家の部屋より広いからさ、倉庫がわりに使ったりもしてたな。」  15、6畳くらいありそうな広い部屋には、アンティーク調のベッドとドローイングデスクが2つずつ。クロゼットの中には引き出し式のたんす。勿論パイプが通っていてハンガーが掛けられている。  天井も壁も金糸が織り込まれた布張りで、日に焼けてはいるが、まだ日の光にきらきら光っている。 「あー、こんなトコにあったんだ」  崩した山の中から淳が拾い上げたのは、小5の時の夏休みの宿題の『夏休みのしおり』 「見つかんなくてさー、提出できなくて、えらく怒られた」 「お母さんに?」 「お袋と、ねーちゃんと、担任と、尚にまで怒られた。おれが恥ずかしいって」 「ははは。」 「へー…なっつかしい…」  しばらくぺらぺらとめくっていたが、日記のところでぱたと手が止まる。 「そ…っか…この頃…だよな…」  日記をじっと見つめて、思わず声を漏らした。 「何が…?」  純が覗き込もうとすると、いきなりノートを閉じる。 「なんでもねえって」 「んなことねえだろ」 「ミネにはかんけーねえだろ。」 「なんだよ、それ」  ちょっとムッとして、ノートを取り上げようとすると、身をかわし、部屋から走り出て行ってしまう。 「おミズ、こら」  後を追うと、居間に戻り、暖炉にちぎったページを放り込んで、火をつけているところだった。  『沙霧』という名前がちらっと見えた。誰だか聞けず、純は淳の横顔をじっと眺めていた。

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「早朝からすみません、茉利衣様」 「ほんと、レディの部屋に来るには、早すぎる時間よ、ナッツ」  茉利衣は不機嫌そうに部屋をガウンのまま歩き回る。  早すぎると言っても、もう9時を回っている。茉利衣が木実に用事を言いつけるのは、深夜だろうが早朝だろうがお構いなしだが、それはまあ仕方の無いこと。 「なんの用事なの」 「はい…あの。昨日の小雪の仕事の相手ってどんな方だったのですか?」 「ナッツ」  茉利衣は足を止めて、木実に鋭い視線を向ける。  木実はとっさに一歩退き、跪いた。 「それは聞かない事にしているんじゃなかったの?」 「そう…ですが。」  顔は上げずにそれだけ言うと、しばらく沈黙が続く。 「理由は?」 「はい?」 「理由はなんなの。理由も無しに決めたことを変えるあなたじゃないでしょう」 「はい」  顔を少し上げ、でも目は伏せたまま言葉を紡ぐ。 「小雪が…様子がおかしかったので。何か特殊な状況だったのかと…」  茉利衣は腕を組み、木実の目の前に立って、木実を見下ろす。 「そんな事が理由なの?」 「…は…い」 「わかったわよ、教えてあげる。下らないことに興味持つのねえ」  茉利衣はつかつかとデスクに歩み寄り、暗証番号を押して、一番下の引き出しを開ける。分厚いファイルを取り出して、最後のページを開く。 「そういえば、あの子ゆうべ報告に来なかったわね。帰っては来たんでしょう」 「はい」 「ならいいけど。ええと、これね。河内澤 憲一郎…2才」  その言葉に驚いて顔を上げる。 「え?2才…ですか」 「河内澤コンツェルンの会長に初めて産まれた男の子の孫。目に入れても痛くないほど可愛がっていたみたい。成る程、打撃を与えるにはいいところを突いているわね」 「…茉利衣様…その仕事、小雪に…?」 「そうよ。彼くらいしかできないでしょう。いつも誰かが回りについている幼児を暗殺するなんて。まあどうにか上手く行ったみたいでよかったわ」  木実は拳を握り締めた。数ヶ月前にそう言えば、その会長と話をした覚えがある。感触は悪くなかったのだが。  いくらなんでも、2才の子供を…。そんな仕事のメモを渡してしまった事で自分を責める。出来ることなら代わってやりたかった。自分には到底無理なことは分かっているけれども。  メモを見た時に、一瞬小雪の顔に浮かんだ曇った表情を思い出した。あれは戸惑いだったのか。 「ありがとう…ございました」  やっとの事でお礼を言い、ふらつく足で立ち上がる。ふらふらとドアに向かって歩き、はっきりしない頭のままドアを開けると 「ちゃんと報告はするように言っておいてね。あなたのいう事は聞くみたいだし。」 と茉利衣の声が追い討ちをかけるように響く。 「かしこまりました」  ドアを閉め、そのまま、しばらく動けない。  呪いの言葉をほとんど聞き取れないくらいの声で口にする。  そういえば、昨日茉利衣が仕事があると言っていたけれど、何も考えられない。小雪の様子を見に行こうかとも思ったが、今、顔を見たら、平静でいられるかどうかわからない。泣いてしまいそうだ。木実は重い足取りで、自分の部屋に向かった。

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「たっだいま〜」  元気に食堂に走りこんで来た淳に、乗は 「遅かったな」 と一言文句を言う。 「どこかで遊んでたんじゃないよな」 「まっさかあ」 「ミネはどうした?」  そこへ純が疲れた足取りで入ってくる。 「もう、こいつと旅行すんの、すっげー疲れる。ガン飛ばしまくるし、いろんなもんにケチつけるし」 「えー、おれは楽しかったけどなー。暖炉の火の前で2人で色々話せてさー」 「…で、おまえは、人に火の番押し付けて寝ちまうしな。はい、ユカおみやげ」  笹に包まれた草団子が約100個。淳がいつもの調子で『非力で持てねえ』とか言うもんだから、純が持たされた。めちゃくちゃ重い。この連中の食欲を満たすにはこれくらいないと、とても足りないし。すぐにあちこちからわっと手が伸び、あっという間に数が減って行く。 「ああ、2人ともとても良くやったとお礼の電話があった。今回は真面目にやったみたいだな、淳」 「だって、ミネ、チェック厳しいんだもんな」  淳もいっしょになって笹団子を頬張りながら、そんなことを言う。 「なんでおまえは自分の土産食ってんだよ!」 「美味いから」  単純明快な答えだ。 「ミネちゃんありがとう。すっごく美味しい。笹の形とかしてんのかと思った。違うんだ」 「ユカ、それ金出したのおれ」 「運んだのはミネちゃんでしょ」  笹団子を食べる由利香を見ながら、純は昨夜見た写真を思い出した。そうだ、由利香に似ているんだ。  それを言うべきかどうか迷っていると、淳が笹団子を振り回しながら言う。 「ミネ、最後の1個。食わねえの?」 「食うよっ!」   それでうやむやになってしまった。まあ世の中3人同じ顔の人間がいるって言うし。純は自分で自分に言いきかせた。
  
 

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