2.4. Encounter 〜part1
「ねーミネ、遊んでよ」 ある休みの日、朝から淳は純にまとわり付いていた。 「やだよ。おれ今日久しぶりに、やっと、やっとデートなんだよ。おミズなんか構ってらんねえの」 「けーちー。おれより、オンナをとるのねっ!」 「当たり前だろ」 あっさりとかわされる。 「ユカに遊んでもらえ」 「ユカさあ、ちゅーがく行った時の友達と会うとか言って、さっさと出かけて行っちまいやんの。誰も遊んでくんないー」 「おまえは一人でも遊べるだろ。もう大きいんだから」 「くっそお。グレるぞ」 「勝手にしろ」 純はさっさと自分の部屋に戻って行ってしまう。あとにはぽつんと淳が残される。 仕方なく自分もとりあえず部屋に戻る事にする。ベッドに転がって、窓から外を眺める。 『あーあ、せっかくいい天気なのになー』 外は3月の穏やかな陽射しに、そよそよとそよ風が吹いている。お昼寝日和ではあるのだけど、せっかくのお休みをそんな事に使ってしまうのももったいない。昼寝なんてミーティングの時や練習サボってするもんだ。 『ちょっと遠出してみようかな』 と思いついた。 もともと一人でふらふら出歩く方で、行きつけの店や場所もあちこちに点在している。人見知りという言葉さえも知らないかもしれない淳は、どこでもすぐ店の人に話しかけたりするので、すぐに知り合いも出来る。もっともこっちは次に会った時は忘れている事が多いが、相手が10中8、9覚えていてくれるのであまり支障はない。 『海でも見に行って来るかな。最近行ってねえし。あーでも一人でぼーっと海見てると、たまに自殺志願者に間違えられんだよな。また乗とかに引き取りに来てもらうのもめんどいし。一人で山登りもばかみてえだし。』 いつに間にか無意識にナイフを取り出し、手で玩んでいるうちに、なにげなく壁に投げてみた。壁に突き刺さったナイフを取りに行き、何とはなしにそれを見ていると 『あ…刃こぼれしてる。』 ナイフの刃が一部ギザギザになっている。そういえばこの所手入れも、仕入れもサボってた。 『やっべー。緊張感ねえなあ、おれ。』 ナイフが入っているトランクを開ける。実戦用の軽量のナイフが数10本と、趣味で買った装飾が施されたコレクションが数本。 一本一本チェックすると、何本かは微妙に錆が浮いていたり、ちょっと刃こぼれしていたり。手入れをすれば使えない事はないけれど… 『久々に行ってやっか、あの店』 ナイフに関しては、行きつけの店がある。前、やっぱりナイフが趣味のΦの先輩に何箇所か教わったうちの一軒だ。最近は全てそこで買っている。手入れの方法もそこで教わった。ちょっと遠いので、気軽には行けないが、今日みたいに一日やる事が無い時はいいかもしれない。 トランクを閉め、クロゼットに押し込んで部屋を出る。 建物の中はいつもよりがらんとした感じがする。 『みんな出かけてんだ。おれってもしかして、友達少ねえの…?』 自問自答しながら、淳はその店に向かった。****************
そのナイフ専門店は東京の下町にある。薄暗い店の奥では、目つきの鋭い初老の男がいつも一人で店番をしている。愛想は良い方ではないが、気に入ると相談には乗ってくれる。ただし商品を粗雑に扱う客は容赦なく追い出される。 「こんちわーっ!」 店の落ち着いた雰囲気に合わない、軽い調子で淳は店の入り口の引き戸をガラガラと開ける。 主人は騒がしい音にちょっと顔をしかめるが、淳の顔を見ると目つきが優しくなる。 「またあんたか」 「うん、またおれ。なんかいいの入った?」 「ちょっと見てもらいたいのがあるんだ。」 立ち上がってショウケースの前に立つ。中にある一本のナイフを指差して、 「みごとだろうこの彫刻」 「うん、まあね。でもこんな高ぇの買えねえよ」 「そう言わず持ってみてくれ」 ショウケースの鍵を開け、そのナイフを取り出す。手の込んだ装飾の施された柄には宝石らしきものも埋め込まれ、手に取るとずっしりと重みがある。ちょっとその辺に隠して持って歩ける重さじゃない。ちゃんとホルダーを付けて腰からでも下げなきゃ無理そうだ。 「う〜ん、確かにすげーけど、おれ向きじゃねえな。重すぎ。でもこれ…人殺したことありそう」 磨き上げられた刃に親指を滑らせる。ちょっとだけ指が切れ、血が滲んだ。 「なんか、あぶねえ、これ。何か刺したがってる気がする。おっさん、これ売らねえ方がいいかも」 「やっぱりそうか」 淳からナイフを受け取り、矯めつ眇めつ陽にかざす。 「そんな気がしたんだ。あんた、そういう勘働くからなあ」 前に、淳がやめた方がいいと言ったナイフを売ったあと、それを買った客が強盗事件を起こした。死亡には至らなかったが、何人かに重傷を負わせた。何度かそんな事があり、主人は淳を信用している。 大切そうにナイフをケースにしまい、鍵をかける。 淳の方に向き直り 「で、今日は何を?」 「うん、特にこれって事ねえけど。たまにいいモン見ねえと、目曇るから」 「ま、ゆっくり見て行け」 「さんきゅ。あーいいよな、ここのって。金さえあれば端からみんな買いてえ」 ゆっくりと端から棚を見て回る。サバイバルナイフのような実用的なものから、古いお城に飾ったらぴったり来そうなサーベルまで。その間に、淳の好みの小型のナイフが並ぶ。 「おっさん、もうちょっと安くならねえ?おれ投げちゃうからさ、どんどん減っちまう」 「使い捨てするやつに、うちのナイフは売れないね」 にべも無い返事が返ってくるが、その返事は予想済みだ。 肩をすくめ、一本一本丁寧にナイフを観察し、やがて、2重に鍵をかけられたケースの前で足を止める。 「あーこれ、すっげーいいっ!これ欲しいっ!」 いきなりテンションが上がる。覗き込んでいるのは、銀の細身の両刃のナイフ。柄はいぶし銀で細かい細工が入っている。派手ではないけれど、見るものを惹きつける何かがある。…が値札を見て 「うあ、高ぇっ!桁違うっ!」 「一点ものだからね。それ、気に入ると思ったよ」 「ちっくしょーっ!これ買うと今月と来月、飯が食えねー!。」 「やめときな。」 「くっそお。見るんじゃなかった。どんなやつが買うんだろ。おっさん、ヘンなヤツに売らねえで」 「そんな年でナイフにお金かけるあんたも十分ヘンだよ。普通なら子供には絶対売らないんだよ。」 「子供じゃねえよ。」 「そう判断して売ってやってるんだから、問題起こさないでくれよ」 「大丈夫、おっさんの名前は出さねえから」 「やれやれ」 その時、入り口の戸が静かに開いた。淳の時とは大違い。 おじさんはそっちに目をやり 「いらっしゃい」 と声を掛ける。おじさんが自分から挨拶するのは珍しい。気に入っている客らしい。 「お久しぶりですね」 「1本減ってしまったので。補給に来させてもらいました。何か、いいのありますか?」 聞き覚えのある声に、淳が振り返る。 「げ、またあんたかよ」 木実が立っていた。淳の顔を見て、意外そうな顔になる。今日はあまり会いたくなかったらしい。 「そういえば、君も、ナイフ遣いだったっけ」 「も?あんた銃だろ」 と言ったところで、斜め後ろに小雪が立っているのに気がついた。気配が消えていて気付かなかった。 髪は下ろしているが、目には茶色のコンタクトを入れている。 「わ、ひっさしぶり。っつうか、ちゃんと顔合わせんの初めてか。元気?」 やたら明るく挨拶をする淳に 「まあ」 と最低限度の返事をして、ナイフの並ぶ棚に目を移す。 小雪の興味がナイフに集中しているのを確認し、木実が淳に小声で声を掛けてきた。 「君、どうして平気で声かけられるの?この前、僕がお願いした事覚えているよね」 「さすがに忘れねえよ。こんなとこでいきなり刺しゃしねえだろ。」 「失礼だね。ゆきちゃんの仕事は綺麗だよ。関係ない人に迷惑かけるような事はしない」 「だろ。いーじゃん、声くらいかけたって。おれ、小雪、気になるし」 「気…気になるって、どういうこと?」 「へえ…」 淳はにやっとする。 「駄目なんだ、気にしちゃ」 「あんたら、知り合いだったんだね。」 小雪に聞こえないようにしてこそこそ話し込む2人に、店主が声を掛ける。 「まあ知り合いは知り合いだよな」 「そうですね。」 「敵だけどな。おれ、殺されそうなの」 小雪の肩がピクっと動いた。…がすぐに平静を取り戻し、またナイフに見入る。 「どうでもいいけど、うちの商品を人殺しに使わないでくれよ」 「はは…」 多分冗談だろうと思っているだろう店主の言葉に、乾いた笑いで返す。 「うちのナイフはあくまで芸術品だからね。血は吸わせて欲しくない」 木実は小雪をちらっと見た。小雪にとってナイフはあくまで人を殺めるための道具だ。血を吸わせるのは前提になる。 しかし、小雪はそれには何の反応もせず、一本のナイフを凝視している。さっき淳が気に入っていたナイフだ。 「あ、それすっげーいいだろ。いいよなーおれも欲しいんだ。でも高くて買えねえ」 「すみません、それ、見せていただけますか?」 小雪の様子を見、木実が店主に声をかける。 店主は嬉しそうに鍵を開け、ナイフを取り出し、小雪に渡した。ナイフを手にすると小雪の瞳が輝きを増し、指先に力がこもる。軽くナイフを放り上げ、2、3度回転させて、また受け取る。重さと手触りを確かめるように何度か繰り返し、刃を目の前まで上げ、刃の厚みと光り具合を確認する。大切そうに両手でナイフを包み込み、木実に 「これを」 と告げる。 「え?それ買うの?いいなあ、金持ち。ね、触らせて、それ」 小雪は黙って淳にナイフを渡す。淳はそれを左手で受け取り、投げ上げると右手で受け取る。 「やっぱ、すっげーいい。この手触りと重心の感じ。」 名残惜しそうに、小雪に返す。 「お買い上げかな?」 「ええ。じゃあお願いします。」 木実が財布を取り出す。札束が、鍵のかかるようになったレジに消えて行く。 店主は料金を受け取ってから、小雪に声をかける。 「じゃあ、ナイフを。包むから」 「ゆきちゃん、ナイフ、渡して」 小雪は小さいが、はっきりと有無を言わさない強い意志のこもった声で、 「持って行きたい」 と言う。木実は少し微笑んで 「そのまま持って行きたいの?そうか、手放したくないんだね。気に入ったんだ、よかったね。すみません、よろしいですか」 「構わないよ、気に入ってもらえたんなら」 店主の言葉に小雪は軽く会釈をし、ナイフをするっと服に滑り込ませる。 「すげー、小雪。さっすが。かっこいい〜」 思わず拍手をする淳を木実は呆れた顔で見る。 「君だってできるだろう」 「できねーよ。おれ、そんな器用じゃねえもん。出すのは一瞬でできるけど、仕舞うのはニガテ」 しばらく、どこに隠したんだろうというように小雪を見ていたが、諦めてくるっと踵を返し、店の奥に消えた。数分後何本かのナイフを持って現れる。 「あっれー、待っててくれたの?」 「そういうわけじゃないよ。何を持ってくるのか、ゆきちゃんが気になってたみたいだから」 「見る?」 全体的に軽く小ぶりではあるが、形も大きさもバラバラなナイフをカウンターの上に並べる。そこに小雪が視線を走らせる。 「おっさん、これちょっと試させて」 「いいよ」 淳が奥にある的に向かって矢継ぎ早に5本のナイフを投げる。1本目が刺さったちょうど同じところに、2本目が刺さって1本目を弾き飛ばし、それを3本目が弾き飛ばす。更に4本目がそれを弾き飛ばしたが、5本目は僅かに逸れた。 「おっさん、これ重心ずれてるよ、まけて」 ナイフを次々に拾い上げ、5本目を店主に渡す 「そんなはず…ああ本当だ。しょうがないな、全部で5000円でいいよ」 「やった ♪ 」 小雪は淳の様子をじっと見ていた。簡単に投げているようだが、同じ形の使い慣れたものならばともかく、初めて手にするバラバラのナイフを確実に同じ箇所に当てるのは並大抵の事ではない。それも、多分本当ならば5本目も当てられたはず。ナイフの持つクセを素直に引き出して、重心のずれをはじき出したというわけだ。それもおそらく大量にある、特価品の中から、僅かな時間で自分にとって『使い易い』ものを選び取ってきた事になる。思わず 「すごい」 と口にすると、淳は笑って 「小雪ほどじゃねえよ」 と答える。木実は5千円札を出す淳を見て 「随分安いナイフ使っているんだね。」 「おれ、びんぼーだもん。あんたらと違って」 淳と小雪のナイフの使い方は違う。淳には長く使える高いものは必要ない。 「包むかい?」 「え?う〜ん、いいや。」 と答えて、 「せっかく会ったから飯でも食おうよ。ちょうど昼だし」 喋りながら、体のあちこちにナイフをしまい込む。小雪ほど瞬時に全てが完了するわけではないが、その手際は素早い。 「君はこの前僕がお茶でもって言った時は、嫌そうだったよね」 思わず木実が皮肉を言うと 「おれ、あんたはどーでもいいけど、小雪には興味あるもん。あんたは帰ってもいいよ」 「冗談じゃないよ。そんな事できるわけないだろう。それに、だから、興味って…」 「興味は興味。一方的に殺されかけただけで、おれ、小雪の事全然知らねえし、興味持つの当たり前じゃん。わけわかんねえ奴に刺されるのいやだしな。まあ1回や2回で分かるとも思えねえけど」 「お互い様」 小雪の言葉に、ぷっと吹き出す。 「だよなー。でもあんたはさ、おれのデータいろいろ持ってんでしょ。多分知られたくねえ事とかもさ。そういうの、やだよな、おれとしては。だから、機会があったら会いたかったんだ。ラッキーとか思ってる。あんたの連れは、そうは思ってねえみてえだけどさ」 「あんたたち、ぶっそうな話、店の中でしないでくれないかね。」 店主は迷惑そうな顔をしている。 「あ、ごめんごめん、今店出るよ。また来るからさ」 「はいよ。待ってるからな。」