2.4. Encounter 〜part3
「コーヒーでいい?お酒の方がいい?」 冷蔵庫の前に立ちながら、武が淳に聞く。 「酔っ払って話忘れたりしたら殺されそうだから、酒じゃなくていい」 「誰に?」 「ユカと、ミネと、ラヴちゃん」 「それが、今のおミズの中での優先順位?」 ちょっと笑って、淳にコーヒーを差し出す。 「薄めのブラックでいいんだよね。」 「うん。」 床の上に座り込んだ淳の向かいのベッドに腰を下ろす。当然部屋はきれいに片付いている。 「クッション、いる?」 「いい。おれの体なんて、甘やかしてやる必要ねえから」 「ははは。おミズは面白いよね。でも、体大事にした方がいいよ」 「そこそこに。でさ、なんでおれなの?」 「うん。ちょっと話が前後するかな。長くなるかもしれないけど」 「いいよ、別に。タケとしみじみ話す機会そんなにねえし」 「ねえ、おミズはユカの事、どう思ってるの。」 「え?」 虚を突かれて、思わず武の顔を凝視してしまう。…が、武は穏やかな微笑みを浮かべているだけ。別になにか裏がありそうにも思えない。 「大切には思ってるけど」 「一生守れる?」 「え?」 もう一度顔を見る。やはり表情は変わらない。 「そのつもり…だけど。」 そう答えると、ほっとしたように 「よかった。じゃ、辞めても大丈夫だね」 と返事が帰ってくる。 「え、でもそれはやべーって。タケ別にユカのために居るわけじゃねえだろ」 「どうなんだろうなあ。」 「え?え?えっ!?」 混乱しながら考える。そういえば、歴史が大晦日の与太話の中でなんか言ってた。あれ、マジで本当なのか? 焦りの色が目に出たらしい。武は淳の気持ちを推し量るように 「ああ、多分おミズが思ってるような意味じゃないよ。おミズと、ユカを張り合う勇気なんてないから安心して」 「いや…それは…別に…あううう」 「僕達はさ、自分じゃ選べなかったんだよ。おミズなんかは自分で選択してここに来る事にしただろう?僕もユカも、本当に小さくて、選ぶ余地なんてなかった。ユカも僕もほとんどここしか知らない。それがどういう事かわかる?」 「答えは思いつくけど合ってるかどうかわからねえ」 「言ってみて」 淳はちょっと息を継ぎ、 「ここで一生暮らすしかねえって事。他を知らないから」 「そう。そして、僕達は、『ペア』となるのを期待されている」 「ちょ…ちょっと待てよ。『ペア』でって、Σの考え方だろ」 「でも、『ペア』に対抗するのは『ペア』しかないだろう」 「…」 思ってもみなかった。じゃあ、今のこの段階は準備段階という事か。 そう考えるとなんとなく辻褄が合う。これだけお金を出して人を育成しておいて、全部使い捨てというのもなんとなく納得が行かなかったのだ。『世界征服を阻止する』とか言われても、具体的な行動はあまり起こしてないし。 「おミズが入ってくる時、世界征服がどうのこうのって聞いたでしょ。それって多分おミズもそういう要員って事だよ。誰とペアかは知らないけど。ミネかなあ」 「聞かされたやつと聞かされてないやつがいるって事?」 「そう。」 「でも一言ぽろっと冗談みたいに聞いただけだぜ」 「でも、聞いて、それを受け入れた。武器使える事も確認されたよね」 「う゛…そーいやあ」 そこではっと思い当たる。 「なんで、そんな事知ってんだよ」 「正確に言うと、『知ってる』のとはちょっと違う。まだ推測だったんだ。本部に行った時、辞めたはずの日本支部にいた先輩を見かけたり、小さい時からの育てられ方から色々考えてみた。…で、汀さんに振ってみた」 「汀かよ」 「にっこり笑って、そうだよって言われた」 「…」 「僕とユカはペアだそうだ。僕が折衝役、ユカが攻撃。僕が20才になったら、仕事に入る予定だそうだ」 「…で、さ、なんで辞めようとしてるの」 「僕は、ユカとペアを組む自信がない。ユカが僕の事だけ信じて、一緒にやっていくようになるとも思えない。でしょ」 「それ、おれのせい?」 「おミズの、おかげ、だよ。漠然とこのままじゃまずいかなと思っていた事を、決心させてくれた」 「でも、おれはユカとペア組めねえじゃん。もしもタケが辞めたって。おれだって攻撃系だろ。どう考えたって」 「そうだよね。でもおミズは、ここを辞める時記憶が消されるのを知っているのに、ユカの事一生守るって言ったろ。」 「根拠ねえけど」 「でもさ、どうにかなりそうな気がしちゃうよね、おミズがそう言うと。だからそれに賭けるよ」 「だから、なんで、タケが辞めるんだよ。わかんねーな」 「僕の、ここでのユカのフォローとしての存在意義がないからだよ。言ったろ」 「それは本部の考える、おまえの存在意義だろ。おれ達にとっての、おまえの存在はどうなるんだよ。」 「え?」 微笑んでいた武の表情が変わる。 「おれ達にとってはおまえは、ユカのペアとしての、タケじゃねえ。チームメートとして存在するタケだろ。そのおれ達の気持ちはどこ行くんだよ。全部勝手に蹴散らして行く気だったら許せねえ。第一それ、知った時のユカはどうなるんだよ」 「ユカの事はおミズがフォローするでしょ」 「いいのかよ、それで。おまえさ、おれが来るずっと前からユカといっしょにいたんだろ。ほとんどの人生いっしょにいた人間から、存在意義がないって思われるってことは…それは自分の人生自体を否定するってことだろ」 「そうだね、もし別のところで暮らさなくちゃいけないとしたら、それは今までの自分の人生を否定する事から始めなくちゃならないよね。でもその点、記憶がなくなるって言うなら、楽かな」 「…おれはイヤだ」 「おミズ?」 「おれは、絶対イヤだ。ここでの生活とか、人間関係とか全部忘れるなんて絶対いやだ。そんなの間違ってる。そんなの最初の契約に入ってねえし」 「そんな事言ったってさ」 「絶対なんかあるはずだ。絶対見つけてやる。ずっと記憶を留めたまま生きていく方法見つけ出してやる」 「本部、敵に回すってことだよ」 武はいつの間にか楽しげな表情になっている。 「わかってるよ。っつうか、おれの中ではあいつら既に敵だし」 「ふうん…」 「なんだよ、にやにやして」 「やっぱり、おミズに言ってみて良かったなと思って」 「…試したのか?」 「ううん。本当に辞める気だったよ。でも…」 立ち上がって空になった2人のカップを取り上げる 「お代わりいる?」 「あ、うん」 コーヒーのお代わりを淹れながら 「もうちょっと考えてみるよ」 と続ける。 「え?ホントっ!?」 「うん、おミズに賭ける。20才になってからでも辞めるの遅くないかなって思えてきた。」 「賭けられてもなあ…。おれ、収集つかなくなって逃げちゃうかもよ」 「そうしたら、みんなで逃げようか?それもいいかもね」 淳にカップを渡し、 「おミズと話してると、なんか、人生捨てたもんじゃないって気になってくるよね。」 「そう?」 「僕はさ、わりと今まで世の中とか人との関わりとか、正面から見るのを避けてたから。どうせ、いつか記憶なくすんだとか、どうせ人生決められてるんだとかね。ちょっと厭世的なところがあったと思う。」 「やっぱ?タケの人間関係はおれの中で7不思議の一つなんだよね」 「7不思議?あとは?」 「あとは…えーと、なんで温ちゃんが乗好きになったんだろうとか、ラヴちゃんミネなんか好きになって物好きだなとか、ええと、どうして虹は7色なんだろうとか、食堂の味噌汁ってどうしていつも冷めてるんだろうとか、なんで人種差別が起きるのかとか、」 「おミズ、疑問のレベル無茶苦茶」 武の言葉に構わず続ける。 「あとは、なんで同性で結婚しちゃいけないのかとか、めーさんが誰にチョコ渡したのかとか、」 「8つになってるよ」 「あれ?」 「それに、僕、明子先生が誰にチョコレート渡したか知ってるし」 「ええええーっ!タケってもしかして、隠れ情報通?黙ってるだけで」 「そうかもね。」 武はいつもの穏やかな表情に戻っている。笑いながら 「僕もヒロに言って、おミズのファンクラブ入ろうかな」 「…やめなよ。」****************
淳は愛の部屋で待っている3人のところに戻った。 「なんかよくわかんねーけど思いとどまった」 と、大事な部分をみんなすっ飛ばして報告する。全然わからない。3人は首を傾げる。 「ちゃんと説明しろよ。なんで辞めようって気になってたんだ、タケ」 「…と言われても。」 説明しにくい。思いっきり説明しにくい。 由利香と武がペアとして育てられていたらしいと言うのも説明しにくいし、武がその自信なくしたって言うのも説明しにくいし、 そこが言えないと武が自分の存在意義が見出せなくなったって言うのも説明できないし。 「まあ…アレだな。自分のアイデンティティを見失いかけてたってとこか」 「はあっ!?なんでそれでおまえに相談すんだよ。」 「いや、ほら、おれみてえに、自分の事よく分かんなくても立派に生きてるっつうか。」 「おミズ…」 純が淳の両肩をぐいっと掴んで、目を覗き込む 「何隠してんだ」 「や…やっだなーっ。おれみてーな正直もん捕まえてさ」 「おまえが正直もんなら、ピノキオの鼻だって伸びないし、狼少年の羊も食われなかった」 「狼少年は『ケン』で、あれは単なる羊飼いの少年…」 「おミズっ!!!」 「いいじゃない、とにかく思いとどまってくれたんなら」 愛が穏やかに言って、純の手を淳の肩から離す。 「ね?」 「まあ、そうだけど」 「良かった。誰かがいなくなるのって、とっても寂しいもの。ね、ユカ」 「う…うん」 由利香は何かを考えているような顔。 「もう、誰かと別れなくちゃならなくなるのは嫌…。ここを辞める時の事考えるのが怖い」 愛は目を伏せる。愛は大事な人達との悲しい別れを昔経験した。 「あ−それなんだけどさー」 それを打ち消す軽い調子で、なんでもない事のように淳が宣言する。 「おれさ、なんとかして、なんか見つけるよ。ばらばらにならなくてもいい方法」 3人は、え?という顔で淳を見る。 「なんかすごい事言わなかったかおまえ」 「そ?だって腹立つじゃん、このまま生き別れって。」 「生き別…」 「なんかさー、やなんだよな。自分が経験したこととかチャラになんの。なんか方法あるかも知れねえじゃん。でもね、見つかんなかったら、逃げちまう」 「おっまえはぁぁ…」 純はがっくり肩を落とす。全くどこまで本気なんだか。 「ミネもいっしょに逃げてくれるっしょ」 「冗談じゃねえよ」 「大丈夫、おミズ。私が首に縄つけて引っ張って行ってあげる」 「ありがと。さすがラヴちゃん」****************
さすがに真冬の屋上は寒い。 「ユカ、来たんだ。ちゃんと厚着したか?」 「うん」 淳の隣に座る。コンクリートはひんやりと冷えている。 「女の子は腰冷やしちゃいけねえんだぞ」 「男女差別。」 「ばっか、違うよ。ユカは子供5人産むんだろ。」 「え?」 そんな事言ったっけ?それを言ったのは純にで、その状況って… 「やだ、聞いてたの?淳、全部忘れてたんじゃなかったの、熱出た時の事」 「これが所々覚えてんだよね。悪ぃ」 「まったくもう。そーゆー事は忘れて欲しいよね」 「じゃ、忘れる。で、何?」 「タケちゃんの事だけど」 「心配?」 「心配だよ。幼馴染なんだよ。やめたら寂しいよ」 「そりゃそうだよな」 さっきの武の言葉が甦ってくる。選ぶ余地なくここに来たって言ってたっけ。由利香の事情はある程度は知っているけれど、武の事情は知らない。 「ユカはさ、ここに来たこと後悔してる?」 「してない」 即答が返ってくる。 「だってさ、考えてみて。ここに来ていなかったら、茉利衣に育てられてたんだよ。信じらんない!」 「はははっ、そーだよな」 「そしたら、きっと、茉利衣といっしょにΣに行って、小雪とか木実みたいに、誰かを殺したり攻撃するために教育されたんだよ。そんなの耐えらんないよ」 「え?あ…うん。そうだよな」 「淳?」 「なんでもねえ。」 やっぱり言えない。このままだと由利香も同じ運命たどりかねないなんて。武を信用しないわけじゃないけれど、もう少しちゃんと証拠を掴むまで。そして由利香がその事実を受け止められるほど強くなるまで。 「でもさー偶然だよね。親子で敵同士なんて」 「ああ、そう…だよな」 それも本当に偶然なのか分からない、とふと思い当たる。 偶然にしてはあまりにも残酷すぎる。 「どうしたの、淳。なんか歯切れ悪いよ」 心配そうな由利香の声に、とりあえず話題を変え、このことはしばらく胸にしまって置く事を決心する。せめて自分の中で整理がつくまでは誰にも話せない。 「なんか、当てられたかな、あいつらに」 「あいつらって?」 「ナッツと小雪。すっげー仲いいんだ。っつうか、ナッツが一方的に小雪構ってる感じ」 「えーそうなの?」 「デキてんじゃねえのかな」 「ナッツの好きな人って、茉利衣じゃないんだ」 「それは隠れ蓑だろ」 「じゃ、それの隠れ蓑の私との婚約ってなんなのよっ!もうっ!」 「ホントだな」 「今度会ったら、問いただしてやろ」 と由利香は息巻く。 それを笑って見ながら 「小雪さ、面白いよ、あいつ。おれ、結構気が合うかも。」 「誰でも結構気が合うじゃない」 「いや、ナッツはあんまり合わねえ気がする」 「あの人分かんないよね」 「だよな」****************
「ゆきちゃん、人ごみ疲れなかった?」 木実の言葉に小雪は首を横に振る。 ちょうど部屋に戻り、買って来たナイフを大切に引き出しにしまったところだ。 「へんな奴といっしょになったしさ。でも変わってるよね、自分の気に入ったナイフを、敵が買って行って喜んでるなんてさ」 「そうだね」 小雪がちょっと笑ったように見えた。 「ゆきちゃん…まさか、あいつの事殺すの諦めたわけじゃないよね。ちゃんといつか息の根止めに行くよね」 小雪はそれには答えず木実の方を向く。 「ナッツ。聞きたい」 「え?何?なんでも聞いて」 「デキてるって、なに?」 小雪は本当にわけがわからないといった表情で、首を傾げて木実を見ている。 木実は返答に困り、頭の中で淳に悪態をついた。