2.5. Under the cherry tree 〜part1
3月31日、由利香の誕生日。今日で由利香は14才になる。
「誕生日なんか欲しいもんある?」
朝食の時、淳が聞くと、
「う〜ん」
とちょと考えて
「別にない」
「つまんねーやつ」
由利香もあまりモノに執着する方ではない。Φでの生活は最低限度のものは揃っていて、例えばすごくおしゃれが好きとか、変わったコレクションをしているとかでなければ、ずっと出掛けなくても済むくらいだ。
「なんかねーの、アクセサリーとか、花とか、服とか」
「アクセ邪魔になるし、花枯れちゃうし、服はさー」
言いかけたところで、館内放送が入る。
「山崎由利香様。ご面会の方がお見えです。至急警備室まで」
「…ああ…なんか誰だか予想つく。うわあ、気進まないなー」
由利香はげっそりした表情で立ち上がる。
「いっしょに行ってやろうか?」
「いい。淳が来るとややこしくなるから」
警備室の横には桜が満開に咲き誇っていた。そう言えば桜の咲く季節だ。
桜の下には案の定、茉利衣と木実が立っていた。
「きゃあああんっ、由利香ちゃん、ごめんなさいねええっ!今日は時間が無くて、ホテルのお部屋取るヒマなかったのよっ!これからお仕事でプレゼントだけ渡しにきたのっ!」
いつものように抱きついて、キスの雨を降らせる。
「げーやめてよっ!気色悪いっ!」
「もうーまたそんな言葉使って。ほーんとだんだん口悪くなるわねえ。ま、いいわ、ナッツそれ渡して」
「はい茉利衣様」
木実は5,6段に積み上げた服の箱を渡す。
げんなりした顔で由利香はそれを受け取り
「ありがとお」
と機械的に答える。
「いつも思うんだけど、茉利衣、こんなの私に買うより、その分どこかに寄付した方が世のため人のためになるんじゃないの?」
「なーに言ってんのぉ。どこの馬の骨ともわかんない人の役に立つより、可愛い由利香ちゃんが喜んでくれた方が」
「喜んでないし」
「え?」
「あーうそうそ、うれしいなー」
「そうでしょー、ね。あっ!そうだわ!」
茉利衣は嬉しそうに手を打った。
「由利香ちゃん15才になったんでしょ。これで結婚できるじゃない。良かったわねー。ナッツと結婚しちゃいなさい」
「はあ?」
由利香は唖然として茉利衣を見る。何言ってるんだろうこの人。
木実が冷静に
「茉利衣様、ユカちゃんは14才です。それから日本で結婚できるのは16才からです」
と告げる。
「あ。あっらああ、わかってるわよぉ。じょ…っ、冗談よお」
絶対、素で間違った。
「そう言えば、16才よね、うんうん」
自分で自分に言いきかせている。由利香は木実に
「それに、ナッツって小雪とデキてるんでしょ。私と結婚なんてできないじゃない」
と言う。まるで今日のお天気の話のように普通の口調で。
「ユ…ユカちゃんっ!」
木実の顔が一瞬赤くなる。まさか由利香の口からその言葉が出るとは思わなかった。
「誰がそんな事…あ、いや、いいよ。誰だかわかる。もう100%確実に分かるから」
「あらやだ、あんたたち、そういう関係だったの?」
茉利衣は特にびっくりした様子もなく、淡々とした口調でとんでもない事を言い出す。
「どうりでね。あ、子供できないように気をつけなさいよ。できるとめんどくさいから。」
何も自分の子供の目の前で、『めんどくさい』とか言わなくても、と思って木実は由利香を見るが、由利香は平気な顔。更に茉利衣は付け加える。
「ああ、アルビノは生殖能力低いから大丈夫かしら。」
「茉利衣様…僕も小雪も男だから、何かあっても子供はできません」
感情を必死に抑えて、木実は反論する。
「あ、そうよね。じゃどうせ結婚できないんだから、いいじゃない。やっぱり2年後は結婚式ね。わあ楽しみ。何着ようかしら」
由利香の結婚式に着る服で頭がいっぱいになった茉利衣は、ああでもないこうでもないと妄想している。
「ごめん、ナッツ。秘密だった?」
「少なくとも、茉利衣様の前ではあまり口にして欲しくなかったけど。ユカちゃんに言っても仕方ないよ。悪いのはあいつだから」
「…で、ほんとはどうなの?」
「…ユカちゃん…」
木実は深く深くため息をついた。
「おかえり。…予想通りだったみてえだな」
淳は積み上げた箱を持って食堂に戻ってきた由利香に声をかける。
「いつもながらごくろーさん」
「ほんと、ごくろーさんだよね」
とりあえず一番上の箱の蓋を開ける。いきなりそこだけ異空間。
春なので、ヒラヒラ度がバージョンアップしている。箱から出して広げてみる。
裾が三段で一番下はレースのペチコート。ピンクのサテン地のリボンが所々に散らばり、どう考えても必要以上に入ったギャザーが、スカートを大きく膨らませている。その上はベビーピンクのアンダースカートで、一番上は小花柄のシフォンのような透けたふわふわの生地。ウエストは大きなリボンが脇で結んであり、上半身はベビーピンクとフワフワシフォンの2枚重ねで、前をこれもリボンで留めるようになっている。無茶苦茶脱ぎ着に時間かかりそう。袖は、一度肩のところが大きくパフスリーブ状に膨らみ、一度またもリボンで絞られて、それから手首にむけてゆるやかなドレープが流れ落ちている。今回は共布の日傘とピンクのサテンのぺったんこの靴付き。
「う〜ん…」
もう感想と言うより、うなり声しか出て来ない。
「ユカ、着てみれば」
「見たい?」
「いや…いい…。なんか夢に出そう…」
「ひっどおいっ!」
あとは見る気にもなれない。ちらっとだけ覗いたところによると一見清楚に見えるけど、多分どこかにフリルだかレースだかがついてそうなセーラーカラーのワンピースだとか、またも出ましたひらひらエプロンドレスだとか、何処に着てくんだよのラメ入りだとか、相変わらずの破綻加減。
「はあああ。疲れるー」
冷めてしまった朝ごはんの続きを口に運びながら、またもため息が出てしまう。
「どうせならもっと実用的なもの欲しいよね。ジーンズとか、ふつーのTシャツとかああ、あと、なんなら白いソックスとかさ」
「そういうんだって趣味あんだろ」
「普通のなら使うよ」
「じゃ、おれプレゼントしよっか、白いソックス」
「淳…めんどくさがってるでしょ」
「や…やだなー。そんなことねーよ」
「まったく…」
ふと外を見ると、警備室のそばの桜が見えた。
「お花見…」
由利香がなんとなく呟いた。
「へ?」
「お花見したい…。淳、お花見ちょうだい、プレゼントに」
「花見?」
淳もつられて外を見る。満開になった桜は、風が吹くとちらほらと散り始めている。
「うん。私、したことない。」
「じゃ、今度の休みに参加者募って」
「やだ。今日したい。せっかく誕生日に満開なんだから」
「休みじゃねえぞ、今日。」
「うん、いーじゃん。どうせ、しょっちゅう練習サボってるくせに」
「他誘いにくいっつの」
「2人でいいよ。淳といっしょに桜が見られればいい。」
ちょっと、ドキっとした。思わず『カワイー事いうじゃん』と喉まで出かけて、そこで言葉を呑みこむ。
「どこ行きたい?」
「わかんないよ。淳にまかせる。」
「う〜ん」
なまじ近くだと、下手すると見付かりかねない。ここはいっそ遠出してしまったほうが安全か?
「わかった。じゃ、脱け出すぞ。朝の打ち合わせ中でみんなが集ってる間にエスケープする」
「わあい、楽しみ」
「動き易い格好して来いよ」
って言ったのに。
「…だから、おまえはどうして、デニムのミニとかはいて来るかな?」
警備室からは死角になる壁の下で、淳は由利香の服装を見て、頭を抱える。なんでこう常識外れなんだ。
「動き易いよ」
「壁乗り越えるんだよっ!」
「あ、そっか。着替えてくる?」
「いいよ。別に見たくねえから、見ねえし。」
「何それっ!」
「はいはい、いいから、さっさと動く。壁に手突いて、体支えて、おれの肩に乗る。持ち上げてやるから、それで手伸ばせば壁の上手が届くだろ。人がいねえの確認してあっち側飛び降りろ。できるよな」
「うん。淳持ち上げられる?」
「ユカが100キロ以内なら」
「じゃ、多分へーき」
言われたとおりに、肩に乗り、壁の上部に手をかけて、弾みをつけて体を持ち上げて、壁の上に立つ。
「うわ、たっかあい ♪ 」
約3メートルの高さの壁の上からの景色は、高いところが苦手じゃない限りは爽快だ。そよそよ風も吹いているし、お日様も暖かいし。
「早く下りろよな。見るぞ」
「見たければ、見てもいいよ。」
「可愛くねーな。きゃあ、とか、やだーとか言えよ」
言いながら、ナイフに細い紐を縛りつける。手首に紐を巻きつけて、胸くらいの高さの壁にナイフを差込み、それを足がかりにして壁の上に手を掛ける。そのまま勢いで壁の上に体を運び、由利香の隣に立つ。手首のスナップを利かせて紐を引くとナイフが壁から外れ、手元に戻って来た。
「いつもそうやって夜中に脱け出してたんだ」
「そ」
ナイフと紐をしまい、壁から飛び降りる。
「早く来ねえと置いてくぞ」
「あ、やだやだ」
由利香も飛び降りる。地面に着いた手を叩きながら、
「ね、どこ行くの?」
「秘密」
淳は笑って先に立って駅に向かって歩き始める。
由利香も弾んだ足取りで後ろを追いかけた。
「2人足りない…」
朝のミーティング時、由宇也は純をジロっと睨んだ。
「だからっ!なんでおれっ!?」
「なんか知ってるかと」
「おれはおミズのお目付け役じゃねえ」
「え〜っ!」
何人かが揃って声を上げた。
「あのなあ、あんなのフォローし切れるはずないだろ。都合のいい時だけ頼ってきやがって」
「おミズはいいけど、ユカもいない。あの野郎、連れ出しやがったな」
「そう言えば」
愛が思い出したように言う。
「今日ユカの誕生日よね」
「あ、そっか」
「だったら…きちんと許可とって出かけりゃいいのに。」
「邪魔する人がいそうだもんなあ」
健範がつぶやく。
「うん。そうだよね。由宇也が素直に、行って来いっていうワケないよね」
歴史も相槌を打つ。
「あ…。」
窓から外を見ていた温が端のほうを指差す。
「あそこ」
由利香と淳が壁を乗り越えているのが見えた。
「あんんのおおお、ばっかやろおおおおっ!」
「あ〜あ、ユカあんな短いスカートで…」
「温ちゃん、口に出しちゃだめっ!」
「タダじゃすまねえええっ。まってろよおおっ!」
由宇也は部屋を飛び出して行った。
「あーあ、行っちゃったよ」
「どうする気だろ」
みんな呑気に由宇也を見送る。
「おミズが逃げ切る方に500円」
「由宇也が追いつくのに300円」
「追いついても言い逃れして、振り切るのに700円」
賭けを武がメモにまとめる。
「圧倒的におミズが逃げる方がオッズが低いな。誰か由宇也に賭けない?」
…何してんだか。
由宇也は、警備員に訳を話し、門を飛び出して行った。
駅が見えかけたところで、前を歩く2人の姿を見つける。
「おミズ!待てっ!」
淳が振り向いて、ぎょっとした顔になる。
「げ、やば、ユカ走れ!」
「うんっ!」
楽しそうに由利香は答える。
淳はしばらく由利香の手を引いて走っていたが、あと数百メートルのところで手を離し、
「ユカ、おれ切符買っとく。後から来な。」
と、言って先に走って行った。
「がんばってねー」
「おまえもな」
あっという間に駅に到着し、切符を買って由利香を待ち受ける。2人で走ってちょうど来た電車に飛び乗った頃に由宇也が改札を通るのが見えた。
「よっしゃあ、勝った」
「楽しかったねー」
由利香はちょっと荒くなった息を弾ませながら笑う。
「帰ったら、すげー怒られそう」
「その時はその時だよ。いっしょに怒られよう」