2.6. childish 〜part3

 
  
    
     散り始めた桜の花を見ながら、木実は昔の事を思い出していた。会ったばかりの事はさすがに記憶がおぼろげだ。2才くらいだったから仕方がない。  一番古く、まとまった記憶は5才の頃。木実がネゴシエイターいわゆる交渉係として、そして小雪がアサッシンとして教育され始めたころ。その頃はお互いの信頼を深めるため、まだ部屋は一緒だった。 一日の訓練を終えると、小雪はいつも傷だらけになって帰って来て、木実が傷を手当すると、しばらく死んだように眠っているのが常だった。心配で心配で、目が覚めるまで何時間も顔を覗き込んでいたっけ。小雪が起きるまでは夕飯も喉を通らず、いつも夜が更けてからいっしょに食事をした。そんな生活の中で、2人で食事をする小雪の習慣がついてしまったのだろう。  小雪の負う傷は日に日に減って行き、やがて傷一つなく戻って来る日が何日か続いたかと思うと、またいきなり傷だらけになって戻って来る。多分訓練の内容がランクアップしたのだろうと木実は解釈していた。  あまりにひどいと感じて、上司に抗議した事もあったけど、当然相手にはされなかった。 「ゆきちゃん、逃げようよ。いっしょに」 と小雪に言ったのは10才くらいの事だっただろう。小雪は訊き返した。 「どこに?」  行く所がないのは、木実も同じ事だったけど。 「でも、毎日そんなにケガして。死…死んじゃうよ…」  涙をぼろぼろ流しながら訴える木実に、小雪は悲しそうな顔で 「いいよ」 と言ったのを覚えている。その時はさすがに腹が立ち、気がついたら殴っていた。  「そんな事言うなんて許さない。ゆきちゃんがいなくなったら、僕はどうするの?僕はたった一人になっちゃうんだよ。そしたら僕だって生きていけないよ。生きてなきゃだめだよ、ゆきちゃん」  その時、久しぶりに小雪がふっと笑った気がした。  静かに木実の涙を拭きながら 「ごめん、ナッツ」 と言って腕を出した。 「手当て、して」  まだ泣きながら傷を消毒し、包帯を巻いた。その日は小雪は眠らず、ずっと朝まで2人で話していたっけ。と、言っても今と同じで、ほとんど喋るのは木実で、小雪はぽつりぽつりと単語を口にする程度だったけど。  それから数年後、茉利衣がボスになるのと同時に2人も実務に着き、10年近くになる。そして今… 「ナッツ?」  眠っていた小雪が目を覚まし、木実は窓辺から、小雪のそばに移動した。 「起きた?今日は仕事ないって、良かったね。ゆっくり休めるよ。今さ、昔の事思い出してたんだ。もうゆきちゃんとは20年以上いっしょにいるんだなあって」  その言葉に目を閉じて、何かを考えている様子。しばらくして 「ちゃんと、生きるよ」 と口にする。  同じ日の、同じ言葉を思い出したんだと、あの時の気持ちが甦って来る。 「うん、がんばろうね。辛いこともあるし、大変だけど。どんな事になっても、どこへ行く事になっても、負けないで、いっしょに生きて行こうね」 ********************** 「もうっ!翼っ!勝手にいなくなっちゃだめでしょっ!」  昼休みをあと5分くらい残す時刻になって、翼の母親が息せき切って体育館に駆け込んで来た。 「かーちゃん、おれ、6だんとべるようになったぞっ!」 「え?」  母親はびっくりして、飛びついてきた翼を抱き止める。 「ホントに?」  午前中に3段を初めて跳んだばかりだったのに。 「しんじねえのかよ。ちぇ、だからオンナってやつは」 「こら、翼。母親にそーゆー口きくんじゃねえよ。おまえを産んでくれてんだぞ。かーちゃん居なきゃ、おまえ居ねえんだぞ」 「よくわかんねえけど、なんだかじょーしき言ってる。水木淳のくせに」 「んだよ、それ。」 「よし、じゃ、見てろよ、かーちゃん」  母親に宣言し、淳に 「おい、とびばこのそばに立ってろよ」 とえらそうに命令する。 「立ってろ?立ってて下さい、だろ」 「立って…て。」 「ま、いいか」  ちょっと笑いながら補助に立つ。  実はまだ、翼はいつでも補助についてくれるという確信がないと怖いらしい。 「行くぞっ!」 「がんばれよ」 「おー」  勢いをつけてだだだと走り、一瞬とまどって歯を食いしばって、踏み切り板を踏む。体がちょっと傾いてふわと浮き、ぎりぎりの所に手を点いて、跳び箱をとび越す。2,3歩とっとっととたたらを踏み、どうにかその場に踏みとどまった。 「なっ!」  振り返ったその顔は、自信満々だ。 「すごいじゃない、翼っ!」  母親は翼に駆け寄って、思い切り抱きしめる。 「頑張ったね!」 「へへ」  照れたような顔で、嬉しそうに笑う。淳の方を見て 「おまえのおかげじゃないぞ」  またそんな事を言う。 「分かってるって。」 「翼!ちゃんとお礼言いなさいよ」 「だって何もしてもらってねえもん」 「そうそう、おれは見てただけだもんな。」 「ほらな!かーちゃん」 「もうっ!すみません」  母親は淳に頭を下げる。 「いや、マジなんもしてないって。大体誰かが手伝ってどうこうなるもんじゃねえしさ。翼がやる気になったからだよな。」 「あったりまえだいっ!」  そこへ桃果がやってくる。 「翼くん、また跳び箱してたの」 「せんせー6だんとべた」 「えええーっ!すごいじゃない。水木くん意外に教え上手?」 「意外ってなんだよ。ひでーな」 「もういっそずっと、私のアシスタントやる?」 「…勘弁してよ。倒れちまう」 「おれは、それでもいいぞ水木淳」 「もうっ!またそうやって偉そうな口きく!」  翼は母親にまたもポカと頭を叩かれる。 「じゃあ、午後からはボールやろうね、翼くん」  桃果の言葉に翼が頷く。淳に向かって 「おまえもやるよな」 「おれは手伝いだから、やらねえわけに…。ももちゃん、何やるの」 「午前中で球の扱いに慣れたから午後はドッジボールやろうと思ってるの。」 「つまんねー。バスケやろうよ」 「できるわけないでしょ!」 「ちぇーっ!」 「…やっぱりガキだな、水木淳」 「るせー」 *********************  他クラスの手伝い最後の日、全部のスケジュールを終え、みんなはぐったりと食堂に集まる。 「つっかれたよなぁ」 「もう嫌だこういうの…」 「コーチ陣の苦労が少しは分かっただろう」  乗は涼しい顔をしているが、実は彼も他のクラスの指導をさせられて結構疲れている。 「明日からは通常メニューだ、良かったな。真面目にやる気になっただろう」  「まあ…」 「ちょっとは」 「という訳で、新しい自主トレーニングメニューだ。負荷をそれぞれ2,3割増やしてあるから、そのつもりで。この一週間の事考えれば、どうってことないはずだ」 「鬼―っ!」  鬼と言われたくらいで、怯むような乗ではない。  平然とメニューを配る。 「乗…このプラスαってナニ?」  淳がメニューに目を通しながら不審の目を向ける 「ああ、おまえのはランニングは入ってないから、勝手に走れ。まじめにやれよ筋トレも。あとバランス悪いから、右腕も鍛えろ」 「う゛え゛」 「乗、私のもランニング入ってない」 「ユカは、淳と走ってるだろ。メニューに入れる必要ない。ユカも勝手に走りな」 「え?でもこれ罰だから、終わったら走らないかも」 「多分ユカは走る。オレはそう思う。な、淳」 「知らねーよ、そんなん」 「おい、水木淳」  後ろからまた翼の声。 「なんだよ、翼。まだ帰んねえのかよ」  振り返ると、目の前に、ぐいと箱を突きつけられる。 「ナニ?」 「やる」  淳に箱を押し付けて走って行ってしまう。 「かわいいー」  女の子達が、走って行く翼の後姿を見ながらきゃあきゃあ騒ぐ。 「おミズに懐いちゃったねー」 「おミズ、子供相手にまでフェロモン出しちゃだめじゃない」 「出してねええっ!」 「ねえ、それ何?」  由利香が箱を覗き込む。箱には、翼が自分で書いたらしい字で『たからもの』と書いてある。 「かわいいね。宝物、淳にくれたんだ」 「5才児の宝物って何だ?」  純も反対側から覗き込む。 「どーせ、くっだらねー…」  言いながら箱を開けた淳が、 「うっわあああっ!」 と叫んで数メートル飛びすさり、後ろの席のイスにぶつかって止まる。 「うわ、びっくりした!」  後ろの席に座っていたCクラスの明人が慌てて振り向く。 「どうしたんだよ」 「虫…虫が」 「虫?はぁぁぁ?」  明人は、こいつ何言ってるんだという目で淳を見る。  テーブルの上に置き去りにされた箱には、キャベツの葉っぱと青虫が入っていた。 「おミズ虫だめだっけ?なんでさ?」  明人は恐る恐る聞く。淳と、虫がだめという構図が結びつかない。 「虫のクセに足がねえっ!」 「足、あるよ」  由利香がじっと青虫を観察しながら返す。 「ちっちゃいこぶみたいな足。じゃなきゃ歩けないじゃない。かわいー。キャベツ、もにゅもにゅ食べてるー。」 「もにゅもにゅ…びょ…びょーしゃすんなっ!」  顔色が真っ青になっている。 「おミズ、芋虫系だめなんだ。へえ、知らなかったな」  純は楽しそう。弱点1個ゲット。 「おまえ…もしかして、まだアレ引きずってんの?」  尚が呆れた口調で淳を見る。 「アレ?」 「それで未だにピーマンもダメなのか?ダサ」 「うるせーな、尚だって、ニンジン食えねえの。アノせいだろ」  まだ、とびすさった位置から戻れないまま、それでも箱から目を離せずにいる。   「まあ、そうだけど」 「おミズがピーマン食えない訳って?」  健範が興味深々と言った顔で聞いて来る。 「言っていい?淳」 「言ったらおれも言うぞ」 「おれがにんじん嫌いな理由は、ここで喋ると多分大ヒンシュクだぞ。そのリスク犯してまで言いたいのか?」 「まるで、おれのはヒンシュク買わねえみたいだな」 「やっぱ、危ねえか」 「えー、聞きたい。聞きたいよねーノリ。尚のも聞きたい」 「うんうん。ピーマンともかく、芋虫ってのがな」 「口にするなっ!っつうか、蓋閉めろ、誰か。飛んで来て顔とかにくっついたらどうすんだっ!?」 「芋虫が飛ぶわけねえだろ」  呆れながらも純が蓋を閉める。 「ねえ、淳、この子いらないんなら、ちょうだい。私育てたい」 「ユカ、悪趣味」 「どうして?きれいな蝶々になるんだよ。せっかく翼くんがくれたのに」 「あうううう」  蓋を閉めてもまだもとの場所には戻れない。 「そいつさ、昔、ピーマンの丸焼き食ったら、中に芋虫が入ってていっしょに食いちぎったんだ」  淡々と話す尚の言葉にみんな 「げ」 とか 「うわ」  とか言って口を押さえる。淳はその時の事を思い出したらしく、口をおさえたまま、洗面所に走って行ってしまった。 「そ…それは確かにキライになっても仕方ないかも」 「芋虫可哀相…。淳に食いちぎられて死んじゃったんだ」 「ユカ。多分もう焼かれて死んでたから…」 「そ…そっか」  あやふやに由利香は答える。焼かれるのと食いちぎられるの、虫的にはどっちが楽だろうと考えながら。  尚がニンジンが食べられない理由については、また今度。
  
 

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