2.7. Woozy woods 〜part1

 
  
    
    「そう言えば、淳、誕生日に何か欲しい?」  4月半ばのある朝、いっしょにランニングのメニュー外メニューをこなしながら由利香が聞いた。 「いらねーよ」  あっさりと淳が答える。由利香に『あげる』プレゼントだって思いつかなかったのに、『もらいたい』ものなんて、モノに執着しない自分が思いつくわけもない。 「なんでー」 「ユカにも何もやってねえじゃん」 「お花見したじゃない!それで罰で走らされてんだよ、私。忘れた?」 「ああ、そうだっけ」  どこまで本気かよくわからない。 「誕生日なんて別にめでたくねえもん」 「なんでっ!」 「だって生まれた日の事なんて、覚えてねえしなぁ。ほんとにこの日かよって感じ」 「まあ、確かに、淳は牡牛座っぽくないもんね」  牡牛座は、我慢強い、忍耐と努力の人だ。  まあ淳が努力しないかとか我慢強くないかと言えば、そんな事もないけれど、なんだか微妙に違う気がする。 「星占いはますます信用できねえ」 「遊びとしては面白いよ。全部頭っから信じるのはどうかと思うけど。あ、そういえば、その前に由宇也もうすぐ誕生日だ」  由宇也の誕生日は4月19日。みんなに先がけて18才になる。 「由宇也?あーいいなぁ、あいつ18だ」  本当に羨ましそうな口調の淳に、由利香は不思議そうな顔を向ける。 「なんで18になりたいの」 「18になったら出来る事増えるじゃん。免許取れるし、一応大人として認められるし」 「結婚もできるよね」 「ああ、そんなんもあるか。ラヴちゃんも16になったよな。あ、じゃ結婚できるじゃん」 「淳、結婚は、年齢だけの問題じゃないでしょ」 「でもさ、どうせいつかするんなら、さっさとしちまえばいいじゃん。…と、おれは思うよ。はいこれで、10キロ終わり、おれはあと10キロ走って行くから、じゃね」  由利香を置いて、スピードを上げてさっさと走って行ってしまう。 「もうっ!」  話は中途半端に終わってしまって不満が残る。後姿に文句を言い、その場でクールダウンのため、柔軟を始める。  すぐに、一周回って来た淳は 「アキレス腱多目に伸ばしときな。今日、ちょっとペース上げたから。」 と言い残して、また走って行く。  ペースが上がっているのなんて全然気が付かなかった。そういえばいつもより、1,2分時間が短い。でも、全然体に負担がかかったという気はしない。他の事はともかく走る事に関しては、淳のペース配分は確実だ。何分で何キロ走ると目標を立てたら、数十秒以内の誤差で走れる。それは本能と繰り返しのたまものだ。  このままだと着実にタイムが上がるかもしれない。でも、逆に言うと、淳にとってはなんの練習にもなってないのかも、とちょっと暗い気持ちになりかける。5分くらいでストレッチを終えたところに、歴史と健範がやってきた。 「もう走ったの?早いね、ユカ」 「淳が、あんまり周りに人がいるの嫌だって言うから」 「あー、おミズはそんな感じだよね」  ちょうど戻って来た淳に、健範が 「おミズ、いっしょに走ってもいいか?」 と言うと 「着いて来れんなら」 と言いながら去って行ってしまう。 「おミズ、キレイだよねー、走り方」 「見とれてねえで、いくぞ、チル」 「見とれてないよっ別に」 「うっそつけ」  わやわや騒ぎながら走り始める。 『仲いいな、チルチルとノリって。』  なんとなくうらやましい感じでそれを見送る。見た目と言い、性格と言い、まったくタイプが異なる二人だけど何故か気が合うらしく、思えば健範がここに来た頃からずっとひっついている。 『あれ?そう言えば』  ふと、2年近く前の事を思い出した。 『チルチル、誰か好きな人いるって言ってなかったっけ?』  そっちの方が進展している様子は全く無い。何か進展があったら健範とばっかりあんなに一緒に居る訳がないし。自分もあの時歴史が誰が好きなのか突き止めるとか決心したのに。 『あの時、淳に止められたんだよね』  今になって考えれば、そんな子供っぽいことしなくて良かったと思える。うまくいきそうな物も壊れたかもしれないし。 『でも、誰かなあ。チルチルだったら誰とでもうまくやって行けそうなのにな』  シビアな事も口にする歴史だが、多分日ごろから気を使っているのは由利香も気がついている。 『誰か可愛い子見付かるといいよねー。でも、チルチルより可愛い子っていうのも、なかなか難しいか。』 「ユカ、おはよ」  建物に入りかけたところで、花蘭と馨に声をかけられる。 「今日もおミズと走ったの?」 「うん。ちょっとペース上げてくれたみたい」 「ふうん。おミズはホントにユカにだけは親切よね」 「おミズの喜びだもんね、ユカの成長は」  からかい気味に言って2人でくすくす笑い合う。由利香は少しムキになり反論する。 「別に誰でもいっしょに走ってくれるよ、頼めば」 「毎日はムリでしょ」 「そうよね。もともと自分のペースで走るのが好きな人だものね」 「ユカさ、そろそろ、おミズの気持ちに応えてあげないと可哀そうね。」 「そうよ、ユカ。すっごく大切にされてるの分かってるんでしょ?」  どうしてみんな、淳と自分をそういう風に見たがるんだろう。淳はただ、自分を保護しなくちゃいけないと思っているだけなのに。いっしょにいるのは楽しいし、楽だけど、もしかしたら淳のやりたい事とかすごく規制している事になっているかもしれない。ふとそんな事に思い当たり、さっきの暗い気持ちが戻って来る。  黙り込んだ由利香に気付き、とたんに2人とも表情を改める。 「どうしたの?ユカ」 「なんでもない。」 「ごめんね、気にした?ほら、私、おミズのファンクラブだから、つい気にしちゃうのね」 「いいんだ。私がはっきりしないからいけないんだよね。考えてみる。自分の事も淳の事も」  真剣な顔で、自室に向かう由利香を、心配そうに見送る。 「ね、まずくない、あれ?」 「あんなに気にすると思わなかったね。まずったね。」 「傍から見てるほど気楽じゃないからねあの2人」 「なのよね。つい時々忘れるからね」

「それ、どういう意味?」  朝食時、由利香の言った言葉に淳は自分の耳を疑った。思わず聞き返すと 「だから、しばらく淳といっしょに行動しない」  由利香は言葉を繰り返す。  さっきからずっと考えていて、自分なりに出した結論だ。 「なんで?別に行動するのなんて、ユカが中学行った時にやってみたじゃん」  あの時結局淳に頼っちゃうとか自覚して、戻って来たはずなんだけど。 「あの時は、結局淳に色々心配かけてたでしょ。ちょっと、心構えが違うんだ。」 「ふうん」 「だから、プレゼントとして、取り合えず、誕生日まで淳に自由な時間あげるよ。私の事考えなくていいから。保護者なのしばらく忘れていいよ。」 「…で、誕生日になったら?」 「その時淳が判断して」 「朝のランニングどうすんの?」 「走るけど、罰だから。1人で走る」 「飯は?」 「別々」 「それ、どういう意味があんのかわかんねえけどさあ」  まあ、由利香が唐突に色んな事言い出すのはいつもの事だ。 「雷鳴ったらどうすんの?」 「う…。だ…誰かに頼んどく」  それを聞いて別に自分じゃなくてもいいのかよ、とちょっとカチンと来る。ずっと、雷が鳴りそうになったら部屋に駆けつけていたのは何だったんだろう。ちょっと…いや、かなり空しい。 「じゃ、そうすれば」  思わずムッとした言い方になってしまったのは、仕方ないかも知れない。  食べかけの朝食を持って席を立つ。  「ユカがそうしたいんなら、それでいいよ。別にいっしょにいる理由もねえしさ。じゃ」  2,3個離れたテーブルに純がいるのを見つけると、さっさと移動し隣の席にトレイを置く。どさっと腰を下ろし、不機嫌そうに食事の続きを取り始める淳に、純は呆れた顔を向ける。 「またケンカしたのかよ」 「そんなんじゃねえよ。」  イライラしたようにご飯をかっ込み、魚の切り身を突きまわす。…と思うと突いただけで、今度は煮物に箸を移し、里芋をぐちゃぐちゃに突き崩す。無意識に味噌汁を箸でぐるぐるかき回しながら 「あいつ訳わかんねえ」 と口の中で呟く。  純と愛は『また始まった』という表情で顔を見合わせ、黙って食事を続けるが、淳がやたらと七味を味噌汁に入れているのを見ると、さすがに腕を押さえた。 「落ち着け、おミズ」  味噌汁は真っ赤になり、食べられる状態ではなくなっている。 「なんだか知らねえけど、食いモンに当たるのよせ」  淳は黙ったままご飯にぐちゃぐちゃになった煮物を空け、突きまわした切り身を載せ、真っ赤な味噌汁をかけると、一気に喉に流し込んだ。当然の結果として激しくむせる。 「おまえ…ほんとにガキだな」  純は自分の箸を止めて背中を叩いてやりながら、呆れるが、その内段々可笑しくなってきた。  淳の中には大人と子供が共存している。必要以上に冷めて、世間を斜めに構えていやに冷静に見ているかと思うと、簡単な事で落ち込んだり腹を立てたり。いちいち付き合っていると疲れるが、傍から見てると面白い。しかし笑うわけにも行かない。 「どうしたんだよ」 「別に」  涙目になって咳き込みながら、お茶を飲んでまたむせる。   純が何気なく由利香の方を見ると、歴史と健範がなにやら話しかけているが、やはりまともな答えは返ってきていない様子。2人とも困ったような顔をしている。 「あっちもか」  やがて食事を終えて出て行こうとする淳に、 「真面目に打ち合わせ出ろよ」 と言うだけは言ったが、返事はない。 多分出てこないだろうなとは予想できる。機嫌の悪いときはまず出てこない。 「なあ、ミネ、おミズなんか言ってた?」  健範がやって来て、食器を片付けている由利香をちらちら横目で見ながら聞く。  朝、走っていた時は普通だった気がするのに…あの後何があったんだろう。 「なーんも」 「ユカ何聞いても答えてくれないんだもの。確か途中まで一緒にご飯食べてたよねえ」  歴史も由利香の方を気にしている。  まあ(傍から見てると)大した理由もなく2人がケンカするのは、いつもの事ではあるけれど、大抵は大声で怒鳴りあったり、モノに当ったりの派手なアクションが在ってからの別々の行動だったりする。今回は前触れがなく、いきなり別々に行動し始めたのがなんだか不気味だ。 「別にいいんだけど、あいつらがケンカしても仲良くてもさ。ただ周りに当るのがなあ」 「止めて欲しいよね」  みんなでため息を交わす。

 小雪が生まれた後、実の母親はどこかに姿を消してしまっていた。当時、高校を出たばかりでまだ結婚もしていなかった叔母が、祖父と祖母の援助を受けながら、人目を避けるように人里離れた山奥で小雪を2年ちょっと育ててきた。  木実は数ヶ月前からΣに来ていた。ずっと母親代わりの保母に育てられていたが、同じくらいの子供がは全く居なかった。 その日の朝、木実は保母から 「今日、お友達が来るのよ」 と聞かされていた。『お友達』という言葉の意味もよく分からなかった木実だったが、待ち遠しくて、保母と一緒に門まで出て待っていた。桜の散り始めた季節なのに、その日はなごり雪がちらちらと落ちていた。  黒塗りの車が止まり、ドアが開いた瞬間を木実は今でも覚えている。  母親と言うにはあまりにも若すぎる叔母が、小雪を抱いて現れ、地面に小雪をポンと下ろした。小雪は視線を動かさないまま、舞い散る桜の花びらをじっと見ていた。透き通るように白い肌の体は、まるで実体がないかの様に見えた。そのままふわふわと飛んで行ってしまいそうで、木実は地上に繋ぎ止めようとでもするかのように駆け寄って手をつないだ。小雪はちょっと驚いたような顔になったが、手を振り払うような事はせず、ただ首をかしげた。 「こんにちは」  すぐ傍にいた木実の保母が小雪に声をかけた。 「あなたのお友達になる、木実くんよ。ナッツってよんで上げてね」 「なっちゅ?」  まだよく回らぬ舌で小雪は繰り返し、木実をじっと見た。真紅の透明感のある瞳に自分の顔が映っているのを見ながら、本当にちゃんと自分の姿が見えているんだろうかと木実は不思議な気がした。それに、なんてキレイなんだろう…。 「この子は…」  叔母が小雪を紹介しようとして、口をつぐんだ。 「ああ…名前、変わっちゃうのよね。新しい名前が付いてから覚えてあげて、ナッツくん」  木実がこくんと頷き、ぎゅっと手を握ると、小雪はためらいながらもそっと手を握り返して来た。それが嬉しくて、思わずにこにこしてしまう。 「あらあ、嬉しそうね。」 保母も木実を見て笑った。叔母は肩の荷が下りたというようなホッとした表情で2人を見比べていた。  まだやっと20才の彼女にとって、山奥でのたった2人っきりでの子育ては辛いものだった事は容易に想像が付く。ましてや、自分の子供でもない。彼女が小雪を手放したいと思っても誰も彼女を責める事はできないだろう。    叔母はぎゅっと小雪を抱きしめて言った。 「ごめんね、ママあなたの事嫌いなんじゃないのよ。ごめんね。でも、このままじゃあなたもママも幸せになれないと思うの。元気でいてね。周りの人のいう事良くきいてね」  小雪は表情を変えずに 「うん」 とだけ答えた。その様子は、何かを悟り、全てを受け入れようと、幼いながら一生懸命になっているように見えた。  その時、叔母の目に戸惑いの色が浮かんだ。このままこの子を置いていっていいのだろうか。この子は本当に幸せになれるのだろうか。ここに彼を置いていくからには、もう2度と会う事は出来ないと言われている。この2年間がみんな無に帰ってしまうようで、心が痛んだ。  その考えを振り切るように保母が声をかけた。 「じゃ、細かいお話はあちらで伺いますね。ナッツ、ちゃんといっしょについて来てね」  木実は小雪の手をしっかりと握りなおし、桜吹雪となごり雪の中を、大人2人について歩き始めた。  これから始まる、2人のペアとしての生活に向かって。
  
 

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