2.7. Woozy woods 〜part4

 
  
    
 純は、更に数時間も歩いただろうか?  木々の向こう側が開けている気配がした。またどこかに突き抜けたのかと思って歩いて行くと、10メートル四方ほどの窪地に出た。そこだけ不思議なほど木が生えていない。  その真ん中に、月明かりを浴びて淳が仰向けに倒れていた。  全く動かない姿にドキッとして駆け寄って、頬に手を触れる。まるで氷のように冷たい。 『…え?ちょ…ちょっと待てよ』  落ち着いてよく見ると、胸が規則正しく上下している。ちゃんと息をしている…という事は寝ているだけだ、多分。  胸をなでおろす…のと共に怒りが込み上げてくる。 「この、ばっかやろうっ!」 と言うのと同時に、左手で胸倉を掴んで上体をむりやり起こし、右手で思いっきり頬を引っ叩いた。  淳は一瞬置いて 「いてっ」 と声を上げ、目を開いた。きょとんとした表情で何が起きたか理解しようと、目の前の純をじっと見つめる。 「びっくりした」 「びっくりしたじゃねえよっ!人が心配して探し回ってんのに、なんで呑気に寝てんだよ、おまえはっ!?」 「あ、寝てたんだ。」  答えに著しく脱力する。 「おまえなあ…何時だと思ってんだよ」 「え?何時?」  黙って淳に時計を差し出す。12時まであと数十分。 「あー、日付変わりそ」 「帰るぞ。いい加減。」  立ち上がらせようと手を掴むと 「ちょっと待てよ」 と逆に引っ張られる。とっさの事に、思わずよろけて隣に座り込む形になる。 「ほらほら、寝て寝て」 と今度は抱きついて倒される。 「うわ、バカ」  仰向けになって空を見上げる格好になると… 「…すげえ…」 「だっろー」  隣にまた仰向けに寝ころがりながら、淳は嬉しそうに言う。  灯りが全く無い森の上には満天の星空。夜空を横切る天の川が流れ落ちて来るようだ。  とっさにサーチライトの灯りを消した。あたりは月と星明かりだけになる。しばらく星空を眺めた後、淳が口を開く。  「すっげえとか思ってずっと見てたら、そのまま寝ちまったらしい。ごめん、まさかミネが探しに来るとは」 「なんか、無駄にムード満点だな」 「えー?隣に寝てんのがおれじゃ不満?」 「不満もいいとこ」 「ひっでえなあ。相変わらず、冷てえの」  不服そうな淳に、純は笑いながら 「…で、何か分かったのか?」 「う〜ん。どうだろ」  そのまま片手を天に向かって差し出すと、まるで星が掴めそうなくらい近くに見える。 「なんかどうでも良くなった」 「おまえはぁ…」 「っつうか、すっげー腹減ってんだけど。食い物残ってるかなあ」   勢い良く起き上がり、手探りでサーチライトを探し当て、スイッチを入れる。 「情緒ねえな。どうせだったらカンテラとか持って探しに来て欲しかったよなあ」 「何ワガママ言ってんだよ。どうしようもねえな、まったく」  文句を言いながらも、とにかく無事で良かったとホッとする。  窪地から出ようとすると淳が 「ミネ、何持ってんの?」 と純の持っている糸に目を留める。 「アリアドネの糸」 「何それ」 「おまえホント物知らねえな」  アリアドネはギリシャ神話の中のミノス王の娘。ミノタウロスを倒しに来た勇者に、ミノタウロスの住む迷宮から抜け出すには、入り口に糸を結び付けておいて、糸を伸ばしながら進み、帰りはそれを辿りながら帰れば迷わないで済む事を教えた。そう淳に説明すると不満そうに 「ミネが妙に知識持ち過ぎなんだよ。そんなん知らなくて当然じゃん」 と言う。 「それにそれ、役立つかわかんねえぞ」 「なんでだよ」 「ちょっと待って」  木の中に踏み込んでいこうとする純を止める。  「何?」 「今、危ねえかも」 「え?」  純を引っ張って、窪地の真ん中まで下がり、森の木々を指差す。 「見てみ」 「だから、何を…」  言いかけて純が凍りつく。木が…動いている。正確に言うと立っている位置がそれほど変わるわけではない。微妙に位置をずらしながら、幹の角度を変え、枝がくねくねと触手のようにうねり、全体の形を変えていく。 「木…生きてんのか?」 「んなわけねーじゃん。」  純の言葉をあっさりと否定し、人差し指を口に当てる。促されるまま口を閉じて耳を澄ますと、かすかにモーター様の音が聞こえた。 「ね?」  でも、にっこりして言うような事じゃない。 「何だよこれっ!?」  思わず淳に詰め寄るが、 「おれに言われたって知るかよ」  という答えは真っ当だ。  「屋上から見たのが12時くらい。そのあと夕方、多分6時くらいに、またいきなり動き出して、危うくはさまれそうになった。で、今夜中の12時だろ。この分で行くと、朝6時も動くかもな。見てく?」 「一度で十分」  木は10分位の間、ゆったりとしたテンポで動き続け、急に止まった。 「じゃ、帰ろ。つまりさ、道が変わっちまうんだよ。だから元の道は通れるとは限らない」  確かに少し歩くと、糸は枝と枝の間に挟まれていた。さっきは確かに通った道なのに。 「多分、こっち」  勘を頼りに淳はすいすいと木々の間を抜けていく。 「迷って帰れなかったわけじゃなかったのか」 「最初ちょっとヤバかったけど、慣れた。何時に動くのか気になって、待機してただけ。でもミネが来てくれなかったら、眠ったまま幸せな感じで凍死してたかもな。」 「幸せとか言うんじゃねえ」 「でも、熟睡してそのまま凍死するのって、一番気持ちいい自殺の方法だって聞いた。雪山に睡眠薬持ってって飲んで寝ちまうの。難点は、雪山捜索ってすっげー金かかるから、家族が迷惑。」 「死にたいのかよ」 「まだいいや。まだやる事あるし。とりあえず、飯食わねえと」 「何言ってんだか」  いつもの淳の調子が戻っている事に安堵する。屋上ではあきらかに妙だった。  ついでに気になっていた事を訊いてみる。 「ユカと、どうしたんだ?」 「自由な時間をプレゼントされた」 「はあああ?」 「誕生日まで別々に過ごそうって」 「なんだ、それ。誕生日だから一緒にいようってんなら分かるけど」 「時々わけわかんねえからな、あのお嬢さん。」  他人事の様に言って、空を仰ぐ。木々に阻まれここでは空が狭い。 「あ、こんどそっち」  進む方向を指示しながら 「なんかどっかで間違ったかなあ、おれ」 と呟く。 「最初っから間違ってんだよ。おミズ、ユカの事好きなくせに、保護者で済ませようとしてるところが、もう基本的に間違い。」 「きっつう」 「保護者なんて由宇也で十分だろ。由宇也が来た時点で、降りりゃ良かったのに」  それには返事をせずに、小枝を避けながらやっと通れるくらいの狭い隙間をかいくぐって、先に進む。15分程度で、なぜか4丁目側に突き抜けた。道の向こうに赤や黄色のネオンが瞬いている。 「あれ?ちょっと間違った」 「ワザとじゃねえよな」  純は疑いのまなざしを向ける。 「え?やっだなー。このままここで飯食って行こうなんて考えてねーよ」 「やっぱワザとじゃねえかよっ!って言うか、なんでそんなに器用に好きなところに出られるんだよ。おまえは『どこでも○ア』持ってるドラ○モンかよっ!?」 「動物的な勘とでも申しましょうか。わあ、いっぱいお店やってるぅ、寄っちゃおっかな」 「金あるのか?」 「タダでオッケーの店が数軒。きゃっぐうぜーん、ちょうどここがその内の一軒」 「きゃっじゃねえよ」   止める間もあればこそ、淳は4丁目にしては地味な作りの一軒の店の引き戸に手をかけて振り向いた。のれんに『朱深(あけみ)』と書いてある。 「ミネ来ねえの?」 「行くよっ!おまえだけ行かせたら、またなかなか帰って来ねえだろが」 「当ったりー。こんばんわー。朱深ねーさんいるー?」  勢い良く引き戸を開けて、中に声をかける。  カウンターだけの狭い店には客が数人と、30代半ばのこの店のママ『朱深ねーさん』がいた。 「あら、ちぃちゃん、またご飯食べに来たの?」  一番奥の席に腰を下ろした淳に慣れた調子で話しかける。 「ちぃちゃんはやめてってば」 「じゃ、食べさせてあげない」  ママはにっこり笑って意地悪な事を口にした。 「ひでえ。じゃいいよ、ちぃちゃんで。なんか食わせて。朝から食ってねえ」 「やーね、食べ盛りの男の子が。待ってて、今なんか出してあげる。そっちはお友達?お友達も何か食べる?」 「あ、いやおれは」 「もったいねえっ!朱深ねーさんすっげえ料理上手いのに。」  ママはにっこり笑って 「じゃ、軽くおつまみでも。」 といそいそと食事の支度にとりかかる。その間も他のお客への対応も忘れない。 「なあ、おミズ、なんでちぃちゃん?」 「教えてやんない」  淳はそっぽを向く。 「前探しに来た時も、違う名前で呼ばれてた気が…」 「オトコの名前は知り合う人と同じ数だけあんの」 と淳はうそぶく。 「うっそつけ」 「はいできたよ、ちぃちゃん」  あっという間に食事が並べられる。まぐろの中落ち丼には紫蘇の千切りが山盛りに乗っている。味噌汁はボリュームのある粕汁で、里芋を主体とした野菜の煮物がたっぷりと添えられている。 「いっただきまーすっ!」  さっそく丼を抱え込み 「う…美味い…」 と涙ぐみかけている淳に微笑みを投げかけ、 「じゃ、あなたにはこっち」 と純の前に紫蘇と納豆を挟んで焼いた油揚げと、小鉢に入った湯葉の煮物を置く。 「すいません」 「朱深さん、それ誰よ」  客の一人が、明らかに特別待遇を受けている淳を胡散臭そうに眺め、 「これ?」 と小指を立てる。 「いやあねえ、こんな若いコとそんなに見える?嬉しいー」 「違うの?安心したよ」 「このコは、可愛い弟分みたいなもんよ。ね、ちぃちゃん」 「ん」  口いっぱいご飯を頬張りながら淳が頷く。 「小さい時、ここに流れてきて、色々面倒みてあげたんだよね」 「色々?怪しいなあ」  別の男が淳を横目で見る。 「あ、安心してよ、おっさん。朱深ねーさんとはそんなんじゃねえから。お代わり」  あっという間に空になった丼を差し出す。 「もう中落ちないよ。卵でいい?」 「うん」  朱深から受け取った卵を直接丼に割り入れて、醤油をかけまわしてぐちゃぐちゃ混ぜて更に食べ続ける。 「ちぃちゃん、ほんとにここでは色気のカケラもないわねえ」 「朱深ねーさん相手に色気出したって。」  何気なく、自分の小鉢に伸びてきた淳の箸は見逃すとしても、純には今の言葉は見逃せない。 「他では色気振りまいてんのかよ」 「まあ、いろいろ」  平然と言う淳を見ていると、本当にいくら心配してもし足りないと思う。  ひたすら食べ続け、まだお代わりをしようとする淳を 「やめとけ。どう考えても茶碗5杯は食ってる」 と押し留める。こういう心配までしなくてはいけないわけだ。 「ミネのケチー」 「夜中にやたら食うんじゃないの。考えろ少し」 「ふーん」  朱深ママは2人を見比べ、 「ねえ、こちら、ちぃちゃんの彼氏?」 と言い出した。 「え?え?そう見えるっ?わあい」  小躍りする淳を 「喜ぶなっ!アホか、おミズ」 と、軽く小突いて制する。 「違うの?つまんないわねえ。ちぃちゃんには、しっかりした彼氏がついててくれると良いと思ってたんだけど」 「あ、でも、おれの事守ってくれんだよね。ねー、ミネ」 「それに関しては、たまに言った事すごく後悔する」 「なんでだよ。」 「おまえすぐ調子に乗るから」 「ひっでー」  朱深はそんな2人を微笑みながら見ていた。

「おまえはさ、一体何やってるわけ?4丁目で」  『朱深』からの帰り道、淳は満足そうだが、純には不安材料が増えた。 「秘密」 「悪い事とかしてねえよな」 「人に言いにくい事って意味なら、多分してる」 「おミズっ!」 「ミネには迷惑かけねえよ」 「そういう事じゃなくて!」 「おれの事心配?」 「あったりまえだろ。」 「ミネってほーんと、いいヤツ。だからおれミネの事大好きなんだ」 「またそうやってはぐらかす」 「あはは」  Φの入り口まで戻って来ると、慌てた様子の守衛が迎えた。 「峰岡さん、さっきから何度も麻月さんから電話入ってますよ」 「あ、やば…」  森を抜けた時点で連絡するべきだったのに、すっかり忘れていた。 「わーミネのドジー」 「うるっせいな。おまえが寄り道するからだろうが、このバカ」  さっきは平手打ちだったが、今度は拳骨で頭を殴る。 「いってー。ミネが殴ったー。おじさん、ミネひでえよね。」  守衛に訴えるが、守衛は淳と純を見比べ 「状況は良くわからないけど、多分水木さんが悪いんじゃないの」 「ほら見ろ」  純は言い捨てて、淳を置いてさっさと一人で建物に向かって行った。ここまで戻って来たら、いくらなんでもどこかに行ってしまう事はないだろう。 「ミネー。待ってってばー。せっかくここまで仲良く来たのに、なんでここで見捨てんだよ」  あとを追いかける淳を見送って、守衛は電話をかけた。  由宇也がすぐに電話を取る。 「今、戻ってきました。そっちに向かってます」  由宇也は玄関に向かって走った。言ってやりたい事は山ほどある。  横目でちらっと時計を見ると、午前2時。たぶん今夜は貫徹だ。
  
 

前に戻る