2.7. Woozy woods 〜part3

 
  
    
    「あっれー、おミズまたいないの」  夕飯時、トレイを持ったまま食堂を見回して歴史が呟く。 「お昼もいなかったよね」 「そうだよな。病気でもねえのに、2食抜くなんて信じらんねえ。ダイエットでもしてんのかな」  隣で同じように、しかし相変わらず違うメニューをトレイに載せた健範が呑気に答える。 「ノリ、おミズあれ以上どこ痩せるのさ。筋肉まで落ちちゃうよ」  「冗談だって」  真顔で反論する歴史に、なだめるような口調で答え、健範はちょうど通りかかった純をつかまえて 「ミネ、おミズ見た?」 と訊く。 「え?まだいないのか?」  純は思わず驚いた口調で返す。 壁の時計を見ると7時を過ぎている。  さっき森に行って来るといって飛び出して行ったのが昼頃だったから、もう7時間も戻って来ていない。1キロ四方程度の森の探索にしては時間がかかり過ぎる。第一、淳の事だ。戻ってきたら、ああだったこうだったと言いに来るに決まっている。それが来ないという事は、戻って来ていないのは確実だ。 「ずっと朝から見てないんだけど、ミネは会った?」 「午前中は屋上にずっといたみたいだけど。」 「そうなんだ」  心配そうな顔の歴史に、森に行った事を話そうかと思ってから、躊躇する。 森はいわば禁忌の場所だ。この建物を建てるときに伐採した残りと聞いているが、それが本当かどうかは分からない。森自体もΦの持ち物で、特に立ち入り禁止になっていたりという訳ではないが、なんとなく誰も足を踏み入れない。 近所では一度入ると出られないとか、白骨の山があるとかいういう噂がまことしやかに囁かれている。そこまではどうだか分からないが、不気味な感じがする事は確かだ。そんな所に行ったと聞いたら歴史は余計心配しそうだ。 『そういやあ、あいつってあんまり気をつけて歩き回る方じゃないよな』 とふと思い当たる。淳は動物的勘は働くので、道に迷ったりという事はめったにない。結果的に同じ場所に戻る事はできても、行きと帰りでぴったり同じ道を歩いて戻れと言われたら多分戻れない。多分木ばかりで目印のあまりない森の中ではどうなのだろう。かえってちゃんと戻れる気もするし、危ない気もする。  思いつくと居ても立ってもいられなくなる。急いで食事をすませると、怪訝そうな顔をしている愛に 「ちょっと出かけて来る」 と言い残して、立ち上がる。 万が一、自分も戻れなかった時の事を考えて、食堂を見回して由宇也を見つけ出し、声をかけて部屋の隅に連れて行く 「おミズが森行ったまま、帰って来ねえんだ」 「森?…!森ってあの森かよ。バカかあいつ、なんでそんなとこ行ったんだよ」 「気になる事があるって言って」 「いつから?」 「昼。あいつ昼も飯食ってねえし、どっかで倒れてるとまずいから、おれ行って見て来る」  由宇也は純の言葉を聞き呆れ顔になる。 「ミネもバカだな」 「で、もしも朝までに戻らなかったら2重遭難してる可能性大だから、悪いけど本格的に捜索に来てくれない?」 「真剣にバカだな。」 「自分でもそう思う」 「ま、いいや。気の済むようにすれば。おミズなんて放っておいても帰ってくると思うけど。おまえは心配なんだもんな。苦労するよな、おミズの面倒見るのも。既に趣味の領域か?」  からかい気味の由宇也の口調も  「何とでも言え。もう何言われるのも慣れた」  とかわす。そんな事でつっかかってる場合じゃない。 「なんの理由つけて出かける気だ?」 「おミズ戻って来ないから探しに行くって言うよ。今に始まった事じゃなし」  確かに、前から淳がどっかにふらふら遊びに行ってしまい、それを探しに行くのは純の役目だ。別に誰に仰せつかったわけでもないのだが、自然にそういう役回りになってしまっている。純にしてみればいい迷惑だが、一番心配するのは自分だから仕方がないと最近は諦めもついた。 「…わかった、言っておいてやる。すぐ出かけたいんだろ。守衛にはあとで許可書持って行ってやるよ。おまえの事なら信用して通してくれるだろ。日頃の行い良いしな」 「ありがとう由宇也。助かる。じゃ、行って来るから」  走って行く純の背中に呼びかける。 「サーチライト持って行けよ。多分真っ暗だぞ。あと方位磁石」 「わかった」  答えを聞いて、 「まったく、あいつらは…」 と呟いて、一度席に戻る。 優子はいつもと変わらないおだやかな微笑で待っていた。 「ちょっと有矢さんところに行って来る。おミズがいつの間にかまた脱走して、ミネが探しに行ったから」 「ミネちゃん、本当におミズ好きよね」 「そういう誤解を招くような言い方するなよ。」 「そう?時々、ミネちゃん、ラヴちゃんの事よりおミズの方が好きなんじゃないかって思うわよ。思わない?」  優子はにこにこしながら、聞く人が聞いたらぶっ飛んでしまいそうな事を、平気で口にした。  そりゃ、たまにそんな風に見えない事もないけれど、と頭の中では思いながら 「優子…それは、もし思っても口に出さない方がいいって。おミズつけ上がる」  そう言い残して、由宇也は急いで有矢氏の部屋に向かった。

「冗談だろ、これ」  森を目の前にして、純は唖然としていた。  整然と生え揃った木々の枝は複雑に絡み合い、どこから入り込めばいいのか想像もつかない。 「どっから入って行ったんだ。…ったく」  文句を言いながら、森の周りをぐるっと回る。淳が入って行ったと思われる、Φの外壁と森の間の狭い狭間を探して回ると、一箇所だけ少しだけ木に隙間がある所が見付かった。一番外側の木の枝に、持って来た糸の端を括りつける。糸を辿れば、少なくともこれで戻って来られなくなる事だけはない…はず。  ここまで来たら、ただで帰るわけには行かない。覚悟を決めて、暗い森の中に歩を進める。  隙間と言っても道があるわけではない。いわゆる『けもの道』ですらない。ところどころ枝が折れているのは淳が通った後の証であることを信じて、純は枝を掻き分けて進んで行った。時々糸を木に結ぶのも忘れない。  しばらく歩いて、真っ直ぐ歩いているか気になった。森はΦの北側にある。接している面から入り込んで歩いているから、北に進んでいる筈だ。磁石で方向を確認すると 「…え?」  なぜか磁石では西に向かっている事になっている。まあ、人間は真っ直ぐ歩いているつもりでも、自然に左に寄って行ってしまうものらしい。だから陸上のトラックも左周りになっている。  気を取り直して更に進む。数メートル進んで確認すると今度は東に向かっている。 「マジかよ。たったこれだけで真後ろってどういう事…」  立ち止まって、混乱した頭を整理しようと磁石を眺めていると、今度は磁石の針がぐるぐる回り始めた。 「うっわ。駄目だ、磁場狂ってる」  どこかに大きな磁場を発生させる鉱石でもあるのだろうか。とにかく、磁石はアテにならない事が決定したわけだ。  ため息をついて磁石をしまい、折れた枝だけを頼りに進む。  しばらく進むと、また純の頭を抱えさせるような事態になった。 「だから、ここをどうやって通ったと…」  確かに枝は折れている。折れているのだが、2箇所折れたその場所は、どう見ても枝と枝の間に10センチも隙間がない。  いくらなんだってこんな所、通れっこない。 「どうなってんだ一体」  独り言が多くなるのは不安を振り払うためかも知れない。  ざわざわと時々風に揺れる枝の音すら、まるで森が嘲笑っているかのように聞こえてくる。 「こりゃいよいよ2重遭難かな。見つけてくれよ由宇也」  仕方なくそこを通るのは諦めて、ぐるっと回り込む事にするが、ちゃんとあっち側に出られる自信なんてまるで無い。 先の見えない探索に、非常用の食料くらい持ってくれば良かったと、今更ながら後悔する。たかが近所の森と甘く見たのが間違いだった。誰も足を踏み入れたがらなかったのが良く分かる。 一時間以上歩き回った頃、突然前方が明るくなった。 「あれ?」  森の反対側に突き抜けてしまった。遠くに汀氏の家の明かりが見える。思わず、森から抜け出して休ませてもらいたい衝動に駆られてしまう。でもそんなわけには行かない。 時計を見ると9時ちょっと前。 一度森を抜け、目の前の公衆電話でΦに電話を入れる。運よく由宇也が取ってくれた。もしかすると、純からの連絡を待っていてくれたのかもしれない。 「おミズ、戻って来てる?」 「まだ。連絡もない。大丈夫か、ミネ?」 「もう何がなんだか。とにかくもうちょっと探して見る」 「気をつけろよ」 「できるだけ」  電話を切って、時計を見ると9時を回っている。 「あと3時間」  なんとなく、自分で期限を設定する。とにかく12時まで探して、見つからなかったら明日明るくなってからまた来よう。とにかく暗い森を歩くのは、精神的にも肉体的にも負担が大きい。 純はもう一度近くの木に糸を結びつけ、森の中に戻って行った。

2年間育てた子供を暗殺者にするために手放してしまう事を後悔しながら、叔母は帰って行った。話を聞いてしまった以上、もう拒否することはできなかった。いくばくかの礼金を受け取り、この事を決して口外しない事を約束させられた。  小雪は叔母を黙って見送っていた。なんの感情も浮かばないように見えたが、木実とつないだ手に一瞬だけ力が加わったのを木実だけが知っている。 『かわいそう』 と思った。何が可哀そうなのかは、はっきりとはしなかったが。  自分がその数ヶ月前にここに置いて行かれた時は、悲しくて寂しくて大泣きして母親の後を追ったのを覚えている。数日は泣いてばかりいた。小雪が泣かないのが不思議だった。 「さて」  男は、叔母を見送り2人の方に向き直った。  「これから君達は、ペアを組むものとして人生を歩んで行く事になる。その意味はまだ分からないだろうがね。お互いをパートナーとして信頼し、尊重するようになっていって欲しい。そのためには一日の大半を一緒に過ごしてもらうことになる。わかるね」  黙っている2人の前に立ち、じろじろと小雪を眺め回した。 「それにしても…白子か…。珍しいのを見つけてきたもんだな。目立つのは暗殺者としてはマイナスポイントだが、まあ髪は染めることもできるし、目はサングラスでもかければどうにかなることだ。」  呟くように言った言葉が、木実の気持ちを逆撫でした。  銀に透けて光る髪も、紅い瞳もこんなにキレイなのに、まるでそれが欠点でもあるように言うなんて…と思った。  ソファから立ち上がり、小雪を男の視線から守るように両手を広げて立ち、男を睨みつける。 「おやおや」  男は苦笑した。 「もうすっかりナイト気取りだな。まあそのくらいの気持ちでちょうどいい。君は彼をサポートする立場だからね。大丈夫、彼の事は君に任せたから。」  大きな手を木実の頭に乗せ、2,3度撫でてから両手を脇の下に入れて木実の体を持ち上げ、小雪の隣にまた座らせる。  しゃがみこんで目線の高さを2人に合わせてから、言いきかせるようにゆっくりと 「多分これからも、彼は周りから好奇の目で見られることが多いと思う。君が守ってあげるんだよ、ナッツ。君ならできるよね。彼が自信を持って安心して自分の仕事が出来るように、手伝ってあげて欲しい。わかるね?」  はっきりとは理解できる内容ではなかったが、とにかく自分がこの子を守らなくちゃいけないという事だけは分かった。  木実がこくりと頷くと、男は意外なほど優しい表情になり、両手で2人の頭を撫でた。  「そうだ、名前を決めなくてはね」  男は何気なく窓に目をやった。外ではまだ雪がちらついていた。 「雪か…小雪…そうだな、小雪という名前にしよう。わかるかい、今日から君の名前は小雪だよ」 「こゆき?」  小雪は新しい自分の名前を噛みしめるように繰り返した。木実も名前を口にしてみた。 「こゆき…たん?ゆきたん…?」 「そう、ゆきちゃんだ。仲良くするんだよ、2人とも」 「ゆきたん、なかよくしてね」 「うん、なっちゅ」  にっこりと小雪が笑った。その笑顔は20年経った今でも木実の脳裏に焼きついている。
  
 

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