2.8. Come Back Where You Belong 〜part1

 
  
    
     それは突然やってきた。 「はあ〜いぃ、元気だったかぁい?おれの大事な真紅の薔薇ちゃん」  朝食中にいきなり間の前に現れて、更にいきなり抱きついてきたダニーに淳は一瞬で硬直する。 「もーすぐ誕生日だから来てやったぜぃ。Honey。」  朝なのにやたらとテンションが高いのは、飛行機の中でずっと寝て来たせいか。それとも逆に睡眠不足か  自分の腕の中でカチンカチンになって動かない淳を見下ろしながら、不思議そうな顔になる。 「なんで固まってんだ?」 「ダニー、髭」  向かいの席から純が指摘した通り、大会から今までの半年でダニーの髭はすっかり元通りにフサフサと生え揃ってしまっている。つまりまた『淳の苦手な』ビジュアルが完璧に出来上がっているというわけだ。本人はそんなの全く意識していない。髭を手で撫でながら、  「ああ、悪かった。物心付いてからずっと髭伸ばしてるんで」  なんて事をしゃあしゃあと言う。 あんたはそんなに遅くまで物心が付かなかったのか?あるいは3才くらいから髭が生えているのか? 「悪かったなぁ、剃って来るよ」  淳の頬にキスを残し、荷物を置いたまま洗面所へと去っていく。  数分してやっと淳が動き出した。キスされた頬を手の甲で拭いながら、 「死…死ぬかと思った…」 「いつもおまえに抱きつかれてる、おれの気持ち分かるだろ」  そんな淳の様子を見ながら、純がしれっとした顔で言う。  とたんに淳は顔色を変える。 「え…えっ!?ミネそんなに嫌なのっ!?うっそお」 「泣くなよ」 「そんなにおれが嫌いなんだ。」  泣き真似をしていると、髭を剃ったダニーが戻って来る。 満面に笑みを浮かべて、 「これでオッケーだろ。Icecreamちゃん」  ともう一度抱きついてこようとするのを、今度はすかさず体を避けて、 「髭剃ったからって、くっついていいワケじゃねえっつの。刺すぞ」 「物騒だなあ、子猫ちゃんは」 「いちいちうっとうしい呼び名をくっつけんなっ!」   淳は本当にナイフを取り出して、ダニーに突きつけた。 「それ以上くだらねえ事言ったら、ぶっ殺す」  左手でナイフを突きつけたまま、右手で食事の続きを始める。  ダニーは肩をすくめて、両手の平を胸の高さまであげ 「わかったわかった。わかったから、それしまってくれよ」 とお手上げの姿勢になった。 「誰が信じるかそんなん」 「何か言ってくれよ、峰岡。」 「責任は自分で取れ」 「日本人、冷たいなあ」  ダニーは思わずぼやく口調になる。 「何、食堂で凶器出してんだ、おまえは」  由宇也がやって来て、ダニーの向かいの純の隣に座る。 「着いてたのか。早かったな」 「そっりゃあもう、MySugarに早く会いたいがために、タクシーの運転手脅しながら…」  こいつに脅されたら、スピード違反も辞さないかもしれない。偶然捕まってしまったタクシー運転手に同情する。 「こいつのどこが、そんなにいいのかなあ」  ダニーと淳を見比べながら首を傾げる由宇也に、ダニーは有無を言わさない口調で 「こんなに愛らしいじゃねえか」 と言い、淳をじーっと至近距離で見つめる。それはもう息がかかりそうなくらい。 「マジ、うぜぇ」  今度は目の前にナイフを突きつける。 「『まじ、うぜ』?なんだそれ」 「なんでもいいから1メートル以上離れろ。離れねえと顔のど真ん中にこれ突き立てる。」 「相変わらず、気ぃ強ぇなあ。ま、そこがまた良いんだけどよ」  淳から目を離さないまま、隣のイスに移動する。  そこからにやにやとしながら、淳の食事を見守る様子はとっても幸せそうだ。  バックに薔薇の花びらでも散っていそう。 「由宇也、てめえ知ってたのかよ」  淳は今度は由宇也に文句を言う。  さっきの様子は明らかにダニーが来るのを知っている様子だった。 「当たり前だろ。本部から、ちゃんと要請されてたんだから。」 「なんで黙ってんだよ」 「いや、驚かせるから黙っててくれって言われたから」 「ええ、ええ。そりゃもう、驚きましたよ。呼吸止まるかと思った」 「止まったらおれが人工呼吸を」 「いらねえええっ!」  思わずナイフを投げつける。ナイフはダニーの上着を刺して、彼をイスの背もたれに縫い付ける形になった。 「おミズっ!部屋ん中でそんなもん投げんなっ!」  純の注意もなんだか微妙にずれている。外ならいいのか? 「見事だなぁ、小鳩ちゃん」 「今度は鳩かよ。ナイフ触んなっ!」  ナイフを抜こうとしたダニーを制して、ダニーに触れないように細心の注意を払いながら、ナイフを抜く。 「そんなに嫌がんなくても」 「すっげー嫌だ。虫唾が走るほどヤダ。鳥肌立つほどヤダ。眩暈がするほどヤダ。死ぬほどヤダ。気が狂うほどヤダ。その辺の物に当って端からぶっ壊したくなるほどヤダ」 「ひっでえなあ。ああ、そういやあさあ、リーダーどうした?」 「リーダー?」 「ユカちゃんとか言う、チアのリードしてくれた、ちっこいカワイイ女の子。いつもいっしょにいたじゃねえか、お人形ちゃん」  「よく、色々出るなあ、人形だの、小鳩だの、Icecreamだの。」  純は呆れて、今ダニーが淳に呼びかけた言葉と淳のイメージを合わせようとするが、かけ離れて行くばかり。子猫だって、これがせめて野良猫とか山猫ならかろうじてカブるんだけど。げに恐ろしきは、恋する男の歪んだ瞳。  って言うか、淳が可愛こちゃんで、由利香がリーダーって…。ダニーの頭の脳内設定はやはり一般とはかなり異なっている。 「ケンカでもしたのか?」  淳はそれには答えず、黙々と食事を口に運ぶ。  純がダニーに目配せで『言うな』と告げようとするが、うまく伝わるわけも無く 「おまえら、仲良かったんじゃねえのか?おれは彼女かと思ってたぜ」 と更に追い討ちをかける。 純がその場を取り繕うように 「だったら、こいつにちょっかい出すなよ」 というが、ダニーは平気で 「彼女の席は埋まってても、彼氏の席は空いてるだろ」  なんて事を言う。この辺の感覚も不思議だ。   食事をさっさと切り上げた淳は、席を立った。 「ムカつくから走ってくる」 「待てよBaby、おれもいっしょに…」  立ち上がりかけたダニーに冷たい視線を投げかけて、 「あんた、おれと走れる自信あんの?」 と、視線よりさらに冷たい言葉を投げかける。 「う…。それは…だな」  一瞬怯んだダニーに 「1000メートルのタイムあと30秒上がったらいっしょに走ってやるよ」 と言い捨てる。イスを乱暴にテーブルの下に蹴りこみ、おばさんに『食器は丁寧に』と怒られながら片づけをすませ、こっちには一瞥もくれず、食堂を出て行ってしまった。 「なあ、おれなんか悪いこと言ったか?」  頭を抱えている純と由宇也に、何も状況の分からないダニーは慌てた口ぶりになる。 「多分、ずっと気に障る事ばっか言ってたと思う」  純はため息をつく。 「そうか?愛しい恋人を思う余り、口が少し軽くなっちまうのは、まあしょうがないって事よ。見逃してくれ」  ダニーの軽口に由宇也もため息をつく。 「おれ達は別にいいけどさ」 「…でさ、何しに来たんだよ。まさか本気でおミズの誕生日だけ祝いに来たわけじゃねえよな」 「おれ、本部に移ったんだよ。」 確かに本部のメンバーは各支部からスカウトされて決まるので、本部に移動する事はありうる。 「この辺でちょっと調査しなくちゃいけない事があるって言うから、ちょうどSweetHeartの誕生日だろ。じゃ、おれがって立候補したってわけ。そうだ、おまえら知らないか?」 「調査?」 「誰か裏の森に入り込んだだろう」  純と由宇也は顔を見合わせた。

「ムカつく、ムカつく…ムッカつくぅぅぅっ!」  口にするのも腹が立つ。  ダニーが、何のためか分からないけれど、来たところまでは100歩譲ってまあいいとして、なんで由利香の事まであれこれ言われなくちゃいけないんだ。 「なんも知らねえくせに。あのデカ髭禿」  朝食前に20キロ走ったばかりなのに、また走り始める。本当は食事のあとはすぐに走るのは好きじゃなかったんだけど、トライアスロンの練習をしている間にそういう事はクリアした。食べながらでも走らないと持たなかったから。  結局今の自分にとって、走る事が一番の精神安定剤なんだろう。そんな事を考えながら、グラウンドを回る。  そう言えば本当は打ち合わせの時間だけど…。どうせダニーが数日間よろしくとか挨拶しているだけだろう。そんなのどうでもいいし。  他の支部から人が来て、数日滞在すること自体は珍しい事ではない。しかしその場合大抵数日前に全員に知らされる。今回のように知らされてなかったのは、異例だ。 「もしかして、全員グルかよ」 とも思ったが、由宇也はともかく、純は知ってる様子ではなかった。  という事は多分急に決まった事なのだろう。   そんな事を考えながら、しばらく走っていると、打ち合わせが終わったらしく、純がグラウンドに出てくるのが見えた。 「おミズ、スピード落とせ」 「やだ」 「ダニーが何で来たか興味ねえか?」 「ねえ」 「聞けっての」  腕を?まえて、並走しながら話し出す。 「あいつ、本部に移って本部の用事で来たんだ。森に誰が入ったか調べに」 「森?」  森に入ったのは一週間位前になる。  ダニーが来ると決まったのはその後という事だ。 「つまり、森に入ると本部に分かるって事。つまりはあの森、本部の管理下だって事」 「ま、そりゃそうだろ。Φの土地だし」 「だから、なんのためにあんなもん作ったのかって事だよ。だいたいさ、日本支部だけだろ、こんな街の傍にあるの。あとはどこも大抵校外だよな。何かこの場所にしなくちゃならない理由があったって事だろ?」  純は自分で自分に言いきかせるように、ゆっくりと言葉を選ぶ。  それを聞いて、淳は思い出した。 「あ、あの中に家あった」 「家ぇ!?そういう事早く言えよ。まさか誰か住んでるのか?」 「なわけねーじゃん。でも結構でかい家。おれが寝てたとこと同じくらいの広さの空き地が何箇所かあって、その内の一つでさ。湧き水とか湧いてたけど、電気はねえな。」 「でもあの木、多分電気で動いてるだろ。じゃ引っ張って来られるよな。前は誰か住んでたのか?または誰か住む予定なのか」 「誰が好き好んで住むんだよ。あーんなめんどっちい場所」 「だから、何か理由があるんだろ」 「うーん。」 「木が動くのも、人を近づけないためだろ。何だろう。金の鉱脈とかかな」 「温泉とかな」 「温泉なんか、隠したってしょうがねえだろ。ちゃんと入れるようにして、儲けたほうがいいだろが。」 「世にも珍しい、若返りの湯」 「なんかそれも微妙だな」 「入りすぎて、赤ん坊になっちまったから、しばらく入れねえ。だから空き家になってんの」 「おミズ…冗談言ってる場合じゃねえ。あの森に入ったって分かったら、本部がどう出るか」 「バレなきゃいいじゃん」 「そりゃそうだけど」 「ってか、本部も、そんなん気にすんなら、隠しカメラくらい付けときゃいいのにな」 「広すぎるって。どこに付けるんだよ」 「それとも付いてんのかな?気になるな。見て来ようかな」 「止めろって。おまえさ、もしかして、気に入ってないか、あの森」 「え゛?や…っ、やっだなー、そんな事…」  この言い方は確実に純の言った事を肯定しているのと同じだ。 「あるな。勝手に行くなよ。念押して置くけど。何があるか分からねえんだぞ、あの中に」 「どうせ、この世の中一寸先は闇じゃん…」 「おミズ!そういう言い方やめろっていつも言ってんだろっ!」  純は淳の、たまにするこういう刹那的な言い方がとても気にかかる。 まるで、自分の未来とかを全て切り捨ててしまいそうに聞こえる。 「ごめん」  とりあえず素直に謝ってから、それでも 「でも、近くに訳わかんねえもんあるの腹立つしさ。大体、今まで動いてんの気が付かなかった事自体腹立ってんだよな」 と付け加える。 「だって12時とか6時とかにあそこにいないだろ。」 「だよなあ。盲点だった」  朝の6時は走ってるし、昼の12時はご飯食べてるし、夕方6時くらいって大抵練習終わった直後くらいでシャワー浴びてるか、早い夕飯を取っている時間帯だ。一番いる可能性の高いかもしれない夜中の12時は真っ暗で見えない。 「なんでもいいからとにかく一人では行くな。」 「えー、一人のが安全な気がする」 「…殴るぞ」 「あははー、冗談だって。わかった、必ずミネには少なくても言っては行く。」 「本当だな」  どこまで本気か分からない淳の口調に、不安になって念を押す。 「おれが嘘つくと思う?」 「思うから言ってんだ」  それを、打ち合わせが終わった資料室の窓から見ながら、ダニーは 「なんだ、彼氏の席も埋まってんのか。でも、ま、おれは諦めないからな」 と呟いた。
  
 

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