2.8. Come Back Where You Belong 〜part5

 
  
    
     しばらく経つと由利香も落ち着きを取り戻し、緊張して丸まっていた背中も柔らかさを取り戻し、震えも止まった。  でも、まだ雷はちょうど頭の上で鳴っている。  「おミズ。大丈夫か、ユカ」  純が部屋の外から声をかけると、今度は 「…ん…」 とかろうじて返事が返って来た。 「部屋入るぞ。いいか?」 「うん」  返事を待ってから部屋に入ると、淳はさっき純がタオルを持って来たのと同じ姿勢で、じっと由利香の顔を覗き込んでいた。 「もしかして、全然動いてないとか」 「いや…こんな顔してたんだなあ…とか思って」 「聞いてねえよ、そんな事。ノロけてんのか?」 「ちっげーよ。ばっかじゃねえの、ミネ」  いつもの口調が戻って来た淳にほっとしながらも、こっちを見ようとしないのは気にかかる。 「反省してんだ」  純の方を見ようとしないまま、それでも多分純に向かって話し始める。 「おれさあ、雷鳴るの分かってたんだ、かなり前に。おれが意地張ったせいだよな。約束なんてどうせ破っちまうんなら、さっさと破っちまえば良かった。ユカ覚えてるかな、この事」 「本人は意識ないんだろ。多分、雷の音がして、あっと思ったら本人的には立ち直ってるんじゃないか?」 「それにさ、おれがいっつもあんまり早く対応しすぎて、ユカ本人がちょっと鈍感になってたかもな。気が付くのおれの方がいつも早いんだ。」 「過保護だな」 「過保護だよなあ。ユカが気が付いてから行動した方がいいのかな。ミネどう思う?」 「でもそれじゃ遅いんだろ」 「それが問題だよなあ…」 「下らねえ事で悩んでねえで、好きなようにしたらいいだろ。本能で決めろよ」 「本能ねえ。」  背中をさすっていた手を止めて、由利香の額の汗を拭い、へばりついた髪の毛をきれいに整えてやる。 「なんかそうしてると、おまえユカのお母さんって感じだな」 「母親かよ。今、やなもん思い浮かべた」 「あれは、お母さんって感じじゃないだろ。」 「母親かあ。まあそれも一つかなあ。養女に迎えるとかさあ」 「何考えてんだよ。ま、いいや、好きにほざいてろ。どうすんだ?朝まで付き添ってんのか?」 「わかんねえ。取り合えずもうちょっと様子見る」  今は落ち着いているが、握っている手を離したらまた元に戻ってしまいそうで怖い。 「おまえも疲れてたんだろ。なるべく早く休めよ」 「なるべく…ね」  そうは答えたが、少なくともあと数時間はこうしているんだろうと純には分かっていた。  少しも由利香から目を逸らしていないのが、まだ心配で仕方がない事をはっきりと表している。 「じゃ、おれ戻るから、何かあったら大声で呼べよ」 「…う…ん」 「あと、そのまま、寝るな。確実に熱出るぞ」 「ん」  また短くなって来た返事は、淳の意識がまた由利香の方に集中し始めたことを物語っている。  純は2,3回淳の頭をポンポンと叩き、部屋をゆっくりと後にした。

「ゆきちゃん、雷鳴ってるよ」  仕事に出かけようとしている小雪に、木実は窓の外を眺めながら言った。 「雨も降ってる。ひどくならないといいね」  はめたばかりの茶色のコンタクトはまだ目に馴染まない。2,3回瞬きをしてから窓の外に目を向ける。 「雷、好きだよ」 「そうだっけ?そういえば雨だからって、嫌って言った事無いね。もっともゆきちゃんは、仕事に嫌な顔したことないか。」  小雪は寂しそうにふっと笑った。 「できないよ」  仕事を拒否する事なんて出来ないという意味だろうか。 「なんで好きなの?雷」 「消してくれる」 「消して…?ああ、雷の音が自分の出す音消してくれるって事?そうだね」 「気配も」 「そうだね。みんな雷に気を取られてるしね」 「終えた仕事も」  雨は、終えた仕事を洗い流してくれるようだ。 雷の音も、仕事を終えて疲れて帰ってきた小雪にとっては、優しい子守唄にさえ聞こえる。 「うん…そうかも知れないね。でも気をつけて。いつもと調子が変わるだろうし、風邪引かないようにね」 「うん」  小雪は木実に微かな微笑みを残し、雨の中を傘も差さずに出かけて行った。  門から出て行く小雪を窓辺で見送り、木実はいつものように、いつもの小雪の場所に腰を下ろした。  小雪のために、雨が止まない事を祈りながら。 ******************  結局淳は夜明け近くまで、由利香の部屋に留まり、雨もすっかり上がって小鳥のさえずりが聞こえてくるのを確認して、部屋を出た…ところで、由宇也と鉢合わせした。由宇也は淳を頭のてっぺんから足のつま先までじろっと見回し、不自然に感情を押し殺した声で 「おまえ…ユカの部屋で何してた」 と言った。 「え?えっとお…」  一晩中、由利香に付き添っていたとはさすがに照れくさくて言えず、言葉を濁すと、由宇也はそれを全く違う形で解釈した。 「おれに、言えないような事してたのか…?」 「は?なんでそーなんだよ」 「そのカッコ」 「へっ?」  そこで初めて自分が上半身裸なのを思い出した。 「ば…ばっかじゃねえの、由宇也。何かあったらわざわざそんな疑われるようなカッコで、ウロつかねえっての。」 「おまえの事だからどうだかな。」  由宇也は今度は露骨な疑いの目を向けた。 「何、朝っぱらから騒いでんだよ。」  こちらも結局あまり眠れずうつらうつらしただけの純が、欠伸をしながら顔を出した。 「おミズ、今までいたのか」 と呆れた様子で淳を見る。 「ミネー、こいつがおれの事信用しねえ」 「ミネ、こいつがユカの部屋で…」  2人で同時に純に訴えると、純はさすがに 「あーうるっせえなあ。」 と耳をふさいだ。 「まず、おミズがそんな格好してるのが悪い。ちゃんと服着ろ。あと、由宇也。こいつは昨夜雷が鳴ったから、ユカに付き添ってただけだから。」 「雷なんてとっくに止まってんだろ。それに、雷の時いつもこいつドア開けておくだろうが。閉まってたぞ」 「細けぇなあ、由宇也。ドアって?」  自分が1回目に行った時はたしか隙間を開けておいたけど、2回目はどうだったっけ? 「ああごめん、あれはおれが間違って閉めちまった。」 「…ミネかよ。おまえも付いててくれりゃ良かったのに」  由宇也は恨みがましい目を今度は純に向ける。 「あの状況で同じ部屋にいろと…?なあ、おミズ、それはあまりに酷だよなあ」 「なんだよそれ」  淳は抗議をしかけ、くしゃみを一つした。 「ほら、風邪引くぞ。早くシャワー浴びて来いよ」 「ミネっ!またそうやって、おミズ甘やかす」 「甘やかしてねえよ。熱出すとめんどくさいだろ。」 「いーや甘やかしてる。」 「つっかかんなって」 「よおおおっ、早くからみんな元気じゃねえの。おまけに、おれの可愛い苺ちゃんてば、朝からなんてセクシーな」 「うあ、出た」  淳はとっさに純の後ろに回りこむ。自分の肩越しに淳を見ながら、純は首を傾げる。 「セクシーか、これ?」  ダニーの言動は純にとっては毎度謎だ。まあ出すところに出しゃ、それなりに色っぽかったりするのかも知れないが(例えばこの前の『美女装コンテスト』の時みたいに)、雨で濡れたまま乾いたバサバサの髪の毛で、疲れた顔の今の淳がセクシーとかにはどうしても見えない。 「脱いでりゃ色っぽいってもんでもないだろ」 「いーや、 ChocoBonbonちゃんは、正装しててもおれにとっては最高にセクシーだ。ちょっとでも露出度が高けりゃ、もういつ鼻血が噴出しても不思議は…」 「病気だな、こいつ」  由宇也はつくづく呆れ果てて、嬉しそうに淳を見回しているダニーを見た。  淳はダニーの視線を避けるようにしながら 「なんか寒気するから、部屋戻る。由宇也文句あんなら後にして。」 「ちょっと待てよ」  止めようとする由宇也の手をすり抜け、部屋に走りこんでしまう。すぐにがちゃんと鍵のかかる音がした。 「あああ、待てよ。くっそお、もうちょっと見ていたかったぜ」 「ダニーには、おミズのフィギュアがあるんだろ。それで我慢しとけよ」 「これか?」  ダニーは大事そうに淳のフィギュアを取り出した。2人とも、その精巧さに目を奪われ息を呑む。 「すっげー、コワいくらいそっくり」 「っつか、なんでブルマーと体操服…」 「いや、だって、いつも走ってる時間て聞いたから」 「もしかして、おミズの実際の生活に合わせて着替えさせてんのか?」  純は思わず気味悪げに一歩後ろに引いてしまった。 「もっちろん。今回の滞在に生活パターンを極めて行くつもりだぜ。運動着も何種類かあるんだ。これと、レオタードと、ジャージと水着と…。ああ、あのラクロスのユニフォームも可愛いよなあ」 「気の毒に」  さすがに由宇也も同情する。 「でも、ハードゲイって男としての相手が好きなんじゃないのか。なんで女装ばっかなんだ」 「だって、こっちのが似合うだろ。おれは、谷間の百合ちゃんに出会って、世界が広がったんだよ。おれの愛はもっと大きなものなんだ。今度、実物大フィギュア注文しようと思ってんだ。テープ仕込んで声とかも出る様にして、肌触りも実物と同じで…」 「何に使うんだ…。ごめんっ!聞きたくねえっ!」 「ええ?そうかあ?いろんな使い道あるぜ。例えば…」  身を乗り出すダニーに対し 「知りたくねえっ!」  純と由宇也の声が揃った。 ダニーは怪訝そうな顔になり、 「残念だなあ」 と肩をすくめた。

「淳」  朝食の席で、ぶつぶつ文句を言う由宇也を適当に受け流している淳の隣に由利香がやってきた。  昨夜とは打って変わってスッキリした顔をしている。 「なんだよ。話さねえんじゃなかったのかよ」 「へへ」  朝食のトレーをテーブルに置き、すとんと腰を下ろす。 「淳が約束破ったから、破っていいよなって思って」 「そうだっけ?」  とぼけようとする淳に 「だって、昨夜部屋に来てくれたよね」 「そうか?」 「服、脱ぎ捨ててあったよ」 「あ…」  そう言えば置きっ放しにして来たのを忘れていた。 「シュートしといた」  洗濯室へのシュートに放り込んでおいたという事だ。 「ユカの部屋に届いちまうじゃん」 「取りに来なよ」 「やだよ、めんどくせえ」 「じゃ持ってく」  文句を言っていた由宇也は、由利香が話し始めると口を噤み、黙って見守っている。由利香は 「ゆーべの雷はビビっちゃたよー」  なんて事を呑気な口調で言う。 「ビビったどころじゃねえだろが。死にそうな顔してたぞ」 「そっか。あんま覚えてないや。雷だって思ってから、気が付いたら朝だったし。」  純の予想はだいたい合っているようだ。 「蘭も温ちゃんも、顔色変えて心配してたぞ。礼言っとけよ」 「ん。あのさー」 「んだよ。」 「夢見たんだよ。暗くて冷たい所で心細くって体が凍えて動けなくなってたらさ、誰かの手が伸びてきたんだ。それにつかまったら、体がちょっと動くようになったんだ。で、もう一つ手が伸びてきて背中撫でてくれたんだよね。そしたら少しづつ体が暖まって、なんだか安心して来たんだよね。あーもう大丈夫だって思って、次に気が付いたら小鳥が鳴いてた」 「下らねえ夢」 「そだねー。でも…ありがとう、淳。約束破ってくれて」 「なんだ、それ。いいから飯食え。冷めるぞ」 「はーい。あー、晴れてるっていいねえ」  楽しげに朝食を取り始める由利香を、由宇也は複雑な気持ちで、淳と見比べる。なんだか文句をいうのもばかばかしくなった。 が、取り合えず文句を再開し、淳は適当に受け流す。由利香はそれを聞きながら、時々クスクス笑っている。  今日は雨にならなくても済みそうだ。
  
 

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