1.12.Merry Christmas and A Happy New Year. 〜part5
「大丈夫?すっごいねー汀さん。娘って可愛いんだね」 少しはなれたところに避難していた由利香が一升瓶を抱えて戻って来て、淳のコップに注ぐ。コップの中で薄い金色に輝く日本酒を眺めながら、淳はため息をついた。 「ありゃ、異常だろ。可愛いのはわかるけど、相手構わず言うか?くっそー、酔い醒めた」 「もう一回酔えるって思えばいいじゃない」 「はは…。そーいう考え方もあるか?」 「なあ、おミズ、飯ある?飯?あと、卵」 こっちも避難していた純が戻ってくる。 「ねえよ」 「えーっ!最後はやっぱおじやで締めなきゃ、鍋じゃねえだろ」 純はかなり鍋にはポリシーがあるようだ。 一升で足りるかな、いや二升かとぶつぶつ呟きながら、ご飯を炊きに食堂に向かう。 ご飯炊くのってあと一時間はかかると思うんだけど…。 愛が黙って手伝いに立つ。 「ラヴちゃん、一人でへーき?おれも行こっか?」 淳も立ち上がっていっしょに行こうとするが、 「おミズはユカの相手してあげなさいよ。あんまり喋ってないじゃない」 「え?そだっけ?」 何しろ前半は由利香がずっと蟹食べてて無口だったし、後半は淳が汀氏に捕まってた。 「別に喋る事もねえんだけど」 口の中で呟いて、部屋の隅に、壁に寄りかかって座り込む。ここだと全体がよく見える、結構みんな楽しそうにやっている事に自己満足。なかなかいい大晦日だよな、とか思う。 由利香が見つけて、一升瓶と自分と淳のコップを持ってやってきて、隣に座る。 「淳、あのさーごめんね」 「ごめん?なに?」 「鍋のお金出させるために、嫌なことさせて」 「嫌なこと?したっけ?」 「客商売はできないって言ってたじゃない、忘れてたけど」 「ああ。別に1日くらいへーきだって」 そう言えば、クリスマスの時にそんな話をした気がする。 「でも、ちょっと見たかったな、淳が、お客さんの相手すんの」 「おれは…見せたくねえ」 「えっ!?まさか、触らせたりしてんの?」 「そーゆー店じゃねえってば!ったく…わかって言ってんのかよ、おまえ」 「だって、不思議なんだもん。淳って日ごろは愛想いいほうじゃないのにさ。」 「家出してきたときに、しこまれたからなー」 何気なく口にしてしまい、しまったと思うが、もう言葉は戻せない。 「え?淳あの頃、お店出てたの?」 由利香の真っ直ぐな質問に、はぐらかす事もできず、努めて明るく、軽い感じで返す。 「ま、ペットみてえなもんで。もちろん違法だけど。働かなきゃ生きていけねえじゃん。店でにこにこすんのなんて序の口。もっと嫌な事すっげーあったしさ」 「ふ…うん。誰に教わったの?」 「…誰…?誰…かぁ…『ヨージ』ってやつ」 言ってから、あ、また言い過ぎたと舌打ちする。『ヨージ』の名前なんて忘れたと思ってたのに。 時々記憶の淵に甦ってくる、あの一年間の出来事は、どれを取ってもそのたびに心を暗くする。 「ごめん、ユカ、あんまり思い出したくねえ、いつか話すけど、多分。」 「楽しかったことって…なかったの?」 「楽しかった事?…う〜ん…」 あんなことがあって、こんなこともあって、でもってあーゆーこともあって… 楽しかった事なんて、具体的にはひとっつも覚えていない。 だけどなんの挨拶もせずにいなくなったのに、何ヶ月かたって4丁目に行ってみた時、みんな優しく迎えてくれた。おもちゃにされていただけじゃなくて、心配もされてたし、気にもかけていてくれたんだと思った。だから今でも出入りしているわけだけど。 「あ、あ、あーごめん淳、落ち込まないで」 どよんと沈み込みそうになる淳に、由利香は必死で明るそうな話題をさがす。 「そっそうだっ!まっちが手紙くれてねっ、休みのとき会おうって言ってくれたのっ!」 やっとの事で話題を見つけ、ちょっとこわばり気味の笑顔で振ってみる。 沈みかけた淳がギリギリのところで浮き上がってくる。 「まっち…?ああ、あの娘」 「Φにいるんだよって言っても、大丈夫だった」 「へえ。」 ちょっと感心する。 世間でのΦの評判は散々耳に入っている。真知子だって聞いているはず。 4丁目の店からも、雇ってやるからそんなところ止めて戻って来いと言われている。 「Φの外にも友達ができるといいなって思ってたから良かった。」 「ユカががんばったからだろ、きっと」 「えーがんばってないよ、別に」 「友達作るって張り切ってたじゃん。おれなんてもっと長くいたけど、友達らしい友達できなかったしさ」 そういえば…とふと思い出す。中学行った時に隣に座っていた、筋肉マニアのやつ…誰って言ったっけ…? あいつはもしかしたら、友達になれたのかもしれないと思う。裏表がない、正直そうなやつだったし。会ったのはもう2年も前なのに、ちゃんと覚えているのは珍しく、自分で自分にちょっと驚いていた。 「なに、笑ってんの?」 知らないうちに笑顔になっていたらしい。 「え?ちょっとあるやつ思い出して」 「友達?」 「に、なったかも知れねえやつ」 「えーそういうのは、友達っていうんじゃないの?むこうもきっと淳のこと覚えてるよ」 「だといいけど」 「へー」 由利香は淳の顔をまじまじと覗き込む。嬉しそうな顔になって 「淳が誰かのことそういう言い方するの、初めて聞いた。淳ってモノにもヒトにも執着しないじゃない。人間関係もさ、去るものは追わず、来るものはたまに拒まずって感じで。誰かと友達になりたいとか思うんだ」 「おまえ、ヒトのコトなんだと思ってんだよ。」 「へへ。でも本当は違うの知ってるんだけどさ。淳はちゃんと友達思いだよね」 「ばーか、おれは他のヤツのことなんて考えねえよ」 「うっそー。トライアスロンの時だって、尚のことすっごい心配してたじゃない。まあ、尚は友達とは違うけど。ヒロが怪我したときもムキになってたよ。私がテニスで負けたときも一生懸命はげましてくれたしさ」 「知らねーよ、そんなん」 「あと、ミネちゃんのことすごく好きだし」 確かに由利香は唐突だけど。それは知ってるけど、これはあまりに…。 とっさに返す言葉が見つからず、まじまじと由利香の顔を見る。 「違うの?淳冗談っぽく言ってるけど、あれホントじゃない。ほんとにミネちゃんのことかなり好きでしょ?」 由利香はあくまで大真面目で、冗談で返すような雰囲気じゃない。 淳はため息を大きくつくと、自分で日本酒を注ぎ、ぐっとあおって 「おまえ、すげーやばい事言ってるぞ。自覚あるか?」 「えー?たまにただの友達じゃないなーって思うことあるよ」 「…おまえなぁ…。いや、まあ…そりゃさ、う〜ん…」 言葉につまる。由利香の言っていることの真意が測り切れない。 さっき、明子先生に言われた『ユカちゃんはずっと大人だよ』という言葉が頭に響く。 「っていうより、ミネちゃんが、淳のこと大事にしてるのか。淳はそれに甘えてるだけか…」 由利香がさらに言葉を続ける。 「ユカ…ちょっと、その辺でストップ」 「どうして?淳は、ミネちゃんにだけは弱み見せるじゃない。それって甘えてるんじゃないの?淳はミネちゃんといると、すごく安心した顔してる。私といると、大人ぶったりしてるけど、ミネちゃんといると時々こどもみたいな表情になってるよ。なんかそういうの見てるとたまーに寂しい」 由利香はそれだけ言うと、目を伏せて、ほう〜っと長いため息をついた。 「ユカにも…、見せて欲しいと思うよそういう顔…」 ますます言葉が返せない。だって、そんな顔でそんな事言われたら…。 それも2人っきりだったらともかく、こんなほぼΦ全員が揃っている部屋の真ん中で。 「よ、ナニ深刻になってんだ?」 「う…うっわあっミネっ!」 急に、よりによってその純に声をかけられて、飛び上がりそうに驚く。 純のほうもまさかそんな反応をするとは思っていないので、淳の隣に腰を下ろしながら 「な…なんだよ、おどかすなよ」 ととまどった表情を見せる。淳がコップに日本酒を注いで渡すと、反射的に口に運ぶが 「ミネちゃんはさ、淳のことどう思ってるの?」 直球の由利香の質問に、思わず飲みかけていた日本酒を噴出しかけてむせ返る。 「な…なに、ユカそれ。」 「ただの友達じゃないでしょ?」 「はあ?」 呆気に取られるというのは、こういう事を言うんだろうなと思う。淳は目を合わせようとしないし、こんな衆人環視の中で、一体なんでそんな妙な雰囲気の話になったんだか。 「ユカ、酔ってる?」 「かもしれないけど、関係ないよ。聞きたいの。」 「…参ったな…」 まさか由利香がそんな事思ってるなんて知らなかった。 「おミズ、おまえのせいだぞ、ユカ悩ませて。だいたいおまえは、行動が軽すぎるんだよ。」 「それは反論できねえ。」 「別に、私、淳がミネちゃんに抱きついたりとかそういう事言ってるんじゃないよ。そんなの冗談なのわかってるもん。もっと精神的なこと言ってるの。」 「精神的なこと…ねえ。ああ…参ったよなあ」 もう一度、参ったを繰り返す。 「こんな形で言うハメになると思わなかったけど…」 純の口調に『言いたくない』という雰囲気と『言ってしまおう』という決心が微妙に入り混じる。 淳はそれを感じ取り、とっさに 「ミネ!言わなくていい!おれ、別に誤解とかされててもいいから」 「いいよ、どうせいつか言う気だったしさ」 「いや、でもっ。」 止めようとする淳を遮って、言葉を口にする。これを話しだしたら全部話さなくちゃいけないことを覚悟して。 「あのさ、コイツおれの弟に似てるんだ」 「おと…おと?ミネちゃん弟いるんだ」 由利香は意外そうな顔をする。純の家族のことなんて聞いたことが無い。 「うん。弟と妹がいた。弟は2つ下で、妹は3つ下。」 淳は淡々とした口調で話す純の横顔をぼーっと見ていた。なんだか現実のような気がしない。酔っていることもあるけれど、純が遠くに見える。自分が知らないことを話しているせいだと気が付いたのは、しばらく経ってからだった。 「妹は末っ子なこともあって、みんなに可愛がられて、毎日笑ってたけど、弟は、人との距離感とるのが苦手でさ。小さいときから、なんだか世の中斜めから見ているみたいな態度で、回りからも、可愛げがないだとか、子供らしくないだとかいつも言われてたんだ。ただ、自分のこと表現するのが下手なだけだったんだけど。3人きょうだいの真ん中だったから、自分の場所を探すのも大変だったんだろうと思う。妹と年子だったから、甘えたいときに甘え損なって、甘え方も分からなかったのかもな。でも、おれにはわりと素直で、図工の時間とかでも家族の顔とか描く時、おれの顔描いてくれたりしてさ…おれには、すごく可愛い弟で」 そこで一息つく。 「ミネ…もう…いいから…」 淳は膝を抱えて、膝に顔を伏せたまま、呟く。聞いているのが辛い。聞いてはいけないことを純が話しだしそうな予感がする。純の言い方の何かがひっかかる。 「いいよ、もう話し始めちまったし」 純は淳の肩をポンポンと叩き、言葉を続ける。 「おミズに初めて会った時、こいつすっごく殻にこもってて、絶対本心見せなかったろ。まあ、ユカにとってはそうでもなかったみたいだけどさ。まるで鎧着てるみたいにがちがちに自分を防御してるの見たら、なんか、ダブってさ…。どうにかしなくちゃとか、自分で勝手に義務感持っちまった。少しずつ本音見せてきたら、全然キャラ違ってたけど。おれにとっては、こいつを守ってやらなきゃって気持ちが大きいんだよね。何から守るのかもよく分からないし、こいつに言ったって、迷惑がるだろうけどね。」 「す…っげえ、迷惑」 淳がまた呟く。 「だから、ユカが、おれがこいつのこと、ただの友達じゃないって思ってるって言うのは、そういう意味では合ってる。でも恋愛感情とかそういう意味だったら違ってる。安心していいから」 「ミネ…ちゃん。あの」 由利香がおずおずと口を開く。 「聞きたいんだけど…」 淳ははっと気付いて、顔を上げる。 「ユカ、聞くな!それ、聞いたら…」 「なんで、みんな過去形かって?」 純が聞き返す。ひっかかっていたのはそれだ。 「…あ…」 気が付いて、由利香の表情がこわばる。過去形でしか誰かの話をしないとき、それは… 「過去の事だから…。みんな…死んじゃったんだ…。弟も妹も母さんも父さんも」 「な…なんで?」 「ユカ…聞いちゃ…だめだって」 「だって…、だってミネちゃんここで話すのやめないって顔してるもん。ミネちゃん話すって決心してるんでしょ。そうしたら、聞いてあげたほうがいいじゃない。ちゃんと聞いてあげないと駄目だよ、淳」 「ユカが正しい。ちゃんと聞け、おミズ。多分もう話さないから。…火事だったんだ。放火だって警察が言ってた。犯人は捕まってない。多分もう無理だよな。おれはさ、修学旅行に行ってて助かったんだ。朝になって連絡が来て、担任の先生に付き添ってもらってタクシーで帰った。家に帰ったらもう、家は跡形もなくて…信じられなかった。前の日、みんな見送ってくれたのに、全員いないんだぜ。おれがいたら、誰か一人でも助けられたんじゃないか、とか、いっしょに死にたかったとか、いろんな事考えてた」 そのときの記憶はない。ぐるぐると自分のいろんな気持ちだけに振り回されて、周りで何が起きているかなんて、全然見えなかった。あまりにも非現実的で、泣く気にもなれなかった。 「あとで聞いたら、父さんの兄さんが喪主やるっていうのを頑として聞き受けないで、弔問客の一人一人にきっちり挨拶していたらしい。気丈だとか、頑固だとか、色々言われたらしいけど、記憶がないんだ。はっと気が付いたら、納骨も全部終わった後だった。伯父さんの家でしばらく世話になってたんだけど、泣きもしないから、不気味がられて、小学校卒業と同時にここに来た。ここは、みんな今までのおれを知らないから気が楽だった。だけど、いつも心に穴があいたみたいな気がしてた。おミズに会った時、…何か大きな力が、弟の代わりに、おれに守るべきものをくれたって思った。それでおれは救われたんだ、いわば。」 「おれなんか…そんないいもんじゃ、ねーよ。」 「いいんだって、おれがそう思ってるだけなんだから。だから、おれはコイツを裏切れない。わがまま言われても、なんかしょうがねえかって気がしちまう。マジで腹立って、首しめたくなることもあるけど。まあ甘やかしてるって言えば、そうかもな」 「ミネちゃん…ご…ごめんね」 由利香はいきなり純に抱きついて泣き出した。多分純の話が全部終わるまで待っていたのだろう。 「ユカ、相手違うよ。ね。」 純はとまどいながら、由利香の頭を撫でて 「ユカは悪い事してないからさ。」 「だって、ごめん…。こんな事話させて。私、勝手にヘンな事考えて、それで…ごめんね、ほんとにごめんね…」 「ちょ…ちょっと、これどういう状況…?」 歴史がびっくりして近寄ってくる。みんな酔ってて、幸か不幸か純の話は聞こえなかったみたいだけど、由利香が純に抱きついて泣いていて、その傍で淳が膝を抱えて丸まっているのは異様な風景だ。 「いや…なんか、はは…」 純は作り笑いをしながら、由利香の腕を引き剥がす。淳の顔を覗き込んで 「おミズ、泣いてる?」 淳は目だけ上げる。 「泣くはずねーじゃん。なんで、おれが泣くんだよ」 「じゃ、これ、返すから」 由利香を淳のほうに向かせ、トンと軽く押す。由利香はそのまま淳の肩に額を乗せて、動かない。