1.3. The Last Year.〜part3

 
 
  
    
 夕食時。  仕方ないので、淳は尚を連れて食堂に行く。一人で放っておくわけにも行かないし。一人でいると、淳と間違えられて、面倒な事もおこりかねない。それならいっそいっしょにいた方が面倒も少なそうだ。  いつもの様に歴史と健範がウインドウの前で悩んでいる。 「見えねーよ、おまえら、毎日毎食」  淳は文句を言う。 「今日はチャーハンセット点心付きと、生姜焼き定食だよ」  歴史がウインドウから目をはなさずに言う。  チャーハンセットはチャーハンと中華スープ、海老餃子2個に春巻き2個、それに春雨のサラダ  生姜焼き定食は、豚肉の生姜焼きにたっぷりの野菜炒め、切干大根の煮物の小鉢に、ご飯と具沢山の味噌汁。 「う〜ん、ぼく生姜焼き」 「じゃ、おれはチャーハン」  二人同時に立ち上がってお盆を取りに行く。やはり別メニューだ。  食堂のオバちゃんは、いっしょに現れた淳と尚を見て眼を丸くした 「あらああ、水木君分裂しちゃったの。ただものじゃないとは思ってたけど」 「んなわけ、ないっしょ。双子の弟の尚。ここ来るからよろしく」  尚は目だけであいさつした。 「あらあらあああらああ」  どやどやとオバちゃんたちが厨房の方からも出てくる。口々に 「あらあそっくりねえ」  とか 「離れてても同じに育つもんねえ」  とか騒ぎ立てる。夜はまだ働いている人が少ないから良いようなものだが、昼間の事を考えると頭が痛い。 「いーから早くおばちゃん、チャーハン2人前」 「はいよ!サービスしとくね!」  やがて出てきたチャーハンはやたらと大盛りで、おまけに海老餃子が一個多かった。  後ろにならんでいた、千広が 「あーきったねえ」  と叫ぶ。 「しょーがないねえ。はい工藤くんにも春巻き一個おまけ」 「やったーラッキー」  簡単に喜ぶやつだ。  淳と尚は目立たないように、一番端に腰かけ、しばらく二人とも何も言わずに黙々と食事する。  遠巻きに好奇の目がこっちを見ているのがわかる。視線がイタイ。  黙々。パクパク  先にしびれを切らしたのは、やはり淳のほうだった。 「尚、おまえにんじんよけるなよ」  尚のチャーハンのお皿の端っこには、きれいにみじん切りのにんじんがよけられてオレンジ色の小山を作っている。 「淳だって…」  尚は、淳の皿をチラッと一瞥して、言葉を返す 「ピーマンよけてる」  淳の皿には緑の小山が出来ている。 「うっせーな。こんなもん喰いもんじゃねえ」 「それ言ったら、にんじんだって…」  と言いかけて口を押さえる。顔色が青ざめている。 「…言っちまった…」 「おまえ、言うのも嫌なのかよ。ばっかじゃねーの。おれなんてへーきだぜ。ピーマン、ピーマン、ピーマン」  と言ってこっちも口を押さえる。 「やっぱ、なんかやだな…」 「ばーか」 「うっせー」  またしばらく沈黙が続く。  黙々…。 「おまえさー、さっきおれの事怒ってたよな」  また淳が先に口を開く。 「別に」 「いーや、ぜってー怒ってた」  淳はスプーンを振り回す。 「何に怒ってたんだよ」 「別に」 「言いたくなきゃいーけど」  黙々。 「おまえになんて怒ってないって」  今度は尚から口を開いた。さっきの続きらしい 「つまんねー事こだわってる自分に腹立っただけ」 「つまんねー事?」 「つまんねーから、もういいよ」  また黙々。 「あ!そ−いえばさー」  淳が思い出したように言った 「尚なんでここ来たんだよ。あとで話すって言ってたよな」  最初に資料室で会ったときそう言えば言っていた。 「そっか?」 「しらばっくれんなよな」 「…逃げてても…」  尚はスプーンをとめた 「しょうがないなって思っただけだよ」 「逃げるって?何から?」  こっちはチャーハンを食べる手を休めない。 「淳」 「ばっかでー。逃げたのおれじゃん」  スプーンを箸に持ち替えて、春雨サラダを食べる。 「追いかけなかったら、逃げたのといっしょだ」 「なんで追いかける必要あるんだよ」  持ち替えるのが面倒なので、そのまま左手でスプーンを持ってチャーハンを食べる 「おまえが追いかけるから、おれは逃げなきゃいけなくなるんだろうが」 「追いかけなきゃ、追いつかねえだろ」 「だからさー、ちょっと待てって声かけるとか」 「声かけて待ってるかよ、淳が」 「そりゃそっか…。でもやってみてくれてもよかったのにな」  尚がやたらと淳を意識してライバル意識みたいなものを燃やさなければ、淳も意識しないで済んだかも知れない。それは、先んじている者の勝手な論理だと言ってしまえばそれまでだけど。  また沈黙。  淳は右手で箸をぶらぶらさせながら、左手でさらに食べつづける。 「姉貴も渚もさ…」  尚が口を開く。  夕飯を食べるのはすっかりやめて、箸もスプーンもテーブルに置いてしまっている。まだ半分近く残っているのに。 「淳のことばっか言うんだよな、淳が出て行ってから」 「…うっそ」 「うそじゃねえよ」  淳は想像してみた。  淳のいない食卓で姉の晶と妹の渚が、淳どうしてるかしらとか話している。話には乗らずに黙々と食事をする尚。 「それは…いやかも」 「母さんは逆に全然口に出さないし」 「それも…やだな。おやじは?」 「普通」 「なんだあそりゃ」 「普通に、淳がいるみたいに」 「今日は学校はみんなどうだったんだ?とか、寒くなってきたから風邪引くなよ…とか…?」 「そう、普通」 「はは…らしい。で、尚は?」 「え?」 「尚はさ、どう思った?おれがいなくなった時」  尚はちょっと考えて、ゆっくり言葉を選ぶように 「ホッとした…かな?とりあえず」  と言った。 「違ってたけど」 「ふ〜ん。違ってたんだ」 「だから、来たんだよ」 「リベンジかよ。おれを追い越すために来たってえの?」 「ひとつはそんな所」 「ばかだなーおまえ。おれなんて目標にしてもしょーがねーじゃん」 「そう思いたいなら思えよ」  何度目かの沈黙。  まわりが聞き耳を立てている気配がする。ひまだよなみんな、と淳はため息をつく 「淳はさ」 「え?」 「家出直後どうしてたんだよ」 「聞きたい?教えねー」 「きったねえ」 「聞いたらきっと、相手が聞かなきゃ良かったって思うから。だから誰にも話してねえ」 「なんだよ、それ」 「そーゆー事」 「ごまかす気かよ」 「うん。ごまかすんだ」 「話せよ」 「だから、後悔するって。特に身内は」 「おれは平気」 「しつっけーな。…じゃ、話してもいいけど…聞かない方が幸せって事も世の中にあるって事、思い知るハメになるよ」 「まさか。それはいいけど、淳」 「え?」  2本目の春巻きをくわえたまま尚を見る 「春巻きにピーマン入ってる」 「うげ」  淳はあわてて春巻きを吐き出し、猛ダッシュで水飲み場に走って行った。  そして、その夜淳は初めて家出した最初の一年のことを誰かに話し、そして、尚はやっぱり聞かなければ良かったと後悔した。

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 次の日の朝、尚は淳の部屋でぼーっとしていた。淳はどこかにいってしまっている。昨夜淳の話をきいてから、良く眠れなかった。淳はベッドを貸してくれて、自分はどこからかサブのベッドを運んできて、あっという間に眠ってしまった。そのあと一晩中、淳の話が頭を離れず、悶々としていた。明け方うつらうつらした隙に淳は出ていったのだろう。  シャワールームで顔を洗っていると、淳が戻ってきた。全身汗びっしょりだ 「起きた?おまえよく眠れなかったろ」 「まあ」 「だから、聞くなって言ったのに。ばかだよなー」 「何してたんだ」 「走ってた。暑くて、昼間走れねーから、朝走ってんだ。尚も走れば」  言いながら、服を脱ぎ、シャワーを浴びる。 「いきなり裸になるなよ」 「なんで?服着てシャワー浴びられねーじゃん」 「おまえ、いつもそう?」 「いつも?ああ、結構へーきかな、脱ぐの。誰も今さら見ねーしさ。それに、べつに変なもんついてねーし」 「変なもんって」 「例えだよ、例え。タオル取って」  尚の投げたタオルを受け取って体と頭を拭くと、洗面台の脇にあるシュートに投げ込む。ここは、地下の洗濯室に直接繋がっていて、翌日か、遅くてもその次の日には洗濯の済んだ服などが、各部屋に届けられる仕組みで、なかなか快適だ。ただし、洗濯機に入れてガンガン回し、乾燥機にかけるので、丈夫な綿などの材質に限られる。もちろん他人に洗濯物を見られるのが恥ずかしいといった向きには、自分で洗濯する方法もある。屋上に一応干す場所もあることはある。なかなかそこまでしないけど。  見ず知らずの他人に洗濯をしてもらうというのは最初抵抗があるもので、由宇也なんかは未だに馴染めないでいる。その代わり小さい時からここで暮らしている由利香は、女の子でも全く平気だ。知ってる人なら恥ずかしいけど、知らない人なら平気じゃないというのが彼女の意見だ。そのくせ、自分では暇があると洗濯物を取りにいったり、ついでにお喋りしてきたりするので、洗濯室のおばちゃんたちとは顔見知りだ。女の子は、タオルや運動着などはいいけど、さすがに下着はね、と言う程度が一般的だ。男共はだいたい平気。そんな細かい事気にしてらんね―よ、とすぐに慣れるのが普通で、由宇也みたいなのは珍しい。  掃除もハウスクリーニングが入るが、他人に部屋に入られるのを嫌って、自分で掃除する者もいる。ただし年に一度年末だけは大掃除として、自分たちで掃除をすることに『なっている』。…が、これもチェックが入るわけではないので、サボって違う事をしてても全くわからないのだ。 「結構便利だろ、ここ。一度慣れるとふつーの生活できなくなるよな」  と淳は言う。  ちなみに各部屋には簡単なキッチンもついていて、普通はお湯をわかす程度だが、本格的に何か作ってパーティーを開いたりする者もいる。年末年始は食堂も数日休みになったりするので、結構便利だ。つまり、この部屋で最低限度の生活は営めるようになっているのだ。  尚は荷物は淳の部屋に置き、財布だけ持って出かけることにする。  昨日と同じように食堂に行き、同じように好奇の視線を浴びながら食事をする。  朝食は基本的に毎日余り変わらない。和定食と洋定食、簡単に言うとご飯とパン。変わるのは、和定食の焼き魚が鮭になったりあじの開きになったり、鯖になったり、洋定食の卵の調理方が目玉焼きになったり、スクランブルドエッグになったり、オムレツになったりといった程度だ。パンの種類もたまに変わる。  それでも歴史と健範は一応迷う。もっともたまにバラバラに来る時はあまり迷う様子も見られないので、二人で食事をする時の儀式の様なものかも知れない。 「食欲ねーの?」  和定食を目の前に、げんなりした顔の尚に淳がはなしかける。 「寝てねーからだよ」 「おまえよく食えるな。あんな話しておいて」 「尚が話せって言ったんじゃん。それにおれの中では、2年以上前の出来事だし、もう風化した」 「うそつけ」 「あはは、嘘だけど。でも悩んでもしょうがねーし。やっちまった事はやっちまった事。起きちまった事は起きちまった事。わりきんねーと、やってけねー。おまえの事ももう割り切った。来たもんはしょーがねーよな、昨日はすっげー驚いたけど。あ、おれお代わりしてくる」  淳は厨房の方に行くと、両手に茶碗をもって戻ってきた。両方に山盛りにご飯が盛ってある。 「なんだよ、それ」  尚が呆れていると 「どうせ3杯食うんだから、お代わり分も持っていけって、おばちゃんがくれた」 「一度には食わないよな」  尚は昨日淳が片手に箸、片手にスプーンを持って食事をしていたのを思い出して言った。 「左手で箸使えねーもん」 「左利きだろ」 「ガキの頃直されたろ。じーちゃん厳しくて。箸と鉛筆とはさみは右。ナイフとかギターとかは左」 「そんなもんか?」 「そんなもん。あと運動関係は基本的に両方イケる。左は箸が一番だめだよな」  尚はすでに食べるのを放棄して、お茶だけ飲んでいる。 「残すとオバちゃんこえーぞ」  昨日も尚は半分くらいしか食べられないで怒られた。淳もピーマンと春巻きを半分残して怒られた。 「食えねー」 「じゃおれが食う」  言うが早いか、すっかりきれいに食べ終わった、自分のお盆を尚のお盆と取り替えて、更に食べ続ける。  尚は呆れたままそれを見ている

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「なんだかなー」  由利香は歴史と健範の隣でいる。横目で淳の方をちらちら見ている 「淳ってば、尚が来た時あーんなに大騒ぎして嫌がってたのに、すっかり馴染んじゃって」 「しょうがないよ」 「そうそう、おミズだからね」 「なんか、それだけでみんな納得してるよね。ま、私もそうか」  クロワッサンにマーマレードをちょっとだけ付ける。マーマレードはちょっと苦いからあんまり好きじゃない。 「ユカ、そんな事言ってないで混ざってくればいいのに、あ、マーマレードいらないなら、ちょうだい」 「いいよ」  由利香は歴史に3分の2くらい残ったマーマレードを渡す。 「なんか、入りにくいよあの二人の中に」 「言えてんな。二人の世界って感じだよな」 「ノリ、それって恋人同士に使わない?」  歴史はマーマレードをたっぷりパンに乗せて、こぼさないように慎重に口に運んでいる。  健範はあせって 「え?え?そうなのか!?いや、そーゆー意味とちがくて」  と、否定した。 「わかってるけど」 「わかってんなら、言うなよ」 「でも、入りにくいのは確かよね」  と、由利香。歴史はからかうような口調で 「ユカ、ずっとこのままだったらどーすんの?淋しいよおミズとられて」  と言った。  由利香はちょっとムッとした。 「別に私のじゃないし」 「ごめん、怒った?」 「別に淳は、尚が来たばっかりだから、気を使ってるだけでしょ。兄弟なんだからいろいろ話もあるだろうし」 「多分ね」 「だといいけどな」 「ノリっ!」  歴史がたしなめると、健範は首をすくめた。時々彼は空気を十分読まずに口を滑らせる。 「ま、私には関係ないけどね」  由利香は健範の言葉は聞かなかった事にした。 「ユカさあ、おミズの事好きなら素直になったほうがいいよ。じゃないと、尚はともかくとして、誰かに取られるよ」 「別にそーゆー感情はないもん。淳は保護者だし」 「いつまでそんな事言ってんの」 「好きな人もいない、チルチルに言われたくないわよねっ」 「…それも、そう…だよね」  と歴史は目を伏せる。 「ユカ、言い方キツイ。こいつ、ユカの事思って言ってんのにさ。それに、チルも…」 「わわわっ!言っちゃ駄目。ノリっ!」  歴史は立ち上がって、向かいに座っている健範の口をふさごうとした。 「え?なになに?」  由利香は急に元気になる 「好きな人いるの?」 「いないっ、いないっ!絶対いないってばっ!」  歴史は、両手を顔の前でブンブン思いっきり振った。 「え〜?あやしー」  と由利香は歴史の顔をのぞき込む。耳まで真っ赤になっているのがわかる。 「真っ赤だよ」  と由利香が言うと、歴史はテーブルに突っ伏して両腕の中に顔を埋め 「あーもう…」  とつぶやく。 「ねーねー誰?教えてよ」 「いないってば」  答える声に力がない。 「じゃ、ノリ教えて」 「いないって言ってんだから、いないんじゃない?」 「じゃ、さっきなんて言いかけたのよ!」 「えーと…それは…」  そういう言い訳ははっきり言ってすごく苦手だ。 「わかった!もういいっ!」  由利香は立ち上がり 「絶対誰だか突き止めてみせるわ!」  とガッツポーズをした。  そして、なにかぶつぶつつぶやきながら行ってしまった。 「ユカ行った?」  足音が遠ざかって行くと、歴史が片目だけあげて、健範に聞く。 「行った。ごめんなー」 「もー、ノリ口軽い。時々友達やってく自信なくなっちゃうよ」  上体をやっと起こすが、まだ顔がちょっと赤い 「やっぱ、バレたよな」 「あたりまえでしょうが」 「でも、誰が好きかはわかんねーよ」 「あったりまえっ!」  思わず大声が出てしまった。周りの視線が一瞬集まる。 「わ…分かってるって」 「あーあ、ノリに言うんじゃなかったな。信用したぼくがバカだったよね」 「ひでー言われよう」 「しょーがないでしょっ、言われても」  と健範をにらみつける。 「絶対、絶対知られちゃまずいからね。特に本人!」 「でもさ、本人にくらい言ったら?」 「じょ…じょーだんでしょ」  また、耳まで赤くなる。 「それが一番キツイよ。いいのっ、始めから諦めてんだから」 「ジキャクテキだなあ」 「それ言うなら、自虐的。だってしょうがないじゃない、あーゆーヒト好きになったぼくが悪いんだから」 「そういう風に言うなよ、自分の事。…誰かを好きになるのはいい事だろ」  健範の言葉に歴史はびっくりしたように 「うあ、ノリがマトモな事言ってる」  と言った。 「ばーか。ま、少なくてもおれは味方だから。みんなに知られて何か言われたら、かばってやるよ」 「…ノリは、アホだけど、そういうとこ、いいやつだよねえ」 「アホは余計だっつうの」
  
 

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