1.5. Don't Ask Him the Past. 〜part3

 
 
  
    
 午後からも、相変わらず自転車の練習。尚はさすがに時間をもてあまし、近くで縄跳びを始めた。淳は 「別に独りでいーよ」 と言うが、とてもそんな状況じゃない。 しかし、さすがの運動神経と意地で新しくケガする事はは減ってきていて、少なくとも顔から突っ込む事はなくなってきた。 「すっげー、おれってやっぱ天才じゃねーの」 「そういうのは、転ばなくなってから言うように」 すでに自転車は2台壊している。これもまた給料から引かれるのだろうか。競技用自転車って多分1台5,6万は下らない。この割りで壊していったら、給料何ヶ月もマイナスになりかねない。これはどうしても今度の大会で賞金稼ぎをするしかない。 午後3時、乗がやってきた。自転車と格闘している淳を見て 「何しているんだ?」 と呆れる。 「トライアスロン」 とだけ答えて、尚は縄跳びを続ける。 「まさか、あいつ、自転車乗れなかったのか?」 尚は黙ってうなずく。いつの間にか淳ははるかかなたの方に移動している。あぶなっかしいながらも、どうにか前に進んでいるが 「どーやって止まんだぁぁぁっ!」 「ブレーキっ!」 縄を投げ捨てて、尚が走る。 「ブレーキって!?」 「そこの」 グワッシャーン! 壁に激突し、3台目がオシャかになった。 「尚、おっせーよ」  文句を言う淳は、ぐしゃっと潰れた自転車と一体化している。右脇腹を押さえているところをみるとぶつけたようだ。左膝にも切傷が出来ている。 「わりぃ。」 「で、ブレーキって?」 「ここ、こうすると、タイヤに摩擦がかかって…」 「なるほど」 「派手だな」 乗が覗きこむ。 「っせーな。意地でも今日中に乗れるようになってやる」 「ま、頑張れ。骨は拾ってやる。要はバランスとりながらペダル踏むだけだ。」  それはそうだ。 「で、決まったのか、種目」 「決まった。おまえの兄貴がまとめてたぜ。なんか腹立つラインナップ」 「ラインナップに腹立てても仕方ないだろう。その中で努力するしかない。」 「また、そーゆー心にもねー事言う。腹立つラインナップって何だって思った癖に。」 「オレの立場上、オマエといっしょに怒ってるわけにいかないからな。多分、トライアスロン押し付けられて、不満なんだろうけど、オレでも、淳を指名するよ。いや、任命だな。」 「どーせ、筋力ねーけど体力はバカみてーにあるよ。」 「その気になれば根性もな。」 根性なんてねーよ、とはぐらかしたいところだったが、それは口にせず、淳は立ち上がった。 「あーまた1台アウト」 「またって、何台目だ?」 「3台」 「大金だな。ま、とり戻せるようにがんばれ。水泳大丈夫なのか」 「大丈夫なはずねーじゃん。でも、今はそれどころじゃねぇ」 「よし、明日からのトレーニングメニュー作ってやるから、それに従って練習しろ」 「尚もいっしょにやろーぜ」 「尚もか?尚のも作ってやるよ。」 「え?いっしょでいーじゃん」 「オマエはまだそんな事言ってんのか?トレーニングメニューは、一人一人の身体能力と現在の実力を考慮した上で個別に設定しなくては意味がない。オマエ等はたしかに基本的な身体能力に関しては似たり寄ったりかもしれないが、現在の、スイム、バイク、ランの各能力は大きく異なっているはずだ。それを無視しておなじメニューでトレーニングするのは、時間の無駄であり、つまりは愚の骨頂だ」 「わーった、わーった。そんなに長々解説してくんなくていーって。要はおれは走るのはいいけど、泳ぎも自転車も大きく尚に遅れを取ってるって言いてーんだろ。」 「それだけじゃない。基本的な身体能力が近いのに、水泳のタイムが大きく違うという事は、つまりは淳の努力が足りないという事だ。努力によってはかなり伸びるはずだ」 「じゃ、走るのは、努力してるってことだよな。」 「好きなだけだろ」 と尚。 「そういう事だ。」 「納得できねー」 「淳のいいところは、人間離れしたスピードと、無茶苦茶な持久力と、無鉄砲なほどの闘争心だ。ただし闘争心は両刃の剣で逆上すると周りが見えなくなる。それから、自己防衛本能が弱すぎるから、大怪我につながる可能性が高い。逆に尚は、全体を見て的確に判断する能力は高いが、勝利への執念が低い。逆上はしないかわりに、時々試合中にポテンシャルが下がって、どうでも良くなってしまいがちだ。興味を無くすと自分より明らかに弱い相手に負ける事もある。淳がもう少し落ち着いて、尚がもう少し燃えればちょうどいいと、兄貴はよく言っている」 「中途半端が二人できるだけだろうが」  淳が不服そうに言うと、乗がにやりと笑う。 「実はオレもそう思う。冷静な淳も、逆上する尚もあまり見たくはないよ。オマエ等はそのまま自分のいいところ伸ばしゃあいい。」 「じゃ、水泳は諦めていいって事?」 「そんな事は言ってない。水泳にも闘争心を持てって言いたかっただけだ」 「そー来たか」  世の中それほど甘くない。それにしてもよりによって一番苦手なものをやらされなくても、と思う。今さら言っても始まらないのだが。 「ほら、自転車」  尚がいつの間にか新しい自転車を運んできた。 「あ、サンキュ」 「尚、面倒見いいな」 「こいつ、危なっかしくて。」 「ふうん。あんまり甘やかすなよ。ロクな事ねえぞ。」 「甘やかして、太らせて喰うんだ。」 「はは。ま、仲良く頑張れ。」  乗は尚の頭をポンポンと叩き、淳に 「よかったな、頼りがいのある弟で。」 と言い残して、建物の中に入っていった。 「さて…と」 淳は自転車にまたがる。 「結構進むようになったろ」 とペダルを踏んで、ブレーキをかけてみる。 「すげーほんとに止まる」 「あたりまえだろ、ブレーキなんだから」 もう一度、ペダルを踏む。 「あんまり急にブレーキかけると…つんのめる…遅かったか」 「早く言えよなー!」  またコケた。もう何度目の転倒かわからない。すでに痛いのかなんなのかもよくわからない。それに、日頃使わないところに無駄に力が入っているらしく、筋肉痛まで出てきた。毎日動き回っているのに、まだ筋肉痛になる部分があるんだと、ちょっと新鮮な感じがしたがあんまり嬉しくはない。 「自転車平気か?」 3台潰している事を考えると、尚の口からそんな言葉が出ても仕方のない事だ。、 「おれの心配しろよ!」 「淳はほっといても治るけど、自転車は壊れたらそれっきりだぞ」 さらに数時間経って、夕方のミーティングの頃には、どうにか真っ直ぐなら前に進めるようになっていた。 自分でも真っ直ぐだけではまずいと思い、曲がろうとしてまたコケる。 「尚、体重移動じゃ曲がれねーのか、これ」 自転車の下敷きになって淳は納得できないといった表情だ。 「なんのために付いてるんだ、そのハンドルは?」 「えーだって、スケートとかバイクとか体重移動で曲がれるじゃんかよ。」 「淳、いつどこで、バイクの免許取った?おまえもおれも、16になってまだ数ヶ月だよな。」 「あっれーおっかしーな」 「ホント、ロクな事してねぇな。」 だいたい悪いこと覚えたのは、4丁目で暮らしていた一年の間だ。酒にタバコにバイクにその他いろいろ。それまでも決して良い子じゃなかったけどね。まあそのわりには今は立派に更正したのかもしれない。しかし何故自転車ダメでバイクは乗れるんだ? それはともかく自転車に乗って、ハンドルを動かしてみる 「おおおっ!曲がるじゃねーの!」 「当たり前だろ。ハンドルなんだから」 ハンドル曲がると当然体も傾き、またコケるけど余り気にならない。 「おっしゃぁぁぁ。なんか手応えあったっつー感じ!」 「良かったな。」  尚はちょっと眩しそうに淳を見る。こういうところがかなわないと思う。素直に感情剥き出しに出来るところ。嬉しいときに嬉しいと言えて、腹が立ったら怒りを誰へでもぶつけられる。本人が聞いたら、違うと言いそうだけど。 「ふっふっふ〜。これでらっくしょー♪」 「らくしょーはいいけど、ミーティングだぞ。」 「ミーティングの後、2、3時間やりゃ完璧だよなっ」 レースしなくちゃいけないって事わかってるんだろうか?ただ乗れて、どこかに着けばいいってもんじゃない。 まあでも、今は何はともあれ、 「まあ、頑張ったよな。」 「めずらしー尚がおれ誉めるの」 「誉められるような事日頃しねぇからだろ。」 ボロボロになったまま、資料室に向かう。皆はまだ集まっていない。後ろの方のイスに座ると、疲れから眠気が襲ってきた。まあ、ミーティングの時に眠っているのはいつもの事だ。 尚に、始まったら起こしてもらう事にして眠りに入る。 すぐに由利香がやって来た。尚とは反対側の隣に座る 「ね、尚。淳どう?」 「まあ、かなり乗れるようになったよ」 「ケガ増えた?」 「さっき脇腹ぶつけてた」 「ふ〜ん、痛そ」 「明日はユカ付き合ってやれば?」  尚の言葉に由利香は首を横に振る 「私はだめだよ。ケンカになる。淳が何かできないでいるときっとイライラしちゃう」 「ふーん。ユカにとっては、こいつはそういうヤツって事か。」 「うん、何でも出来て欲しいから」 「期待しすぎだよ」 「そっかな」 由利香は隣の淳を見る。腕をテーブルの上に組んで、傷ができた右側を上にして、ちょっと斜めに顔を乗せ、幸せそうな寝息を立てている。そっと顔の傷に触れる。 「こんなになっちゃって。」 「ユカと淳て、いつもそんなだよな」 「そんなって?」 「平気で人前で触り合ったりさ」 由利香は一瞬、え?という顔になり、考えこんだ。 「やっぱ、ヘン?」 「ちょっとね」 「そうだよねー。私も淳があまりにも自然に髪の毛触ってきたりするから、あんまり感じなかったけど、ヘンだよね」 「他の人だったら嫌なんでしょ」 「わかんない。された事ないもん」 「おれだったら?」 と言って尚は淳の頭の上越しに、由利香の髪に手を伸ばす。由利香は驚いてとっさに動けないでいると、淳が伏せたままの姿勢で左手を伸ばし、尚の手首を掴んだ。 「尚、ふざけすぎ」 と言いながら体を起こす。手首を掴んだ手に力が入る。 「なんで?おれ、ユカが気に入ってるって言ってるだろ、一年前に」 「勢いで言った癖に」 「睨むなって。」 「睨んでねぇっ!」 「なーにケンカしてんだよ、オマエら。さっきあんなに仲良しこよしだった癖に。」  乗が呆れ顔で通りがかりに二人の頭をポンポン叩いて行く。すこしづつみんなも集まってきている。  淳は尚の手首を離し、ため息をつくと、またテーブルに顔を伏せて。 「あー腰イテ―。」 と呟いた。ずっと前傾姿勢をとっていたので、かなり辛い。練習している間はあまり気が付かなかったが、かなり疲労が溜まっている感じだ。 「もう今日止めろよ」  尚は淳に掴まれた手首を気にして、ぶらぶら振りながら言う。握力測るとそれほど強くないのに、なんでこんなに強い力でつかめるんだ。前、コツがあるとか言ってはいたけど。 「っせーな。もうちっとなんだよ、多分」 「明日動けなくなるぞ」 「明日の事は明日考える」 「よ!調子どうだ?」  純が後ろを振り向きながら、前の席に座った。淳は目だけ上げて 「ぜっこーちょー」 と答える。 「また、ケガ増えてるくせに。」 「でもだいたい乗れるようになった」  純は、え?という顔をした。尚に 「ホントかよ」 と聞く。 「ま、だいたい」 「へー。大人になってからだと時間かかるんだけどな。」 「どーせ、まだガキだよ」 「言ってねえだろ!」 「でも、体のあちこちが、いてー。腰とか脇腹とか」 「脇腹あ?どこ?」 「ここか?」 と尚が手のひらで軽く淳の右脇腹を叩く 「ってええ!」 思わず淳は飛び上がってしまった。 「さわっただけだぞ」 「おまえ…それ、、見せてみろ」  純が立ち上がってTシャツをめくろうとする。 「いいってば」  体をひねって逃げようとする淳を尚が押さえる。 「やめろって、ばか、すけべ」 「何言ってんだよ。その辺ですぐ脱ぐくせに」 「真っ青になってるよ」 「ユカまで見んなって」  純が手を伸ばしてそこに触れると 「ぎゃ!」 と叫び声。 「それさ…折れてねえか、肋骨。」 「しらねーよ。折れてたってへーきだって。どうせ肋骨なんて治療しようねーんだし。」  確かに肋骨は折れても添え木を当てる事もできないので、安静にしてつながるのを待つしかない。安静に…? 「へーきじゃねえだろ。触ると飛び上がるくせに」 と言う純に、淳は 「触んなきゃいーんだよ。」 と言い張る。 「見てもらってこいよ、医務室で」 「見てもらっても治んねー」 「そりゃそうだけど」 「淳お願いっ!」  由利香が、両手の指を組んでうるうるした目で淳を上目遣いで見た。淳はぎょっとして、思わず体が引ける。 「医務室行って来てっ!」  さらに、うるうると淳を見つめる。 「オマエっ!いつどこでそんな技覚えてきたっ!」 「あ、ばれた?」  由利香はぺろっと舌を出した。 「おまえがそんなタマなわけねーだろが!…ったく、ざーとらしーんだよ」 「でも、おミズちょっと顔赤いよ。」  いつの間にか、歴史がうしろの席にすわり声をかける 「びっくりしたんだよっ!」 「へえええ」 「どーして、みんなでおれの事いじめんだよ。けが人だぞ、おれは」 「だったら、けが人らしく、医務室行けよ。」   尚が追いうちをかける。  今医務室に行ったら、多分もう今日は休めと言われるはずだ。場合によっては2、3日休めと言われるかもしれない。せっかくコツをつかみかけたのに、それは避けたい。今日中になんとかしてもう少し自信をつけておきたい。真剣に、明日は起きられないかも知れないから。 「ほら、みんな前見て」  乗がパンッと手を叩き、ミーティングが開始された。 「朝、大会の要綱については説明があったと思うが、今年はちょっと傾向が異なるようだ。本部にあれこれ文句を言うのはたやすいが、あたえられた環境の中で試練に取り組むのも、時には大切だ。自分のベストをつくし、またベストを尽くせるようにそこまで自分の心と体を高めていく事を心がけて欲しい。」 「はーい」 「ふーん」  など、色々な返事が返ってくる。別に不真面目に聞いているわけではない。きちんと揃って返事をしたりという習慣がないだけだ。 「今日は慣らしということで、各自自分の担当の種目を一通り体験したわけだが」 「え!?そーなの?おれ、自転車しか乗ってねえ」 「淳と尚はべつ。オマエ等二人はしばらくトライアスロンの基礎体力作りだ。ラクロスに入るのは遅れるが、どうにかなるだろう。ルールだけは勉強しておけ。一ヶ月位たったらチームプレイに入るから、その頃合流してもらう」 「何で乗が仕切ってんだ?」 「言わなかったか?今回オレが大会の日本の責任者になった。よって、オレが言う事は絶対だと認識するように」 「げげげっ!」 「マジかよ!」  コーチ陣の中でははっきり言って乗が一番容赦がない。有矢氏の他にも、教科の担任をしている先生達が分担してコーチにも当っている。というよりも教科の授業もする事ができる、運動系のコーチといった方が正確かも知れない。乗は特に専門分野はないのだが、とにかく厳しい。例えば、グラウンドを50周(公式トラックサイズなので一周は400メートル)して、倒れた人には、50周で倒れなくなるように、次の日は60周走らせるといった具合だ。怒鳴られるならともかく、理詰めで畳み込むように諭されるので、言い返す気力も失せてしまう。 「明日の昼までにとりあえずABクラス全員分のトレーニングメニューを作るからそれに従って練習するように。Cクラスは明後日になるな。毎夕のミーティングで、成果を一人一人発表してもらう。これは自分で自分の成果を確認する意味もある。成果が十分上げられなかった者は、夜もあることだしな。」 「悪魔だ…」  健範が歴史に小声で言う 「あ、そう言えば、似合うね、黒い羽と曲がったツノと、牙と爪」 「うんうん。あの目つきがな、サドっぽいよな。」 「なんか言ったか、ノリ?」  乗は『サドっぽい』と言われた、切れ長の目で健範をジロっと睨む 「言ってねえ、言ってねえ!よろしくお願いしまーす」 「ノリ、ランニング、毎日25周2本から3本に変更。」  乗は健範のメニューに赤で訂正を入れた。 「ちょ…ちょっと待てよー。25周3本っつったら、25×400×3って…25`…?」 「ノリ、30`」  歴史が訂正する。 「軽いだろ、ノリの体力だったらな。他にもメニューが軽すぎる者がいたら、申し出るように。どんどん訂正するからな。」  乗がにやっと笑う。 「重い場合は…?」  誰かが小声で言った。 「ありえない」  寸時に却下される 「たとえば、今重いと感じたとしてもそれを乗り越えていく事でトレーニングの効果が上がったと言えるわけだ。逆にいえば重いと感じないトレーニングは現状を維持するだけで、進歩はしない。老人のボケ防止メニューならいざ知らず、そんな事オマエ等がやっても、クソの足しにもならん。よってありえない」  そこで一息ついて、 「じゃあとりあえず今日は、今日一日何をしたか、どれだけの成果が得られたかを発表してもらう。端から行くぞ。由宇也から。」  そして、ミーティングは延々2時間続いた。  これから毎日このペースかと思うと先が思いやられる。  
  
 

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