1.5. Don't Ask Him the Past. 〜part4
ミーティングの後は、夕飯、その後は自由というのがいつものパターンだ。今夜は少し違っていた。成果を一人ずつ言わされたは良いが、まだ今日が初日で初めての種目に接し、たいした成果を挙げられていない者がほとんどだった。当然、乗にぼろくそ言われ、自信喪失した輩がちらほら。仕方がないやっぱ夜もちょっと何かしておくかという流れになる。
今夜のメニューは煮込みハンバーグに、ミックスサラダ、ベーコンとキャベツのスープ、ライス。もう一種類はあじの塩焼き、即席づけ、シラスと小松菜の卵とじ、で、ごはんとわかめの味噌汁
「なんか…手が腫れてる気がする」
淳は右手をじっと見ながら言う。たしかに熱を持っている感じだ。
「だからーばい菌入ったんだよ、消毒しないから。」
由利香はあじの塩焼きと格闘しながら言う。実は箸を使うのはあまり得意ではない。持ち方もどこかヘンな気がする。
「いーなー焼き魚。」
どうにか煮込みハンバーグをスプーンで食べながら淳は羨ましそうだ。スプーンじゃとっても魚は食べられない。こっちのメニューでも一体サラダをどうやって食べるか悩んでいるところだ
「食べる?」
由利香はやっとはがしたアジを箸ではさんで、淳の目の前に出した
思わず口に入れそうになって、呆れた顔をして前に座っている純と目が合う
「いいよ。」
「あ、そ」
由利香はそれをそのまま自分の口に入れ、また格闘を始める
「なんかおまえ等見てると…、きょうだいとか、親子とかそういう感じだよな」
「親子かよ!」
「どっちが親なの?」
「ケースバイケースな。」
「やる事似てるわね。」
隣では愛がにこにこしている
「えー私は淳みたいに、けがするの好きじゃないよ」
「スキでしてんのかよっ!おれは」
「たまにそんな感じ」
「そんな目で見られてんだ、おれ。なさけねー」
しばらく黙々と食事が続く。…と、淳がミックスサラダをじーっと見ている。
「どーしたの?」
「これ…ピーマン入ってる」
顔色が悪い。いつもはより分けて食べるのだが(←こどもだ)、スプーンではより分けられない。
「諦めて喰えよ」
「…死ぬ。ぜってー死ぬ」
「取り替えてあげるよ」
由利香が自分のシラスと小松菜卵とじと、サラダを取り替えた。
「嬉しいけど…スプーンで喰いにくい…」
「わっがまま〜」
****************
その夜、食事後また延々と自転車の練習を続け、次の朝、淳はめずらしく寝坊した。いつも未明から起きて走っているのに、朝食の時間になってやっと姿を現す。
「疲れたのか?昨日ので」
純がきいても、
「んーそーゆーわけじゃ。なーんかフラフラすんだよな」
と、朝食を目の前にして、ぼーっとしている。目付きもなんとなくトロンとしている。パンを持て遊びながら、口に運ぶペースが遅い。やがて動きがパタリと止まり、隣に座っている由利香をじーっと見始めた。
「何?」
由利香は気が付いて淳の方を見た。目が合う。
「いや…由利香…可愛いなと思って…」
「はぁぁぁぁっ!?」
それを聞いた全員が固まった。純は口にくわえかけたパンをポロッと落とし、愛は紅茶のカッブをひっくり返し、歴史は味噌汁の中におかずのだし巻き玉子をポチャンと落っことし、健範はフォークを床に転がし、温はパンにつけようとしていたイチゴジャムを目玉焼きの上に落っことし、尚はポカンと口を開けて淳を見つめ、由宇也は飲みかけていたお茶を膝の上にこぼし、優子はご飯茶碗をひっくり返した。そして由利香に至っては、耳まで真っ赤になって、完全にフリーズした。
「お…おミズっ!何言ってんだおまえっ。」
純の声に、淳ははっと我に帰る。
「おれ、今、何言った?一瞬、記憶飛んだ」
「おかしいっ!おまえ絶対ヘンだ!熱でも…」
そこで純は気がついて、淳の額に手を当てた。
「げっ、こいつ、マジで熱あるぞ。おまえ、今度こそ医務室行け!」
「そっかぁ、熱かぁ、どうりでふらつくと…。」
言いながら、その場で寝に入りそうになる。
「医務室行け!」
「わーったよ」
立ち上がるが、立ったままその場でぼーっと立ちすくんでいる。
「…なんだっけ?」
「医務室…、あーっもう!世話やけるやつ。」
純は立ち上がって、淳の左腕を担ぐようにして体を支えた。
「連れて行ってくる…。こいつ、真剣に体熱いぞ。9度はあるんじゃねぇか」
純が淳を連れて行くと、やっと場が動き始める。愛は紅茶のカッブをもとに戻して台布巾を借りに行き、歴史は味噌汁の中のだし巻き玉子を拾い上げて食べ、健範はフォークを拾って悩んだ後ちょっとだけ拭って結局それで食べ続け、温はジャムを慎重にすくい上げてパンにのせたものの目玉焼きの上に少し残っているジャムに顔をしかめ、尚はまだちょっと唖然としながらもとりあえず気を取り直し、由宇也は愛が借りてきた台布巾で膝の上を拭き、優子はこぼしたご飯を拾い集めて、おばさんのところにかわりのご飯をもらいに行った。
「あーびっくりした…」
由利香が呟く。まだ耳が熱い。
「おミズ熱出て、ホンネ出ちゃったったんだねー」
「チルチルっ!」
「だって思ってなかったら出ないでしょあんな言葉」
「熱あって判断力がいつもと違ってたんだって、きっと」
「またまたあ」
「なんにせよ」
愛はもらってきたお代わりの紅茶をカップに注ぎながら
「あの瞬間はそう思ったって事よねえ」
ぼっと音が出そうなほど急激に由利香の顔がまた赤くなった。歴史が首を傾げる
「ユカ、おミズに言われた事なかったの?もしかして。しょっちゅう言ってそうなのに。」
「あっあんな風に言われたコトないわよ!」
「ふうん。ホントに進展ないんだねえ。」
****************
「40度2分…、今度は何やらかしたの、水木淳。」
明子先生は体温計と淳の顔と見比べる。
「それにどうした、その傷。ちゃんと医務室来なきゃだめだろうが。ちょっと服脱ぎな。」
淳がノロノロと服を脱ぐと、先生はすぐに脇腹に目をとめた。そっと触ってみる
「ばかか、君は。折れてるぞこれ」
「あーやっぱり。だから言ったろ」
「誰かが引っ張って来なきゃだめだよ、この子は。ひどい状態の時ほど人に見せたがらないんだから。なんだこの全身の擦り傷と打ち身は。またケンカでもしたか?」
とりあえず、手早く消毒を済ませる
「喉とか痛いか?」
淳は黙って首を振る。しゃべるのもかったるい。
「傷、腫れてるな。これで熱出たか。破傷風の予防接種はしてるよな」
ケガをすることが多いので、破傷風の予防接種は欠かせない。とりあえず数年毎に接種している。
「とりあえず、化膿止め打って…と、」
と注射器の準備をする。
「遅かった気もするけどな。もう化膿してるし」
言いながら肩に針を入れる。明子先生、注射はとても上手い。ほとんど針がはいったのを感じさせないほどだ。
「で、どうする。部屋で寝てるか?ここで寝るか?ここだったら私がいるから…」
まだ喋っている明子先生を尻目に、淳はふらっと立ち上がり黙って保健室のベッドにもぐりこんだ。すぐに寝息が聞こえ始める
「何疲れているんだ、彼は?」
純は淳が昨日一日自転車の練習をしていたことを説明した。
「ばかだな、本当に。熱は多分ケガから来てるから、腫れが引けば熱も下がると思う。夏場は気をつけないと傷口は化膿しやすいからな。何度言ったらわかるのかなあ。まあ、彼の体力だったら折れたアバラも運が良ければ熱が下がるのといっしょにくっつくさ。心配しなくても大丈夫だよ、峰岡くん」
「おれは心配してないけど」
「ただ、夜、わたしはいなくなってしまうから、誰か交代で付いててやってくれないかな。まあ君でもいいし、」
「わかりました」
「体力はあるはずなのになあ。なんでこんなにバタバタ倒れるんだろうねえ。基本的に何か問題があるんじゃないか、彼?もう少し自分を大事にしないとね。誰か大事に思う彼女でもできれば、少しはいいのかねえ。」
「水木倒れたって!?」
有矢氏がばたばたと駆け込んできた
「静かに。病人いるから。」
明子先生が制止する。有矢氏はピタと足を止め、ベッドの方を見、小声で
「寝てるのか?」
と聞いた。
「寝ています。有矢さん、ちょっと一日でって言うのはハードだったんじゃないんですか?彼のムキのなる性格考えたら、やりようがあったでしょう。彼は自分じゃ押さえが利かないんだから、もう少しコーチたちが考えてやらないと、壊れちゃいますよ。」
「そんな事言ってもな」
有矢氏は反論する。
「時間もあまりないし、第一この年で自転車乗れないなんて恥ずかしいだろう。」
「年齢は関係ないでしょう。多分彼は今まで必要性を感じていなかっただけでしょうし。逆に体重が軽くて体も小さい子供の頃は倒れてもケガのダメージは少ないけど、重心も高くなった今は転んだ時のダメージって想像以上に大きいんですよ。きちんとした自転車に乗れるためのプランは与えてあげたんですか。」
「いや…それは」
「それに幸い頭を打たなかったから良かったものの、顔打ってるって事はかなり危なかったって事ですよ。防具を用意するとか」
「こいつがそんなもの着けると思います?」
「あ…あのう、おれ、戻りますけど…」
言い争いを始めた二人に気圧されて、純は後ずさりして出口に向かう。二人は全く気が付かない。
「つけるかつけないかは、別の話でしょう。骨まで折ってるんですよ」
「それこそ自分で勝手に折ったわけだから」
「そういうことをおっしゃるわけですか?」
純はそっとドアを開けて外に出た。ほっとする。なんなんだあの二人。
「ミネちゃん」
「うわっ!びっくりした!なんだ、ユカ」
急に声をかけられて振り向くと、由利香が一人で立っていた
「淳、どう?」
「ああ、うん、寝てる。ケガが落ち着けば、熱も下がるって。」
「そっか。何度あったの熱」
「40度越えてた。あ、今、中に入らない方がいいよ。めーさんと、有矢さんケンカしてるから」
「え?なんで?」
「おミズの教育方針について」
「なにそれ?」
由利香は笑った。笑うと右側にだけエクボが出る。
「ふーん」
「何?」
「やっぱ、ユカ可愛いんだ」
「何よそれ。もうミネちゃんも熱あんじゃないの。私、誰かにそんな風に言われた事ないよ」
「そりゃ、恐い自称保護者がいっつもガードしてるから、言いたい男子がいても言えないっしょ」
「そ…そうなの?」
「そうなの。おミズにケンカ売ってまで、ユカにアタックしてくるやつがいるかだよね。ガードがない所に行ってみれば?」
「ガードがないところって?」
「普通の中学とかさ。」
「中学かあ…」
由利香は中学生活に憧れていた。一昨年地元の中学にメンバー集めに行った時、自分がまだ小学校6年生相当なのをすごく残念がっていたっけ。希望すれば中学に通うことも可能だが練習時間は減る
「今は無理だよな、大会前だから」
「多分」
「終わったら行ってみようかな」
「いいんじゃない。何事も経験だよ」
言いながら、純は、もし由利香が中学校に通うことになって、それを勧めたのが自分だとわかったら、淳に半殺しの目に合うだろうなと考えていた。でも半面、ちょっと二人を離してみた方がいいかもという気持ちもあった。少しはお互いの事について冷静に考えてみる機会になるかも知れない。
****************
「水木、水木淳くん。ちょっとおきないかな?」
明子先生に呼ばれて、淳は目を覚ました。右の手のひらと右腕全体が熱をもって疼いている感じがする。頭はまだふらふらしているし、やたらと眠い。渡された体温計を脇にはさんで、上体を起こしながら、ぼーっと時計を眺める。もう夕方だ。
「わたしはもう少しで帰るし、今夜は汀さんも来ないから、部屋に戻って寝るか?」
首を横に2,3回振る
「めんどくせー。」
「食事はどうする?」
「いらねー」
「ま、食欲ない時は無理に食べない方がいいな。水分だけはとれよ。あと6時間おきに化膿止め飲んでおけ。さっき1時に飲んだから今度は7時だな」
1時に起こされて薬飲んだのなんて、全然覚えていない。おそらく、ゆめうつつの状態だったのだろう。
「誰か付き添ってもらえ、誰がいい?」
「いいよ」
「夜中具合悪くなったらどうするんだ。病気の時くらい誰かに頼れ。」
「病気じゃなくて、ケガだろ」
「屁理屈こねないで。まったく、もう少し自分を大切にしないとだめだぞ、君は」
「大事じゃねーもん」
「こら、そういう事をいうんじゃない。」
「いいんだよ、どーせおれなんか。」
「水木!」
「はい体温計。9度7分」
淳は体温計を明子先生に渡し、ベッドに仰向けに倒れこんで布団にもぐりこみ目をつぶった。
「…本気で言ってるのかそういうこと。」
「眠い…」
「ごまかすんじゃない。本気で自分の事そう思ってるのか。」
「めーこさん、病人に優しくしてよ。」
「君が、何をしてきたか知らないけど、時々思い出したようにそうやって昔のことで落ち込むのは、止めた方がいい。体調悪くて気が弱くなってるんだろうけど、昔の事が嫌だったら、忘れてしまえばいいんだから。」
「…夢…見て」
と言いながら、淳は顔だけ布団から出す。
「昔の夢か?」
「それで…それでさ、ねー、めーこさん、みんなおれが昔してたこと知っても、今までと同じようにしていられるかな。」
「それは、…そうだな。君によるんじゃないのかな。君が同じようにできるんなら、みんなも同じように接する事ができる。でも君が負い目を感じたり、みんなを避けたりしたら、それは無理だろう?」
「何してたかは、きかねーんだ。」
「だって、話したくないんだろう」
「うん」
「じゃ、聞いても無駄じゃないか。たいした事じゃないよ、昔どんな人間だったかなんて。今の君のことをみんなは好きなんだろうから、それで十分だろ」
「めーこさん、セリフがくせーよ」
「だって、君だって、友達が前に何してたからって、友達やめたりしないだろう。たとえば峰岡が過去に人殺ししてたって、ちゃんと罪をつぐなっていれば平気だろ。」
「おれはそうだけどさ、考えるよな、やっぱ」
「誰かに話した事はあるのか?」
「尚」
「尚…か。」
「話したくなかったけど、半ば脅迫気味に。」
「尚はどうだった?君の事を軽蔑したり避けるようになったりしたか?」
「別に…。話自体は聞いたのを後悔したって言ってたけどさ。でも…」
「でも?」
「由利香はどうかな…あいつ一応女の子だし。」
「そういう類の事なのか?」
「そーゆー……う〜ん」
「ユカちゃんが気になるのか?」
「う〜ん…だってさ、おれ保護者だから」
「いつまで保護者やる気なんだ、水木淳くん?」
「え?一生」
「ばかだな、結婚とかしたらどうするつもりなんだ」
「おれ、しねーから」
「彼女はするだろう」
「庭に小屋建ててもらって……」
「?」
「そこで、ずっと見張ってる」
「それは保護者じゃなくて、番犬だろう」
「それでもいいや」
「いい方法がある。君が彼女と結婚すればいいんだよ」
「………それは…多分できねー…」
「なんで、君は彼女の事になると、そんなに自信を無くすかな。」
「由利香は多分おれの事そーゆー対象には見ね―から」
「なんで、そう言い切るんだ。そのくせ言い寄ろうとする男どもにガン飛ばしてるくせに」
「めーこさん、勘弁してよ。熱あがっちゃうよ、おれ。」
「君は?君はどうなんだ?今彼女は自分をそういうふうには見ないって言ったけど。自分の気持ちはどうなってるんだ?」
「だから…保護者」
「まったく…」
明子先生は、淳の頭をぐしゃぐしゃと撫でた
「時々、君がすごく不憫になるよ。可哀相なやつだね、君は」
「なんで。」
「ちゃんと恋愛しなよ、青少年。」
「んな事言ったって…しょーがねーじゃん。性格なんだから。」
「性格なのか?君の、過去の一年に関係あるんじゃないのか?その特殊な恋愛感は?え?」
淳はチラっと目を開けて、明子先生を見、何か言いかけて、やめた。そしてまた布団を頭までかぶると
「寝かせて。すげー疲れた」
と、くぐもった声で言った。
「ごめん、追い込んだか?」
明子先生は布団の上から淳の頭をポンポンと叩き
「でも、言って、もし楽になるなら、いつでも聞くからね。」
と言った。もう返事はない。眠っている気配でもないのだが