1.5. Don't Ask Him the Past. 〜part5
「おミズ薬飲め」 7時に純がやってきて、薬を飲むように促すと、淳はまたぼーっと起き上がる 「大丈夫か?」 「あんまり」 純から化膿止め薬と水を受け取って、ほとんど多分無意識のうちに飲みほすと、またベッドに倒れこむ。 「ずっと寝てたのか」 「さっき、めーこさんとなんか喋った気がするけど、覚えてねえ」 「手、見せてみ」 目を閉じたまま、右手だけ布団から出して、上に挙げる 「腫れひかね―な。薬とかないのか」 「知らねー」 そのまま手をパタンと布団の上に落とす。 「眠いー」 「飯は?」 「いらねー」 「おまえ朝から喰ってないだろ。また痩せるぞ」 「ラッキー」 「痩せなくていいんだよ、おまえは。無くなるぞ」 「眠いんだってば。ほっとけよ」 「しょうがねえなあ」 純は諦めて、コップを流しに持っていこうとしてふと淳を見てギョっとした。 枕カバーとシーツが血まみれになっている 「ちょ…ちょっとおミズ、ちょっと起きろ」 「やだ」 「何、カワイ子ぶってんだよ。ったく、ほら。」 むりやり抱え起こすと、どうやらケガしたところが擦れただけで、別に新しい傷ができているわけではないのを見てほっとする。 「あっちに移ってろよ、シーツ替えるから」 「ん〜」 淳は純にぐったりもたれかかって、すでに半分眠っている。 「おミズってば!」 「な…何してんの!?」 いつの間にか由利香が入り口に立ってこっちを見ながら、またもフリーズしている 「何って…こいつが」 言いかけて気がついた 「ユカ!勘違いしてるだろ!」 「わ…私別に…」 言いながら、部屋から出ようとするが、足が動かない 「べ…べつに私は、淳とミネちゃんがそうでもいいけど…でもラヴちゃんが…でも」 「だから違うっつうの。どうやったらそういう解釈になるんだよ。こいつすげえ熱あるんだぞ。そういう事できる状況じゃ…いやそうじゃなくて。第一おれがこいつにそんな気、起こすわけないだろ」 「ミネうっせー。」 淳が目を開けて焦点の合わない目で由利香を見た。 「ユ…カ…?何してんの」 「え…と、お…お見舞いかな?」 「ふう…ん」 そのまままた目を閉じてしまう。 「ミネぇ、眠いってば…」 「わかった、わかったから、そっちに移れ」 「んー」 淳はゆっくり立ち上がった…。かと思うと、そのまま隣のベッドに上半身だけ倒れこんだ。 すぐに寝息を立て始める。 「こらーまだ寝るな。ちゃんとベッド入れよ。ったく、世話焼けるな。」 両足を持ち上げて、ベッドに乗せ、上体も移動させて掛け布団の下に押し込む 「ユカ手伝ってよ」 まだ固まっていた由利香はその声で我に返った 「シーツ剥がして」 「ど…どーしたのこれ」 由利香は血染めのシーツを見て息をのんだ 「平気平気。傷がこすれただけだから。これを洗濯室に持っていくのと、ここでこいつのおもりしてるの、どっちがいい?ただしこいつ今、普通じゃないから何するかわかんねえけどな。」 「洗濯室にしとく。」 由利香は純を手伝ってシーツと布団カバーと枕カバーを剥がす。結構ひどいケガだったんだなと改めて思う。 「昨日は元気だったよね」 「ちょっとおかしかったけどな。夕飯の時ちょっとボーっとしてたかも。手辛そうだったし。言わないからな、こいつ」 「どうしてこう…自分を追い込むのかなあ…一生こうなのかな、淳は。私の保護者とか言ってるけど、自分が一番手がかかるよね」 「それはさあ…」 純は血痕が外から見えないようにシーツを中表にたたみながら 「そうやって自分の居場所を作っておかないと、どっかに行っちまいそうになるって思ってんだろ。フラフラっと。だから、言わせておいてやりなよ、保護者とかの戯言」 「別にいいけど。」 由利香も真似をして布団カバーをたたむ。 「結婚でもしたら落ち着くって」 「淳が結婚かあ…。想像つかない。ねーミネちゃんはラヴちゃんと結婚するの?」 「するの?って言われても。まだ先っしょ。」 「でもしようと思えば、来年にはできるよ」 「結婚…ねえ…。」 考えても見なかった、と言えば嘘になる。でもどうやって? Φを辞めていった人たちは、Φの記憶がなくなっているという。という事はそこで出会った人たちのことも忘れていくという事なんだろうか。絶対に忘れるはずない…と思いながら、いつも不安は付きまとっている。何かでみんなで雑談していた時に、やめていったらお互いみんな他人だよなと、何気なく純が言った事があった。それを聞いた淳が激怒して、それ以来この話題はタブーになり、誰も口にしない。でも不安が心にあるのは多分みんないっしょだ。 Φをやめて、みんなバラバラに歩いて行く時が来るのだろうか。記憶なくなるってどんな感じなんだろう。ポカっとそこだけ何も残らないのか、それとも何かと置き換わってしまうのか。何も残らないとしたら、人生のほとんどをここで暮らしている由利香や武はどうなってしまうのだろう。 このまま、もし結婚でもして子供ができて、そのあとΦを離れる事になったら、子供の記憶はどうなるのだろう。男はともかく、自分のおなかを痛めて産んだ子を、女性は忘れられるものなのだろうか。 「ユカは?結婚ってしたい?」 「そっりゃあしたいよ。いつかね。でね子供ガンガン生むの。5人くらい」 へえと純は思う。そんな事考えてたんだ。確かに普通の家庭を知らない由利香が、にぎやかな家庭に憧れるのはわかる 「じゃ経済力ある相手じゃないとね」 「そっかあ。私も内職するからいいよ」 「内職なんだ」 「だって働きにでたら子供見られなくてつまんないじゃない。家にいて、成長見たいもん。PTAとかやってさ、井戸端会議とかしたり、近所の子集めて遊んだりするんだー」 「ユカさ、普通の生活したいの?」 純の言葉に、由利香は新しいシーツをベッドにかけていた手を止めた 「うん。…ううん」 と、首を横に振る 「分かってんだ、夢だよね、多分。外でどうやって暮らしていったらいいかなんて分からないもん。普通の主婦の人たちとなんてきっと付き合えないよ。知らないから。」 「教えてくれるよ、きっと。誰だか知らないけど、ユカの相手が。どうやって生きていけばいいか」 「じゃ、優しくて根気強い人じゃないとダメだね」 「で、経済力があって、常識もわきまえてないと」 「難しそう」 「で、そういう男を捕まえられるほど、ユカが魅力的にならなきゃだめって事」 「そっちの方が、すっごく難しいや。」 「手近なとこで」 と淳を指す 「こいつで、間に合わせておけば」 「ミネちゃん…条件にどれも当てはまってない…」 「ははは、そうか」 笑う純に、由利香もつられて声を挙げて笑う。 淳が薄目を開けた 「楽しそうだよなー、人が倒れてんのに」 と不機嫌そうに呟く。 「あ、ごめん、聞いてた?」 「…まったく…信じらん…ねえ」 また、目を閉じてしまう 「よっぽど眠いなこいつ」 「40度久しぶりだよね」 熱は出すが、淳は熱に強く、9度近くまで熱があっても普通に生活してたりする。たださすがに9度を越えると急激に体力が衰えるようで、ひたすら眠りつづける。 「よお、どうだ淳は」 乗が淳のためのトレーニングメニューを持って現れた。 「寝てる。そんなの持ってくるなよ、乗」 「ずっと寝てるのか?具合良さそうだったら、目だけでも通させようと思ったんだけど、ダメか。まだ熱、高いのか?」 「さっき9度7分」 「解熱剤とか飲んでるのか」 「おミズ解熱剤キライなんだよな。薬切れて、もう一度急激に上がる感覚がダメだって言ってた。」 「仕方ないな。自力で回復するのを待つだけか。食事してるのか?」 「食欲ないとさ」 「まあ食べられる状態じゃないか。ミネ今夜ついてやるのか?オレじゃダメだしな。夜明けくらいまでは平気だけど」 「いいよ。乗まで倒れたら大変だろう。」 とか言っていると、今度は歴史と健範が現れる。小声で 「おミズどお?」 「寝てる」 「ホントだ」 純の説明が一通り終わったと思ったら、今度は 「生きてるか?」 と由宇也と優子が現れた。 「へえ、心配してんだ、由宇也。」 純はからかうような口調になる。 「してるかよ。優子がうるさいから来ただけだ」 と言いながらものぞき込んで 「こいつも、寝てるときは天使なんだけどな…」 と言う。 「たまに真剣に殺してやろうかと思うよな。」 「うん、それはわかる」 純は思わず同意し、残りのみんなもうんうんと頷く。 …と、ドアが薄く開いた。ちょっとだけ尚が顔を出して、すぐに消える。ドアが閉まる 「今の尚だよね。」 「多分」 「何しに来たんだ」 「ぼく、見てくる」 歴史が後を追いかけて部屋を出た。 「尚」 ゆっくりと歩いていく尚を呼び止める 「おミズの様子見に来たんじゃないの?」 「別に」 「嘘ばっか。あのね、今寝てるよ。ほとんど寝てるって。熱、40度くらいあるみたいだよ」 「ふーん」 「いいの顔見なくて。」 「顔なんて鏡見りゃ同じだろ。」 「尚まさか責任なんて感じてないよね。」 「そんなわけねえだろ。じゃ…」 と口では言ったが、彼は責任は力いっぱい感じていた。もう少しケガが少ないように気をつけてやればよかったとか、すぐ医務室行って消毒するように言えばよかったとか。まあ、言って聞く相手ではないのだが。 「尚も付き添ってあげなね、夜」 後姿に歴史が声をかける。 何も言わないで自分の部屋に戻って行った尚を見送って医務室に戻ると、ABクラスが尚以外全員揃っていた。みんなでこそこそと小声で話している。しかしいくら小声でも、人数が集まればそれなりにうるさい。 「擦り傷でもこんな熱でるもんなんだなあ」 「日頃の不摂生がさ」 「なんか、別のあぶねー病気なんじゃないのか」 「アブね―病気ってなんだよ」 「何日かかるのかしら、治るのに」 ザワザワ、こそこそ、ガヤガヤ 「っるせーな、なんなんだよてめーら、けが人の部屋でがやがやと…」 とうとう淳は目を醒まし、顔をしかめて、片目だけ開けた。 「おミズみんな心配して来てるんだから。」 「で、おれを起こすわけね」 「かっわいくねー」 「いいよ、可愛くなくて。」 そして、また頭まで布団をかぶる。みんなは何となく顔を見合わせる 「口は達者だな、熱出ても」 「じゃ、ま帰るか」 などと言いながら部屋を出る。あとには純と由利香と歴史が残る。 「私、シーツ洗濯室に置いて、部屋に戻るね。」 「心配じゃない?」 「ミネちゃん付いてるでしょ。」 由利香は言って、洗濯物を持って引き上げた。そりゃ心配だけど、自分が付いていても仕方がない。寝るところもないし。 「チルはどうすんの?」 「ぼくも戻るよ。それとも二人いた方がいい?」 「どっちでもいいよ。別に生死を彷徨ってるってわけじゃねえし。」 「じゃ帰る。あしたの朝早く来るね。」 「うん。おやすみ」 パタンとドアが閉まると、淳が顔を出した 「みんな消えたか?」 「おれだけ」 「ったく、みんな好き勝手言いやがって」 「しかし、よく寝られるなおまえ。朝の8時くらいからもう夜10時だぞ」 「まだ、ねみぃ」 「昨日疲れたか?」 「体力そんなに使ってねー。あのさー、尚何か言ってた?」 「おれは聞いてないけど」 「じゃいいや。あー、尚に会ったら、おまえのせいじゃねえって言っといて。」 「おミズ熱出るとヘンだな」 「なにが?」 「妙にしおらしいっつーか、カワイイっつーか」 「カワイイ言うな」 「しおらしいのはいいのか?」 「自分でも気ィ弱くなってんなと思うから、反論できね―」 「ほら、しおらしい」 「おまえさーさっきユカとなんかヘンな事話してたろ。」 「え?ああ、ユカの理想の結婚像?子供が5人欲しいとか言ってたぞ。」 「だめじゃん、おれ」 「だめなのかよ」 「おれなんかの子供なんて、世の中に生まれねえ方がいいもんな。」 「またそういう事言う。やめろ、今そんな事考えるの。熱出るぞ」 「あー思い出した。さっきめーこさんにそんなんで怒られた。」 「だろ。おまえが何してたか知らねえけど、少なくともおれは気にしないから安心しろって。みんな気にしやしねえよ。きっと大した事ないよって言うから」 「尚は固まった。」 「尚は血が繋がってるから、また違う思いもあるんだろ。もう忘れろよ」 「うん、そーだよな。忘れられるといいよな。」 そんな事を言いながらまた眠りに入っていく。 さすがにそれほど熟睡もできなくなってきたらしく、その後は1時間おきくらいに目を覚まし、そのたびに、まるで純がちゃんとそこにいるのを確かめるかのようにぽつりぽつりと話をする。そのたびに返事をしなくてはならない純は結局朝までほとんど眠れなかった。