1.8.The Days of the Meets. 〜part3

 
 
  
 
 そんなこんなで迎えた翌朝のトライアスロンのスタート地点。スイムからバイク、バイクからランに移る場所には休憩地点が設けられ、5分までの休憩はタイムに入らないという特別ルールが設けられている。同一チームでのお互いの補助は自由など特殊な決まりはあるものの、基本的にはこれから何時間もの孤独な戦いが続く。 「尚、変なヤツが混じってる」  淳が小声で尚に耳打ちする。 「あいつと」 と目立たないダークブルーのユニフォームを着た男をさす 「あいつと」  今度はダークグリーンのユニフォーム 「あいつ」  エンジ色。もっとも、最初はスイムなんですぐに脱いじゃうだろうけど 「記憶にねえ。変だ。全員覚えたはずなのに」  ナンバーは見えない。トライアスロンの場合最初はスイムだし、その後上からユニフォームを着たりするので、ナンバーは直接油性マジックで腕に書くので、角度によっては見えない。 「数人いねえやつがいる気はするんだけど、さすがにそこまではわからねえ。くっそお。入れ替わってんのかな」  悔しそうに舌打ちをする。 「あんま気にすんなよ。それよりムキになってケンカとかすんなよ」 「いくらなんでもしねえよ。」 「どうだか。怪しいもんだからな。とにかく落ち着けよ」 「尚こそトップ集団入れよ」 「あったりまえだろ。淳に言われなくったって、おれだって勝ちてえよ」  尚の言葉に淳はにやっと笑う。  尚の体に腕を回し、背中をポンポンと叩いて、周りには聞こえないくらいの小さな声で囁く。 「がんばろうな、本部のやつら見返してやろうぜ」 尚は眼を閉じた。いつもより高くなった淳の体温が伝わってくる。一瞬息が止まり、ちょっとどぎまぎして 「オッケー。」 と答えると、淳は体を離し、またにやりとした。尚はゆっくり息を吐き出しながら 「テンション上がっちまってるけど、いいのか、淳」 「もうここまで来たら」

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 泳ぎ始めて数百メートル、淳は妙な事に気がついた 『なんでおれの後ろ、泳いでるやつがいるんだ…』  データでは、淳のタイムが一番悪かった。そりゃあ相手の調子が悪ければ、そういうこともないとは言えないが、なんか気配が変だ。なんでずっと1メートル以内につけているんだ。  淳のタイムが良いならばわかる。良い位置をキープするためにはよくすることだ。でもここって最後尾だし。(情けないけど)  ためしにちょっとペースを落としてみる。相手もペースを落とす。  ちょっと右に寄ってみる。相手もコースを右に取る。  ペース上げて…上がらないし…これで精一杯だ。ううう…情けない  付けられてるの決定〜…って嬉しくないし。 『多分さっきのやつらのうち、どれかだよな』 と見当を付ける。  振り返っても顔は見えない。水の中だし。 蹴り入れてやろうかと思ったけど、まだ具体的に何かされたわけじゃない。そういえば、さっき尚からもケンカするなって釘をさされた。こういうことか、と思う。こんなスタート直後に失格になるわけにも行かない。 仕方なくそのまま黙々と前に進む。観察されているみたいで、ものすごく気分が悪い。 『つっかれるよなあ』  ただでさえ長距離の水泳はかなりのプレッシャーなのに。  ムカつきながら、それでも3キロちょっとを泳ぎきり、あと数百メートル、ゴールがすぐそこに見える。とりあえず前を泳いでいる何人かも見える範囲にいるし、このままならスイムの結果としてはまあまあだ、ちょっと安心しかけたその時 「うげっ!」  いきなり、足を掴まれて、水の中に引きずりこまれた。.ちょうど息継ぎをする時だったので、海水まで飲み込んでしまった 『げー、まじい。体に悪そう』  咳き込みそうになるのを必死にこらえて、どうにか体制を建て直し、水の中で眼を凝らして相手の顔を見る。にやついた顔。多分、さっきの知らない3人のうちの一人だろう。パニックに陥るのを期待しているんだろうけど、そんなにヤワじゃない。自由な方の足でとりあえず待望の(?)蹴りをいれておいて、水面に一度顔を出して息を吸い込み、もう一度水にもぐる。  泳ぐのは好きじゃないけど、息自体は長い。片足はつかまれたままで、相手を引きずりこんで、海底付近まで押し沈める。と言ってもこのへんの水深はせいぜい3メートルくらいだけど。海底に両手をついて、もう一度蹴りを入れる 『あ、やべ』  蹴りの踵が、モロに相手の顔面に入ってしまった。水の中なので、制御がいまひとつうまくいかない。多分外だったら血しぶきが飛んだはず。顔面を中心にあっという間に海水の中に血の色が広がるのが見える。淳の足を掴んでいた手の力も抜けた。足を振りほどくと、男の体がゆっくりと海面に浮いていく 『やっぱ…置いてったら、まずいよな』  死んじゃうって。  男の体を追いかけて水面に浮かび上がる。男はうつぶせにぽっかりと海面に浮かんでいる。顔を出すと太陽がまぶしい 『最初っからこんなんかよ。先が思いやられるよなあ』  仰向けにした男を片腕で捕まえ、残りの腕だけで泳ぎだす。顔を見るとやっぱりさっきのダークブルーの服の男だ。完全に気絶しているようだ。  とたんに先に行った尚が心配になる。  ゴールの砂浜で騒ぎが起こっている様子もないので、まあ多分無事に先に進んだんだろうけど。  ただでさえ泳ぐの遅いのに、こんな重荷がかかっていたら、ますますスピードが落ちる。疲労度も高い。  筋力に自信がないけど、ウェイトが低いからどうにかやっていけるだけっていうのに。 「おミズ」  いきなり、間近で純の声が聞こえた。 「え?あれ、ミネ」 「何沈んでだよ。誰だそれ」  ゴール付近で淳のゴールを待っていたら、いきなり沈むのが見えた。しばらく様子を見ていたが、どうもおかしいので泳いで来たというわけだ。淳と平行して泳ぎながら、男に眼をやる 「顔…潰れてんぞ、こいつ。何したんだよ」 「蹴った」 と言いながら男の体を純の方に押しやる 「あああっ、最初っからおまえはあああ」  文句を言いながらも、それを受け取って泳ぎだす。淳は不満そうに言葉を返す。 「あほ、下手すりゃおれが殺されてたんだぞ。足つかまれて、引きずり込まれた。そういうのアリなのかよ。やっていいなら、いくらでもやるぜ、おれは」 「…ったく。あと、おれが連れてくからお前一人で行けよ」 「サンキュー、実はそろそろ限界だった」  ホッとして、一人で残り数百メートルを泳ぎきる  中継地点には由宇也が待っていた。 「大丈夫か。どうした、さっき」 「後で話す。尚、平気だった?」  一番気になっていたことを口にする。由宇也は淳に水を渡しながら 「尚?ああ、真ん中辺で行ったかな?別にトラブルはなかったみてえだけど」 「じゃ、いい」  水分だけとって、すぐにバイクに乗る 「休まねえのか?」 「少しでも前に早く出てえ」 「がんばれよ。ゴールに行ってるようにユカに言っといたから。」 と言って肩を叩く。淳は意外なものでも見るような目で由宇也を見る。 「は?らしくねえな、なんだよそれ」  由宇也は笑って 「手は出すなよ」 と付け加えた

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 急な下り坂のカーブをブレーキもかけずに突っ込んでいくと、前を走っていた集団がぎょっとして振り向いた 「あっぶねえな。無茶すんなよ」 という声にも 「うっせえ。無茶しなきゃ勝てねえんだよ」 と怒鳴り返す。男たちは顔を見合わせ、仕方なさそうに道を空けた。  半分くらいを追い抜いたところで、集団が途切れる。ちょうど伴走の車も途切れ、見通しも悪いカーブに身を潜めるようにして、二人目の男はいた。ダークグリーンの服を着ていた男だ。 カーブの反対側は緩い崖になっている。その崖をめがけて、男は自転車で、横から体当たりしてきた。言葉は一言も発しない。体勢を立て直して、そのまま振り切ろうとしたところに、今度は男は自転車を降り、それを淳めがけて投げつけてきた。   とっさに自転車を飛び降りて、身ひとつで飛びのく。 『なんだよ、こいつ、正気じゃねえな』  思いながら男の顔をにらみつける。確かに目の光が尋常じゃない  崖を背にして立っている男が、再度飛びかかって来ようとするのを、男の自転車を盾にして避ける。そのまま力を込めて自転車ごと崖下に向けて体を押すと、バランスを崩して崖から転がり落ちていった。下を覗くと高さは5メートルくらい。男が自分の自転車の下敷きになってもがいているのが見える。動けるくらいなら大丈夫だろう  この間、2,3分。タイムのロスだ。そこへ、後ろの集団が追いついてくる 「何やってんだよ」 「カーブ曲がりそこなって落っこちたヤツがいる」 という事にしておく。まあ無難な説明だろう。  何人かが崖下を覗き込んで、うわっと叫ぶ 「中継地点まで行ったら救護にきてもらうように言っとくよ。」  まるで人事のようにそんな事を言い、頭の中であと一人かと考える。いったいそいつはどこで仕掛けてくるんだろう *******************  中継地点には先回りした由宇也と純がいた。 「また、おまえらかよ、変わり映えしねえな」  憎まれ口を叩きながら、純の差し出したバナナを口にする 「あー気持ち悪ぃ、さっき海水飲んじまって」 「今、21位」  由宇也がメモを見ながら淳に告げる 「トップとの差、8分。すぐ行けるか?」  5分づつ2回、途中で休んでいる事も考えられるから、それを差し引いて10分は差をつけなくては確実に1位にはなれない 「行く。尚は?」  また同じ事を口にする。 「10位以内には入ってたな。先頭辺ごちゃついてて、よく順位わかんねえ」 「元気だった?」 「ちょっと顔色悪かったかな。ま、大丈夫だろう」 「ふうん」  ちょっと考える。あとはランだけ、多分大丈夫だろう。最悪の場合引きずってでもゴールさせるか、なんて思う 「無理すんなよ」  由宇也の言葉に 「するよ」 と答えて、最後の42.195キロに踏み出した

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 31キロ地点で本当に淳は、トップ集団の5人に追いついた。 尚を見つけて声をかける。 「尚、約束通り来たぜ」  返事がない。 「尚?」 「え?…、あ、ああ、淳。すげえな、本当に予言どおり」 やっと答えが返ってきた。額に汗が滲んでいる。走っているから当然といえば当然なのだが… 淳はぎくりとした。尚の…左腕の振り方…不自然じゃないか? 「手…どうした?」  小声で聞くと 「え?」  尚は淳の目から左手を隠そうとする。 「何でも…」 「ウソだ…。見せてみろよ」 「…ゴール…してから…」  走りながら、尚の左側に回りこみ、何気なく左腕を観察する。尚はため息をついた。…隠し切れない… 「手首腫れてるぞ…」 「…」 「尚!何があった?」 「…後で…とにかく」  意識した傷の痛みはだんだんひどくなる。左手首を中心に広がる痛みは、少しづつ全身に広がり、ともすると意識をもって行かれそうになる。歯をくいしばって痛みに耐えている尚に、淳は思わず 「尚、リタイアするか?」 と言ってしまった。とたんに尚の表情が険しくなる 「絶対にリタイアしないで待ってろっていったくせに。自分が追いついたらいいのかよ」 「…っ!ばかかっ、」 「ここまで来て…」 「わかったよ、ごめん。…我慢できなくなったら言えよ。おれもいっしょにリタイアする」 「何言ってんだよ、ばっかだな淳は。」  尚の表情がふっと緩む。痛みが少しだけ軽くなった気がした。  淳が尚の顔を覗き込んで笑う。 「行けるか?おれ、ペース作るから、付いて来いよ。1キロあれば振り切れると思う」 「オッケー」  そして淳はスパートをかけた。  残り、約8キロ。最後の力を振り絞って走り抜ける。尚が後に続く 『でも、困ったことに、気持ちいいんだよなあ、すっげー。倒れそうなのに』  頭の中で考えながら。 「化けもんだ、あいつら」  残された選手たちはお互いに顔を見合わせ、数100メートルで追いかけるのを諦めた。あとは淳と尚が自滅するのを待つしかない。  そして自滅は…ありえない

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 ゴールの瞬間の、尚の記憶はない。ゴールの直前に淳が 「おまえ先ゴールしていいよ」 と言い 「バカにすんじゃねえ」 と言い返したところまでは覚えている。 『ゴール…したよな』  気が付いたら、日陰のベンチで休まされていた。左手首は骨折していた。手首には添え木が当てられ、包帯は幅広のリストバンドで隠されている。 「尚、気がついた。良かったあ」  由利香が心配そうに覗き込み、傍では淳が明子先生に怒られている。 「まったく…君が余計な事言うから、尚が無理するんじゃないか。手当てが遅れて手首曲がってくっついたら、どうするつもりだったんだ」  淳のせいじゃない、と言おうとして体を起こす。手首も痛むが、頭もフラフラする 「起きたか。大丈夫か、弟?手首、複雑骨折してるぞ。どうした?」 「…ええと…」 「おれ、見てたぜ」  レイが汗を拭きながら現れた。どうやら今ゴールしたらしい 「バイクの時はすぐ傍だったのに、大きく水あけられちまったな。ワンツーフィニッシュか?ミッキーズ」 「どうにか。でもぐっらぐら。あんたの方が体力あまってそう」 「体力ぎりぎりまで出し切れるかってのも、実力だからね。どう考えても、おれのほうが潜在的には体力あると思うんだが、それでも負けるってのは、ま、それがおれの能力の限界ってとこか。がんばったじゃねえか、二人ともさ」 「…で?何見たんだよ」 「言うな」  尚が止める。 「なんでだ?言うべきだろ。多分何人も見ていたぜ。おまえがバイクぶつけられて倒されたところに、更に相手がバイクごと、わざと手首の上に倒れこんで来たのは」  「…言ってるよ…」  尚は頭を抱えた。多分そんなことを、今の淳に聞かせたら… 「なっにぃぃっ!そんな事されたのかよ、尚!?」  ホラ、切れた。 「事故だよ事故」 「いや、事故じゃないね。なぜなら、そいつは、一度彼を倒したあと、戻ってきて自分も倒れたんだ。事故であるはずがない」 「エンジのやつだよな。あいつら…」  淳が怒気をはらんだ声でつぶやく 「いいって」 「良くねえっ!!」  つまり、残りの一人って事だ。尚の方に来たのかと思う。 「水木、何、被害者脅してんだ。治るものも治らなくなるぞ」  明子先生が淳を止めようとするが、怒りは治まらないどころか、どんどん膨れ上がっていく。。 「まだ、そいつゴールはしてないみたいだな」  レイが次々とゴールしてそのへんにへたり込んでいる選手達を見ながら言う。 強い日差しを手の平でよけながら選手達を眺め 「まだ来ないぜ」  と首を傾げる 「多分いくら待っても来ねえよ」  淳ははき捨てるように言う。 「どういう事だよ」 「たぶんそいつ、正式な選手じゃねえ。」 「はあ!?」 「インフォメーション行って来る。デニスのやろうの予定調べる」 「なんのことだよ」 レイはますますわけがわからないといった表情になる。 「ちょっと待てよ淳」 「止めんな」 自分の言葉も聞かず、後ろも振り返らず行ってしまう淳を追いかけようとして、尚はベンチから降りかけて…その場に崩れ落ちた。レイが駆け寄る 「おいおい大丈夫か」 「まだ無理だ。君は脱水症状も起こしてるから、もう少し休まないと。」  明子先生にレイが手伝って尚をベンチに戻す。 「あいつは…淳はなんで大丈夫なんだ」 「さあねえ。彼は体調悪くても、意志だけでどうにか動けるからねえ。」  明子先生は、淳の後姿を見ながら、肩をすくめる 「淳と同じように行動するのは無理だよ尚」  ずっと様子を見守っていた由利香が声をかける。 「まったく…。情けねえ」  仰向けにベンチに横になる。目の前がぐるぐる回っている気がする。口をきくのも辛い…けど 「レイ、頼みあるんだけど」 「なんだ?おれは元気だからなんでもやってやるぜ、順位は18位だったけどな」 「峰岡さがして、淳が何かやばい事しそうだから見張ってもらって欲しい」 「お安い御用だ。」  そこでまた意識が途切れる。 「おや、おや」  明子先生はまた肩をすくめる。 「頼んだよ、レイモンド君。私もそうした方がいいと思うよ。」  グラウンドでは表彰式が行なわれようとしている。役員が躍起になって淳と尚をさがしているのが見えるが…  どうやら、1位も2位も不在の表彰式になりそうだ。
  
 

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