1.8.The Days of the Meets. 〜part4
淳はインフォメーションで、本部会長Mr. Denisの今日の予定を調べていた。彼は今日はどこかに出かけていて夜まで戻って来ない。 『多分、あいつら外部の人間だ。それが入り込めたという事は、多分本部の差し金で、おれだか尚だかをつぶすために、入り込まされたんだろう。ってことはデニスのやろーに報告するはずだから、今日中はこのあたりにいるはずだよな。多分金目当てだろうから、金も受け取るはずだし。今日中にどうにかしなきゃ。畜生…見てろよ』 許せないのは、本当は本部だって事は分かっている。しかし、とにかくとりあえず直接手を下したそいつが許せない。そこそこ選手に混じっていたという事は、そいつだってある程度つらい練習してきたはず。それでどうしてそんな事に荷担できるのか、さっぱり理解できない。 『いつかぶっ潰してやる、デニスのやつ…』 でも、今はまだその時じゃない。今は無理だ。もっと慎重に証拠を集め、切り崩していく事を考えなくては。 とりあえず、本部に卑怯な形で荷担するとろくなことにならない事を思い知らせてやる。 「おまえさ」 急にすぐ後ろで聞こえた純の声にギクっとして振り向くと、純が 「ヤバイよ。失格かも」 暗い声でそう告げる 「失格…ね。ふうん」 当の本人はどうでも良い事のように答える。 「いいのかよ」 「それどころじゃねえ。」 尚の手首の骨を折った奴の事で頭はいっぱいだ。 「くっそぉ、おれが代われば良かった」 「…おミズ、何があった。レースの間」 淳は純の顔をじっと見る。どこまで話してよいものか、迷っている顔だ。 「おれたちを妨害しようとしたヤツらがいて、多分そのうちの一人が、尚の手首折りやがった」 「あの、スイムの時の血まみれのやつも仲間か」 「多分」 「あとは?」 「もう一人、崖から突き落とした」 純は頭を抱える。…こいつは… 気を取り直して 「失格の話だけど」 と続ける。 「いいよ」 関心がない様子。 「聞けよ」 「っせーな」 不機嫌そうにインフォメーションを出る。純は隣を歩きながら続ける 「例のそのスイムの時の男、お前助けようとしただろ。あれがさ。違反かもって」 「わかった、今度から見殺しにする」 表情を変えずにそんな事を言う。 「そういう事じゃないだろ」 呆れて純が返す。どうせそんなこと出来ないくせに。いや…どうかな それ以上なんと言ったら良いかわからず、黙った純を完全に無視して、淳はカフェテリアに向かう。 何か少しでも情報が欲しい。 カフェテリアは中途半端な時刻にも関わらず、結構混んでいる。食事をしているのは 「おおーっ!1位が来たぜ!」 トライアスロンのレースを終えた男たちが拍手で迎える。 試合が終わって、とりあえずお互いの検討を讃え合っていたところらしい。 一人の大男(2メートル超えると言ってた、イギリスの選手だ)が淳の肩を抱きかかえるようにして、みんなの真ん中に連れて行って座らせる。別の誰かがビールのジョッキを淳の目の前に置く。 「よーっし乾杯だ!」 と誰かが叫んで、歓声の中、思わずつられてジョッキを持ち上げ、一気に半分くらい飲み干した 「いい飲みっぷりだぜ!」 と一斉に拍手が起きる。…だから未成年だってば 「おまえさあ、失格になりそうなんだって?」 誰かが聞いてくる。 「みてえだな」 「いいのかよ」 「別に。」 本当に、びっくりするほど、順位はどうでも良くなっていた。タイムが1位だったのは確かだし、(多分)本部の妨害にも屈しなかったし。問題は尚の手首。 「おかしいよな」 と誰かが言う 「溺れかけたヤツ助けたんだろ」 そういうことになっているらしい。 「そりゃ、別のチーム同士の互助は禁止だけどさ、水木が置いていったら死んでたんだろ」 「だよな。スポーツマンとして正しいよな」 顔に蹴り入れるのが、スポーツマンシップかどうかは疑問だけどね。 「えっとおお」 それは…そういうことじゃないかもと、反論しかけた淳の言葉を遮るように、周りの男たちは次々としゃべり始める 「すげえよな、スイムの最下位から上がって来たんだろう」 「こんな小っこい体で」 「断然トップだよな」 「納得いかないよなあ」 誰かが言い出した 「署名運動でもするか!」 「それだ、それ!」 すぐに同意する者が現れる。 「よし。じゃおれ、用紙用意するぜ」 一人が立ち上がる。 「じゃ各支部毎に集めて、一週間後にまたここに集るか?」 と仕切るヤツも出てくる。 淳本人が呆然としている間に、話はどんどん進み、淳を失格にしない署名運動を集めて、本部会長のMr. Denisに直訴することが決まってしまった。代表は淳が『重いけど結構身軽』と称したオーストラリアの選手。ちなみに彼が3位だった。 「ところで、もう一人はどうしたんだ」 その彼が、尚の姿を探して不思議そうな顔をする 「双子なんだろう、君たちは」 「ぶっ倒れてる。おれより、ヤツの方が神経が細いんだ」 どういうわけか、それはジョークと取られたらしく、その場は笑いの渦に包まれる 淳を引っ張ってきたイギリスの大男は、涙まで浮かべて笑いながら 「面白いヤツだなお前」 と背中をバンバン叩く。 テンションがいつもほどには上がっていない淳は、いまひとつ周りのノリに馴染めない。 だから…尚のケガが気になって、冗談どころじゃないんだって…。心の中でつぶやいて、ため息をついた****************
Mr. Denisが会場に戻ってきたのは9時を回っていた。 宿舎のホールからじっと様子を伺っていた淳は、Mr. Denisが別棟の自分の部屋に向かうのを確認して、宿舎を出る。ずっと淳に付いていた純もいっしょに外に出る。 「付いて来ても、ミネの言うことなんてきかねえからな」 そう言い切る淳に、純は 「いいよ。アテにしてない」 と答えるだけ。 淳は黙って入り口からは見えない木の陰に隠れた。純もそれに倣う。 少し経ってから、Mr. Denisの部屋らしき窓の電気がつき、2つの人影が動くのが見えた 30分位がたっただろうか。一人の男が出てくるのを、淳がじっと見つめる。やがて男が暗がりに差し掛かった 「あいつだ…」 淳は低く呟くと気配を消そうともせず、素早く走り寄った。純が止める隙なんて全くない 「待てよ」 と一瞬遅れて後を追ったが、その一瞬でもう淳は相手に声をかけていた。振り向きかけた顔を確認して 「おっしゃあ、ビンゴ」 と言うのと同時に、淳の体が宙に浮く。斜め後ろに振り向いた顔面めがけて、思いっきり左足の蹴りが飛ぶ。相手が前のめりに倒れかけたところに、今度は右の膝蹴りが背中に入る。そのまま体重をかけて地面に押さえ込み、左腕をとりあえず両手でねじ上げる。男が顔だけ後ろに向けて、淳の顔を見て、うめいた 「て…てめぇ水木…淳の方だよな」 「当たり。」 相手がバタバタさせている右手をチラッと見て 「うぜえ」 と眉をしかめる。相手の左手首を左手でさらに捻り、右手で右手首を掴んでから膝で押さえ込む。相手が上げる「いてて」という声は聞こえているのか、いないのか…。 「で…、聞きてえことあんだけど」 と言いながら、ねじあげていた相手の左腕の肘を、空いた右手で押さえ込む。男の左腕が逆にしなる。 「おミズ…手荒な事は…」 「止めても無駄だから…」 淳は純の顔も見ずに答える。 「は…放せよ…骨折れる」 男の額に冷汗が流れる。 「尚をやったの、あんただよな」 「…ち…ちが…」 「あんた、だよな」 淳は肘を押さえている右手に力をこめる。ギシと肘が悲鳴をあげる。 「ぎやっ、そ…そうだよ」 「おミズっ、よせってば」 「っせえ。言えよ、誰に頼まれた?言わねえとマジで腕折る」 「おミズっ!」 「ミネ、うっせぇっつってんだろ!」 振り向いた淳の目付きに、思わず出しかけた手を引っ込める。…止められない…。結局いつも、こいつの事は止められない…。純は自分の無力さにため息をつく。やるだけやらせるしかないか…。フォローはしてやるよ…。 その時男は墓穴を掘った 「けっお前に出来るわけ…」 と言いかける。同時に淳の目が光り、右手で相手の小指を掴む。その手に力が加わった 「ぎゃっ!」 ぺき、と小さい、まるで小枝を折るような音がした。男は信じられないといった目で、目の前でぶらぶら揺れている自分の小指を見つめ、化け物を見るような目付きで淳を見上げる。 「こ…こいつ…ホントに折りやがった…」 「だから、折るって言ってんじゃねえか。正直に言えよ…」 もう一度腕を締め上げる。骨が軋む音が純にまで聞こえた。 「わ…分かったよ、言うよ。本部だよ」 「いくらだ?」 「え?」 「あんた、外部のニンゲンだろ。って事は雇われたって事だよな。いくらで雇われたんだよ」 「…1000$」 「1000$ぅ…っ!?」 そこまで冷静に見えていた淳の表情が変わった。 あからさまな嫌悪の表情が顔に現れ、怒りに燃える目で男を見据える 「てめえは、たった数十万で、他人の腕折れんのかよっ!」 男の腕を押さえ込んでいる両手に力がこもる。ギシギシと背筋の凍るような音が響き、続いてバキと鈍い嫌な音がした。 男が悲鳴を上げる中、ゆっくりと淳が立ち上がる。男は左腕を押さえてのたうち回りながら、 「て…てめえ。言えば折らねえって…」 「言ってねえな…。言わねえと折るとは言ったけど、言ったら折らねえなんて一言も言ってねぇ。論理学の初歩、習ってねぇの?ばーか」 「き…きったねぇ…」 「汚ねぇのどっちだよ。っざけんじゃねぇよ」 淳は吐き捨てるように言うと、男の腰の辺りを一蹴りして背を向けた。 「ミネ…戻ろうぜ」 「…おミズ…犯罪だぞ、これ」 「知るか」 何かを振り切るように男の傍を立ち去りながら、淳は独り言のように 「あいつは誰にも言えねぇ。自分のした事がばれるから。それにおれがやった証拠もねぇ。本部も揉み消すはず、いくらなんでも選手に試合中ワザと怪我させたのが公になったら、あいつらだってヤバい」 「そりゃそうだけど」 「誰も知らなかった事は起きなかった事と一緒だ」 「そんな無茶苦茶な…って言っても無駄か。」 建物の角をまがると、男の視界から完全に隠れる。淳は2,3歩歩いて足を止め、いきなりその場にしゃがみ込んだ 「…気持ち悪ぃ」 言わんこっちゃないと思いながら、純は顔を覗きこむ。顔色が真っ青で冷汗をかいている。さっきまでの淳とは別人の様だ。 「ミネ…またやっちまった…」 「また?」 「もう、こういうやり方しねぇって思ってたのに…」 「?…。うん…まあ…おれはあそこまでやるおミズはあんまり見た事ねえけどさ…、歩けるか?」 「ん…」 淳は両手を膝に置いて、体を支えながら立ち上がる。肩で息をしながら聞く 「ミネ、部屋誰と?」 「由宇也だけど」 「今夜だけ代わってくれねえかな。おれ、今夜、尚の顔見らんねえ」 「尚のためにやったのにか?」 「多分尚は喜ばねえ」 「分かっててやったのかよ。つくづくめんどくせえ性格だな」 「うっせー」 部屋に着くと、真っ青な顔で転がりこんで来た淳に、さすがの由宇也も声を無くす。 純が今夜だけ部屋を代わって欲しいと言うと、由宇也は怪訝そうな顔になった もちろん部屋変えは原則として、禁止だ。由宇也は全体をまとめる立場だし、本来ならばきっぱり断りたいところだが、今の淳を見ていると、原則とかなんとか言える状況じゃないのはわかる。 「いいけど…何やらかした?」 由宇也の言葉には答えず、純は部屋の隅でうずくまっている淳をちらと横目で見る 純が黙ったまま肩だけすくめると、由宇也は 「ふうん」 と呟いて淳のそばにしゃがみこむ 「大丈夫か?」 答えはない。 「何したか知らないけど、あんまり無理すんなよ。疲れてんだから」 立ちあがって、淳の頭をポンと一つ叩き、自分の身の回りのものだけバッグに詰め込んで部屋を出る 淳と尚の部屋はすぐ隣だ。ドアを開けると尚はベッドに座り、何か読んでいる様子 「尚、今夜、おれがルームメイトだって」 「え?」 尚は、顔を上げ、由宇也を見た。そして、はっと気が付いて、 「あいつ…何かしたのか?」 「おれは知らねえ。言いたくねえみたいだから聞かなかった」 「殺してねえよな」 とんでもない事を口にする。 由宇也はじっと尚を見る。首を左右に振りながら尚の本音を推し量るように 「そこまでは、と思うけど」 と言う。 「…ならいいけど」 本を閉じて横になる。手首をじっと見てちょっと顔をしかめる 「痛むか?」 「さっき痛み止め打ったから、そうでも。ただ、どうしようラクロス。力、入らねえ。レギュラーから外してくれよ」 「そんな事できるわけねえだろ。おミズとワンセットなのに」 「セットかよ」 「とりあえず…隠せ…」 由宇也は真剣な顔になる 「隠すって…骨折してるのをって事か?」 「そう。知られると、相手に欠点バラすのと一緒だろ。いや、尚がウィークポイントってわけじゃなくて」 「言ってるじゃねえかよ」 「極端な事言えば、お前はボールに触んなくたっていいんだ。相手を霍乱するために走り回れればそれで十分だと思う。あとはおミズにまかせりゃいい。」 「そ…っか」 「とにかく、少なくとも当日まではバレないように隠せ。キツイけど」 「…わかった」 あと約10日。隠し通す事はできるのだろうか****************
その夜、眠っているのか眠っていないのか、時々ぶつぶつ言い出す淳に付き合って、またも純はろくに眠れなかった。大丈夫なんだろうか。次の日一本目のライフルの試合があるのに 『おれの今年の成績は期待しないで欲しいよなあ、頼むから』 純はなんだかどんどん弱気になってきている自分に気が付き、ため息をついた。