1.8.The Days of the Meets. 〜part6
なんだか、朝から何かを忘れているようで、ひっかかる。それが何かはわからない。何しろここ数日トライアスロンで頭がいっぱいで、ほかの事ほとんど何も考えてなかったから。 とりあえず、今日は午前中で終わるライフル競技を見学することにする。 由宇也の命中率は、圧倒的に高い。彼の場合は、実戦に対応できるように仕込まれているため、試合の駆け引きなどとは無縁で、確実に高得点をとれる中心に当ててくる。 「由宇也すげーよなー。おれはできねえ、あーゆーの」 周りの様子など全く気にせずに、冷静に着実に点数を上げていく由宇也を淳は感心して見ている。 半分寝ながら隣で尚が答える。 「誰も、おまえにそんなの期待しねえよ。乗だって、冷静な淳なんて価値ないって言ってたろ」 前半を終えて、純が一度戻ってくる。いまいましげに 「くっそー、よく的が見えねえ。こっち来て3日間ほとんどまともに寝てねえ。集中できるはずねえよな」 「でも、ミネ、10位以内には入ってるぜ。」 由宇也が汗を拭きながらやってくる 「ちなみに、おれが1位」 「ちっくしょぉぉぉ」 「めっずらしーミネがマジで悔しがってる」 「っせーな、おれだってそんなに冷静なわけじゃねえよ。おミズがいつも勝手に暴れるから、仕方なく抑えに回るだけだろうが」 「へー、そーなんだー」 「由宇也、どうにかしてくれ、こいつ。」 「ハワイの海に、コンクリート詰めして、沈めてくか」 由宇也が笑う。 「3位以内に入ってやるっ」 自分自身に言い聞かせて、純は再度競技場に向かって行った。 「ミネ、キャラ変わってる、おもしれー」 「面白い、ですますなよ。ミネが自分抑えてんのは、だいたいおミズのためだろ。ミネはさ、お前のこと、なんだかいっつも心配してんだから、あんまりからかうなよ。あいつに見捨てられたら、困るの自分だろ」 「だよなー。」 「わかってんだ?」 念を押す由宇也に 「わかってんだ」 と返す。 「じゃいいけど」 そう言い残して由宇也も競技場に向かう。 「…眠い…」 相変わらず尚はぐらぐらしている。 「尚が眠いのは、痛み止めのせいだろ。手首どうだ?」 「どうだって言われても…いてぇ」 多分本当は肩から吊ったりした方が、楽だし、治りも早いのだろうけどそれではバレバレ。なるべく普通に見えるように巻いた包帯の上から、幅広の黒いリストバンドをして、その上リストバンドが微妙に隠れるくらいの長袖のシャツを着ている。 「おれもしようかな、リストバンド。で、髪も切ってさ、尚くらいに」 「本気かよ。」 淳が自分から髪を切ると言い出すのは珍しい。 「もしバレてもどっちかわかんねーじゃん、多分」 「ふーん、やってみれば」 あまり気のなさそうな返事。 「やってみる。どこで買った、それ。あと、服」 「服までおそろいにする気かよ。気持ち悪ぃ…」 「カワイイじゃん、いっしょに歩いてたら」 「何考えてんだよ」 全くどこまで本気かわからない。今度は競技場に目を向け、わざとらしく大声で 「おー、ミネがんばってるう」 「…ほんとだ」 「マジ、3位くらいになるかもな…」 言いながら、尚と肩を組むように身を寄せ、ちょっと真剣な顔になる。小声で 「斜め後ろのヤツが、お前の手首見てる。気が付かれたかも。」 目だけ斜め後ろに向けて、淳の言うほうを見てみる。女の子が目をそらすのが見えた。 「聞いてくる。早いほうがいい」 すっと立ち上がって、女の子の方に向かう。アジア系のおとなしそうな感じの子だ。年は17,8か? 淳が目の前に立つと、びっくりしたような顔を向ける 「こんにちは」 「あ…。こんにちは。日本支部の、水木淳さん…よね。きのうトライアスロンで一位になった」 「知ってんだ。」 と言いながら隣に座る。相手の目をじっと覗き込みながら 「君は何に出るの?」 キャラ変わってるし。絶対どこかに、モード切替のスイッチが付いている。 「テニスと、飛び込みです」 「へえ、似合いそう、テニスウエア」 女の子は真っ赤になった。 「今日は彼氏の応援かなんか?」 「え?あ、いえ、彼氏なんかいませんし」 「ふうん、もったいないね。カワイイのに」 『よくやるよ、あいつ』 斜め後ろなので、声は全部尚に聞こえてくる。 自分と同じ顔であんな事を口にしてるのかと思うと、わーっと叫んで逃げ出したくなる。 「でさ…、なんか、見た?」 「え?あ…あの」 「見てないよね」 「あ、え、えと、手首…?」 やっぱり気が付いていたんだ。淳は心の中で小さく舌打ちをする。 女の子は、尚の方をチラと見た。尚は、試合に集中する振りをする。 「見てない、よね」 淳はもう一度念を押した。相手の視線をからめとるように、一瞬たりとも眼を外さない。 「見て…ないです。」 「見てないから、誰にも言えないよね」 「え…ええ」 女の子は頷いた。 「ありがとう」 淳は女の子の額にキスし、立ち上がった。 「じゃあね」 とにっこり笑って、軽く手を振って尚のところに戻ってきた 「楽勝〜♪」 「…おまえ…すっげー業師」 「誰にも迷惑かけてねーじゃん。」 「こっち見てるぜ、彼女」 尚の言葉に、ちょっと振り返る 「どの子だっけ?」 もう顔忘れてる。 「アジア系は楽なんだよな。ラテン系はガキの頃から甘い言葉に慣れてるから、すっげータイヘン」 「男は?」 「ケースバイケース。どこまで自分を殺せるかだよな。一番難しいのは、同い年くらいの男。体張ってもうまく行くかどうか」 返す言葉をなくして、淳の顔を見る。 「ま、がんばるから」 「…そんなに、必死になんなくてもいいから」 自分と同じ顔で妙な事をして欲しくない。体も張らなくていいし。 「いや、やる限りは徹底的にやる」 「だから…」 言い争っているところに、由宇也と純が試合を終えて戻ってくる。由宇也は晴れ晴れした表情。純は口惜しそうな顔で。 「ミネーどーだった」 という淳の言葉に 「…見てなかったな、おミズ。おまえなんのため、そこにいんだよ。応援じゃねえのかよ」 と珍しく毒づく。確かにちゃんと見ていたら、判るはずだ 「4位。チックショー。所詮Bクラスなんだよな、おれは」 「もうちょっとだったんだよな、ミネ」 こういう時に、1位になった人に慰められたくないと思う。 「あと、ほら、10位くらいまでAクラスばっかだしさ。すごいって」 「慰めになってねえ。それは、おれが潜在能力的に劣るって言われてるだけだろうが」 「なるほどー」 素直に同意する淳を、由宇也と尚が同時に 「おミズ!」 「淳!」 とたしなめる。淳は不満そうに 「なんでだよー。AクラスだのBクラスだのの区別が、いかにいい加減かって事じゃん。おれ、自分のがミネより潜在能力的に上だなんて、全然思えねえもん。そりゃ、走るのは速いけど、それくらいじゃん、おれがミネより上なのって。なんでミネがBクラスなのか、おれずーーーっと不思議なんだよな。調べなおせば?」 と反論する。 純がため息混じりに今更という口調で説明する。 「おミズは間違いなくAだよ。スピードだけじゃなくて、新しいものへの適応力とかが無茶苦茶高いだろ。おれは、それがないんだ。そこがAとBの大きな違い。説明されなかったのか?」 「なーるほどー。それか。ま、どっちだっていいって事だよな、つまり」 「?そうなのか?」 「適応力なんて、一回適応しちまったら同じじゃん。その種目に関しては。だからあってもなくても同じ」 「なんか…すげー論理だけど、言われてみればそんな気も」 『また、ミネ丸め込まれてるよ』 由宇也は淳を見ながら考える。 『もしかして、こいつ、慰めてんのか?よくわかんねえけど。ヘンなヤツ』 「だからさーミネもそーゆー事あんま考えんなよ。4位は残念だったけどさ」 「あ?ああ、そう…だよな」 「そのくらい実力あれば、かなり確実に人殺せるし、実用としては十分じゃねえの」 『実用』という言葉に純は苦笑する。 「ま、いっか、もう終わった事だし。午後から水泳あるし」 「そうそう、また、応援行くからさ。」 そこで純が思い出したように 「おまえ、ユカのテニス行かなくていいのか。ライフルの試合押したから、始まってんじゃないのか?」 それだ、ひっかかっていたのは。とたんに慌てて尚の方に向き直る。 「尚、持ってる?スケジュール表」 尚がポケットから日本支部の全員のスケジュール表を出す。 「げっ、始まってる。やっばー。」 立ち上がって走って行ったかと思ったら、すぐに戻って来た。 「テニスコートどこっ!?」 由宇也が、今淳が走っていったのとは逆の方向をさす。淳は物も言わずに飛んでいってしまった 「尚といっしょにいろって言ってんのに」 「いいよ、おれが追いかけるから」 尚も立ち上がる。 「お揃いで歩くんだ」 「なんだ、そりゃ」 由宇也と純は、わけがわからないといった顔になる。 唖然としている二人を残し、尚はちょっと笑いながら、淳の後を追う。 「へンなやつら。」 「由宇也も見に行くんだろ、テニス」 「う〜ん」 純の言葉に由宇也は考え込む。由利香の事は気になるし、行きたいのは山々だけど。 「ちょっと野放しにしといてやるか。代表のおれとしての立場からすると、ちょっと大変そうかなって反省してんだよ。個人のおれとしては、イヤなんだけどさ、あいつとユカが一緒にいるのは」 「大変だな、色々」 「ま…ね。」****************
「あ、おミズ来た」 淳がテニスコートに走りこんでくると、健範と千広が手を振った。水泳に出ない残りの組だ。 「おミズ、来ないから、ユカ負けちゃったぜ」 「え゛?うそ」 血の気が引いた。まさか負けるとは思わなかった。 「ほーんと。一回戦」 由利香は少し離れたベンチで、ラケットを握り締めて一人ぽつんと座っていた。 多分、健範と千広じゃ慰めようもなかったのだろう。 まるで、親鳥とはぐれた雛鳥みたいだな、と思ってから、じゃ、おれは親鳥かよと自分で自分に突っ込む。 「おミズのせいだな」 「なんでだよっ!?」 淳の声に由利香がこっちを振り向く。じーっと淳を見つめる目。 「ほら、行けよ」 と千広に背中を押される。 「負けちまった?」 ときいて、隣に腰を下ろす。由利香は目をそらしてから頷いて、そのまま下を向く。 「相手誰だっけ?」 「フランスの、シェリー…」 「…なんだ…」 ちょっとほっとする。確か、優勝候補だった。 一回戦からそんなのに当たるなんて、なんて運の悪いやつ。まあ誰かが当たるわけだけど。 思わず、また本部がわざと当てたかと思う。由利香だって、優勝候補のうちの何人かには入っていたのに。そうかもしれないし、違うかもしれない。確信はない。 「…で?」 「でって?」 「敗者復活戦あるんだろ」 「うん…でもなんか自信なくなっちゃった」 パン。淳が軽く由利香の頬を叩く。 え?といった表情で、由利香が顔を上げる。 「ばっか、何言ってんだよ。そんなの、おれが許さねえ。おまえ、トップの自覚あんのかよ。自分がへたれたら他のやつらにどう影響するかわかってんだろ?」 「そんなの、わかってる。でも私には重過ぎるよ。一人で背負うの無理だよ。淳みたいに強くないよ」 と言ってまた下を向いてしまう。 そりゃそうだよな、とも思う。 由利香はまだ13歳だし、いくら実力トップと言われても、荷が重すぎる。 はっきり言って、淳にだって重い事がある。おれにそんなに期待すんじゃねえ、と叫び出すこともある。思えばいつも由利香は、淳にぽろぽろと少しずつグチをこぼして、どうにかやってきたのかも知れない。 ここ数日、由利香とまともに顔すら合わせてなかった。それだけ、淳自身のプレッシャーが大きかったと言ってしまえばそれまでだけど、そんなの言い訳だ。さっきは言い返したけど、由利香が負けたのは自分の責任だと思う。 きっと、一人で耐えてたんだろうなと思うと辛い。いつもにも増して小柄に見える由利香を、抱きしめたくなる気持ちを押さえ込んで、言葉を口にする。 「だから…、おれが一緒に背負ってやるから」 「…え?」 由利香が目を上げ、淳と目が合う。 「だから、がんばれって。…な」 「…うん」 しばらく何か考えて、由利香は小さく頷く。 「えらいえらい」 淳が由利香の頭を撫でると、やっと 「…とりあえず、がんばってみるね」 と笑った。淳は由利香の頭に手をおいたまま言う。 「あと、ずっと見てるからさ」 「由宇也はいねえよな」 健範が周りを見回す。宣言どおり由宇也は来ていない。 「来てたらこえーな」 思わずびくびくしてしまう。 「お−来てたか、水木」 突然有矢氏が現れ、淳に声をかける。 淳はギクっとして由利香の頭から手を離し、一歩飛びのいた 「び…びっくりしたっ!いきなり声かけんなよっ」 淳の反応に、有矢氏は怪訝そうな顔になる。 「なんだ?…それより、山崎が」 元気なくてといいかけた有矢氏の言葉を、由利香自身が遮って 「有矢さん、私、がんばる、敗者復活戦。7戦勝てば優勝できるよね」 「あ…ああそうかな?」 「もう一回、私が負けたシェリーとやる可能性もあるよね。よしっ!がんばる」 「?」 いつの間にか元気になっている由利香に、有矢氏は首をかしげた。たしかちょっと前まで、もう敗者復活戦なんて出ないとか言ってたような気がする。あれは気のせいか? そんな有矢氏の不審そうな様子には目もくれず、淳が 「有矢さん、おれ、暇だからベンチコーチに出る」 と言うと 「ほんと、ほんと?」 由利香が瞳を輝かせる。 「どーせ見てんなら、近くのがいいだろ」 「うん。」 「じゃ行くか。ちょっといっしょに乱打してやるよ」 有矢氏の返事を待たずにサクサク練習場の方に行ってしまう 「おい、いいって言ってないぞ」 後ろから声をかけるが、全く無視 「ムダだって、有矢さん」 いつの間にか隣に移動してきた健範が声をかける 「聞こえてねえって」 「そうなのか?」 「そうそう。」 千広も隣に移動してきている 「いーよなーあれだけ信頼してんだな、ユカ。うらやましいよな」 「ユカの方をうらやましがるのかよ」 「おれ、おミズのファンだもん。ファンクラブの名誉会長なんだ(?)。あれだけ真剣に説得されたら、感動だよな」 「…ヘンだって、おまえ」 「んな事ねえよ。おまえだって、おミズに1対1でマジな顔で何か持ちかけられたら、乗るだろ絶対。断る自信あるか?」 「そ…そうかな」 そう言われると自信がない。 「おまえらにとって何だ、水木って」 有矢氏は二人の話を呆れ気味で聞いていた。 「う〜ん」 と千広は考える 「ある種、元気の源かなあ。」****************
その後由利香は順調に勝ち越した。3試合を明日に残して、今日の試合を終えた頃には真っ暗になっていた。 「よく、がんばったじゃん。着替えて来いよ、夕飯いっしょに食おう」 「うん、ラケット持ってて」 由利香はロッカールームに走って行った。 「おミズ」 終わるのを待っていて由宇也が声をかけてきた。淳は振り向きざまに 「ごめん由宇也、一回戦負けちまって、敗者復活戦でやっと勝ちあがってきた」 「なっにぃぃ〜負けたぁ。おまえなあ」 由宇也は脱力してその場にしゃがみこんだ。 そのまま、淳を見上げて確認する。 「でも、残ってんだよな」 「うん。落ち込んでたけど立ち直った」 「そっか。まあ、しょうがねえな。…じゃ、ま、あとよろしく」 と言いながら立ち上がり、歩き去ろうとする。 「ユカに会わねえのか」 「いいよ。おミズがいるだろ」 「由宇也、ヘン。悪いもんでも食った?」 由宇也は足を止め、淳の方に向き直り、諭すような口ぶりで言う。 「あのな、おまえは自分を犠牲にしてでも勝つって宣言したよな。おれも大会の間は、勝つために一番いいと思う行動を取る。色々我慢だってする。ユカにはおまえが付いてるのがいいと思うから、そうするだけ。ただ、どさくさ紛れて手ぇ出したら許さねえ」 「どっからが、手出した事になんの?」 「キスから」 やたら具体的に例を提示し、え?という顔の淳に、 「ま、できねえだろうけど」 と言って、じゃなと手を振って由宇也は行ってしまう。 そこへちょうど、由利香が着替えを終えて戻ってくる。涼しそうな、赤と白のギンガムチェックのノースリーブのワンピース。ローウェストのちょっと斜めの切り替えにリボンがついている。 「おっまたせ。あれ、どうしたの?ヘンだよ何か」 「あ、いやなんでもねえ」 「ごはん食べに行こう。お腹すいちゃった」 「がんばったもんな」 と答えながら、大会の時ってみんななんだか少しヘンだなと思う。自分もそうなんだけどね。