1.8.The Days of the Meets. 〜part7

 
 
   
 カフェテリアに行くと、相変わらず淳は注目を浴び、あちこちから掛けられる声に、由利香は目を丸くする。 「淳、有名だねー」 「今だけだよ。」 と軽く受け流す。最終日に違った意味で有名になってしまう事なんて、この時は思ってもみなかった。 カフェテリア形式ではあるが、料金は、選手とコーチはフリー。大会の運営費でみんなまかなっている。つまり食べ放題。 メインはパスタとパン。ご飯はあるけれど、パサパサの外米、それもケチャップ味のピラフ。 「淳はしばらく何も予定ないんよね。たまに一緒にごはん食べられる?」 「多分」 「良かったぁ、なんか落ち着かなくて」 「ごめんなユカ、おれ、自分の事でいっぱいいっぱいでさ。保護者なのにサイテー」 「謝んないでよ。淳らしくないよ。私こそ、ちょっといつもと生活のリズムが違っただけで、負けちゃって。すっごい、自己嫌悪」 「まあ…ゆうべはおれもちょっと落ち込んでたし。悩みながら進むか」  ちょっとなんかじゃない。 「え?なんで。淳1位になったじゃない」 「色々あって」 「ふうん」  由利香はそれ以上聞こうとはしない。淳がちょっと落ち込んでいた、と口に出すということは、よっぽど落ち込んでいたんだろうな、くらいの想像はつく。 「ああ、そうだ。ひとつ言っとかなきゃ。おれ、髪切るかも」  そう言えば、由利香に、淳も髪切るときは言ってと約束させられていたんだった。 「え?なんで?邪魔?」 「別に。ちょっと見た目、尚と揃えようかなと。どうせ髪なんてすぐ伸びるし」 「髪伸びるの早い人って、エッチなんだって淳教えてくれたよねー」 「どーせ、おれはやらしいよ」 「淳がそうとは言ってないよ」  由利香は笑いながらパスタを口に運ぶ。由利香の選んだトマトのパスタはあっさりした酸味がおいしい。ベジタリアンのために、具はトマトとたまねぎとオリーブだけ。いろんな人種が集るので、メニューにも気を使う。日本食にまで用意する余裕はない。 「ユカ、どーだったテニス」  水泳の試合を終えて、まだ濡れた髪のまま、温が愛とやってきた。 「初戦負けちゃった」 「ええーっ!」  温はびっくりした顔になり、瞬時に目を潤ませる 「ど…どうしてー、ユカ負けちゃうなんて!」 「調子悪かったの?」  愛も心配そうな顔になる。 「へへ、ちょっと。でも敗者復活戦で勝ち残って、あと3試合」 「…なんだ、良かったぁ」  二人ともほっと胸をなでおろす。温は、由利香に抱きついて 「ごめんねえ、みんな水泳行っちゃったから、一人で心細かったでしょ。」 「ヒロとノリがいたよ」 「あの二人じゃあてになんないわよ」  二人がどこかで、ひでえと言ってる声が聞こえる気がする。 「よくがんばったね、ユカ。」 と愛も由利香の手をとり、手のまめがつぶれているのに気が付いて、顔をしかめる。 「やっぱり、敗者復活戦はハードよね」 「うん。でも、途中から淳、来てくれたし」 「途中?」  温は由利香の体を離し、淳の方に向き直る。 「おミズ、朝から空いてたじゃないのっ!なんで行ってあげなかったのよっ、。肝心なときに役立たずっ!」 「すいません。ライフル見てました」 「最っ低―。彼女より、オトコをとったのねっ。おミズ、ミネちゃんとウワサになってるわよ。キャリーが喋りまくり」  やっぱり口止めは全然効いてなかったみたいだ。ちょっとだけ、反省し、とりあえず愛に謝る。 「あー、ゴメン、ラヴちゃん、ちょっと調子に乗った」 「いつものことじゃない」  愛はにこにこしているが、由利香は真顔で聞く。 「え?ミネちゃんとなんかあったの?」 「う〜ん、残念ながら、何も特には」 「おミズっ!そんなことばっか言ってると、ホントにいつかユカに見捨てられるよ!」  温は淳に抗議するが、 「そっかあ、残念だったね」  という由利香の言葉に、思わずがっくりと力が抜け、今度は由利香に詰め寄るが 「ユカっ!いいわけ?もし、そんな、おミズとミネちゃんが、そ…そんなかんけーになってもっ」    「2人がいいならしょうがないよねー」 「おミズっ、間違ってる!間違ってるって、あなたたちの関係っ!」 「うっせーなぁ、温ちゃん。おれ、友達には手ぇ出さねえから、大丈夫だって」 「違うっ…ちがうわ、なんだかびみょーに違う気がするっ!」  温は頭を抱えこむ。そこへちょうど 「つ…疲れた…」  愛の隣へ純が倒れこんできた。午前中ライフルで午後から水泳の予選。おまけに水泳は個人メドレーと自由形。 「死ぬかと思った…すっげえハード。」  テーブルに突っ伏して、肩で息をしている。 「ミネ珍しいじゃん、弱音はくの」 「冗談じゃねえよな、自由形100,200,400って泳いで、メドレー400と800だぜ。誰だよ日程組んだやつ」  そのまま、くぐもった声で答える。 「すっごい、全部出たの、ミネちゃん」  由利香が目を丸くする 「全部エントリーされてんだもんな。全部終わってから、大変だったら削っても良かったのに、とか乗のやつ言いやがって。自由形なんて予選一次と二次あるし。武のやつ、メドレー出ねえし。きったねえ」 「食えるか、夕飯。持ってきてやろうか?」 「食うよ。食わねえと明日倒れる。パスタの味薄いやつと魚と野菜スープ」 「おっけー」 と立ち上がりかけたところに 「生きてるか、ミネ」 と言いながら乗がやってきた。温は淳を批判していた事を瞬時に忘れ、目が乗に釘付けになる。 「とりあえずエントリーだけしておいて調子見て、選ばせようと思ったのに、まさか全部出るとはな。馬鹿じゃねえかと思ったぜ。」 「言ってやらなきゃわかんねえだろ、そんなの」 「昨日説明したぞ。」  昨日は、淳が連れまわしていて、ミーティングに出なかった。…って事はもしかして淳のせいか? 「おまけに、全部予選通過しやがった。2種目全部なのはこいつ1人だけ。淳も化けもんだけど、ミネもかなりだよな」 「えーすっごーいミネちゃん」 「その上、最後の800メドレー予選通過タイム1位だぜ。クッタクッタのはずなのに」 「すっげー。ミネ、やっぱカッコいー」  淳が拍手をする。 「…ミネちゃん、寝てるよ」  純はテーブルに突っ伏したまま爆睡していた。めったにその辺で眠ってしまうことはないのに、よっぽど疲れたらしい。  隣に愛が座って、じっと寝顔を見守っている。 「めずらしー、ミネこんなとこで寝るの。カワイー」  淳もいっしょに覗き込む。聞いたら純は絶対怒る。 「乗、ミネの明日の予定は?持つかなこいつ」 「メドレーはタイムレースだから、あと一回ずつで終わりだけど、自由形は準決勝と決勝あるよな。多分疲れるだろうけど、明後日はオフだから、どうにかなるだろ。基礎体力あるし。ユカもテニス大変だったみたいだけど、大丈夫か?」 「うん、どうにか。明日もがんばりまーす」 「おれは明日も水泳の方行くし、有矢さん、ヒロとノリのレスリング行くよなあ。淳、ちゃんと行けよ、テニス」 「わかってるよ、暇なのおれと尚だけだろ」 「尚ケガ人だしな」 「それだけどさ」  温がはっと正気に返り、身を乗り出す。 「ねえ、どうしたのよあれ。トライアスロンで手首折る?普通」 「折られたんだよ」  淳が苦々しげに答える。抑えたはずの怒りがまたこみ上げかけ、手に相手の骨を折った時の感触が戻ってくる。  吐き気がする。  それを振り切るように 「ミネの夕飯とって来る」 と言って席を離れる。明らかに何かをごまかそうとする態度に、由利香が付いてきて 「淳、顔色悪いよ」  顔を覗き込んで心配そうに言う。 「ごめん、大丈夫。」  ひとつ深呼吸して、思い出す。あの時は手に感触が10日は消えなかった。今度は何日残るんだろう。  由利香は、淳の左手に気が付いた。何かを確かめるように、無意識に拳を握ったり開いたりしている。それを見ながら、しばらく黙って何かを考えていたが、視線を淳の顔に移して、急に言い出す。 「ねー淳、私さー、淳がどんな事しても平気だからね」 「え?なんだよ、それ」  また唐突だ。唐突だけど…多分何かに気が付いた。 しげしげと由利香の顔を見る。頬をちょっと紅潮させ、目も少しだけ潤んでいる。 「淳がさあ、たとえば人殺しとかしても、私は大丈夫だから。だって、淳は淳だから」  真剣な表情で言われると、ちょっとドキっとして、 「すげーな、そりゃ…」 とだけ言葉を返す。 「う〜ん、すごいかなあ。わかんないけど、」 『あれ…?』  由利香の言葉といっしょに、手に残っていた嫌な感触が消えた。  何が起きたのかわからず、唖然として、由利香の顔と自分の手を見比べる。 「ユカって…マジですげえ」 「え?何が?」  なんだか急にすっと気分が軽くなった気がした。 「わかんなくても、いいよ。ホラ手伝えよ、そのスープ取って」 「なにがすごいんだってば!」 「いーから、いーから」 
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 次の日の朝 「淳っ、どっどうしたの長袖っ!?」  尚といっしょに『お揃いの』長袖のシャツを羽織って現れた淳を見て、由利香がびっくりした声を上げる。  淳がこんな暑い気候で長袖なんて考えられない。それこそ、地元に順応してタンクトップか上半身裸か、ってところだ。 「珍しい…淳の長袖、真冬しか見らんないのに、ハワイで見るなんて。あ、髪…ほんとに切ったんだ」 「うん。タケに切ってもらった」  武は料理が得意なだけでなく、手先が器用だ。編み物や、刺繍とかも得意らしい。 「こう見ると、ほんとに似てるんだぁ、淳と尚…」  由利香は、淳と尚の顔を見比べながら言う。尚はシレっとした顔で 「そうか?顔、全然違うだろ」  なんて事を言う。さらに続けて 「淳の方が二重が少し深い、目の間の幅が少し違う。淳の方が微妙に唇薄いし、顎も…」  由利香は首を傾げながら、尚の言葉に合わせて、言われた箇所を見比べるが、 「尚、全然わかんないよ。」 「あと、手が少しおれのほうがでかい」 「へえええ」  由利香が感心して聞いていると、尚は 「でまかせだけど」 と笑う。笑顔はますます似ている。 「…もうっ、尚が淳に性格まで似させてどうすんのよっ!」 「おれも信じかけた」  淳も呆れて尚を見るが、すぐににやっとして、 「でも、ま、ユカでさえ、混乱するんなら、他人は絶対わっかんねえよな」 「何かたくらんでるの?」 「別に。尚が怪我したろ、攪乱するだけ。…というわけで、なるべくおれと尚は一緒に行動しなきゃならねえんだ。だから、テニスにこいつも行くからよろしくな」 「うん。尚も応援してね」  そして、またハードな一日が過ぎていく。
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由利香は結局決勝戦で、また『シェリー』に負けてしまったが 「絶対なんか八百長してやがる」 と息巻く淳を抑えるのに必死で、悲しいとか残念とか考える余裕も無かった。まあ、それも淳の作戦かもしれない。 テニスの試合が終わってから、3人でプールの方に合流する。 純は体力を振り絞ってどうにか試合をこなしていた。  ほかの人たちも多かれ少なかれそんなところ。一日に何試合もこなさなくてはならないのは、やはりきつい。  みんなくたくたになってミーティングに向かう途中、由宇也が淳に声をかけた 「おミズ、あいつ、尚のケガの事知ってる。さっきカマかけられた」  由宇也は木陰に一人で立って、こっちの様子を伺っている一人の男を指差した。 「あ…あいつ?」  その男の姿をチラッと見て、淳が足を止める。というより、止まる。思わず一歩後ろに下がる。 「あの手、ダメ、おれ。パス」 「何言ってんだよ。おまえ得意とか、苦手とかあるのかよ。老若男女なんでもイケるんじゃなかったのか」 「別に、男でも女でも、若くても老けててもいいけど、あの手だけはダメ。ごめん許して」 「あの手って、どんな手だよ」  純が由宇也の指差す男を見る。  2メートルを越すかというマッチョな大男で、頬と顎にヒゲが生えている。おまけにスキンヘッドにサングラスの強面だ。 「ああいう手ね」 「ああいうやつはさあ、おまえみたいに、華奢で可愛いタイプが好みだろ。やり易いじゃねえか」  由宇也は気楽そうにそんなことを口にするが、淳は珍しく『華奢で可愛い』と言われた事には反応せず 「でも、おれ、だめなんだって、あれだけは。マッチョ、大男、ヒゲ、スキンヘッドのどれか一つでもなければいいんだけど、4つ揃ってると本当にダメなんだって」  純はしげしげと淳の顔を見る。冗談で言っているとは思えない。表情がこわばっているし、額に汗もかいている。 よく見ると指先が震えている。 「じゃ、おれ行って来る、おれの事だし」  尚が一歩踏み出すが、 「一発でケガバレるだろ。考えろ尚」  由宇也がそれを止めながら吐き捨てるように言う。 「あ、じゃ、私行こうか?女の子じゃだめかなあ」  突然言い出した由利香に、みんなギョッとする。 「そ…っ、そんなことさせられるわけねえだろっ」 「だって、淳すっごく嫌そうだし…。ケガの事言わないでねって言ってくればいいんでしょ。できるよ」 「…、わかった、おれ、行くよ」  淳が意を決したように言う。 「えー大丈夫だよ、私、」 「ばっかやろうっ、襲われたらどーすんだよ。ああいうタイプはなあ、自分の強さに絶対的な自信持ってて、おまけに自分は男性的で、オンナでもなんでも付いて来るって思ってるから、何言ったって本気に取らなかったりして、すっげー危険なんだよ。お茶だけのはずが、じゃあ食事もってなって、ちょっと部屋で酒でも飲もうとか言う事になって、後に引けなくなるんだぜ」  淳は一気にまくし立てた。 「先行ってて。戻らなかったら、襲われたと思っといて。」 半分冗談、半分本気のような口調でそんな事を言い、一息ついてから、いかにも気がすすまない様子で男の方に歩いて行った。 「由宇也…あいつ、なんか本当に嫌そうだったぜ。絶対なんかあるって。止めてくる」  行こうとする純を由宇也が止める 「遅いって」  もう淳はその男に話しかけていた。あんなに嫌がっていたのに、上手に笑顔でごまかしている。さすがというか、なんと言うか。 「見ててもしょうがねえだろ、行こうぜ」  由宇也の言葉に皆、ぱらぱらとミーティングに歩きかける。純は動かない 「気になるから、見てる。あいつがあんなに嫌がるなんて尋常じゃねえ。」 「勝手にしろ」  由宇也は踵を返す。  由利香も残ろうとするが、純に反対される 「ユカは行きな。疲れてるだろ」 「ミネちゃんだって疲れてるじゃない」 「おれは明日休みだけど、ユカは明日もあるだろう、飛び込み」 「行こう、ユカ、ね」  由利香は、温と愛に抱えられるようにして、何度も振り返りながら連れて行かれた。 「尚も残るのか?」 「当たり前だろ」 「尚は心当たりあるのか?」 「ねえよ」 と言ってから、尚は言いなおす 「ごめん。ちょっとあるけど、おれからは言えない。峰岡になら言うかもしれないから、聞いてみれば」 「ふうん。」   淳はげっそりした表情で、すぐに一度戻って来た 「…お茶でもって言われた。…お茶してくる。第一段階で終わるの祈ってて」 「大丈夫かよ。いっしょに行こうか?」 「だめ。一対一でって言われた。おれ、すこしでも有利に立つためには、体張っても何でもするって決心してるし。いいんだよ、どうせおれなんて、こういう時のためにいるんだから」 「おミズっ、またそういう言い方する」 「あ、ごめん。とにかく行ってくる」  男の方に戻っていく淳を見送って、純と尚は顔を見合わせ、どちらとも無く 「行くか?」 と声を掛け合って、ミーティングに向かった。
  
 

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