1.9.She Starts Her Junior High Life. 〜part2
「ミネ、ユカに中学行くように勧めたの、おまえだって?」 怒りの矛先は今度は純に向かう。 「まあな。」 「どーゆーつもりだよ」 「お互いが新鮮に感じられんじゃないの?」 「人を倦怠期の夫婦みたいに」 「いつも思うけど、おミズの例って、的確だよな…」 「ミネっ!」 「あ、怒ってる」 「当たり前だろ」 純はにやと笑った。 「じゃ、おれも抱きついたら許してくれるか?」 「な…っ!てっっめー見てたな」 「食堂のど真ん中であんな事してたらみんな見てるだろうが」 そうでした。 「おれはただ、見方変えてみるために離れてみればって言っただけ」 「見方ぁ?」 「保護者離れろっての。保護者じゃなくたってユカにおまえは必要だろ。第一おまえ、もうすでに保護者としてはユカの事…」 「ストップ!ミネ、それ以上言うと、おれ、おまえの事殴るかも。」 「…おミズ、もうちょっと素直になれよ」 淳の拳が純の顔めがけて飛び、ぶつかる直前でぴたと止まった。 「どうせ、ひねくれてんよ」 「言ってないって」 純は両手で淳の拳を押し戻す。 「まあおれはさ、おまえのそういう意地っ張りなところも結構好きだよ。おまえ自身が辛くなきゃいいよ。」 「おれは、ミネのそういうところが、でぇっきれーだ。わかったような口きくんじゃねえよ」 そう言いながらも、押し戻された拳をおとなしく引っ込め、純にくるっと背を向ける。 「ミネ、今日すっげー意地悪。覚えてろよ、今度いじめ返してやる」 「ガキかおまえは」 「ガキだよーだ。んべっ」 ちょっと振り向いて舌を出す。純が笑っているのが分かる。 そこで立ち止まり、少し考えて由利香の部屋に向かう。怒ってて忘れてたけど、さっき由利香が食堂に駆け込んできたとき、なんか相談しかけてなかったけ? 「ユカ、起きてる?」 ドアの前で声をかけると 「うん」 と答えがあり、ドアが開いて由利香がすぐに顔を出す。まるで待ってたみたいだなと思う。 「さっき、なんか相談あるって言ってたよな」 「うん、部活」 「話、聞いた方がいい?」 「聞いて聞いて」 純がまだにやにやしながら、こっちを見ている気配がする。もう一度舌を出し、由利香の部屋に入る。 ドアは半分開けておく。 「相変わらず、きったねえ部屋」 「淳に言われたくないよっだ」 ごもっとも。 もっとも淳の部屋はそれほど散らかってはいない。それは単に物が極端に少ないだけの事。もともと物への執着心は薄く、執着するのはレコードくらいなので、最低限度の服とレコードの他はほとんど何もない部屋だ。あ、勉強道具はあるか、一応。 「あのねー部活なんだけど」 「見学したのか?」 「うん」 由利香は各部を見学した時の様子を楽しそうに話す。 「部活なんてわかんねえ。」 中学以上のいわゆる『部活』ってやつは、淳には経験ないわけだし。 「そうだよね。でも一応。保護者でしょ?」 その保護者に黙って、勝手に中学行くの決めたくせに、とちょっと思ったが口に出すのはやめた。 「やってみてぇこと、あんのかよ、第一?」 勝手に冷蔵庫を開けて麦茶を出し、二つのコップに注いで一つを由利香に渡す。由利香も特に何も考えずに、ごくごく自然にそれを受け取って一口飲んで、 「演劇かなあ。舞台立つのって楽しそう」 「楽しくねえぞ、あんなもん」 淳は昔の学芸会を思い出す。セリフとか覚えるの苦手だったのに、なまじ目立つから主役とか振られて毎年その時期は登校拒否になりかけた。幼稚園の時は白雪姫の王子様とかやらされたよな。白いタイツとかはかされて恥ずかしくて死ぬかと思ったけど、セリフは『なんて美しい』と『結婚して下さい』だけだったから楽だった。真似だけねって先生が言ったのに、相手の女の子が強引にキスして来て…あれがもしかしてファーストキスか?楽しいんだか、楽しくないんだかよくわからない思い出だ。 「そっかなあ…」 と由利香は首を傾げる。淳って舞台で目立つの好きそうなんだけど。自分で判ってないのかも知れない。 唐突に昼の事を思い出し、ちょっと振ってみる 「ねえねえ、私、おとなしそうで病弱そうって言われたよ」 わざと、『美人』っていわれたのは、省略する 「は?」 淳は由利香の言葉に呆然とする。 この、つやつや健康的に日焼けした手足のどこが病弱って?でもって、くるくる良く動く、なんにでも興味持ちそうな瞳をした由利香の、どこをどうしたら大人しそうって…。今も、どんな反応をするか、わくわく淳を見つめている。 「誰の事だよ、それ。言葉として認識できねーぞ」 「うわ、ひっどーい。でも、そのセンで行ってみようかと」 「止めとけ。ボロ出るぞ」 「だよねー」****************
「おはよ。まっちとさなちゃん。私、演劇部入ってみるね」 次の日の朝、由利香は元気に、新しい二人の友達に告げた 「やってみた事ない事を、やりたい気分なの」 「へえ」 真知子はしげしげと由利香を見る。 「なんか、山崎さん昨日と雰囲気違う」 「ユカって呼んでね。友達はみんなそう呼ぶから。苗字で呼ばれるの慣れてないんだ」 ******************* 放課後、昨日演劇部が練習をしていた教室に行ってみた。 昨日の女の子が一人でせっせと机を運んでいる。部活の準備のようだ。 「あのう」 おそるおそる声をかけると,振り向いて 「あ、昨日の」 と言った。覚えていたらしい。 「私、演劇部に入ってみたいんですけれど、入部できますか?」 「入ってみたいですって」 彼女は机を運ぶ手を止めて、つかつかと由利香に歩み寄ってきた。 「そんな中途半端な考えで入って欲しくないわね」 強い口調に一瞬たじろぐ。敵作りそうなタイプだな、なんて思う。 「そんなつもりじゃないんですけど」 「ま、いいわ。じゃとりあえずこの机、みんな後ろに運んで」 「あ、はあい」 由利香はカバンを置くと、喜々として机を運び始めた。こういう単純作業って、あまりやる機会がないから何か楽しい。思わず鼻歌なんて歌いながら、楽しげに作業を進める由利香に 「変な人。楽しい?」 と、彼女は首を傾げる。 「え〜だって、部活だなぁって」 「部活やった事ないの?」 「機会なくって。よろしくお願いしますね。終わったぁ。次、何やります?」 「そうね、じゃとりあえず…」 と台本を渡される 「いま人数ぎりぎりなのよ。休んだ人がいると先に進まなくて困るから、台本読んでおいて、代わりやって。見ながらでいいから」 「わっかりました」 台本をパラパラめくって読み始める。ただのロミオとジュリエットじゃないみたいだ。ところどころ、ギャグが入ったり、なにかのパロディが入ったりしている 「これ、面白いですね」 「そう?」 彼女はちょっと得意そうに 「私が書いたの」 と言った 「へええっ、すごーい。才能あるんだぁ」 「あなたに才能あるナシがわかるの?」 「よく、わかんないけど、でも、これは面白いし」 「そう?」 などという会話を交わしていると、続々と部員達が集まってくる。 そのうち何人かが固まって、由利香の方をちらちら見ながら、ひそひそとなにか言葉を交わし始める。 やがて全員が集まると彼女は由利香をみんなに紹介した 「今日から、演劇部に入る…ええと?」 「山崎由利香です。よろしくおねがいします」 中途半端な拍手がぱらぱらと起きる。なんかヘンな雰囲気だ 「わたしは部長の榊原史江よ。台本と演出を担当しているの。それからこっちは今回主役をやる児嶋亜里沙さん」 「よろしく」 児嶋亜里沙は、由利香に握手を求めて手を差し出してきた。目鼻立ちの整った、ちょっと冷たそうな顔。さっき固まってひそひそ話をしていたうちの、一人なのに気がついた。 「よろしくお願いします」 由利香も手を出し、握手したものの何かしっくり来ない。彼女の目が笑ってないせいだ、多分。 「じゃ、練習に入ります。今日は第3場から、みんな自分の位置について」****************
練習の後、由利香はまた片付けを手伝った。薄暗くなった教室を出て、昇降口に向かおうとすると、誰かに呼び止められた 「山崎さん」 「はい?」 振り向くと、5,6人の女の子達にばらばらと囲まれた。そのうしろに亜里沙が腕組みして立っている。 「あなた、知らないようだから忠告しておくわね。部長につくか、児嶋さんにつくかで、私たちのあなたへの接し方かえなきゃならないんだけど…どっちにするの?」 「え?」 急にそんなこといわれても、面食らうばかりだ。第一『つく』ってなんだろう? 「なんですかそれ?」 「とぼけないでよ。部長の手伝いして、いい役もらおうとしたくせに」 「はあ?」 「ちょっとくらい可愛いと思って」 「そうよそうよ」 「児嶋さんの方がずっと美人よね」 「私もそう思います。」 素直に由利香は認める。淳の方が美人(?)だけどね、なんて思いながら。あ、美人って言うと怒るから、やめといて、ゆっこのほうが美人だな。蘭ちゃんも、ちょっとインパクト強い感じだけど美人よね。でも少なくとも自分よりは『児島さん』のが美人だよねえ、うんうん、なんてのんきに考えている。 「何言ってんのこの子」 「だって、主役は児嶋さんって決まってるんでしょう。ずっとそれで練習してきたんだろうし」 「だから、何も分かってないって言うのよ」 「そうよ、そうよ」 「あなた、今日台本もらってたでしょ。欠席した人の代わりやるのに」 「もらったけど、それが?」 「今まで何度も直前で交代があったのよ、この演劇部では。その、代役係の人とね。」 そういう事か。部長がなんとなくスペアとしてキープしてあるわけね。 「そうなんだ。でも、私は関係ないし、どっちにもつく気ないです。だって私は部活がやりたいだけで、派閥争いしたいわけじゃないし、そういうの興味ないですから」 「…っ!この子っ!」 「どいてくれませんか?早く帰りたいんですけれど」 言いながら、端から一人一人と目を合わせていく。目が合った女の子は、皆、思わずたじろいで一歩後退ってしまうほど、視線が強い。小柄な由利香が大きく見える。 全員と視線を交わし、真中を突っ切って昇降口に向かう。みんなが後ろで息を呑んで由利香を見ている気配がする。 『集団じゃないと話もできないわけ?』 本当にいるんだな、こんなタイプ 『これで、今度は靴に画鋲が入ってたりして…』 まさかね、と思いながら、一応靴を両手で持ってさかさまにして振ってみる …コロコロ… 本当に画鋲が転げ落ちた。由利香は信じられない気持ちでそれを見つめた****************
「淳ってばっ!淳っ!見て見てっ!」 興奮気味に由利香は食堂に駆け込んできた。 「うっせーな、帰ってくるなり、昨日といい今日といい…」 「見てっ!画鋲っ!」 由利香は手のひらに金色に輝く画鋲を6個乗せて、淳に見せた。ご丁寧にも右左3個づつ入っていたのだ 「…上履きに入れられたとか言うなよ」 「惜しいっ!通学靴っ!」 「え?マジかよ」 淳は一瞬呆気にとられ、由利香の顔と画鋲を見比べ、それからすごい勢いで爆笑した 「おっ…おまえ…っ。何2日目で、人の恨み買ってんだよ…っ!なにしたんだ。信じらんねーっ」 「んー別にー」 「別にじゃねえだろ。こいつほんっとに、信じらんねー」 信じらんねーを連発しながら、涙を流して笑い続ける淳に、さすがに由利香もちょっとむっとする 「淳、笑うとこじゃないんじゃない?心配するとかさー」 「だって、おまえ悩んでねーじゃん。なんでおれが心配すんだよ?あー腹イテー」 「いやあ、あんまりベタだったもんで、悩みそこなった。」 確かにベタだ。 「何笑い狂ってんだ?」 「ミネー、こいつ靴に画鋲入れられてやんの」 淳はまだ笑いが止まらず、肩で息をしながら、由利香の手のひらの画鋲を指差した 純といっしょにいた愛が心配そうな顔になる 「おミズ…笑ってていいの?それって嫌がらせでしょ」 「いや…だって画鋲だぜ、画鋲。そんな事マジでするやつ等にろくな事できるわけねえじゃん」 そういう考え方も確かにあるが 「大変そうだったらやめちゃえばいいし、気楽じゃねえか」 淳の言葉に由利香が反論する。目が真剣だ。語気も荒い。 「淳っ!私、大変だったらやめちゃうとか、そんな簡単な気持ちで中学通い始めたんじゃないよっ!」 淳も急に真顔になって言い返す。こっちは淡々と 「そうかも知れねえけど、趣味じゃん。行かなくたっていいのに行ってんだから。」 「そーゆー言い方ないと思うけどっ!」 「なーんで?ちょっとΦ離れてみようかな、くらいの気持ちで決めたんだろ」 「淳のばかっ!」 由利香は画鋲を淳にばらばらと投げつけると、カバンを乱暴につかんでぷんぷん怒りながら行ってしまう 「あーらら、おミズ謝っとけよ。ユカが中学行くの認めたんじゃなかったのかよ?」 「怒りは収まったけど、賛成はしてねえ。」 由利香に投げられた画鋲を一つ一つ拾い集めて、テーブルの縁に並べる。6個も入れるか普通… 「2日目からこれかよ。先がおもいやられるよな…」 「おミズやっぱり心配してるんじゃない?」 愛がおかしそうに淳を見て言う。淳は軽く舌打ちをして、 「あいつ、計算して動くの苦手だからさぁ。小学校高学年あたりから女の子ってすっげー打算的になるじゃん。表で仲良くても裏で足引っ張ったり。でも結局はそれもポーズだったり。そーゆーの、できそうもねえし…どうすんだろ。」 なんて言う。 「おミズ…男の子は、そういう事気がつかない振りしなきゃだめなのよ、気が付いても」 「まーね。でもすっげーいろいろ見ちまったからさ、昔。Φはそーゆーの、なさそーでいいよなとか思ってたのに、なんでわざわざ好んで、どろどろした中に飛び込んで行くんだか」 「おまえは、ユカを純粋培養したいのか?」 「そんなんじゃねえよ。」 「一生ユカを守って、外界から遮断するなんて無理なんだぞ。わかってんのか?おまえ時々危ねえぞ。源氏物語かよ」 「え?源氏って?」 「紫の上を育てる光源氏みたいだって言ってんの」 淳はぽかんとした顔で純を見る。まさか、知らないのか…ありうるところが淳の怖いところだ 「誰、それ?」 案の定の淳の言葉に、純は呆れた顔になる。淳の知識は、時々とてつもなく欠落している。 たとえばそれは文学関係だったり、地名だったり、花の名前だったり、更に許せない事に、スポーツのルールだったり 「おミズ…普通の本も読め。おまえの知識、偏りすぎ」 「だから、どこの誰?」 「図書館行って調べろ」 ポカと淳の頭をたたく。まったく、妙な事良く知ってるくせに… 「おミズ、古典は得意なんじゃなかったけ?」 「古典なのそれ?」 「だめだ、こりゃ」****************
あとで言われたとおりに、素直に図書館で『光源氏と紫の上』について調べた淳は 「おれはこんなんじゃねえ…いやでも、もしかして…え?ち…ちがうよな」 としばらく悩み続けた。