2.8. Come Back Where You Belong 〜part3
小雪になるべく『仕事』をさせないためには、自分が相手を説得するしかない。そのため木実は必死に勉強した。
あらゆる教養を身に付け、語学も主な言語はほとんど習得した。相手を安心させる表情、声色、仕草、全てを体得し、実践するよう心がけた。
しかし、年齢だけはいたしかたない。
実際に木実が相手に信用され、交渉を成立させられるようになったのは、ここ4,5年の事。それも年齢以上の落ち着きを身につけていると相手に思い込ませる事ができるようになってからだ。
交渉が不成立に終わる度、木実は小雪に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。十中八九、小雪に依頼が来ることになるのは間違いなかったから。
「ごめん、また失敗しちゃった。またゆきちゃんにお世話になっちゃう」
「いいよ」
いつでも小雪は穏やかにそう答えた。
あまりの自分の不甲斐なさに、思わず愚痴をこぼしてしまった事もあった。
「全然、役に立たないよね。ゆきちゃん僕なんかと組まなければもっと楽だったのに。」
木実の言葉に、小雪はゆっくりと首を左右に振った。
否定の意味がわからず木実が
「え?違うの?でも、ネゴシエーターが失敗しなければ、アサッシンは動く必要ないんだよ。もっとしっかりした実力のある人と組めば、ゆきちゃんは、こんないやな仕事、しなくて済むし」
と言うと、小雪は、また首を左右に振った。
「ゆきちゃん?」
「組めない」
「え?そんな事ないよ。ゆきちゃんは優秀なんだから、誰と組んだってきっと上手く行く…」
「できないよ」
「どうして。だって別にネゴシエーターとアサッシンは一緒に仕事をするわけじゃないし、そこそこ信頼関係があれば、ゆきちゃんなら誰だって大丈夫だよ」
半ばヤケになりかけてそんな事を言い出した木実を、小雪は悲しそうな目でじっと見た。
「嫌だ」
「嫌って…そりゃ僕だって嫌だけど、仕方ないよ。僕より優秀な人が見付かったらそっちと組んだ方が」
「うそつき」
「え?」
「ナッツのうそつき」
「どうして。僕はゆきちゃんに嘘なんて付いた事…」
言いかけて、小雪の悲しそうな目を見て、はっとした。あの、最初の仕事の日の事を思い出した。
そうだ…自分は単なる仕事上のペアじゃなく、小雪の悲しみも苦しみも引き受けるって約束したんだっけ。小雪が余りに易々と仕事をこなしているように見えてしまい、危うく見失いかけるところだった。
「そう…そうだよね、ごめんね。ゆきちゃんの事を、支えてあげるって約束したんだもんね。僕、もっともっと修行して、ちゃんと仕事がこなせるようになるよ。それで、ゆきちゃんが仕事している間、ずっと、どこにも行かないでここで待ってる。ゆきちゃんがいつ帰って来てもいいように」
小雪の目に安堵の色が浮かんだ。
「だから、絶対帰って来てね、ゆきちゃん」
森に関する聞き込みは、予想以上に難航した。
まず、森については誰も触れたがらない。なんだか不気味という事以上踏み込もうとしない。Φの私有地という事もあって、臭いものには蓋という感じなのだろう。
「なんか、意味ないなあ。それより、おまえら随分煙たがれてんだな。大体町の真ん中にこんなもん作る方が…」
「知るかよそんなん。作ったの本部じゃん」
「そりゃそうだな。はっはっはっ」
ダニーは豪快な高笑いをした。
行き詰る聞き込みに、淳は一つ提案をした。
「じゃさ、4丁目行くか?あそこの人達あんまり森の事気にしてねえけど、何か客とかから話聞いてるかもしれないから。馴染みの店何軒か回ればなんか訊けるかも」
「そうだなあ」
「でもまだ、時間早ぇか。」
空はまだ明るい。明るい内からやっている4丁目の店はごく稀で、逆に言えばそんな健全な店では余り話を聞けそうにない。
「4丁目って繁華街なんだろ。おれの可愛い綿毛ちゃんは、なんでそんなトコで顔が利くんだ」
「住んでたんだよ。」
あっさりと淳は答える。そのこと自体は別に秘密にしているわけではない。
「へえ」
ダニーは興味深そうな顔になる。
「いつ?」
「12んとき」
「12のガキに良い環境とは思えねえな。思ったよりスレてんだな」
ダニーの言葉に、ずっと訊いてみたかった事を訊いてみる。
「おまえはさ、おれを何だと思ってんの?」
「おまえはおれの天使だよMyPureAngelってやつさ」
「天使…ねえ。」
そんな事もあったかもしれないと思う。でも今はせいぜい堕天使ってとこだ。
「ダニー、おれにあんまり妄想抱かねえほうがいいよ。実体知ったら幻滅する」
「おまえはおまえだよ、初夏の木漏れ日ちゃん。おまえが過去何をしてたかなんて、関係ない。今のおまえで十分だ。言っとくけど、おれがおまえの事気に入ってるのは、見かけだけじゃねえからな。その細っこい体で日本支部を背負って立とうとしてる健気さと、仲間守ろうとする気骨に惚れたんだ。」
「ふうん」
そんな賛辞をモロにぶつけられ、思わず少しだけ頬が赤くなるのを感じた。
ゲイのストレートさっていうのも、たまには賞賛に値するかも知れないとちょっとだけ思う。…が次のダニーの言葉でそんな思いは吹っ飛んだ。
「ちょっとはその気になってくれたかい?そうしたら、是非今夜はおれの部屋に…」
「ありえねーから」
きっぱりと振り切って、やっぱりダニーのいう事をマトモに聞くのは止めようと心に決めた。
4丁目に入りかけたその時、後ろから声をかけられた。
「もしかして、葵か…?」
その瞬間、淳の嫌な記憶が甦る。
ずっと忘れなかった声。もう二度と聞きたくないと思った声。
振り返りたくない。見たくない。そのまま振り切って行こうとした時、ダニーが
「おまえの事呼んでんじゃねえのか?」
と、後ろを振り向きながら言った。淳を呼んだ人物を見て、口笛を吹く。
「驚いたな。こいつのせいか」
「おれは『アオイ』とか言う名前じゃねえ」
小声で答えた声が掠れる。
「わかってるよ。でも、おまえの事呼んでるぜ」
「つれねえな。こっちむけよ、葵。キレイになったじゃねえか。やっぱおれが目つけただけの事あるな」
ムカつく胸を押さえながら、ゆっくりと後ろを振り向く。忘れようとしても忘れられなかった顔がそこにある。
「あんまり冷たくすんなよ。4年ぶりか?ちょっと寄ってみた甲斐があったぜ」
淳に近寄り、顎に手をかけて上向かせるその男は、日本人にしては珍しく身長2メートル近くのがっちりした体つき。スキンヘッドにあごひげを生やし、右目にアイパッチをつけている。
「第一、 おれは恨みこそすれ、恨まれる筋合いじゃねえぜ。これ、覚えてるだろ」
片手を淳の顎にあてたまま、もう一方の手でアイパッチを外す。
窪んだ眼窩は、そこにあるべき眼球が欠落している証拠だ。
「こんな事されて、許してやってんだぜ。話くらいしてくれたっていいだろ」
「おい、いやがってんじゃねえのか、よせよ」
ダニーが割って入った。
「なんだぁこのガイジン。葵、おめーの男か?通訳しろよ」
「おまえのせいで、おれはこいつに嫌われてえらい迷惑してんだよ。汚ぇ手、はなせ」
言うのと同時に、男の手を払いのけ、淳の体を抱え込むようにする。
男はダニーが言っている事は正確には分からないが、侮辱されている事は分かったらしく、
「なんだよ、脇から口はさむんじゃねえよ」
と殴りかかりそうになる。ダニーは男を睨みつけ
「おう、やるか?おれはお姫様のためだったら、いつだって受けて立つぜ」
と片手で淳を守ったまま、拳を固めて見せた。
しばらくにらみ合いを続けた後、男がふっと笑いをもらした。
「やめとく。おまえとやってもお互い無意味に怪我しそうだ。」
虚ろな表情でそれを見ていた淳に、
「葵、おれはおまえのせいで片目になった。一日たりとも忘れた事はねえ。世界の果てまででも追っかけて、いつかおまえを思い通りにしてやる。忘れるなよ」
と捨て台詞を残し、4丁目の方に大股で去って行った。
「大丈夫か?うさぎちゃん」
またも微妙な呼び名で呼ぶダニーに必死の思いで反論する。
「うさぎ…じゃ…ねえ」
「お、喋れるようになったか。あんなヤツが怖いのかよ」
「怖い?」
まだ小刻みに震える体を、ダニーから引き離し、淳は言葉を選びながら答える。
「そうだ、怖いよ。でも、あいつが怖いんじゃねえ。自分が怖いんだ。今度もし、あんな事があったら、おれは確実にあいつを殺しちまう。それが怖いんだ。」
「なーるほど。殺しちまえばいいじゃないか?あんなやつ。おれが代わりに殺ってやろうか」
「ダニー。冗談でそういう事…」
「おれは本気だけどな。」
そう言うダニーの目は、いつの間にか怒りに燃えていた。
「おまえがあんなんなるなんて、よっぽどの事だ。確かにおまえは朝の最初の一陣の風のように不安定で、砂糖菓子のように脆く壊れ易いところはあるが、それにしても声聞いただけで、あれはないだろう。おまえがおれのビジュアルが苦手なわけが分かったよ。よし、決めた、おれはこれから絶対髭は毎朝剃るし、髪も伸ばそう」
「そこまでされても…」
「おれは変わるぜ。おれを見るたびに、おまえがあんな男思い出してたら不愉快だ。なんなら少し筋肉落として体型も変えるか」
「いや、それ、違う人間になるから」
「そうか、ダイエットのいいチャンスだと思ったんだけどな。」
胸の奥ではまだ怒りがくすぶっている。それを押さえつけながらダニーは淳に言った。
「どうする?今日はキツイだろ、4丁目。またあいつに会うかも知れねえし。帰るかとりあえず」
「…悪ぃ」
「いいってことよ。しおらしいおまえ見られたし、役得もあったしな。」
「しおら…まあ、そう言われても仕方ねえか」
「お、素直だな。そうしてると、ほーんと可愛いぜJellyBeanちゃん。」
「可愛いはよせっつの」
まだふらつく足を叱咤激励しながら帰路に付く。…が、数分歩いた所でしゃがみこんでしまった。
「ごめん、ダメだ。吐き気する。」
「大丈夫かよ。抱っこしてってやろうか」
「余計気持ち悪ぃ」
仕方なく最寄の喫茶店に寄ることにする。ダニーに支えられるようにして、やっとの事で席にたどり着き、崩れるようにソファに倒れこむ。ウェイトレスが恐々近寄って来た。デカイ外人と、真っ青な顔をした男の子の組み合わせは、どう贔屓目に見ても明らかに怪しい。
「ご注文は?」
「コーヒー。おまえもコーヒーでいいか?」
「駄目。匂いがキツイ。水でいい」
「そうもいかねえだろ。じゃ、おれもコーヒーはよすか。これ」
メニューの一箇所を指差して、ウェイトレスに示す。
「二つ」
と指で示し、メニューを返す。ウェイトレスはソファに倒れこんでいる淳を怪訝そうに見ながらも、注文を伝えに戻って行った。
「何頼んだんだ?」
「クリームソーダ」
「ぐえ」
「いいよ、おれが両方飲むから」
しばらく横になり、クリームソーダが来た頃には少しは気分も良くなっていた。体を起こし、テーブルに肘を着き、ふらつく頭を支えながら、自分に悪態をつく。
「ああ…ったく情けねえったらねえよな。こんな失態。どうすんだよこんなんで。もう4年も前の事なのによ。いーかげん忘れちまえっつうんだよな」
「何をぶつぶつ言ってるんだ?これ、飲むか?」
クリームソーダを差し出すが、淳は首を横に振り、水のコップに手を伸ばした。
「そうか?なかなかイケるぜ」
スキンヘッドの大男が、ストローでクリームソーダをちびちびすすっている姿はなかなか見ものだ。周りの客がこっちを見てくすくす笑っている。
午後5時過ぎの喫茶店は、なかなかの賑わいを見せていた。4丁目に近いので、お店に出る前のおねえさん達も軽く食事をとっていたりする。
ふと気付き、ダニーは心配そうな顔で淳に聞く。
「なあ、小鹿ちゃん。もしかして、おれがムリヤリキスした時も、こんなボロボロになったのか?」
「え?」
「いやあそうだったら、悪かったなぁと思って。知らなかったとは言え。キスくらい平気そうだったから、ついしちまったけど、考えてみたら顔色悪かったよなあ。」
「吐くギリギリ。」
「やっぱそんなかぁ。おれってば第一印象サイアクだよなあ。そんなにショックだったかあキス。まさか初めてじゃねえよな」
「だから、おれに妄想抱くなっつってんだろ。おまえおれの事、白馬の王子様を待ってる世間知らずのお姫様とか思ってねえか、もしかして」
「お姫様は酔っ払って、ドレスの大股開いて歌いまくったりしねえだろ」
「それ、言うな。」
ダニーはまたも何かを思い出した。どうやら淳に会ったら確認したい事が色々あったらしい。
「ああ、そういやあおまえの弟。あれはあれで、なかなか好みだけどさ」
「尚がどうかしたかよ。あ、おまえあいつにまで手出すなよ。あいつはそういうの駄目だから…」
「おまえの事好きなのか?」
「へ?」
「いやなんか、全然抵抗なく人前でキスしてたじゃねえか。」
「酔ってたし。勢いだろ」
「そうかなあ。勢いだけでできるか?嫌いじゃできねえよなあ」
「いや別に嫌いじゃねえだろけど。」
「それからさぁ…」
「まだあんのかよ」
げんなりした顔でまたコップに手を伸ばす。
「リーダーの事だけど」
「今度はそれか」
コップの水を飲み干して、片手を上げて水のお代わりを頼む。多分、今夜くらいまで水しか喉を通らないに違いない。
「あの子、可愛いよなあ」
「おまえ、ゲイだろ」
「それはゲイに対する偏見だ。可愛いものは可愛いって思うぜ。ノーマルなヤツだって可愛い男の子見て、可愛いとか思うんだろ」
「悪ぃ。そりゃそうか」
「おまえがノーマルかどうかは微妙だけどな。ま、それは置いておいて。どうなんだよ?」
「どうって?」
「好きなんだよな?」
「え…ええっとお。」
答えあぐねて言葉を捜しながら、はっと気がつく。
「なんでおまえにそんな事言う必要があるんだよっ」
「そうだけど。でもさあ、なかなか微笑ましかったぜ、おまえのために一生懸命応援してる彼女。」
「そりゃどうも」
なんでおれがお礼を…と思いながらも、思わず口から出てしまった。
それを聞いて、ニヤッとしながらダニーが畳み掛けるように続ける。
「でさ、なんで今バラバラなんだ?別れたのか?」
「別れたも何も、別に付き合ってねえって」
「そうなのか!?」
ダニーは心底ビックリした声を上げた。
「いや、あれは付き合ってるって言うだろ。おまえらいつもべったり一緒にいたじゃねえか」
「誰が何と言っても違う。第一付き合ってんなら普通おれが女装とかしたら嫌がるだろ。あいつ大喜びだったんだぜ」
「リーダーは心が広いんだよ。おれ達みたいな連中も優しく引き受けてくれて、一緒に応援しようねって言ってくれたしな。楽しかったよなあ。正直言って、久々に女の子ってのも良いもんだなって思ったぜ。好きな男が女装したからって、ビビるようなんじゃないね、あれは」
確かに由利香はその辺は、良く言えばおおらか、悪くいえば鈍感だ。淳なんて何をやらかすか分かったものじゃないので、女装なんて序の口だと思っているに違いない。
「多分おまえが何をしたって受け入れてくれるね。そういう子だよ、リーダーは。めったにいないぜ、ああいうの」
「ゲイに男女交際について講義されると思わなかった。」
「ゲイだから、よく見えるんだよ。おれはおまえに幸せになって欲しいんだよ、真珠ちゃん。歯食いしばって頑張ってる、おまえもゾクゾクするほどイイけどな。」
「やっぱ変態だなおまえ」
「えええっ、おまえは、可愛い彼女が必死で頑張ってんの見て、『いいなあ』とかそそられねえのか?」
「頑張れとは思うけど、それがいいとかは…」
その言葉を聞いて、ダニーはまたニヤリとする。
「ほら見ろ、やっぱ可愛い彼女とか思ってんじゃねえか。」
「…あ…ヤベ」
あわてて口を噤むが遅い。
どうもダニーと話すのは調子が狂う。あまりにストレートな、その物言いのせいだろうか。
ダニーのニヤニヤ笑いはいっそう露骨になり、目を閉じてしみじみとした口調で
「いいなあ、青春だねえ」
と、言う。淳は頭を抱え、
「言っとくけど、口が滑っただけだからな」
と念を押す。
「分かってるよ。シャイだなあ、ババロワちゃんは」
「シャイって誰の事だ?」
「いいから、いいからあ」